第十五話 「生命」の代替品

 小さな窓から差し込む西日が、なびく銀色の髪を輝かせる。相手にも怪我をさせないように配慮したぶ厚い布の籠手の周囲が時折、薄い赤の光に包まれる。それは魔力が集中するのをラッセルの目が捉えている、無意識に視覚化された画だった。

 少女は前後左右一度に襲撃されても、身を回転させて間髪入れず打撃を入れ、相手を無力化する。舞でも踊っているように軽やかな動きなのに、繰り出される打撃自体は重い。弾かれた男たちはしばらく立ち上がれなかった。

「まるで芸術のようだろう。同じような戦術の魔法剣士の熟練者の動きもあれと似たようになる」

 思わず見とれていたラッセルに、ロインがどこか誇らしげに言う。

「ま、僕には無縁の話だね」

「そうか? 少しは魔力も強くなってきてるんだろ。いつかは目差せるところかもしれないぞ。オレには無理だったが」

「そこまで魔力を育てるのに何年かかるんだか。いや、そもそも剣士になる気もない」

「少しは憧れがあるんだと思ってたがな、今ここにこうして来ているのは」

 ラッセルが道場に顔を出したのは朝のことだ。朝の運動がてらに、とここに剣術の練習のために顔を出しただけでもロインらは驚いたものだが、さらに授業が終わった後も訪れるとは、なかなかの入れ込みように見えても仕方がない。この建物はついでに寄るような場所ではないからだ。

 しかし、少年は懐に手を入れながら首を振る。

「違う、僕はただ届け物をしに来ただけだ」

 右手に取り出したのは、白い封筒。装飾の可愛らしいもので、留め金は赤いハートマークだ。

 それを見た剣士は目を見開き、口をぽかんと開ける。

「お前……イトリにそういう」

「違う! これは僕が書いたんじゃない」

 ラッセルは半ば予想していたのだろう、即座に否定した。そしてブツブツと、「だから嫌だったんだ、こんな」などと口の中で文句を続ける。おおかた、教授か誰かに頼まれて仕方なく預かったのだろう――彼の性格を知るものなら簡単にそう予想できた。

「どこかからの出版社からの手紙らしい。詳しいことは僕も知らない」

 稽古の終わったイトリが汗を拭きながら近づいてくると、彼は手紙を突き出しながら早口に説明する。外から格好だけ見れば、いかにも好意を持った女子に手紙を渡す少年の図だ。ラッセルは心から早く受け取って欲しいと願った。

 幸いイトリは封筒の外観など気にかけなかったようで、あっさりとそれを受け取る。

「出版社か、覚えがないが。あるとすれば魔闘術についてか、あるいはこれまでの旅に関わることか」

 遠くの地の知識や情勢は、充分に金に代わる価値がある。遠方から来た研究所内の魔術師たちや旅人らも時折取材を受けているが、イトリとセタンの義姉弟もだいぶ遠くから旅をしてきたようだった。

「とにかく、ちゃんと渡したからな」

 渡す側からすれば、内容はどうでもいいことだ。役目を終えさえすれば用はない。

「あ、剣術練習は……」

 ロインのことばを背後に、ラッセルは道場を後にする。すでに陽は半分以上が地平線に沈み、空の端が昏く染まり始めてさえいた。周囲に人の姿もない。

『どうした、剣の道を究める決意でもしたのかと思ったが』

「まさか」

 ここぞとばかりに懐から声をかけてくる〈生命の剣グレイヴループ〉の知性たるウイングに、少年はにべもなく言った。

「あんなことを続けていたら剣術を習得する前に死んでしまうよ。今からさらに練習とかあり得ないね」

 と、無意識に自分の腹を撫でる。もういつもの夕食の時間より遅いくらいだ。

『その割に朝の練習は熱心に見えていたがな』

「朝食の後なら腹ごなしに多少は身も入るものさ」

 軽口のようなやり取りを交わしながら、足はすでに食堂に向けて踏み出していた。中庭を抜けて古城の入り口のひとつへ。

 すでに通路の壁に灯が揺れる屋内に入るなり、思わず立ち止まる。直前までは、早く目的地に向かいたくて仕方がなかったのだが。

「なにか事件でも?」

 目の前に並ぶ顔は、備え役の三人と魔法の歴史に詳しいリビート・ディルスラック教授。並ぶ顔に浮かぶ表情は決して喜ばしいものではない。

「学生が一人、昼間に街に出てから帰ってこなくってな。とりあえず誰か探しに行こうってところ」

 シュレール族の戦士ジョーディが簡潔に説明する。

「まずわたしが街へ行って探しましょう。警備隊にも当たってみますよ。それでも見つからなければ連絡します。夜が更けきらないうちにでも戻ってくれればいいのですが」

 溜め息交じりに言った教授はエレオーシュの街に家があり、そこから研究所に通っている。帰宅のついでに警備隊の詰め所に寄れば面倒がなくてよいだろう。

「ふうん。大事にならないといいね」

「まったくです」

 それほど興味のなさそうなラッセルの声に気付かず、教授は大真面目にうなずいていた。


 夕食時間と少しずれたせいか、食堂はすいていた。もちろん、ラッセルにとってはこれは好都合である。

 ほとんどいつもの顔ぶれもないが、彼が夕食の盆を手に席に着くと、端から黒いものが目の前に滑り込んでくる。

「珍しい時間じゃないか。噂のアレで忙しかったのか?」

「噂のアレ?」

 まったく心当たりがない。黒衣の上級生は面白がるようなニヤニヤ笑いを浮かべているが、言われた側はただだだ不思議なだけである。

「お前がイトリに告白の手紙を渡したとかいう話」

 ごふっ。

 ラッセルは飲みかけたハーブティーを吹き出しかけた。

「告白……なんだその噂は」

「お前が手紙を渡してたってシェプルさんが言ってたぞ」

 よりにもよって、なんていう人物に目撃されたんだか……一瞬ラッセルは天を仰ぎたい気持ちになったが、そんなことをしてもどうしようもない。気を取り直し、周囲で耳を澄ましている者にも届くようにわざと、声を大きめにして言う。

「ただの手紙だし、あれは僕からのものじゃない。僕はただ手紙を届けただけだ」

 これで少しは、おかしな噂話がなりを潜めればいいが――と内心祈る。それが通じたのかどうかは不明だが、少なくともイグニスは追及する気はなくしたようだ。

「ま、そんな噂話よりは現実を見る方がいいよな」

 ラッセルが小皿に盛っていた小魚のフライチップスをひとつ摘まみながら、イグニスは話題を変える。

「帰ってきてない学生がひとりいるって話だが、帰ってきてないのはハイドラらしいぜ」

「あいつが?」

 夕食に取り掛かり始めていたラッセルもこれには少し驚く。

 ハイドラはなにかと彼を目の敵にしていた頃があったものの、最近はあまり顔を合わせる機会もなく、しばらくは大人しくしていたように見えていた。

「でもなんのために? エレオーシュにいてなにをするつもりなんだ」

「さあ? でもお前、気をつけろよ」

 フライチップスをポリポリと噛み砕いて飲み込んでから、上級生は肩をすくめた。

「あいつなにも変わっちゃいねえ。お前はあいつにとって、異端者かなにからしいな」

 どうやら、大人しくなったような気がしていたのはラッセルの気のせいだったらしかった。


 食事を終えたあと、ラッセルは庭に出た。湖畔の木々に身を隠しながら星空を見上げる。外にいれば学生――ハイドラが戻ってきたという情報にも触れやすいだろうというのがひとつ。もうひとつは、無意識にとある姿を探していたのかもしれない。

 いつもは食堂で見えるその姿と、今日の夕食時は出会えなかったから。

「やあ、噂の彼女とは一緒にいなくていいのかい?」

 ローブの上に薄いベージュのカーディガンを羽織った少女の姿を見つけるとほっと息を吐くものの、その第一声に少年は少しげんなりする。

「ただ他人の手紙を届けただけだ。一体どんな噂を聞いたんだ?」

「シェプルさんから聞いたよ。『手紙とは古典的で派手さはないものの、堅実な方法。ことばというひとつの媒体では伝わる情報量は少ないが、表現力のある者は一文だけで薔薇色の世界さえ創造できるという。あえてこの手段を選ぶとは……できる!』とか言ってたよ」

 シェプル・ドワールの口調を真似ながらそう伝えるルフェンダは、シェプルの話をそれほど本気にしているわけでもないらしかった。

「どうせなにかの勘違いだと思ってたさ。キミに誰かに告白なんて度胸があるはずもないからね」

 ぐっと反論したいのを堪え、ラッセルは少し離れたとなりに座る。すっかり陽は落ちて湖は夜空の星々の瞬きを映し出している。虫の音も鳥の声もなく、周囲はいつになく静まり返っているかのようだ。

「手紙と言えば、家からなにか連絡はないのかい」

 ジェルフ家の長男、ニットン・ジェルフが盗賊団〈黒龍の牙〉に捕らわれてから数日。ジェルフ家からはなにも連絡はなく、連絡が来るとも思ってはいなかった。ただ、家以外からの情報もなにも進捗はなく、兄の無事もようとして知れない。

「きみが知っている以上のことは何もないよ」

「キミから連絡することはできないの?」

 という質問には少し驚き、

「それは考えたことはなかったな」

 素直に言う。自分からの連絡など取り次いではもらえないだろうと思い込んでいるが、セバスチャンに連絡を取って様子をうかがうことくらいはできたかもしれない。

「一応、関心はあるんだね。わたしの方はキミの兄というのがどういう顔をしているのか興味があるけどね」

「へえ……そんなことが気になるのか。周囲が言うには、あまり似てないらしいよ」

「どっちがモテそうだとか聞いたことはあるかい?」

「さあ。知りたくもない」

 今まで当然、女子と良い仲になったこともなければ、兄の色恋沙汰を聞くような機会もなかった。一番ラッセルがそういった話題に触れる機会ができた時期は今かもしれない。イトリとの噂話といい、わずらわしい印象しかなかったが。

「相変わらず色気のない……」

 と見上げて、ルフェンダは動きを止めた。満月に近い月の上を翼のあるなにかのシルエットが飛び去って行く。

「〈アクセル・スレイヴァ〉の使いか。いつかああして空を行く旅をしてみたいものだね」

「飛べるのか?」

 色恋沙汰などよりそのことに、ラッセルの胸には強い興味が湧いた。なんの乗り物も使うことなく空を飛ぶ――それには、人並みの憧れはある。強力な魔力を得た魔術師には飛ぶことのできる者もいる、と知識を得た今はもっとその憧れは強くなっている。自分の魔力など到底そこに至るほどではないし、多くの、自身より魔力も強く経験豊富な魔術師らも飛行魔法など手に入れられていないことは重々承知してはいるが。

「あいにく、魔力が本来のものに戻っても、わたしは人の姿のままでは飛ぶというより〈浮く〉程度のことしかできないよ。儀翼なしでは〈アクセル・スレイヴァ〉の上級士官たちだって自在に飛ぶことはできないし。まあ、そうだとしてもそのうち飛んでみせるよ」

 胸を張って宣言する。

「それを実現するためには、本体を解放しなければならないわけだが」

「それもいずれは自分で解放して見せるさ。ここを卒業したらね。魔術師としてでなくてもいい、ここの図書館の司書でも目ざそうかな。そして本体の封印を解く方法を研究するんだ。考えてみれば、真面目に封印を解こうと思ったこともなかったな」

 その必要があるとも思わなかったから。そう付け加えたことばに、当然、今は本体の封印を解く必要性があるのか、という疑問が浮かぶ。

 しかし、それを口に出す前に。

 ガサッ――

 茂みがざわめき、ふたりはびくっと振り返る。無意識に二人だけの空間と認識していたせいか、それが突然断たれた驚きは強い。

 現われたのは、夜闇にまぎれそうな黒衣の姿。フードの奥の白い顔にはいつもの面白がるような表情はない。

 ハイドラが戻ってきたのか、というラッセルの予想は外れる。

「どうやら、ハイドラは盗賊団に拘束されたらしいぞ。自分で行ったんじゃないかって説もあるけどよ」

 そう言ってイグニスは一度、息を吐いた。

「そして、盗賊団〈黒龍の牙〉はニットン・ジェルフと引き換えに〈生命の剣〉を要求しているらしい」

 告げられたことばに、ラッセルは懐の魔剣の柄が重くなったような気がした。

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