第十四話 「代用品」の宿命

 ベッドに横たわり、天井とカーテンを開けたままの窓の外を眺めながら、ラッセルは半ばぼうっとしながら考え事をしていた。窓からは星々の瞬く夜空が見える。いつもはそれを眺めながら、寝る前に瞑想をする日課があった。書物で読んだ呼吸法を試しながら瞑想すると魔力を高めることができるらしい――最初は駄目でもともとのつもりではあったが、実際その効果か否か、彼の皆無に思えていた魔力はほんの少しずつではあるが向上していた。

 しかし、今は瞑想に集中する気分でもない。

『兄、ニットン・ジェルフは一昨日、〈黒龍の牙〉によりネタン郊外に拉致され、以後の消息は不明』

 その新聞記事が色々な想像を掻き立てる。血を分けた実の兄ではあるが、顔を合わせたのも数えるほどの歳の離れた兄には大した愛着はない。主に気にかかるのは、表舞台の存在である兄がいなくなった場合、代用品は代用品のままでいられるのか、ということだ。

 ――おかしなものだな。

 ラッセルは我に返って苦笑する。まるで、代用品であることに満足しているかのようだ。ここに来る前は、あれほど無価値で生きる意味もない道筋に思えていたのに。

 今は、この代用品としての人生にこそ自由を感じる。そう考えると、もしかして兄はとても不自由な思いをしながら表舞台に立っていたのかもしれない、とほんの少しだけニットン・ジェルフに同情した。

 ほとんど忘れかけていた兄の存在を思いながら、少年は目を閉じた。


 眠る前の記憶を引きずったのか、彼は夢を見た。

 懐かしい、遠いどこかの街――確か、ネタンの近くの街を出た後の馬車の中。馬車は高価で造りのしっかりした白い幌馬車だが、狭くて座り心地は悪い。どうやら道の整備された街中用のもので土のむき出しになった道を走っているせいらしいが、そう長い道のりではないと聞いていた。

 内部にいるのは三名。ラッセルの向かい側に座るのは、セバスチャンと、五つ以上は年上に見える少年。ラッセルより細面で、切れ長の目に流れの滑らかな巻き毛、色白な顔に浮かぶ憂いのある表情が大人びた雰囲気を漂わせる。

 一言もことばを交わさないまま、小さな窓の外の景色だけが流れていき、意外に早く馬車の旅は終わる。

 布のドアが巻き上げられると、街並みが見えた。ドアを開けたセバスチャンが先に降り、一礼して手を差し出す。

「さ、どうぞ。ニットン坊ちゃん」

 ニットンが腰を浮かせ、そのまま馬車の踏み段に足を踏み出し――両足をそろえ降りるかに見えた瞬間、素早く上着の懐に手を入れながら振り返った。

「これ、お前にやるよ」

 発したことばは、ただそれだけ。差し出した手には金色の小さなブローチがのっていて、思わずラッセルは受け取ってしまう。

「あ……」

 どうも、と続けたかったが戸惑ううちに、まるでにげるようにニットン・ジェルフは外に向き直り降りていく。

 ブローチは特別高価なものでもなく、親指の先ほどの大きさで、盾形に鳥の意匠が彫り込まれた単純なものだ。それでも、そのブローチはラッセルにはとても特別な物に思えてならなかった。今まで個人的な贈り物などもらったことがない彼には、きっと兄もそれに対し何か特別な意味を込めて贈ったのではないかと、それぞれの生活へと別れて行った後もしばらくの間、何度も想像した。

 しかしその記憶もいつの間にか薄れていた。あのブローチも読書や勉強に利用していた机の引き出しに入れたままだ、と夢の中で気づく。

 ――結局、あれにはなんの意味があったのだろう。

 なんの意味もないのかもしれない。ただ持て余した持ち物をひとつ分け与えただけなのかもしれない。きっとそちらの想像の方が事実だろうと、今も思っている。

 それでもほんの少しだけ、兄に対する興味を抱いたのは確かだった。


『盗賊団がこの付近に移動してきているという情報がある。きみはしばらく、研究所を出ない方が安全だろう』

 朝に学長から呼び出され、そう外出禁止令が出されたほかは、なんの変哲もなくラッセルの日常が進んでいった。なんの変哲もない、とはいえ、常に変化はある。

「なかなか様になってきたじゃない」

 授業を終えた後の休憩時間、アキュリア・テルミ教授は教え子が光球を自在に操る様子を眺めて感心したように言った。

 様になってきた、とは言うものの、他の学生たちに比べれば相当遅い成長だった。それでもゼロだと思っていたものが少しでも向上していることに、本人も手応えを感じている。

 その一方。

「あなたの方は変わらないわね……」

 暗い視線の先にいる『無能』の少女は、杖なしでは光球のひとつも飛ばすことはできない。

 同じ無能がいつの間にか彼女を追い越していたことに喜びと当惑の入り混じった複雑なものを抱きながら、それもそのはずだ、とラッセルは理解していた。彼女の魔力は成長しないのではなく、存在するのに封じられているようなものなのだから。

「その杖で使える魔法は限られている。こうも進歩がないとなると、別の道を探した方があなたの将来のためにはいいかもしれないわね」

「退学……ってこと?」

 さすがに、少女の目にもわずかに動揺の色が揺れた。彼女はこの魔法研究所をあまり離れられない身体だ。しかし、そのことを教授は知るはずもない。

「そうとは限らないけども……その杖の能力を生かせる職業訓練でも積めば、一般的な暮らしよりは多少なりとも裕福にはなれるでしょ。魔法の使えない、魔法に関わる仕事をする道もあるし。急いで決める必要はないけど、ここで学べる時間は限られている。考えておくといいわ」

 魔術師は皆、管理団体である〈アクセル・スレイヴァ〉に登録しなければならない。登録するためにはそれなりの知識と魔力、魔法技術を証明する必要がある。そのためのテストであり授業でもある。

 テストに失敗し続けても授業料が払われる限りはよほどのことがなければ退学にはならないが、職業としての魔術師の道は険しい。一方、教授の言うように魔法が使えなくても卒業までの知識は得られているはずなので、それを生かす仕事もわずかにはある。魔法図書館の司書、錬金術師の助手や魔法植物の採取家、対魔法知識の要る軍師・警備隊の指揮者など。

「このまま、ってわけにはいかないのかな……」

 庭へ出る廊下の途中、ルフェンダは溜め息交じりにそう言った。

 魔術師以外の道には、はたしてこの魔法研究所に残る選択肢はあるのか。将来的にでも、彼女はここを離れる道を選択することはできない。

「なんで学生になろうと思ったんだ? 最初から、教授か職員に成りすましておけばずっといられるんじゃないのか」

「教授は魔法使えないとだし、職員もそうだけど、学生よりずっと身分や能力の検査が厳しいんだよ。それに、外見の問題はあるし」

「外見は確かに……」

 魔術師だから成長はしない。しかし職員は魔術師ではなく普通の人間だから歳を重ねる。しかし魔法は使えないし身分も確かではないので教授にもなれない――そう考えると、彼女が選べる選択肢は限られる。

「それに、学生生活を送ってみようというのもただの思いつきだったんだ。数年間、この見慣れた場所で過ごしてみるのもいいかもしれない。そう思っただけだよ」

 庭に出ると、どんよりとした雲が並んで歩く二人の頭上に広がる。

「じゃあ、その望みはもう叶えられたじゃないか」

「ちょっと短いけど、今やめてもそれはそうかもね。ただ、乗り掛かった舟じゃないか」

 そのことばの意味はつかみきれず、ラッセルが視線をやると、少女は仕方なさそうに肩をすくめる。

「せめて、キミが卒業するまで見届けたいと思ってさ」

 へえ、と少年は曖昧な返答をする。

 ――僕は本当にここを卒業できるのかな。

 いなくなるのは自分の方かもしれない。そんな想像が頭をよぎるものの、それは口に出さないでおいた。


 翌朝、ラッセルは懐に持ち歩く剣の柄に触れながら壁に貼られた新聞を読む。いつもの習慣だ。

『まだ事件は解決していないらしいな』

 少年より早くすべての記事を読んだ魔剣の知性が、周囲に人のいない合間に声を響かせる。

 熱心に記事の見出しを目で追っていたラッセルは、一応自分でもすべて確認してから肩をすくめた。

「残念ながらそうらしいな」

『遠い世界の出来事なのだろう? やはり実の兄が心配か、それとも盗賊団に狙われるのが不安か』

「代用品は、正当品があるから代用品なんだよ。正当品が欠けると陰に隠れた代用品のままではいられなくなる。兄がいなくなると、僕は兄がいた場所に立たなくてはならなくなるんだよ。それが代用品の宿命だ」

『要するに、ここを出たくないんだな』

 確かに、とラッセルは素直にうなずく。彼女も同じ気分だったろうな、と昨日のルフェンダに思いをはせながら。

「そうでなければ、ここを逃げ出せばいいだけさ」

『盗賊団は怖くはないのか、キミは』

 怖いはずもない。なるようになるしかない、何も恐れない――だが、ここを出ることは嫌だ。我ながら矛盾していると、少年の顔に苦笑が浮かぶ。

『まあ、ニットン・ジェルフが無事に戻りさえすればよいのだろう。盗賊団が退治されることを祈ろう』

 ――結局、できるのは祈ることだけ。魔剣を手にしようと多少の魔法が使えるようになろうと、本質的にはなにも変わっていないのかもしれない。

 大きく息を吐き、ラッセルは庭に向かう。考えても仕方のないことに思考力を使っても疲れるだけだ。まだ朝食にも早い早朝、少し冷ややかで新鮮に感じられる空気は、深呼吸すると気分転換にはもってこいだ。

 朝の空気を吸いながら、白く日光を揺らめかせる水面に近づこうと、露に濡れた草を踏みしめる。

 ドン!

 地面が揺れる。一歩踏み出したところだったラッセルは体勢を崩しかけ、どうにか着地した。短い間とはいえただならない振動と爆音に、反射的に足が向く。厄介ごとに巻き込まれそうな危機感よりも好奇心が勝っていた。

 駆けつけた先、爆音のもとはわかりやすかった。湖畔のその場所の一部が焦げ付いて草が炭と化している。

「ちょっ……と、やり過ぎたかなー」

 ぽりぽりと頭を掻いているのは、見慣れた紺色のマントとローブ、帽子の姿。その目の向く先にはラッセルのほかに、駆けつけた備え役のシュレール族と貴公子の姿が映る。

「レディを守るために腕を磨くのは良いことだけど、こういう野蛮な手段はいただけないね。そもそも、敷地内で高火力魔法を使う場合は誰かの監視がなければ許可されないはずだろう」

 女性を見れば即口説きにかかるシェプル・ドワールが真っ当なことを言う。こんな場面だからか、この場に女性がいないからか。

「ああ、うん。もう少し小さいのを作るつもりだったんだけど、一回だけ調節を失敗して……す、すいませんでした!」

 目を泳がせて言い訳を仕掛けた後、結局セタンは綺麗に土下座をする。

 ジョーディがそれを見下ろし、緑の鱗に覆われた肩をすくめた。

「ま、草くらいならすぐに生えてくるけどな。怪我なんかしたらどうしようもねえ。次からは気をつけろよ」

 どうやら、お咎めなしで済んだらしい。備え役たちは見回りの順路に戻っていく。

 それを見送り、多少は緊張していたのか、セタンはほっと息を吐いた。

「さすがに、姉貴が戻るまでは訓練もお預けだな」

「訓練って、魔力向上の?」

 魔法を使い続けるのも魔力を向上させる手段のひとつ、というのは、ラッセルも本に書かれていたのを読んだ記憶があった。

「魔力もあるけど技術もな。疲れるけど、一石三鳥くらいのいい訓練だ」

「僕には到底無理だな。でも、もう魔力も技術も充分なんじゃないのか?」

 セタンはこの魔法研究所の学生たちの中でも、桁外れの魔力を持っていた。操作の方はそれほど得意ではないらしいが、それは本人の中の基準の上でのことで、テストを難なく合格できるくらいの腕は持っている。

「大は小を兼ねる、って言うだろ? 少しでもできることを増やしておく方が、いざというとき困らないさ。どんな偉大な偉人だって一日にできることは限られているけど、その限られてる範囲だって、それまでの日々の積み重ねが多い人ほど広くなるはずだぜ」

 聞いてみればよく教科書に使われる本でも見るような話だが、彼の膨大な魔力も日々の積み重ねかもしれないと想像すると、説得力は感じないでもない。

「確かに、なにもしないよりは進歩はするだけマシかな……」

 祈るだけよりはずっといい。そう感想を抱いたとき、彼の足は不思議と、二度と行きたくないと思っていたはずの道場の方角に向いていた。

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