第十二話 「残すもの」を選ぶ旅 後編
旅の一行が村に辿り着いたときにポツポツと降り始めていた雨は、すぐに激しいものに変わった。一行は慌てて近くの屋根の下に入る。そこは家畜小屋らしく、かすかに鼻をつく臭いが漂い、そして牛の鳴き声が屋内から聞こえる。
どうしたものか。立ち往生していると、小屋の隣の家のドアが開いた。
「なんだ、イグニスじゃないか。そんなとこにいないで中に入りなさい。他の皆さんも」
「お、ラージェスの家だったか」
どうやら顔見知りらしく、顔を出した青年がイグニスを見つけて手招きする。多少の寒さを感じていたラッセルらは救いの神を見つけた心境で屋内に退避した。どうやら一人暮らしらしいが、内部はなかなか広い。
「先月、やっと自分で建てていたこの家が完成してね……それにしても、魔法研究所というのは変わった外見の人が多いものだねえ」
茶を用意しながらの率直な感想に、ラッセルは苦笑する。ジョーディや道化師もそうだが、一般人の目には魔術師然としたルフェンダらや、ラッセルの姿も奇異に映るかもしれない。
「そんなの、この格好からもわかり切ったことだろうよ」
と、袖を摘まんでみせるイグニス。その黒尽くめも確かに目立つ。
「そうか。まあ、見慣れるとわかんねえもんだな」
長椅子に座る一行に茶が配られる。それに礼を言って一息ついたところで、ロインが口を開いた。
「この村の墓地に、流された墓標を届けに来たんだが……墓地はここから近いのか?」
問われて、ラージェスという名らしい家主は納得の顔をする。
「ああ、その石、見覚えあると思ったら……届けてくれたのか。なら、ここに置いていくといい。前に崩れた崖下を通っていくから今は危険だが、晴れたときにでもオレが直しておくよ」
「そうしてくれると助かるな」
どうやら、役目は終わったようだ。
ほっとしてラッセルはお茶をもう一口。ほどよい渋みとほのかな甘みのある緑色のお茶は、健康に良さそうな味に思える。
時間は、そろそろ夕方に差し掛かろうというところ。窓の外を見ると雨雲のせいか、すでに夜のように暗いが。
「今からじゃ遅いし、泊っていくんだろ。宿に紹介文を書いてやるよ。イグニスは孤児院に泊まるだろうけど」
「ま、そんなとこ」
どうやら、この村には一軒の宿と孤児院があるらしい。
ラッセルが研究所で読んだ本によると、昔は何軒か宿屋も土産物屋もあり、近くの鉱山に勤める鉱夫や古い墓を訪れる者を相手にした商売が成り立っていたという。だが、鉱山が閉鎖されると村は一気に寂しさを増していった。
宿もなくなったことになっていたが、どうやら本が書かれた後にできたようだ。
――できれば清潔で食事のおいしい宿であってほしい。
宿に泊まるという経験も数度しかないラッセルが誰にともなく祈ったそのとき、突然玄関のドアが乱暴に開かれた。
全員の動きが止まり、視線が一点に集まる。
転がり込んできたのは、ずぶ濡れの若い男。男は見慣れない訪問者たちの姿に一瞬怯んだらしいが、すぐに呼吸を整えて声を上げた。
「大変だ、ラージェス。リッキーが崖から落ちた!」
大人たちが立ち上がる。家主だけでなく、旅人たちの中からも。
「手を貸せるかもしれない。場所はどこだ?」
ロインが口を挟む。転がり込んできた男は一瞬、ぎょっと目を見開いたものの、すぐに態勢を立て直す。
「助かる。こっちだ!」
短く言って外へ出る。それに続く大人たち――留守番をするつもりは誰もないらしく皆あとに続き、ラッセルも最後に家を出た。雨は小降りになってきたが、周囲は暗く視界は悪い。
「なんだあれは……」
前を行くイグニスが足を止める。さらに前を走るジョーディの姿が遠のく。
イグニスの視線は横手の家屋と家屋の間を向いていた。つられて視線の先を辿ると、水たまりに人の脚が横たわっているのがのぞく。太ももから上は建物の陰になっていて見えない。
リッキーとやらの救助にはもう手が足りているだろう。そう判断して、ラッセル、そしてイグニスも足の方へと行き先を変える。
壁と壁の間を抜けると、雨の中でも鼻をつく臭いがした。
倒れた男は腹を薙がれて血を流している。それに向かい合う位置に、剣を手にした盗賊らしき男が二人。一人が手に掲げた刃の厚い曲刀には薄い血の跡が見え、その鈍く輝く刃に背筋が凍る。
「お前ら、盗賊か」
イグニスがラッセルを押しのけるように前に立つ。
ラッセルは我に返って、倒れている男を覗き込んだ。まだ息はあるようだ。何かないかとポケットを探ると、指先に模造刀が当たる。
「だからどうした。お前らは旅人だな?」
バンダナで髪をまとめ、革の防具で関節や胸を保護した若い盗賊が、雨で血の流れ落ちた刃をかまえる。
「少しは金目の物持ってそうじゃないか。ここで会った不運を呪いな」
突進してくる盗賊。もう一人はその後ろで、顔を伏せたまま微動だにしない。
「〈ソルスランク〉!」
イグニスの魔法が飛び掛かる男を弾き飛ばし、さらに。
「〈グレミナ・シャルファイン〉!」
彼の足もとの地面が割れ、水たまりを吸いつくした亀裂から太い蔦が這いだした。それが蛇のようにのたうちながら、逃げようとする盗賊を絡めとり捕らえる。
さらに、蔦は枝分かれしもう一人の盗賊に向かう。
「……!?」
一同はあっけにとられた。顔を伏せていた盗賊が顔を上げるなり、その左手が膨れ上がり引き裂かれるようにして三本の槍のように尖り、穂先で蔦をつらぬく。
目は白目を向き、口からは泡を噴き、顔は土気色に染まっている。
「は? お、お前!」
もうひとりの盗賊すら愕然と声を上げ――仲間のはずの異形の腕に、蔦ごとつらぬかれる。
「グアア!」
しわがれた叫びが響く。茫然とそれを見届けるだけだったラッセルは、捕らわれていた盗賊がどさりと落ち、異形の右腕が膨れ上がったところで我に返る。
「なん……あれ……」
異形の男の右腕が裂け、ボトボトと肉塊が生み出される。その五つの赤黒い肉塊は膨れ上がり、異形の男の複製の出来損ないのような姿に成長した。まるで現実感のないような異質な光景だが、気持ち悪さでこみ上げる吐き気はこれは夢ではないと、無理矢理に意識を引き戻す。
「夢魔に取り憑かれてるんだ。オレも初めて見た。お前、ちょっと行って備え役の誰か呼んで来い」
そのことばにはそれまで時間稼ぎするから、という意思が読み取れる。が、さすがにそんな余裕があるように見えなかった。しかし、ラッセルがいたところで足手まといにしかならないのはわかりきっている。
「わかった」
立ち上がる。刹那、それを合図にしたように。
五体の異形が飛び上がる。
「〈ヴァルスランク〉!」
対魔魔法を放ちながら、走る黒衣。
「〈ソルファジオ〉!」
ラッセルは防御魔法を使いながら模造刀を握る。果たして、武器として夢魔に通用するものなのか疑問なのは承知しながら。
攻撃魔法で一体が破裂した。直後からイグニスは何度も続けて、衝撃を発生させる簡単な魔法を使う。合間を取る作戦のようだ。
反対側に逃れるつもりのラッセルの前にも、一体が舞い降りる。
――きっと、誰か魔法の気配を察知してくれるはず。
そう思い、模造刀をかまえる。頼りない武器とはわかりきっているのに、それを握っていると気分は落ち着いた。
人の姿になりそこねたような肉塊は両腕の代わりに三又の鞭のような触手のようなものを左右に生やし、不気味にしならせている。その右側の切っ先が少年に向き、
「この!」
触手が鋭く伸びてきたのを模造刀で振り払いながら跳び退く。刀身から伝わる感触は硬く、打撃は何の効果があるようにも見えなかった。
「〈ヴァルファイン〉!」
一体の夢魔が足もとからの光につらぬかれ、小さく身を震わせて消滅する。その姿に遮られていた向こうからイグニスが駆け寄り、ラッセルと背中を合わせた。
「さすがに対魔魔法は覚えていないか。こいつらに普通の攻撃は通用しない。でも、自分の身くらいは守れるな?」
「当然だ」
本当は自分の身を守れる自信もなかったが、ラッセルはそう言い切った。
――どうなっても、なるようになるしかない。
それを聞き届けると、取り囲むように移動してくる夢魔たちを睨みながら、黒衣の上級生は呪文を唱え始め。
「ぐ……」
彼は咳き込んだ。ラッセルが模造刀をかまえたまま横目でちらりと見ると、口を覆う手の間からは赤いものがこぼれ落ちる。
「な、大丈夫か?」
「こんなときに……」
崩れ落ちながら洩れるのは、何かを呪うようなことば。誰かの攻撃を受けたわけではない。それは本人の中からくる問題らしい。
隙を突こうというのか、夢魔たちは揺らぐ。考えている余裕はなかった。
『本気か?』
どこまで事態を把握しているのか不明だが、懐に手を入れると久々に聞こえた声は愕然とした響きを帯びていた。
「一振りで死ぬとかじゃないんだろ。このままじゃ結局殺される」
――無残にこの夢魔たちに嬲り殺しにされるくらいなら、命の一部くらいならくれてやる。
模造刀を捨て〈
軽いはずなのに、重い。だがそれにかまう時間もない。すでにイグニスに触手を伸ばしながら跳びかかろうとしていた一体の夢魔に刃を振るう。
大した手応えなく、触手ごと斜めに両断され、その夢魔は灰になった。
残りは二体。肉塊と、その母体になった元盗賊。
母体となった夢魔は不気味に左腕を膨れ上がらせた。さらに分裂しようというのか。
「はっ!」
息を吐きながら、ラッセルは突進し剣を突き出す。庇うように肉塊が串刺しになり、母体はさらに肉塊を生んだ。
『あの本体を先に倒さなければきりがないぞ』
「そうらしいな」
『刃をあいつに向けてみろ』
ウイングに言われた通り、切っ先を本体に向ける。すると、切っ先から光弾が撃ち出され、夢魔の本体をつらぬいた。それは悲鳴なのか、空気が震えるようなきしんだ音をたてながら、崩れ落ちていく。
本体が消えても肉塊は消えず、人の姿になりかけのまま襲いかかってくる。
無造作に一体切り払いながら一時後退。ほっと一息つくと、全身にのしかかるような気怠さを感じる。生命力が抜けるとはこういう感覚なのだろうか。そう思いながらかまえ、襲いかかるのを迎撃する。
――早く、終わらせなければ。
残り二体となったところで、わずかに焦りが生まれ自分から動く。そして斬り払おうと踏み込んだとき、足もとが雨水を含んだ泥に滑る。
そこを逃さず、触手が伸びた。
「ラッセル!」
誰かの声を聞きながら、刃で受けようとする。触手の一部が刃に触れジュッと音を立て蒸発するが、残る部分の触手が地面を強く叩きつけ衝撃で足が浮く。視界は跳ね上がった泥水と触手で塞がれた。
目の前に、肉塊の中に生まれた人の目が見える。それに睨まれながら、受け身の無理な体勢で地面へと叩き付けられる。
闇が降りる直前の最後に見たのは、両腕三本ずつの触手が包み込むように伸びてくる光景だった。
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