第十話 過ぎ去りし過去への「追想」

 次のテストの準備のため、それまでの三日間は休日とする――

 そんな連絡を受けたラッセルはたまには遅くまで寝ていようかと思ったものの、前夜に借りてきた本の続きもすぐに読み終えてしまい、むしろ普段より早く寝た必然上、いつもより早く目が覚めた。食堂も開いていない時間なので散歩がてらに、まだ開いてないだろうと思いつつ図書館に足を向ける。

 案の定、中庭に回って間もなく、図書館の扉が固く閉ざされているのが見えた。

 ――どうせ、ただの散歩のつもりだ。

 わかっていながら扉の前まで歩み寄ってみたところで、歓声が耳に入る。早起きな学生たちや職員はすでに中庭にも姿を見せているが、それはどこか屋内からのようだ。

 声の元を探して見つけたのは、少し大きめの一見倉庫のような建物。

『道場、らしいな』

 上着の胸元あたりからの声。休日とあって、ラッセルはローブを着ていない。ここへ来たときの格好だ。

 道場、という施設があることはなんとなく記憶にあった。暇つぶしだけの目的で、一部が木造の建物に近づき、スライド式の扉を少し開く。

 内部はこの古城ではあまり見ない、木目の表われた木々を組み合わせたような部屋だった。いくつかの柱はなにかが擦れたように傷つき、床は植物で編まれた厚い布が敷かれている。敷布の端には、道着を着た十人近い男子学生たちが転がっていた。円を描くその中心に立つのは、見慣れた銀髪に長身の少女。

 イトリが〈魔闘術〉の使い手であるという話は聞いていた。魔力がそれほど高くない者でも使える補助魔法と、武術を組み合わせた新しい闘技のひとつだとか。

 立ち上がってふたたび跳びかかる自分より長身な男を、少女は必要最小限の動きで投げ飛ばす。

「相変わらず景気のいいやられっぷりだな……」

 横からの声に振り向くと、備え役の剣士ロインが刃のない金属の剣を手に苦笑していた。

 ラッセルの視線は少女の戦いよりも、その剣に留まる。

「これか? 練習用の模擬刀だよ。持ってみるか」

 しばらく前までなら遠慮するところだった。しかし刀身のない剣を持ち歩く今となっては、刃のある剣を握る感触とはどういうものなのか、という興味が勝つ。

 差し出された剣を右手でつかむ。重さで手のひらから落としそうになり、慌てて両手で握る。床に着いた剣先を持ち上げようとするがすぐに力尽きた。少年の身長に届きそうな、見るからに長過ぎる剣は、到底、彼には振れそうにない。

「ん……重いな……」

「そりゃ、簡単には扱えねえよ」

 笑いながら言い、ロインはわずかに入り口が開いた倉庫を指さす。

「それに、その模擬刀はオレの身長や腕力に合わせたものだからな。真剣と同じく、基本的には身長に合わせたものを使う。特注で剣を作るときは握りの幅やある程度重さも注文できるが、ま、ここではそこまで細かくはいかないな」

 喋りながら、彼は歩き出していた。倉庫の戸を左右に開けると、いくつもの訓練に使う模造武器や標的、帯や敷物などの中に、束ねられた模擬刀が見える。そこから、剣士は一振りを選び出して唐突にラッセルに放り投げた。

 驚き、衝撃を予想しながら両手で受け止めるが、腕に伝わる重みは痛みを感じるほどではない。

 両手で柄を握り、飾り気のない金属の模擬刀をかまえてみる。

「初めてにしては堂に入ってるじゃないか。朝の体操がてらに通ってみたらどうだ?」

 いつの間にか朝の訓練を終えていたイトリが横から口を挟む。息ひとつ切らさずいつも通り涼しい顔をしている彼女の後ろでは、彼女にかかっていったはずの男子学生たちがひとり残らず転がっていた。

「まあ、朝の体操程度なら」

 ――と、食堂開始までの暇つぶしを兼ねて軽い気持ちで同意したのが運の尽きだった。


「まったく……あの二人は加減を知らない」

 筋肉が悲鳴を上げている腕をほぐすように何度も動かしながら、ラッセルはスプーンを操るのに苦労してスープをすくう。

 昼食には遅い時間のため、人の姿は少ない。学生より職員の姿が多いくらいだ。

『教えている側は喜んでいたようだがな。わたしからも見物だったぞ。なかなか向いているらしいじゃないか』

「偶然だろ。今まで武術なんて触ったこともないんだぞ」

『誰でも最初はある。それでも、向き不向きはあるだろう』

 ふうん、と気のない返事をして盆ごと食器を下げ、食堂を出る。朝にかなわなかった、図書館で本を借りるという作業を果たすためだ。

 朝と同じく中庭に出たところで道場をちらりと見ると、今度はその向こうが目に留まる。見覚えのある扉の前に見覚えのある備え役数名。扉の奥は倉庫代わりになっている空き部屋で、湖に流れ着いた墓標が保管されているはずだ。

『なにか問題でも?』

 近くに学生などの姿はない。ラッセルが歩み寄るとウイングが声をかける。

「いや……問題というようなものはない。ただ、連休のうちに墓標を返しに行くことにしてな。わたしとジョーディ、それに付近出身の学生数人で行くつもりだ」

「学生も?」

 休日は魔法研究所の敷地外に出る学生も少なくないという話は聞いていた。エレオーシュ近郊出身の者には頻繁に実家に帰る者もいるという。ラッセルはまだ、ここへ来てからは外に出たことはないが。

『行ってみるか?』

「もうひとり増えたところでかまわないぞ」

 意外に気軽に答える道化師に、となりのジョーディも同意した。

 ――たまには、外に出てみるのもいいだろう。このままここにいたら、剣の訓練に引っ張られていきそうだしな。

「そうだな。この辺りの地理も少しは知りたいし」

 出発は明日。

 それを聞くと、ラッセルは前にも一度借りた、この周辺の地図や風土に関する本を図書館で借りるものリストに追加した。


 旅の準備を終えて早めに寝ようとするが、すぐに目が覚める。まるで昨夜と逆だ、と内心苦笑する。

 ――旅立ちの前はこうも浮足立つのか。

 楽しく思う自分の感情を否定しきれない。ここへ初めて来る日の旅立ちには、なにも感じなかったというのに。

 窓の外には満天の星空が見え、それを反射する湖の水面がきらめく。上着をつっかけ、少年はひとり夜の散歩に出ることにした。まだ世間の人々も寝静まっておらず、夕方はとうに終わっているものの夜は始まりに近い。

 それでも、古城の外で目につくのは数人程度。ラッセルは彼らの目からも逃れるように、湖畔の木々の合間を歩いた。

『流れ星がずいぶん近いな』

 見上げたそこで白いものが流れ落ちる。翼を広げ、行く手の木々の葉の間に消えていく。ラッセルはそこを目指して歩いた。

「見つかっちゃったか」

 湖畔の土手、草の上に寝転がって少女が空を見上げていた。ぼんやりと浮かび上がるような月光に照らされた白い私服姿は、妙に新鮮に見える。

「ほら、星が綺麗だよ」

 ぽんぽん、と軽く地面を叩く手に導かれ、ラッセルは素直に同じように横になる。視界一杯に星空が広がり、自分が小さな虫にでもなったように感じる。

「……暇そうだな、きみは」

 そう言われて、少女は笑う。

「人生の大半なんて暇つぶしだよ。きみは魔術師になったときのこと、想像しないかい?」

 魔術師は自分の肉体をも操作できるようになるため、老いることがほぼなくなる。ルフェンダもまた何百年もの時を生きている。

「わたしの今の暇つぶしはなかなか充実してるよ。なにしろ、最近までまともに料理なんてしなかったからな」

 そう言うと彼女は起き上がり、小さな籠の小箱を取り出した。中にはかわいらしい花の形のクッキーが並んでいる。差し出されたそれを、一瞬考えてからラッセルは手に取った。こんがりきつね色でバターの匂いのするそれを一口かじると、香ばしい甘みが広がる。

「素直でよろしい。さっき備え役の巡回に勧めたら、シェプルさんは逃げるように急いで去って行ったよ」

 満足げにうなずく少女のことばに、ラッセルは苦笑する。あのとてつもなく不味い魔法薬料理の味は、貴公子に深いトラウマを残したらしい。

「あんなものがわたしの料理の腕だと思われてはシャクだからな。だからできればシェプルさんにも食べて欲しかったが……キミが食べただけ良かったとしよう」

「料理下手だとは思ってなかったよ」

 自分では料理はほぼしたことのないラッセルだが、料理しているセバスチャンを見て手順は理解していた。ルフェンダの料理の仕方に問題はないように思えた。ただ素材のひとつが強烈な不味さだっただけだ。

 少女は安心したようにほほ笑むと、得意げに言う。

「こういう細かいのは得意なんだ。魔法の開発とも通じるものがあるしな」

 はるか昔、長い間。魔女ルフェンダは魔法の腕を磨き、より強力で洗練された魔法を編み出すことに力を注いでいた。何年も、何十年も――百年以上も。

 だが、徐々に彼女は疑問を持つ。その強大な力は何のためにあるのか。力とは、使わなければ意味がないのではないだろうか?

 それから彼女は力を振るい始める。最初は盗賊退治など、ささいな人助けだったらしい。それからの経緯はもうすでに本人も、細かくは覚えていない。誰か貴族や商人がその力に目を付け――魔女はいくつも大きな武勲をあげ、やがて彼女を邪魔に思う者も利用しようと思う者も増える。

 色々な嫌気がさすようなやり取りや戦いを経て、魔女は世の中を支配することにした。そうすればすべてのわずらわしいことから逃れられるかもしれない、と。

 いくつもの戦いを経て、〈世棄ての魔女〉は封印された。

「もう一部だけしかはっきり思い出せないけれど……思えば遠くに来たものだ。今がわたしのこれまでの人生の中で、一番〈普通〉かもしれない」

「……それは僕も同じかもな」

 家族から隔離され、代用品として暮らしていることは今も変わらない。ただ、ラッセルもこの研究所の中だけなら、自分の意志でどう過ごすのか、動きを決められる。ほかの学生たちと同じように。

「普通、ってのも悪くないものだね」

 クッキーを摘まみながら、少女はほほ笑んだ。

 ――とても、〈世棄ての魔女〉なんて大それたものには見えない。

 彼女の真の姿を知るラッセルの目にも、少女はありふれた普通の同年代の少女の姿にしか映らなかった。

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