第九話 流れゆく「しるべ」

 最近、図書館の周囲に幽霊が出るらしい――

 そんな噂話を聞くようになり、一部の学生が計画した肝試しに誘われて少し後、ラッセル・ジェルフはようやく思い至った。図書館のそばで聞こえるという姿なき声。その正体に。

「ヘえぇ……そりゃケッサクだ!」

 昼食時、話を聞いたセタンが笑う。

 姿なき声。それはまぎれもなく、ラッセルが常に持ち歩く剣、〈生命の剣〉グレイブループに宿る知性ウイングのものに違いなかった。

「ん、でもオレが聞いた噂話だと、青白い人魂が飛んでたとか人の顔が湖面に浮かび上がったとか、そんな話もあるけど」

「噂話には尾ひれがつくものだろう」

 義弟の疑問へのイトリのことばにラッセルも同意する。

 ――ウワサを知っている者がその辺りのものを見れば、無意識に噂話を聞いたことによる空想が働き自然の産物が人の顔に見えたり人魂に見えたりする。よくある話だ。

「そういうモンかな。まぁ、みんなで見に行ってなにもなければ、しょせんウワサはウワサ、ってことでカタがつくだろうな」

 原因のわかっている肝試しに行くのはラッセルにとって無駄骨以外の何ものでもないが、ウイングの存在はそれを手にした日に目にした者たち以外には秘密にしているのだ。特にそうするように指示はなかったが、剣を手に入れたい厄介者が現われないとも限らない。

 成り行きで同行することにした肝試しだが、今更、理由なく辞退するのも怪しまれるかもしれない。どうせ、ただ図書館のそばに行って帰ってくるだけの作業だ。

「何事もなく終わるだけの話だな」

 特別なことなどなにもない、短い夜の散歩。出発するまでの間、否、出発してもしばらくの間、彼はそう確信していた。


 ラッセルやセタンとイトリを含む、十数名が庭に集結した。まだ消灯時間には早いが、人の気配のない場所に行くのを見つかると咎められはするだろう。目的を問われたときのために途中までは皆で図書館に行くという体なので、ラッセルは借りていた本を一冊抱えている。

「星がきれいだなあ」

 誰かのつぶやきに見上げると、満点の星々が夜空に広がる。その夜は月が雲に隠れ、周囲の星が主役を主張するように一際明るく輝いて見えた。そのひとつひとつにこの世界と同じように異世界があるのかもしれない、時折この世界には異世界からの人間が迷い込む――そんな書物の一文を思い出すと、人魂のひとつやふたつ、実は大したことではないのかもしれない。

 時折星を眺めながら、ラッセル、そして彼を含む一行は歩き出す。誰ともすれ違うことなく図書館のある中庭に近づいていく。

 ――もしかしたら、人魂の正体は星か、その反射かなにかかもな。

 思考の末にそう推理しながら、ラッセルは図書館に入らずその横へ走る一行に続く。図書館正面はかがり火に照らされ明るいが、その横は何ヶ所か窓から明かりが漏れているだけでやけに暗く思えた。その上、やや肌寒さも覚え、それが緊張感を増す。嫌な緊張ではなく、面白味のある緊張。

 この状況は、ラッセルにとっても楽しいには違いなかった。

 ――我ながら子どもじみてるな。

 内心苦笑しながら、前を行くセタンに手招きされて湖畔に向かう。芝生の途切れ目のやや下から湖が広がっており、見たところこの付近はやや浅くなっているようだった。

「なにも無さそうだな」

 しばらく静寂の時が流れ、揺れる影ひとつないことを確認するとセタンがため息交じりに言う。

 ほかの皆も同様に息を吐いた。残念さと、同時に安心感の込められた息だ。噂が本当だったらそれはそれで恐ろしいという、矛盾した感情を抱えていた。

 そのとき、雲が流れる。遮るもののなくなった月光が水面に降りた。

「っは……?」

 呼吸に似た声を皮切りに。

 少女の悲鳴が響くと、いくつも似たような声が重なる。あとは集団心理だ。誰かが逃げ出すとそれに近くにいる者も続く。

 ラッセルは集団心理とは無縁だった。逃げるにしても原因を目にしてからにしたい。

「なんだあれ?」

 同じく、集団心理とは無縁のセタンが緊張感の薄い声を出す。その右手は油断なく懐の杖を探るように動いてはいるが。

 となりで、イトリは義弟を守るように位置取りながら素早く革の籠手を両手に着けている。その目線は湖面のある一点を捉えていた。

 月光に照らし出され青白く湖面に浮かび上がるのは、大きな男の顔。遠目なので詳細はわからないが、じっと上を向いたままピクリとも動いていないと見える。まるで仮面のような表情のない顔だった。

『あれは墓標だな』

 ラッセルがコートの中で剣の柄を握った拍子に見えたらしい。ウイングはそう評する。

「墓標? 誰かの墓なのか?」

『古い偉人だと、墓に自分の像を彫らせたものがある。あれもそのひとつだろう』

 ラッセルは呪文を唱え、光球を作り出した。光源を顔の上へと飛ばすその操作もだいぶ慣れたものである。

 月光より強い光が周囲を照らす。顔は水中に続いており、長方形の影が見えた。確かに、長方形の石らしきものから彫り出されているようだ。

「そこでなにをしている?」

 冷や水を浴びせられた気分で首をすくめ、振り返る。

 半ば宵闇にまぎれながらも奇抜な姿はわかりやすい。悲鳴を聞きつけてきたらしい巡回中の備え役二人、仮面に道化のような服装の魔術師とシュレール人の戦士が怪訝そうに少年たちを眺め、さらにその向こうの青白い顔まで視線を移し、疑問の表情を深くした。


 湖から引き上げられたそれは、確かに大きさも長方形の姿も墓標に見えた。彫りこまれた物憂げな男の顔の下には文字が彫られているが、長らく水に浸かっていたためか劣化が激しく読み取れない。

『見覚えのある顔だな。かつてこの周辺を旅していた高名な剣士だろう』

 魔法で墓標を別棟の一階空き部屋まで運んできた備え役もウイングのことばに少し驚いたように目を見開く。

 長らくこの地に封じられてきた剣の知性は語り出す。かつて、この城の別の塔には〈連環の剣〉リバイブエッジも封印されていた。めぐりめぐって、それをある男が手に入れる。

『しかし、連環の剣はなかなか厄介な代物だ。その剣で五人の人間の命を奪えば、一人の死者を蘇らせることができるという』

 これには、ラッセルも――ほかの多くの皆も驚いた。人を完全な状態で生き返らせることは、魔法でもほぼ不可能なはずだからだ。

 しかしそんな剣が世に出れば、多くの悲劇が起きることは想像に難くない。

『自分にとって無価値な人間を殺すことで愛しい者が生き返るなら、簡単にその剣を振るう使い手は少なくない。彼の友人もその一人だった』

 事故死した恋人の命を取り戻すため、墓標の男の友人はひと月の間に悪名高い金持ちや盗賊などを殺害して回り、最後は自害して目的を遂げた。直後、状況を知るなり剣を取る恋人を止め、天涯孤独の彼が悪党討伐の旅をして回り友人を生き返らせたという。

 その後、男は古城の番人をして孤独に生涯を終えたらしい。最後に剣を封印しようとしたが、いつの間にか連環の剣は消えていた。

「連環の剣なら見覚えがあるな。現在は人の入れない山奥に封印されいるはずだ」

 そう告げたのは道化師だった。長年世界各地を旅した経験を持つ彼は色々なものを見聞きしているらしく、魔法剣を知っていてもおかしくない。

『それは安心だな。人の手の届かないところに封じられたのなら』

「でも、なんでその男の墓標がここの湖にあるんで?」

 ジョーディはそっと緑の鱗に覆われた指先で墓標の端に触れる。

『墓は北の小さな村にあったはずだ。なにか鉄砲水でもあって、川に流されてきたのだろう。この湖に流れ込む川のひとつがそばを流れていたはずだから』

 数日前、北の方では大雨になっていたらしい。ラッセルは新聞で読んだ、『大雨で崖崩れ、一時通行止め』などといった見出しの記事を薄っすらと思い出した。

 ――それにしても、ずい分詳しいな。

 ちらりと剣の柄を見下ろすが、今は訊かないでおく。

「墓をここに置いておくわけにもいかない。そのうち返しに行くことにしよう」

 道化師がそう結論付けて、墓標はしばらくの間、倉庫代わりの空き部屋に保管されることになった。


 セタンらとも別れた、自室へ戻る帰り道。

 待ち受けるようにして、ケープで肩を包んだルフェンダが廊下に立っていた。白い寝間着姿の影が壁にかけられたカンテラの灯の明かりに揺れる。

「聞いたよ。懐かしい人の墓が流れ着いたとか」

 見た目は少女でも、彼女もまた長年この世界で起きたことを見聞きしてきた者だった。

「懐かしい人、か。知り合いなのか?」

「ああ。一時期、一緒に旅をしていたんだ。すでにわたしは封印されていたから、仮の姿で城からあまり離れない地域だけだけれど」

 ラッセルが幼い頃に見た彼女も、旅をしていた。ずっとこうして学生を仮の姿にしているわけではないらしい。

『あの頃からきみは変わった』

 魔女は話し相手として、時折同じく封印されていた剣のもとを訪れていた、という話はすでにラッセルは聞いていた。剣の方は、封印されていた間は相手が誰なのか明確には知っていなかったらしいが。

 断定するようなウイングのことばに、少女はどこか寂しげにほほ笑んだ。

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