第七話 「食えない」魔法薬
まどろみの中で風が吹き抜ける音にも似た笛の音を聞いた気がしながら、ラッセルはいつもより早く目を覚ました。窓の外を見ると快晴の空が広がり、どこかから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
テストから三日。合格したのか否かもなく、彼とルフェンダの組は保留という中途半端な状態に置かれていた。テストの結果自体にはそれほど興味はなかったが、中途半端な状態は少々気持ちが悪いのは確かだ。
――いつ結果が出るんだろう。再テストなどというものもあるのか。
着替えを終えると、当たり前のように生命の剣をローブの内ポケットに入れる。常に持ち歩いていても未だ武器としての出番のない剣だが、暇つぶしの相手くらいにはなる。
一度だけ、剣を使おうとしたことはあった。ルフェンダの本体を目の前にしたとき、その剣ならあの水晶のような封印を切り裂ける気がした。しかしそれは少女に止められ不発に終わった。今の状態でも特に不自由はしていないから、と。
部屋を出て食堂に向かう。途中、通路で何かが羽ばたく音を聞いて窓を振り向くと、目を見開く。翼のあるものが空を横切る――鳥ではない、大部分が人の形をしたもの。
魔術師を統べる〈アクセル・スレイヴァ〉の上位士官には、翼を与えられた者たちがいるという。その知識は魔法史の予習をしていたときに得ていた。
『あの士官がここへの伝令役のようだな』
少し驚いて見送ったままの姿勢の少年に、ウイングが胸元から小声で話しかける。
士官は一階掲示板に張り出される新聞を届ける役目も負っている。生命の剣の知性は毎朝見る新聞を楽しみにしているらしい。どこに目があるのかラッセルにもさっぱりわからないが、わずかでも外気に触れれば周囲の風景を知覚できるらしい。
今朝もまた掲示板の前で立ち止まると、周りに誰もいないのを確認して内ポケットから少しだけ剣の柄を出す。
新聞には『新種の獣人種族発見か』、『リヨン公国の公子が婚約発表』『仮面舞踏会の記念日迫る・各地で催しもの準備』などと、魔術師に関係あるものからないものまで様々な見出しが躍っている。そんな中、一際目を引く一文があった。
『ジェルフ商会の御曹司、名誉市民賞を受賞』――
それは、首都ネタン近くの都市でジェルフ商会の御曹司ニットンが災害救助に必要な馬車を即座に買い付けて用意したとして表彰された、という内容だった。
『そのニットン・ジェルフというのは、キミの兄か?』
「そうだ。もう十年以上会ってもいないけどな」
血はつながっているが、ラッセルにとっては遠い世界のことだ。決して手の届くことのない表舞台。まるで存在しないかのように父の敷く陰の道を歩むことを義務付けられた彼にとっては、どこか知らない国の夢物語のようだ。
「僕には関係ないな。兄に何かない限り、僕が実家に行くことは二度とないらしいからな」
『らしい、か。まるで自分のことではないように聞こえるが……』
「僕に選択権なんてないから」
食堂へと歩き出す。ウイングはまだ何か言いかけるが、食堂の内部がドアからのぞくと黙る。
いつもと違う時間帯だからというだけでなく、いつもは見ない顔ぶれがそこに並ぶ。
「……おはよう。勝手になにか作って食中毒でも出したのか?」
普段は食堂で働く女性たちのいる奥のカウンターの向こうに、見慣れた少女が立っていた。テーブルの方には備え役で見慣れた剣士とシュレール族、少し離れたところで平然とコーヒーをすするイトリ。備え役二人の向かい側では泡を噴いてピクピク震えるシェプル。シェプルの前には赤茶色の、何かの煮つけとも泥の山ともつかないものが皿に盛られていた。
「違う、これはわたしのせいじゃないし!」
カウンターの向こうで両手を振って言い訳じみたことを言い始めるルフェンダ。
しかし、図星の反応ではないらしかった。
「いや、本当に違うんだ。料理って言うより素材があれだからな……」
ロインが少女に加勢し、好奇心を刺激されたと見えたらしいラッセルのために詳しく説明してくれる。
今朝、一匹の
そこでロインらは、魔法薬学の専門家ビストリカに頼んで一時的に魔力の感知能力を劇的に向上させる魔法薬を合成してもらった。しかしこの薬はいくつか弱点があり、それなりに効果を持続させるためにはかなりの量を摂取しなくてはならず、しかも相当苦くてまずいのだった。
「たまたま話を聞いたルフェンダが、料理が得意だって言うから作ってもらったんだけんども」
と、ジョーディはスプーンを握ったまま震えているシェプルに金色の目を向ける。一口足らず食べただけでこのありさまのようだ。
「辛さで苦みが消えるかと思ったんだけど……」
ルフェンダは鍋にまだ大量に入った煮物かもしれないものを見て顔を覆う。おそらく、苦い上で辛いという脅威的な料理が完成したのだろう。
「その鍋の中身は除草したいところにでも捨てよう。雑草が生えてこなくなるかもしれない。……アクを抜いても水で物凄く薄めてもだめなのか?」
「アク抜きは効果なし。水で薄めるなら、タル一杯分くらい必要らしいぞ」
ロインが肩をすくめる。彼らなりにあれこれと手段は考えたらしい。
「イトリはなにか知らないか?」
藁にもすがるといった調子で、剣士は銀髪の少女に問う。イトリはコーヒーを飲み干してテーブルに置いたところだった。
彼女とセタンは遠方の出身で、長旅の末にここに入ったらしい。彼女なら別の方法を知っているかもしれない。
「わたしが知っているくらいのことなら、長年旅をしているらしい道化師さんあたりが知っていると思うがな。都会の貴族は苦い薬は味のしない薄い生地に包んで飲むらしいが」
言われてラッセルも思い出す。カプセルや食用シートが都会の一部で流通しているらしいと聞いたことがあった、数日は時間があれば取り寄せられるかもしれないが、さすがに今回は間に合わないだろう。
「地道に開発するしかないのかな」
なにかを決意した様子でルフェンダがお玉を握った手に力を込める。
ジョーディがシェプルの頬を叩いて起こす。あくまで味見役はこの貴公子に任されるらしい。
間もなく、甘くて苦い謎の料理を口にした彼の悲鳴が食堂に響き渡ることになった。
朝食時の忙しい時間帯になり、備え役の実験は一時中断された。ラッセルはハーブ鶏のチーズリゾットとキノコと山菜のスープ、デザートにフルーツの盛り合わせを注文し、待っている間にセタンがやってきて向かいに座る。彼が注文したサンドイッチとオレンジジュース、ベリーヨーグルトはすぐにできるものらしく、料理が来たのはほぼ同時だった。
「今日のサンドイッチはハムカツとチーズサラダに杏子ジャムか。ほんと、ここの料理は何食べても美味いよなー。料理が上手いってのはいいことだ」
「できるのか? 料理」
ふと、ラッセルはそう問うた。
彼自身の場合は当然、料理などセバスチャン任せでほぼしたことはない。
「旅の最中にシチューを作ったり、肉を焼いたり、卵料理くらいはしてたぜ。単純な料理くらいだな。なんでそんなこと聞くんだ?」
今日は朝からの授業はない。朝食をじっくり味わいながら、素直に今朝ここであったことをそのまま説明する。
「へえぇ……煮ても焼いても干してもだめなのか。他の魔術師は一体どうしてんだ?」
「代用品があるらしいけど、今ここで用意できるのはそれだけだそうだ」
朝食を進めながら、セタンはあれこれと案を出す。薄めたクリームにして甘いクリームと交互に重ねミルフィーユにすれば? 粉にしてパン粉に混ぜてパンを焼けば?
それだけ薄めれば相当な量を食べなければならないはずで、どれも実用的な案にはならなかった。
『わたしは思うのだが』
人が少なくなってきた頃を見計らい、剣が久々にことばを挟む。
『一時的に味覚を消す魔法薬なりなんなりを使用してからそれを口にすればいいのではないか?』
そのことばに、少年たちは固まる。
味覚を消す魔法薬そのものを知ってはいなかったが、五感を操作するのに魔法薬が使われる場合があることくらいは知っている。なぜそれを思いつかなかったのかと、ラッセルの内心悔しさがこみ上げる。
とはいえ、この剣は少なくとも少年たちの何十倍も生きている存在だ。
「なるほど……って、なんでそれをさっき言わなかったんだ?」
『キミたちがどう料理するかで盛り上がっていたから、水を差しては悪いかと思っただけだ』
そのおかげで、シェプルは余分にこの世のものとは思えないほど不味い料理を口にすることになったのだが、ラッセルにはどうでもよいことだった。
――その後、味のない料理を食べたシェプル・ドワールの表情は、味がないはずなのに最高級の料理を食べたかのような至福の表情だったという。
その後、ラッセルとルフェンダ、セタン、イトリ、さらにイグニスやミッシェを含む話を聞きつけた十名ほどが結界の外から夢魔との戦いを見学したいと申し出て了承され、備え役とテルミ教授の護衛付きで了承されたが、観客の目には夢魔は姿を消したままで終わり、なにがなんだかわからないうちに戦いはあっさり終了した。
ただ、一連の魔法薬の件について協力したことが評価されたのか、翌日ラッセルらには経過観察付でのテスト合格が言い渡されたのだった。
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