第四話 深き山の「魔封迷宮」 前編

 大きな鳥が一羽、しわがれた鳴き声を残して飛び去っていく。

 それを合図にしたように、前の組の四人が歩き出した。くじ引きで決めたにもかかわらず、そこにはイトリとセタンの義姉弟がいる。残り二人はルフェンダと、ユリアスという背の高い男子学生だった。

「じゃ、また後でな!」

 セタンが元気よく手を振り、ルフェンダも苦笑しながら小さく手を上げて歩き出す。ラッセルはためらいながら彼らに手を上げて返した。

 次に並ぶ四人は、見覚えのある顔とそうでないのが半々。

 同級生二人のうち一人はウィーバという名前で、ラッセルが魔法研究所に来た日にハイドラのそばにいた一人だ。赤毛の少年は顔見知りが少ないのを気にしているのか、それともテストに不安を抱いているのか細い目を頼りなげにキョロキョロさせていた。

 もう一人はミッシェという、栗毛の温厚そうな少年。背が低く童顔で、周囲の学生よりいくつか年下に見える。研究所に入る年齢は規定されていないので、実際かなり若いのだろう。

 さらにもう一人は、何度も顔を合わせた相手。

「まぁ、おいらが一緒ならどうにでもなるからな。大丈夫、任せとけ」

 黄土色の岩肌一色の景色の中では、イグニスの黒衣は非常に目立つ。

「頼りにしてます、先輩」

 と、ミッシェは憧れに目を輝かせる。

「そうだな。イグニスなら頼りになるだろうな」

 ラッセルもそう続けると、当の上級生はフードの奥で奇妙そうな目をする。

「あら、意外に素直」

 そのやりとりから、ウィーバだけは顔を逸らして少し離れていた。

 そちらにチラリと目をやりながらも、テルミ教授はかまわず告げる。

「じゃ、次。最後の組、出発して」

 このテストの最後尾が彼ら四人だ。言われて、多少の緊張感とともに出発地点から歩き出す。先を行く四人の背中はもう見えない。

 歩き始めて間もなく、イグニスが少し離れたところの岩に座っている備え役二名に目を留める。

「道化師さん、約束忘れないでくれよ」

「ああ、わかってる」

 仕方なさそうな答を聞き、上級生は意気揚々と歩く。

 ――洞穴の中の泉のほとりに咲く青い花を一輪、採取してくること。

 それが今回のテストの全容だった。ことばにすると簡潔だが、洞穴がどういうものなのか、どんな生き物が生息しているのかは不明である。書物で情報を得ていたラッセルらは、いくらか当たりがついていたが。

 このテストの前に、ラッセルはテルミ教授から魔力付与の魔法を受けていた。受けたところで明かりの魔法程度しか使えないのに、何になるのか――と少年は最初に思ったものの、それでも使えないよりはマシかと考え直す。魔法を使う感覚、というものをできるだけ感じたいのも理由だった。

 その機会はすぐに訪れる。

「ひとつか使えないんだろ? じゃ、ここはお前の使いどころじゃね?」

 身長の数倍は高く幅も広い洞窟は、光源がひとつもないらしく奥は見通せない。その入り口に立ったとき、イグニスがラッセルに目を向ける。

「僕のは、自由に動かしたりはできないけどな」

 呪文を唱え、道中拾った木の棒の先に明かりを灯す。これならある程度明かりの位置を調節できるだろう、という考えだ。魔法は思い描いた通りに棒の先端に灯る。

 岩肌が照らし出される。道は凹凸はあるが、岩がゴロゴロしているわけではなく、それほど歩きにくそうでもない。ただ、ところどころ水滴が落ちているのか、ぬめりけのある表面が光を反射している。

「行くぞ。離れるなよ」

 薄暗い洞窟の奥から迎える冷ややかな空気が、嫌でも緊張感を煽った。


 分かれ道があるでもなく、道なりに進んでいくと泉はあった。周囲は光を発するコケが岩肌に群生しており、それを反射する水面もぼうっと青白く光って見える。そのそばには青い花が小さな花畑を作り、幻想的な光景を作り出していた。

「きれい……だけど、これで終わり? ちょっと拍子抜けだなー」

 そう言って一歩泉に踏み出したのはミッシェ。

「油断するなよ。さすがにこれだけってことは……」

 イグニスが追いかけようとしたとき、ラッセルは違和感を覚える。肌で感じる、初めての感覚。空気のざわめきのようなそれは、泉から湧き上がるようだった。そこに注視する視界に、黒衣が袖に手を入れるのが映る。

「下がれ!」

 声は爆音のような水音に重なり消される。弾かれたように跳び退き尻もちをつくミッシェの目の前まで、滝のように水を流しながら灰色の怪物が占める。まるで、岩でできた巨大な亀のようなそれが、赤い鋭い目を眼下の少年に向けていた。

 ――殺される。

 その瞬間には、これはテストだという認識も抜けている。焦燥しょうそうにかられながらただ立ち尽くすしかないラッセルの前でイグニスが魔法語の書かれた札を投げ、二羽の黒い鳥を出現させた。鳥が怪物の顔に向かっていく間に、黒い袖がミッシェの襟首を引く。ラッセルも慌てて手を伸ばした。

「ひっ」

 ひきつるような声に振り向くと、ウィーバが後ずさりして大きく離れていくところだ。

「逃げたらテストに合格しないよ?」

「そんなことより命の方が大事だ!」

 イグニスの問いに、ウィーバは首を振りながら駆け出そうとして足を凹凸に引っ掛ける。

 グルルル……。

 後ろに気を取られているのを断ち切るような低い唸り声。二羽の鳥は太い腕に弾き飛ばされ、泉から全身を完全に引きずり出した怪物は後ずさる少年たちをしっかり視線の先に捉えている。

「信用ないな。こんな相手くらいにやられるとでも?」

 取り出した新しい札を手にしながら、イグニスは苦笑する。それほど脅威は感じていない様子だ。

「イグニスは宮廷魔術師の内定を取り消されたって聞いた。そんなの信用できるか!」

 立ち上がれないまま怒鳴るウィーバの声に、上級生の苦笑が濃くなる。

 怪物はいつまでも人間たちの動きを待ってはくれない。岩の塊のような腕が振り上げられると、反射的に黒衣の少年は魔法語を口にする。

「〈ソルファジオ〉」

 見えない何かに弾かれたように怪物の腕が止まり、大きく振動する。痛みを感じているのか、ぎっ、ときしむような鳴き声がした。

 ――やはり、イグニスの魔法は通じるようだ。

 そうとわかると、ラッセルは明かりが灯ったままの棒をミッシェに押し付けた。ここは明るく照明は必要としなかったが、持って動くには少し目立つ。

 テストは、怪物を倒すことではない。青い花を持って帰れさえすればいいのだ。

「だ、大丈夫……?」

 一人離れようとするラッセルにミッシェが声をかける。

「心配ない。囮役がきちんと役目を果たしてくれればね」

 イグニスがちらりと笑みを向けるが、無言で視線を怪物に戻す。赤い目には今までより怒気が強くなっていると見えた。

 ラッセルはできるだけ怪物の視界に入らないように横へと移動。壁伝いに遠回りして泉の脇にある花畑に向かう道筋だ。イグニスの背後では、ミッシェがウィーバを助け起こす。

「〈シャルデファイン〉」

 足止めのためか、次に放たれた魔法は怪物の足もとを氷漬けにした。だが、怪物が力を込めると氷は白いひびを走らせていく。それほど時間稼ぎにもならなそうな様子だ。

 それを見て、ラッセルは少し足を速める。物音を立てて気づかれれば水の泡だが、長時間もつのか不安だった。

 書物で見た青い花はいくつかある。その中の、シューニアという名の小さな花が今回の目的のものらしかった。すり潰して他の薬草と混ぜると、強い魔力に触れても身体に負荷がかかりにくくなるとされている。その花は指先ほどしかなく、茎も剣のような葉もいかにも脆そうだ。ラッセルは少し考え、水筒を取り出した。もっとも、多少花が散っていたくらいではテスト失敗とはならないだろう。

 どうにか怪物は気づかないでいてくれている。それを横目に花畑に膝をつき、花に手を伸ばす。

 ふと、脳裏をよぎる。

 ――前を行った者たちは、どこから外へ出たのだろう?

 そんなことを考えながら花を根もとから摘み取った途端、怪物が現われる直前に似た違和感が背筋を駆け抜けた。

「な……」

 一瞬の変化に驚き、茫然ぼうぜんとしかけて、自分の声で我に返る。

 赤い霧に覆われた、レンガの壁と天井の迷宮。

 摘み取った花を指先に挟めた格好のまま、ラッセルは誰もいない空間を少しの間見つめていた。

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