第2話 宵闇の森



「お母さんが担当してる子でね。すっごく綺麗な目をした子がいるのよ」

 私の頭を撫でながら母は言った。

「きれいな、め……?」

「そう。夕焼けの空の色をした、素敵なお目目の子がいるの」

 そう言って、母は窓の外を指差す。

「ほら、こんな色。綺麗でしょう」

 窓の向こうにはたくさんの色が混ざり合って赤く輝いてた。

 この光景の美しさと尊さを幼いながらにも一応理解し、同時に感動もしていたと思う。

「きれい……」

 無意識にそんな言葉が口から漏れていた。

 こんな空の色を自分の体の一部に持ってる子が存在しているなんて、それはどんなに素晴らしいことなんだろう。

 だって、そんな綺麗なもののいる世界に、私も生きてることになるのだから。



***



「でもね、現実は違うんだよ。汚くて、惨めで、皆みんなどうしよもなく、本当に汚いんだ。自分のことしか考えてないし何がいなくなったって消えたって関係ない」

 開かれない瞳に向かって話しかける。

「こんなどうしよもない世界に、あの素晴らしい色をした人がいるなんて信じたくなかった。だからね、だから、あなたは違う世界のものなんだとずっと思ってた」

 いつだかにも見た片羽の蝶が、目覚めない彼の上で軽やかに舞う。

「初めてあなたを見た時、『ああ、私は間違ってなかった』と改めて思ったよ。本っ当にその通りだったんだと本気で感じたし信じた」

 いつの間にか病院の雑音は消えていて、ここはまるで世界から抜き取られた空間にいるみたいだ。懺悔室には丁度いいかもしれない。

「それでも圭と話していけばいくほどに、私の感情は矛盾していったんだ。あなたの存在に触れたくなっちゃった」

 綺麗な架空の存在のあなたと、こんな私を『友達』だと言って共に過ごしてくれた圭。そのどっちの存在も信じていたい気持ちが自分の中でせめぎ合う中。

 それでも圭を確かめたくなって、手を伸ばした。

「……拒絶されて悲しかったけど、同時にとても安心もしてたんだ。真実を知らなければあなたはずっと綺麗なままだって」

 そうすれば少なくとも現状は壊れない。真実を森が隠してくれたまま、何も考えずに楽しくお話が出来る。

「ごめん、ごめんね。私は、結局ずっとあなたのことを見てなかった。あなたのその、緋色しか、見てなかったんだ」

 結果的に私は全て目を背けて甘えていた。森以外でも私はあなたに会える方法を知っていたのにもかかわらず、あの木陰で『圭』と『そんな圭が見える美代子』としてなんてことない日常をずっと過ごしていくことを期待していたのだ。あなたの悩みも現状も願い、苦しみ、そんな想いも、全部考えないで見ない振りして。

「けど、圭が倒れた時。『もう限界なのかな』って。そう思いはじめたらもう止まらなくなっちゃった。はは、圭の顔すらもう見てられないや。……森には二度と、行かない、よ。……面と向かって言えない私を。どうか許して」

 ひどく身勝手で一方的な想いと謝罪を吐き終えた私は、早々とその場から立ち去ろうとしていた。



「許さない」



 しかし、そんな一つの短い言葉によって私の足は止まる。

 はは、いやだな。こういう時は寝てる振りしててくれよ。そうすれば、美代子ちゃん的には『圭くんと美代子ちゃんの』物語は綺麗に終われたと思うんだけど。

 そんな私の想いも知らずに彼は続ける。

「散々好き勝手俺のこと持ち上げといて、何が『許して』だ。いい加減にしろよ」

 言葉が胸に突き刺さる。畳み掛けるように彼は言葉を重ねてきた。

「もう森には来ないってどういうこと」

「……そのまんまの意味だよ。私はもう森には行けない。圭とは、これで最後だよ」

 背を向けながら戸に向かって話す。自分がちゃんと呼吸できてるのかわからないくらい、苦しい。はやく外に出てしまいたい。

「……で、それが森に来なかった理由なの? わからないな。俺は、君と一緒にいたいんだけど」

 その発言に胸が揺らぎかけるが、そこはぐっ、と堪らえる。

「圭には悪いことをしたと思ってるのは本当。ごめんね、こんなのが短期間でも友達でいて」

 もういいでしょ。これ以上、友達として認めてくれた自分に対して幻滅されたくない。嫌だ、ここからはやくどこかへ。

 それでも、足は縫われでもしたかのように動かない。

「はあ? 言ってる意味がわからないんだけど」

 溜め息まじりに背後からそんな言葉を投げかけられる。

「さっきから聞いてればさ。『こんな』ってなんだよ。こんな世界、こんな私。こんなこんな、こんながゲシュタルト崩壊するだろ。語彙力ねえな」

 なにを。

「綺麗、汚い。真実、間違い。で? それに対する答えが、根本的な解決もせずに自己完結のまま逃避?」

 うるさい、黙って。

「そもそもさ。くっどくどうっせえんだよ。文に書きおこしたら半分くらい流し読みだこの野郎」


 そこで私のなかの袋がぶちりと切れた音がした。


「もう黙ってよ!! これでも、こんなんでも、必死に考えて悔やんで悩んで嘆いて決めたんだ! 圭とはずっと一緒にいたい。けど、私はこのまま圭に不誠実なままいることなんて出来ないんだ!」

 勢いよく、後ろを振り向く。

 すると、ベッドから起き上がってる彼とばっちり目が合った。

「俺の顔、見れたじゃん」

「……は?」

「はは、間抜け顔」

 目の前のその人はニヤっと笑う。

「よーしよし、整理しようか。俺は美代子と一緒にいたい。そして、美代子も一緒にいたい。ということは?」

 どこかで聞いたような口ぶりで、愉快そうにこちらへ問を投げかけてくる。

「……いや、違う――」

「違わない」

 ニヤついた顔を戻して、彼は真面目な表情で、そうはっきりと断言する。

「何も、問題はないんだ。君がそう教えてくれただろう」



 ――よーしよし、整理しようか。私は海に行きたい。そして圭も海に行きたい。ということはだよ、海に行くことに何も問題は無いよね。

――だから、人の話を聞いてたのか? 行こうにも、行けないんだって。


――それは一人で行こうとした時の話でしょ? 今度は、私もいるよ。



「……俺も、ずっと言えなかったことがいくつもある。君に触れられなかった理由だってさ。……それに、俺は綺麗なんかじゃない」

 彼の右手が差し出される。

「美代子にとって、ただの『人間』になりたいんだ」

 差し出された右手を、涙でぼやけたまま見つめる。

「……は、はは。この手を取ったら、明日私死んだりしてね」

「どこぞの三流物書きが作る悲恋話じゃあるまいし」

 私の馬鹿げた不安を軽快に笑い飛ばす彼を見て、私もつられて笑みが溢れる。

 怖々自分の手を重ねると、そのまま腕を引っ張られてふたりしてベッドに倒れこむ形となった。

「ちょっ!! いきなりすっとばしてないかな!?」

「今までの分の補給」

 いっそ苦しい程、強く抱きしめられる。この圧の分だけ、彼が自分を求めてくれてた証拠のようでむず痒い。



「これからもよろしくな。美代子」

「こちらこそ。末永くよろしくお願いします、圭」



 そっと、彼の首に手を回して抱き返す。

「……それはプロポーズ?」

 そう耳元で囁きかけられ、内容と吐息のダブルパンチで体温は一気に急上昇する。

「っふぁ!? い、いやややや言葉のアヤというか勢いというか流れというか」

「あー、はいはい」


 こんな調子で、ずっと過ごせていけたらいいなと。そう思いながら、彼の温もりを噛み締める。

 彼の頭越しに窓の景色を見た。








ああ、どうしようもなく。


     ――世界は綺麗だ。









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宵闇の森 やかん @yakan_

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