3
今日は金曜日。本日の授業を乗り切れば週末を迎えることができる。僕たち学生にとっては、この上ない喜びである。
そんな金曜日の日程も恙無く進行し、晴れて放課後がやってきた。
あとは家に帰って、だらだらと過ごすだけの簡単なお仕事だ。
「あ、ふーくん。帰る? ごめんね、私ちょっと委員会の仕事があるから、先帰ってていいよ。たぶん、少し遅くなると思うから」
帰りのホームルーム後の教室で、鞄を手に取り立ちあがると、右隣で
「そうか……今日は泊まりで作業か。大変だな」
「そこまで遅くならんわ!」
「おお……。まあ、それじゃあ、日曜日な」
「うん、じゃあねー」
日曜日は、亜澄とのピクニックが予定されていた。
そのためにも、僕はさっさと帰って英気を養っておこう。
幼馴染に軽く手を振り、僕は教室を出た。
廊下を進み、階段を降りて下駄箱へ。
その間、特に誰とも会うことはない。
そして、帰路に就いた。
「あららら、そこに見えるは……王子くんじゃないか」
校門を出た辺りで、変な口調の明るい声が背後から響いてきた。
こんな喋り方をするのは――そして僕をそんなよく分からないニックネームで呼ぶのは、あの娘しかいない。
「よう、
「ああ、そうさ。今、帰るところだよ。『
僕は何も言わない。
そのギャグがあまりに面白くなかったというのが一つ。
もう一つは――それがなぜなのかを具体的な言葉にすることができないけれど、彼女のその発言に、何か僕を不安にさせるようなものが含まれていたからだ。
どうも、
どこからどう見ても、ただの女子生徒でしかないというのに。
「どうしたんだい、王子くん? そういえば、キミは以前から、そうやって難しい顔をしていることが多かったね」
「……そうか?」
以前から、などと言われるほどに、僕はこの
「ああ、そうさ。思えばあの時も、キミはそんな目をしていたね」
「ふうん。よく見てるな……」
あの時とはいつなのか。
僕は
「そりゃあ見てるよ。ボクはキミのことが好きだからね」
「……はあ、そうか」
「連れない返事だねえ。こりゃあ、あのコたちが苦労してたのも、分かるってもんだね」
本当、食えないやつというか……。逆に、人を食ったようなやつというか……。
終始こんな調子なのである。
それにしても、彼女の発言に度々登場する、『あのコ』たちとは一体誰なのだろう。僕の知っている人間なのだろうか。節々でそういうことを匂わせている。
「まあ、そういうわけだからさ。今日は入谷さんもいないみたいだし、一緒に帰ろうじゃないか。転校生と親睦を深めるいい機会だよ、これは」
「いいけど……。お前、家こっちの方なのか?」
前方の道を指差しながら、言う。
「そうだねえ。ボクの家はこっちといえばこっちだし、そっちといえばそっちだ。場合によってはあっちということだってありえるのさ」
「ふうん、じゃまあ、一緒に帰るか」
例によって彼女の不思議発言を華麗にスルーして、その提案だけを受け入れる。
「きゃっほう、嬉しいね。それじゃあ一緒に帰ろう。帰路を共にしながら、是非ともボクの好感度を上げてほしいな」
「まあ、ぼちぼちな」
そんな浪花の商人みたいなことを言いながら、
「しかし王子くん。キミの学校っていうのは、なかなか面白いね。向こうにいた時にはこんな世界があるなんて、思いもしなかったよ」
「うちの学校なんかどこにでもある普通の学校だよ。……面白いことなんか、これっぽっちもないと思うけどな。きっと、お前が前にいた学校っていうのが変わってたんじゃないかな」
「おっと、なかなかどうして、鋭いことを言うじゃないか。流石はプリンセスの協力者、と言ったところかな」
「おう、もっと褒めていいぞ」
何だか今、また新しい情報が出た気がするけれど……。
プリンセス?
協力者?
何のこっちゃさっぱりだが、ここもスルーしておくのが吉。
「ああ、今のキミには、関係ないことだったね。何のことを言われているのか、分かってないって顔をしてるよ」
やはりお見通しか。
「まあ、だからこそ、ボクがここに来た意味がある。何もかもを断ち切って、ボクは、あいつらがいない、この場所で――新しくゼロから始めるんだ」
そう言った
「それはそうと、王子くん」
その表情が、まるで僕の見間違いであったかのように――彼女は再びアルカイックな笑みを浮かべて、僕に語りかける。
「……どうした?」
「せっかくこうして肩を並べて女の子と下校してるんだ。キミとしては、するべきことがあるんじゃあないのかい?」
何を言い出すかと思えば、そんな話。
「するべきこと?」
何だろうか。
一応、車道側を歩く、とかそういう配慮はしているつもりだったのだが。
「あららら。キミは本当に、困ったものだね」
そう言って、
「こういう状況じゃあ、少なくとも手くらいは繫いでおかないとね」
「これは手を繫ぐとか、そういうレベルを越えてるけどな……」
僕の左腕は、すっかり
何か物足りない。
どうも、最近どこかで柔らかな感触を堪能したような気がするのだけれど……。
どこだっけ?
おかしいな、そんな相手なんかいないはずなのに。
「ねえ、王子くん。何か失礼なことを考えてはいないかい?」
「え……そんなことないと思うけど」
図星だった。
「ふうん、まあ、キミがそう言うなら、そういうことにしておいてあげるよ。それじゃ、行こうか――だーりん」
また不穏なことを言い出す。
「誰がだーりんだ」
「本当、連れないねえ。そういえばキミは――果たしてどっちのことが好きだったのかな? まあ、そんなことは今さら言ったって、もうどうしようもないんだけど」
「何のことが分からんが……。お前は一体、何がしたいんだ?」
「あららら、さっき言ったじゃあないか。ボクはね、キミのことが好きなんだよ」
「はあ、そりゃまた……」
口ではそう言うものの、いまひとつ気持ちが伝わってこない。
心が籠っていない、とでもいうのか。
「うふふ。ねえ、王子くん。ボクじゃあ不満なのかな?」
「不満……とか、そういうわけじゃないんだけど」
かといって別に、
外見が幼すぎてそういう目で見られない、というのが一つと――。
先程から――いや、彼女が初めて僕の前に現れてからずっと感じている、この不安感のようなもの。それが僕を、彼女と深く関わることから遠ざけている。
「ボクは発展途上だ。これでも絶賛成長中なんだよ。身長だってこの一年間で五ミリは伸びたし、胸だって……」
何だか悲しい見栄を聞かされているような。
「まあ、あっちのコはまだしも――プリンセスと比べられちゃうと、勝ち目がないのかなー。なんてね、うふふ」
自虐なのか、彼女は笑う。
あっちのコ。
プリンセス。
一体誰の事を差しているのだろうか。
僕には分からなかった。
「ああ、ボクはこっちだから」
「え、ああ、そうか」
「じゃあ、また来週ね」
僕の家の近所――それなりの大きさを誇る公園に差しかかった頃。
「ああ、またな」
去りゆく小さな背中に声を掛ける。
「……あれ?」
しかし。
何が起こったのか。
いつの間にそうなったのか。
その小さな背中を、僕の視界が捉えることはなかった。
「本当に、何者なんだ、あの娘は」
謎は深まるばかりだが、考えたところで仕方がないだろう。
疑問符に支配されつつある脳を、あれこれの仮説を立てて無理やり納得させながら、僕は残りの家路を消化していった。
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