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「あの警備員さんはね……この先にあるのがどういう場所なのか、分かってないのよ」

 厳重な扉を抜けた先の、細くて狭い通路を先行しながら、ヴィラが言う。

「ああ、何となくそんな気はしたよ。『特別執務室』……だったっけ。つまり、あの警備員さんもまりんとか朱里亜しゅりあみたいに、この県のことに疑問を抱いてない、っていうことになるのかな」

「その通りよ。理解が早くて助かるわ。……そういうことだけは敏感なのね」

「何だか含みのありそうな発言だな」

「別に」

 ぷい、とそっぽを向いてしまった。

 その表情は、いつもの落ち着いた様子とのギャップも相まってか、子供っぽくて少し可愛らしかった。そんなことを口に出したらまた機嫌を損ねそうだからやっぱりやめておこう。女の子は難しい。

「またドアだ」

 僕たちの面前に現れたのは、またしても鋼鉄の扉。

 ここまでは警備員さんが何かのコードを入力して開けてくれていたのだけれど、ここにその警備員さんはいない。

「任せて。私が開けるわ」

 ヴィラが前に躍り出て、その手前に取り付けられたコンソールを操作する。数字を打ち込んでいくが、その動きから判断するに、妙に桁数が多い。おまけに、それに加えて指紋認証まで要求される徹底ぶりだ。

 この先にあるのがどれほど重大なものなのかを物語っている。

「さあ、開いたわ。閉まっちゃう前に這入ってね。……このパスコード、一回限りしか使えないことになってるから」

「あ、ああ……」

 セキュリティの厳重さに、もう一度驚きなおしてから扉を通過していった。

 そんな感じで、更に三つほど鋼鉄の扉を抜けて――。

 警備員さんが待機しているところから数えて、五つ目の扉の前までやってきた。

 その扉は、今までのものと比べると明らかに異質だった。

 そこは天井まで十数メートルはあろうかという、開けた空間。

 扉はそんな天井近くまで届くほどの巨大さだ。

「さて、これが最後のセキュリティね」

 ヴィラが手慣れた手つきでセキュリティを解きにかかる。

「ああ、そうそう……王子くん」

「うん?」

 彼女は何かを思い出したように、僕を呼んだ。

「これ、渡しておくわね」

 朝から持っていたバスケットをごそごそと漁り、何かを取り出した。

「何、これ?」

 宝石が嵌め込まれた金属のフレームに、チェーンが繫がっている。どうやらペンダントのようだ。一体、なぜこのタイミングで、しかもこんなものを?

「この先は『瘴気』が濃いわ。今は特別な処置を施したこの扉で遮断しているから、外とあまり変わらないけれど……。一旦扉を開けてしまえば、街に溢れているものと比べると、それはもう数百倍の濃度になるわ。訓練を受けていないあなたが生身でそんなところに立ち入ったなら、それは生命に関わる」

「そ、そうか……」

 そういう大切なことはもっと早く言ってほしかった。僕にだって心の準備というものがあるのだ。

 しかし、そんな危険な場所に僕を連れていこうというのか。

「とりあえずそれを持っていれば大丈夫よ。何なら鞄に入れちゃってもいいけれど……。絶対に失くしてはいけないわ」

「分かった。とりあえず首から提げておくか」

「じゃあ、開けるわよ」

 パスコードを入力し、指紋認証、静脈認証、おまけに網膜認証を済ませると、巨大な扉が鈍い音を立てながら少しずつ開いていく。

 扉が開き、その奥の空間が露わになるにつれて、隙間からどす黒い霧のようなものがこちらの空間に流れ込んでくる。

 これが『瘴気』。

 何の訓練も受けていなくとも、何の知識も持っていなくとも、これが途轍もなく濃く、そして危険なものだと理解できた。

 あの転校生たちを消滅させた時、これに似たようなものを何度も目撃しているが――ここまで濃密なものを見るのはこれが初めてだった。

「……やっぱり、『瘴気』の密度が尋常じゃない。王子くん、先を急ぎましょう。何だか嫌な予感がするわ」

 しかしヴィラは僕の返事を待つでもなく、そのまま早足で中へと這入っていった。

「まあ、ここでこうしてるわけにもいかないか……」

 僕も覚悟を決め、闇に紛れていった彼女の姿を追ってその中へ。


「うう……」

 気持ちが悪い。

 少し眩暈がして、一瞬足元がふらついた。

 これが『瘴気』の影響なのだろう。

 幸い、ヴィラに貰ったペンダントのお陰か、僕は意識を保つことができているようだ。

 これがなかったらどうなってしまうのか、考えただけでも恐ろしい。

「王子くん、来たわね。……大丈夫?」

「ああ、何とか……。お陰さまでな」

「そう。それなら良かったわ」

 それだけ言うと、彼女は前方へと再度振り向く。

「これが――これこそが、私たちが封印した、『瘴気』」

 その先にあったもの。

 それを、言葉で表現することは僕にはできそうもなかった。

 ただひたすらに禍々しく、見ているだけで嫌悪感が湧き出てくるような、そんな『何か』。

「というよりは、『瘴気』の元ね。『瘴気』はここから放出されているのよ。まあ、『瘴気』の塊みたいなものかしら」

 その『瘴気』の塊は、部屋の中央にぽっかりと空いた大穴から突き出るようにして、その場所に留まっている。

 試しにその穴を覗き込んでみるが、底がまるで見えない。

「その穴はね、私たちがかつていた、異世界に繫がっているの。こっちの世界に逃げてくる時、『瘴気』はそれでも私たちを追ってきた、って言ったわよね。それをどうにか、この場所で食いとめたのよ。ほら、天井とか壁とか、見てみると分かるわ」

 天井と、壁。

 部屋が薄暗くてよく分からなかったけれど、目を凝らしてみれば、確かにそこには何かが見える。

 部屋を覆うようにびっしりと描かれたそれは――。

 ヴィラがいつも使う、あの護符に酷似していた。

 転校初日にいきなり貼り付けられ、その後の転校生騒動では彼らへの対処のために僕も彼女から大量に受け取った――あの、お馴染みの護符そっくりだった。

「つまり、この部屋全体が……」

「そう。この部屋全体に護符と同じ術を仕掛けることによって、この『瘴気』の元凶を食い止めているのよ。これにしたって完璧とは言えないから、定期的に誰かがこうしてやってきて封印を補強しなければならないのだけれど……。やっぱりおかしいわ。『瘴気』の力が強すぎる。もう、封印が解けかかっている」

 僕にはよく分からないけれど、専門家の目には深刻な状況に映るらしかった。

「原因は、このことを報告してからじっくり考えるとして……。とりあえず今のところは応急処置ね。王子くん、手伝ってくれるかしら」

 ヴィラはいつもの護符を取り出すと、そのうちの半分ほどを僕に渡す。

「これ、どうすればいいんだ?」

「何でもいいから、適当に壁に貼ってくれるかしら。持ち運び用の簡易的なものだけれど、時間稼ぎくらいにはなるでしょう」

「そうか、分かった」

 その言葉に著しい不安を感じないでもないけれど、ここで立ち止まっているわけにはいかない。ヴィラの指示に従い、壁にぺたぺたと護符を貼り付けていく。

「とりあえず終わったぞ」

 とはいえ、それだけの作業だったから、せいぜい一〇分くらいで手持ちの護符がなくなった。

「ありがとう。こっちも終わりよ。……今のところはこんなところかしらね」

「大丈夫なのか?」

「ええ、大丈夫よ。何かがあっても、私たちが何とかする。……そのために、巫女がいるのだから。住民たちには指一本触れさせないわ」

「そうか。なら、大丈夫だな。……でも、無茶だけはするなよ。僕は一応協力者なんだ。僕なんかじゃ何の役にも立たないかもしれないけど、困った時には言ってくれればどこにだって駆けつけるから」

「あら、そう? ありがとう。頼もしいわね」

 ようやくここで、笑顔を見せてくれた。

 何だかえらく久し振りに見たような気がする。

「それじゃ、戻りましょうか。三〇分で戻るって言っちゃったしね」

「そうだな。……それじゃ、帰るか。明日も学校だ、帰ってゆっくりしたい」

 これで、明日からは元通りの、どこかおかしくも平穏な生活を送れるのだろうか。謎の転校生たちも全員闇に還したわけだし……。ああでも、ヴィラにはまだやることが沢山あったりするのかな。それを僕に出来る範囲で手伝うのも悪くない。

「あら、何を言っているの? 今日のイベントはまだ終わってないのよ?」

「……え?」

「王子くん、今何時か分かる?」

 なぜそんなことを訊くのだろうと思い、時計を見ようとした、その時。

 ぎゅうっとお腹の虫が騒ぎ始めた。

「うふふ。十二時ぴったりね。さあ、今日はあなたの胃袋を攻略するわよ」

 満面の笑みと共に、朝からずっと持っていた例のバスケットを掲げてみせる。

「お弁当作ってきたのよ。一緒に食べましょう」

 

 その日の午後は、まったりと過ごした。

 今日の調査についての報告をしてくる、というヴィラが戻ってくるのを待って、それからはその辺の公園に移動し、二人でランチタイム。

 お姫様だから家事とかはメイドに任せっきりでろくにできもしないのだろう、みたいな僕の浅はかなイメージはいとも容易く打ち砕かれた。わざわざ早起きして作ったというその弁当は、僕に合わせて普通の食材がふんだんに用いられていた。

 食材、味付け、盛り付け、果ては弁当箱に至るまで、どれを取っても一級品。

 面白いほどに食が進み、あっという間に満腹状態になってしまった。

 もう一歩も動きたくない。

 ヴィラの宣言通りに、僕の胃袋は攻略された。

 そんなことを言ってみたところ、彼女はまた変な顔をしていた。その意図はどうにも掴みかねるけれど、彼女の手料理に感動したのは確かなので許してほしい。

 日が暮れ始めた頃。

 また明日、学校でね――と別れの挨拶を交わし、気持ちも新たに僕は家路に就く。

 たったそれだけの、簡単な約束。

 それがまさか、あんな形で打ち砕かれることになろうとは、この時胃袋と同時に心が満ち足りていた僕には、全く想像が付かなかった。

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