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 そこは高層ビルが犇めき合うコンクリートジャングルだった。

「それにしても暑いわね……。これも『瘴気』の仕業かしら……?」

「向こうがどうだったか僕は知らないけどさ。日本の――っていうか関東の夏ってこんなもんだよ」

「そ、そうなの……。よくこんなところで生活できるわね」

「まあ、慣れてるからな」

 それを言い出したら、僕にとってはこちらの人間がこんな環境で生活を普通に営んでいることの方が疑問で仕方がないのだ。まこと、慣れとは恐ろしい。

「で、『瘴気』を封印した場所に向かうんだっけ?」

「ええ、そうよ。もうちょっと歩くわ」

「それは別にいいんだけど。なあ、一つ聞いてもいいかな。封印した、ってことはさ、普通ならもう『瘴気』は発生しないんじゃないのかな、って。ちょっと思ったんだけど」

 封印した、という割には、あまりに高頻度で怪異現象が起こっている。

「そうね。本当なら、そうなるはずだったのだけれど」

 隣を歩くヴィラが言う。

 彼女は日傘を差しているから、僕よりも少しだけ涼しげだ。

 日傘は小さいし、僕とヴィラとでは身長差があるから、僕はその恩恵に与ることができない。少しだけ、そのポータブル日陰発生装置が羨ましかった。

「私たちの封印は不完全だったのよ。――いえ、正確にいえば、『瘴気』の勢力が、私たちの想像の遥か上を行っていた。私たちの力では、あの『瘴気』には及ばなかった。まあ、そんなところよ」

「ふうん、そっか」

 そんなことでこの先どうするのだろう。

 とも思ったが、何となく答えが怖いから聞かないでおく。

「それにしても、本当にこんなところに封印があるのか? 何か、普通のオフィス街にしか見えないんだけど……」

「だからこそ、よ。『瘴気』を封印したこの場所に、国の――いえ、県の中枢機能を集中させたのよ。何かがあった時、迅速に対応できるようにね。巫女も多く配属されているわ」

「そういうもんなのか」

 平和な世界で育ったものだから、そういう感覚は僕には分かりかねる。

「このところ『瘴気』の濃度が濃い――っていう話はさっきもしたわよね。今回の転校生――特に紫兵裏しへいりかえるの件で、今一度封印を確かめることになったの。それで一応、私の学校で起きたことだし、私が行くことになった。といっても、今回の任務は封印の調査だけなのだけれどね。実際に何かするのは、もっと後の話」

 ヴィラの説明を聞きながら、アスファルトの上を歩く。まだ南中時間には達していないが、それでも地面からの照り返しがきつく、まるでオーブンだ。体力だけがいたずらに奪われていく。

「着いたわ、この建物よ」

 言われて、その建物を注視する。

 木造の学校や、石造りの宮殿とは全く趣を異にする、近代的な鉄筋コンクリートの建造物。かといって無骨というわけでもなく、学校や宮殿にも負けず劣らず、ハイセンスな外観だ。

「ここって……。県庁?」

 その建物の正門には『緋紗納ひしゃな県庁』との記述が見える。

「そうよ。この地下に、私たちは『瘴気』を封印した――いえ、違うわね。『瘴気』を封印したこの場所に、私たちは県庁を建てたのよ。ここが一番、行政の管理が行き届きやすいからね。さあ、行きましょう」

「あ、ああ……」

 ずかずかと進んでいくヴィラを追いかけて、正門を通過する。

 建物まで辿り着くと、正面入口の自動扉が開き、僕たちを招き入れてくれた。

「いらっしゃいませ」

 その付近に立っていた警備員が愛想よく声を掛けてきた。

 ここは県庁ということで、様々な行政サービスも扱っている。ある種の客商売、というわけだ。

「と、これはこれは、姫さま。お話は伺っております」

 ヴィラに気付いた警備員の対応が変わった。

「ええ、では早速、案内してもらえるかしら」

「はい。――失礼ですが、そちらの方は……?」

 プリンセスの隣に立っている不審人物こと、この僕を細目で見ながら言う。

「あ、ええと……」

「大丈夫よ。彼は、将来この県を背負って立つかもしれない人物よ。だから、あの場所のことは知っておかなければならないわ。彼も一緒に案内してもらえるかしら」

 ヴィラが何だかとんでもないことを言い出した。

「こ、この県を……? 背負って立つ? 僕が? どうして?」

「うるさいわねえ」

 頭上に無数の疑問符を浮かべる僕を、なぜか不機嫌そうなヴィラが一蹴した。

 例の警備員はというと、『ほほう、するとこの方が……』などと呟きながら僕を矯めつ眇めつ眺めている。……何だろう。

「こほん。それではお二方。『特別執務室』へご案内いたします」

「お願いするわ」

「えっと、お願いします」

 ……『特別執務室』?

 それが、封印が施されている部屋の名前なのだろうか。


 警備員の後をついて、県庁の地下へ地下へと潜って行く。

 途中、分厚い鋼鉄製の厳重な扉を五つ、ボディチェックに持ち物検査、金属探知機などを通過して心身ともにへとへとになりながら、やっとのことで辿り着いた――地下一三階。

 そこにはまたしても、厳重な扉が設置されている。

「それでは、私はここで待機しておりますので」

「ええ、ありがとう。それじゃ、王子くん。行くわよ」

「ちょっと待ってくれ。……僕も中まで這入るの?」

「ええそうよ。そのつもりであなたをここまで連れてきたのだけれど」

 そんな、トップシークレットみたいなものを僕に見せても平気なのだろうか。ここまで来ておいて何を今更、という気もするけれど。

「さっきも言ったけれど、あなたはこの県を背負って立つかもしれないのよ。この先にあるあの場所は、見ておかなければならない」

 またそれか。

 一体僕が何だというのだ。

 それを尋ねたらまた怒られそうな気がするから、その疑問は胸の中だけにしまっておく。

「さあ、覚悟を決めなさい。行くわよ」

「分かったよ……」

 そんなやりとりを、少し離れたところで警備員さんが嬉しそうに見ていた。

 僕、何かおかしなこと言ったかな。

「それじゃあ、行ってくるわ。今日のところは三〇分くらいで戻ると思う」

「はっ!」

 そしてヴィラは、僕の手を引いて歩き出す。

 この県で最も、クリティカルな場所。

 この県で巻き起こる数々の怪異現象――その全ての元凶が眠る場所へ。

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