2
とまあ、そんなことがあって、次の日――日曜日の朝。
僕は近所の駅前の広場で、時計塔に背中を預けている。
あの後、普通に家に帰ってのんびりしていると、ヴィラからメールの着信があった。
その呼び出しに応じて、僕は今ここにやってきた、というわけだ。
待ち合わせの時間まであと五分といったところ。
「待たせちゃったかしら」
ヴィラが何やらバスケットのようなものを持ってやってきた。
白を基調としたコーディネートだが、ところどころに散りばめられた黒とのコントラストが絶妙なバランスを生み出している。昨日よりはカジュアルだが、その頭上で咲き誇る純白の日傘と相まって、それでも高貴さのようなものが溢れ出る。
「いや、僕も今来たところだ」
具体的には五分くらい前だったかな。
「うん、その返事――合格よ」
「何に?」
「こちらの話。ところで、今日の私――どうかしら」
「どうって……。まあ、白いな」
「その返事は不合格ね」
「だから何に?」
「こちらの話よ」
むう。
何かある度にそうやって誤魔化されている気がするぞ。
「それじゃ、行きましょうか」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。行くってどこに……。僕はここで待ち合わせ、とだけしか聞いてないんだけど」
「意外と細かいこと気にするのねえ。まあ、行けば分かるわ。きっとあなたも、興味があるところよ」
「僕も……?」
一体これから、どこに行こうと言うのだろう。
「それじゃ、電車乗るから。ICカードは持ってる?」
ICカード……。ああ、改札でタッチするあのカードのことか。
「東京のと同じやつでいいのかな」
「ええ、大丈夫よ。それで乗れるわ。行きましょう」
すたすたと歩いて行くヴィラの後について、改札を抜ける。
そういえば、こっちで電車に乗るのってこれが初めてだな。
「さて、王子くん……。この間の話の続きなのだけれど……」
動き出した電車の中で、隣り合って座るヴィラが、そう話を切り出した。
「この間?」
「ええ、この県の秘密についての話」
「ん、ああ。その話か」
「まだ話していなかったことがあるわ。そしてそれは、あなたがきっと知りたがっている情報。あの時、図書館で得られなかった情報」
そうだ。
僕はこの県の秘密を求めて図書館へと赴き、そこでダンタリオンに囚われたのだ。といっても、あの迷宮に迷い込んだのには、
「まあ、これを知っているのは私たち――大公家と、あとは巫女くらいなものだから、図書館のどこを探しても答えは見つからないと思うけれど」
「ふうん。確か、県全体に溢れる『瘴気』が、ドラゴンやバジリスク、それにこの間の転校生たち……
そして、その『瘴気』が生み出す怪異と戦うのが、ヴィラを始めとした巫女たち。
それがこの間ヴィラに聞かされた、この県の真実だ。
「その通りよ。でもまだ、話していないことがあるの。ねえ王子くん、どうしてこの県だけがそんなことになっていると思う? ――いえ」
彼女はそこで一旦言葉を切ると、深刻な顔を作り直してから、続けた。
「この県は、一体どこからやってきたのだと思う?」
「え……?」
不自然極まりない質問。
県が、どこかからやってくる……?
しかし、何の意味もなく、そんな意味不明な問い方をするはずがない。
つまり――。
「――元々、
「そう。あなたはきっと、この県がいつの間にか、突然地図上に出現したように感じていたのでしょう? この点においても、あなたの認識が正しいわ」
一都一道二府四三県。
計、四七都道府県。
それが、正しいのだ。
「それじゃあ、一体……?」
「この県は――私たちは、異世界からやってきた」
「異世界……」
「そう、異世界。住む世界が違う――みたいな比喩的な表現じゃなくて、何の掛け値もない、正真正銘の異世界。だから、こっちの世界――県外とは、常識が異なるの」
あまりに突飛なヴィラの説明に、理解が置いていかれそうになる。
しかし、考えてみるに――この訳の分からない事態には、その解釈が一番ぴったりと当てはまる。
「私たちは平和に暮らしていたわ。『瘴気』は向こうの世界にいた時からあったけれど、それも今ほどの濃度じゃなかったしね」
電車が走る。
その走行音にところどころ搔き消されそうになるヴィラの言葉を、一言一句聞きもらすまいと全神経を集中させた。
「ある日、かつてないほどの規模の『瘴気』が国中を覆ったわ。それは今の比じゃないくらいの濃度。この間の転校生事件なんか――あの
あの
想像するだに、恐ろしい。
「国中は阿鼻叫喚。町には大量の魔物。住民たちの間には、この前みたいに『瘴気』が生み出した人間の形をした何かが大量に紛れこんで……。このままだと、国は滅んでしまう――そんな状況だったわ。そこで国王――私の父上ということになるのだけれど――は、決断したの。国全体を異世界に避難させよう、ってね。そして私を含めて巫女が国中から集められた。数十人の力を結集させて、国自体を異世界――つまり、この世界に転移させた。それが、三ヶ月と二一日前」
三ヶ月と二一日前というと、大体三月の頭くらいか。
それは、僕の認識とも概ね一致する。それはちょうど、父の転勤が決まり、
「私たちの国――フィーシャナ大公国は日本国
フィーシャナ大公国。
カーラヒー大公家。
初めて聞くようで、どこか聞き覚えのある響きだ。
「じゃあ、
「ええそうよ。ファーラギさんに、シュリーアくんね。二人は、あっちの世界でもクラスメイトだったわ」
こちらの地名や人名にはどうも馴染みがない、と思っていたが、それにはそうしたルーツがあったわけか。それらを無理やり、日本語のように改めていたということだ。
「事情を知る大公家と巫女たち以外は――それも私たちの力で、その記憶を改竄した。彼らの認識さえも、少しばかりいじらせてもらったわ。心は痛んだけれど、私たちが望んだのは、平穏だったから。結果としてここの住民たちは、自分たちを生粋の地球人――日本人だと思っているし、この県で起こる様々な怪異現象についても、それがごく当たり前の、どこにでもあることだと捉えているわ。その時の術の影響は、こちらの人間にも及んでいるみたいだったけれど、それも私たちにとっては好都合だった。この県に蠢く闇は、彼らの見えないところで私たちが責任を持って請け負えばいい、そう思ったのよ」
彼女の言葉に、思うところはたくさんあったけれど――。
いつも余裕を見せている彼女の顔が、今にも泣き崩れてしまいそうなほどに悲壮感に満ちているのを見ると、何も言えなかった。
「地球に来てから二ヶ月くらいの間は、平穏だった。私個人に限って言えば、週に一度か二度の魔物退治をするだけ。たったそれだけで、平和を守ることができた」
「二ヶ月、って……」
「ああ、そういうことじゃないのよ。あなたが越してきたことは単なる偶然――もしくは、そこにも何かの意味があるのかもしれないけれど……。あなたは決して悪い影響ではないわ。何より、私は――」
ヴィラは最後に何かを言いかけて、口を噤んだ。
「君は?」
「いえ……」
少しばかり顔を赤らめて、反対側を向いてしまった。
何かおかしなことを言ったかな。とはいえ、別に怒っているわけではなさそうだ。気持ち、頬の筋肉が緩んでいるような気がする。
よく分からないけれど、ヴィラに少しでも元気が出てきたようで、僕まで嬉しい。
「でも、彼らがやってきた。――
そして、再び表情に影を落とす。
「あいつは、一体誰なんだ?」
「分からないわ。その名前にも、私は覚えがないの。一つだけ言えるのは――彼女は、『瘴気』そのものだということかしら」
「『瘴気』そのもの……?」
「『瘴気』の意志、とでも言うのかしら。最初は分からなかったけれど、調べていくうちにそれが分かった。ねえ、王子くん。
「いや、覚えてない。何か変なことを言っていたような気はするんだけど」
思えば、あの時点から、彼女は何かおかしかった。
あの時点で既に、不気味なオーラみたいなものを纏っていたのだ。
「『ボクは
ヴィラは、あの日の
確かにそんな感じだったと思う。
あの時感じた薄気味悪さみたいなものを、今ありありと思い出した。
「私たちを恨んでいるのよ。あの場所に封印した、私たちを」
「恨んで……」
「こっちに逃げてきた後、それでも私たちを付け狙おうとする『瘴気』を、私たちはどうにか封印することに成功した。――それが、今から私たちが向かう場所よ。ああ、そろそろ着くみたいね。降りましょう、王子くん」
そう言って、無理やり作り笑いを浮かべる。
その姿はとても痛々しかった。
僕は、ヴィラの協力者ということになっている。だがしかし、本当に彼女の力になれているのだろうか。
僕たちの乗った電車は、
ここで僕を待ち受けているものとは、一体どんなものなのだろう。
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