終焉 - Miasma -

1

「うわ、こりゃ……すごいな」

 学校の建物も相当なものだと思ったが、まさに井の中の蛙状態だ。

 学校から歩いて一〇分ほどの、開けた土地。

 そこに、華良緋からひヴィラの自宅――華良緋からひ宮殿は聳えていた。

「きゃー、本物のお城だー!」

 右隣を歩く妹が、感嘆の悲鳴を上げた。

 僕たちの前方に君臨しているのは、中世ヨーロッパの絵画に登場するような、石造りの上品な建築物。

 どこまでも続いているのではないかと錯覚してしまいそうなほどの長さを誇る城壁が、その敷地の広大さを物語っている。

「姫さまのご学友ですね」

 正面入り口――城門というのだろうか――に辿り着くと、そこに立っていたスーツの男性がそう声を掛けてきた。衛兵なのだろう。

「こっちが妹です」

「お話は姫さまから伺っております。ささ、どうぞこちらへ」

 この日――土曜日。

 僕はヴィラから、彼女の自宅でのティータイムへと招かれた。なぜか、是非とも妹を連れてこいとのお達しだったので、こうして兄妹二人でやってきたわけだ。

 衛兵が門に向って何かの合図をした。

 頑強そうな鉄格子の門が、大きな音を立てながら開いていく。

 僕たち兄妹は数人の衛兵の後について、その門をくぐった。

「こちらにどうぞ」

 中で僕たちを出迎えていたのは、これまた豪奢な、黒塗りの高級車。

「敷地は広いですので、宮殿まではこちらでご案内いたします」

「恐れ入ります」

 本当に恐れ入る。

 僕みたいな一般人が、そうそう経験できることではないだろう。

 車内は外観に負けず劣らずの高級感で、シャンデリアまで取り付けられていたりする。

 僕たちはちょっとした談話室のような車内で、ふかふかのソファに座った。目の前のテーブルには綺麗な花が飾られている。

 やがて、エンジン音が轟き、窓ガラス越しの風景が移動を始めた。

「それにしても、すごいね。お兄ちゃん、本当にお姫さまとお友達だったんだね」

「まあ……。いろいろあってな」

 あまり人に話すことではないけれど、『瘴気』に関することで、僕はヴィラと友人関係を築くに至った。

 そんなことを馬鹿正直に話しても、この妹は特に何も思わないのだろうけれど。この土地はそういう風にできているのだと、件のお姫さまが言っていた。

 五分ほどすると、車が停止した。

 五分、という時間だけで見ればそれは大した距離でないように思えるが、ここは敷地内に過ぎない。一つの家の敷地内において、車で五分という距離は、それこそ僕のような一般庶民には想像できない世界だった。

「到着致しました」

 運転手はそう言うと、運転席の扉を開けて外へ。

 ご丁寧にも、僕たちのために扉を開けてくれる。

「「ありがとうございます」」

 揃って礼を述べ、外へ。

 遠くに見えていたあの宮殿だが、こうして間近まで寄ってみれば、細部にまで意匠が凝らされていることが良く分かる。下世話な話、一体いくらくらいするのだろう。

「ようこそ、華良緋からひ宮殿へ。それでは、どうぞこちらへ」

 ここでも僕たちを待ち受けていた衛兵たちが城の方へと案内してくれる。

 両開きの扉が開かれ、ついに僕たちは宮殿内部へと足を踏み入れる。

「うわあ、す、すごいね、お兄ちゃん……」

「これは……また」

 その内装の豪華さなど、もはや語るまでもないほどで。

 というよりは――こういうことこそ、筆舌に尽くしがたい、というのだろう。

「こちらでしばらくお待ちください。姫さまがいらっしゃいますゆえ」

 呆気に取られたまま、その言葉通りにその場に立ち尽くす。

「お待たせしちゃったかしら。我が家へようこそ、王子くん。……そちらが姫ちゃんね。緋紗納ひしゃな華良緋からひ大公家第三公女、華良緋からひヴィラです。お兄さまとは親しくさせていただいております。――よろしくね」

 一分ほど待っただろうか。

 姿を現したヴィラが、優雅な所作で挨拶をしてみせる。

 プリンセスの私服だからドレスみたいなものを予想していたのだけれど、そんなことはなかった。とは言っても、育ちの良さが溢れてくるような、輝かしいばかりの出で立ちだった。

 あの紫兵裏しへいりかえるが日本人形だとするならば、華良緋からひヴィラはフランス人形といったところか。

 ……不吉なものを思い出してしまった。

「よ、よろしくお願いします……」

 そんな丁寧が過ぎるほどのヴィラの挨拶に、今にも消え入りそうな声で、妹が応じる。

 あの元気だけが取り柄、みたいな妹が、すっかり空気に圧倒されてしまっている。

「お邪魔してます」

 この挨拶は宮殿にお呼ばれした時にも使えるのだろうか……。

 あまりに現実離れした出来事だから、常識が通用しない。まあ、そんなことはこっちに越してきてからというもの、いくらでもあったことだけれど。

「ご苦労だったわね。下がっていいわよ。ありがとう」

「はっ。失礼いたします」

 ヴィラが衛兵たちに労いの言葉を掛けると、彼らはそのままどこかへと去っていく。

「それじゃ、王子くん、姫ちゃん。こちらへどうぞ」

 促されるままに彼女の後をついていく。

 十分に人間が生活できそうなほど広い廊下を三人で歩く。

「ところで、王子くん――」

 ヴィラが僕に声を掛けてくる。

「な、なあ……。せめてここにいる間だけでもいいから、そのあだ名やめてくれないかな。何というか、本物の城にいるのに恥ずかしいというか……」

「嫌よ。前にも言ったと思うけれど、あなたの名前って呼びにくいのよ。王子くんは王子くんなんだから、もう受け入れなさい。……それに、百歩譲ってあなたを本名で呼んだとして、姫ちゃんはどうなるのよ」

「む、むう……」

 彼女の言う通りだった。

 確かに、僕のは単なるニックネームだからいいとしても、妹の場合は――『姫』というのが本名なのだ。この場において激しく場違いで、著しくややこしいが、こればっかりは仕方がない。

「さて、王子くん」

「何でしょうか……」

 するとヴィラはこちらへと寄ってきて、僕のすぐそばに並んだ。

 ちょっとどきどきするから是非ともやめていただきたい。

「今日のこと、春羅木はるらぎさんには話した?」

 僕を挟んで反対側にいる妹に聞こえないよう配慮したのか、耳打ちでそんなことを言う。

「いや……別に」

 どうしてここでまりんが出てくるのだろう。

「彼女の家に行ったことは?」

 やけにこだわるな。まりんと何かあったのかな?

「そういえば、まだないな。お隣さんなのにな」

「そう。それならいいんだけれど。……なら、私の方が先ね」

「何が?」

「何でもないわ。あ、ここが私の部屋よ」

 それまでに通り過ぎたどの扉よりも立派な扉を指差して、ヴィラが言う。

「さあ、どうぞ」

 その扉を開き、僕たちを招き入れる。

「お、お邪魔します……」

 妹はガチガチに緊張してしまっていて、いつもの快活さは見られない。

「お邪魔します」

 ついにやってきた、本邦初公開、プリンセスの自室である。

 赤い絨毯が敷かれた室内は、学校の教室よりも広い。

 当たり前のように天井に吊るされたシャンデリア。

 辺りの景色が一望できる広いバルコニー。

 僕の部屋などとは比べるべくもない。

 滑らかなレースのカーテンが下がった天蓋付きのベッドは、いかにもお姫さまの部屋といった感じだ。部屋の中央に設置されたテーブルと椅子も、僕が見たことのないような代物である。

「あ、適当に掛けて頂戴な。……もうすぐ、お茶菓子が来るわ」

 促されるままに、その高級感溢れる椅子に腰掛ける。

 ……落ち着かない。

「あら、もっとリラックスしてていいのよ。ここを自分の家だと思って――という感じかしら?」

「自分の家だと思って、って……」

 思えるはずがなかった。

 住む世界が違いすぎる。

 僕たち兄妹は、慣れない環境にしばらくそわそわしながら、お茶菓子の到着を待ちわびていた。


 やがて、メイドさんがぴかぴかの銀のトレイにティーカップとケーキを三つずつ載せて運んできた。

 それぞれ、僕たちの前に配膳される。

 失礼します、と告げてメイドさんが立ち去ると、室内には再び三人だけが残される。

「それじゃ、ティータイムと行きましょうか」

「あ、ああ……」

 言うまでもないだろうけれど、このカップやソーサー、果てはスプーンやフォークに至るまで、どれもこれも高価そうな一品だ。怖くて、どこからどう手を付けたものか分からない。

「ああ、心配しなくても大丈夫よ。そのお茶はね、わざわざ県外から取り寄せた――『普通の』茶葉だから。王子くん、アルラウネティーは苦手だろうと思って」

「お気遣い、痛み入るよ……」

 僕が心配していたのはそういうことではなかったのだが……。確かに、そういう問題点もあったな。まあ、その茶葉にしたって相当なものなのだろうけれど。

「どうしたの?」

「いや……」

 ここで二の足を踏んでいても仕方がない。

 慎重にカップに手を掛け、口元まで運んでいく。

 口に届く直前、芳醇な茶葉の香りが鼻腔を刺激する。

 まずは一口。

 これが同じお茶なのかと思えるほど、普段家で飲んでいる安物とは異なった風味。これが格差社会か……。

「いかが?」

「……おいしいよ」

「そう、それは良かった」

 にこっ、と嬉しそうにこちらに微笑みかける。

 眩しいその笑顔に、柄にもなく少し顔が紅潮するのが分かった。いや、温かいお茶を飲んだせいだ。うん、きっとそうだ。

「さあ、姫ちゃんも」

「は、はい……」

 僕がさっきそうしたように、妹もその高級茶を口に含む。

「おいしいです」

「うふふ。良かった。ねえ、姫ちゃんは――」

 未だ緊張がほぐれていない妹に、ヴィラが話しかける。

 最初こそぎこちなかったそのやりとりだが、次第に打ち解け始める。一〇分も経ったころには仲の良い姉妹のように笑い合っていた。おーい、それは僕の妹だぞー。

「良かった。姫ちゃん、あなたとはいい関係を築けそうね」

「はいっ」

「あ、お菓子もっとあるけど、要る?」

「欲しいですっ」

 何だか完全に手懐けられている。

 まあ、楽しそうで何よりだ。

「なあ、そういえば……。これって一体何の会なんだ? この間のことと何か……」

 そこまで言いかけたところで、ヴィラから無言の圧力。右手の人差指を一つ立てて、こちらに沈黙を要求してくる。

 ああ、そうか。

 妹がいる手前、そういう話もしにくいということか。

「あなたにもいろいろと思うところはあるでしょうけれど……。今日のこれは、単なる親睦会よ。あなたをここに呼びたかったというのもあるし、姫ちゃんにも会っておきたかったからね」

「ふうん……。何でまた?」

「この一週間……と、少しかしら。一緒に行動することも多かったというのに、何の手応えもなくてね……私としては、面白くないのよ。だから私は、先に姫ちゃんの方を攻略することにしたの」

「何だそりゃ……?」

 攻略?

 穏やかじゃないな。

「うちの兄が、ご苦労掛けてるようで……」

 え、何? 僕が悪いの?

「本当、困ったものね」

「ええ。あたしとしては、正直ヴィラさんなら、いつでもお姉ちゃんにしてもいいと思ってます」

 ヴィラは妹にも、自身への貴族としての特別扱いを許さなかった。今ではこうして、妹も彼女の事を名前で呼ぶ。

「あらあら。嬉しいこと言ってくれるじゃない」

 それから、二人の会話が続く。

 僕の入り込む余地がまるでなくて、ひたすら黙ってお茶を飲みながら、そんな二人を眺めていた。

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