6

 その日の放課後から、僕の転校生殲滅作戦が開始された。

 ヴィラから僕の携帯電話に送信された転校生のリストを元に、校内を歩きまわる。ヴィラはああ言っていたけれど、それでも一応、面倒事が起きないよう、出来る限り隠密行動を心掛ける。

 背後から忍び寄っての一撃。

 あるいは、擦れ違いざまの一撃。

 およそこの二つのどちらかで、着々とリストを消化していく。

 二人の頑張りの甲斐もあって――いや、実際には僕よりもヴィラの方が二倍ほどノルマを消化しているのだけれど、とにかく。一週間が経過した頃には、残り人数はついにあと数人、というところまで迫っていた。


「王子くん、最近休み時間になるとどっか行っちゃうけどさ。何かやってるの? 彼女でもできた? 女の匂いがするよ」

 登校途中、まりんがこちらをじっとりと見つめながら、妙に鋭いことを言う。

「いや、別にそんなんじゃないけど……」

 どうだろう、正直に話してもいいのだろうか。

 きっと全てを話したところで、あっさりと受け入れられて終了なのだろうけれど。

「え、そうなの? うーん、でもこの匂いは……」

「い、妹じゃないかな」

 まあ、その関係でヴィラともちょくちょく会っているから、一〇〇パーセント間違いかと言われるとそんなこともなくて。

 強い否定をすることもできず、内心は動揺しっぱなしである。

「そうかなあ……。姫ちゃんの匂いとは、何か違うと思うんだよねー。しかも、どこかで嗅いだことのあるような……」

 犬かお前は。

「まあ、何でもいいじゃないか」

 とにかく、残り数人。

 この一週間で転校生の数は激減している。にもかかわらず、まりんを始めとする一般生徒たちは、そのことについて特に何も言わない。彼らはそんなことに気が付いてすらいないのだ。一応、尋ねてみれば思い出すようなので、記憶から抹消されているということはないみたいだけれど、それでも事態を重要視することはない。

 最初の頃はどこを歩いても転校生の姿を見付けることができたから、作戦はスムーズに進んでいたのだが、数が減ってくるに従い、作業効率は格段に低下していった。これからどうするか、考えなければいけないのだけれど……。

「じゃあ、約束して。この埋め合わせは、いつか必ずしてもらうからね」

「ああ、分かったよ」

「言ったね、言っちゃったね。うふふ、これで王子くんはわたしの所有物……。うわー、何してもらおうかなー」

「そこまでは言ってない」

「えー、けちー。じゃあ一緒に、ドラゴン焼肉の食べ放題行こう」

「うぐっ……。ま、まあ仕方ないか……」

 その日までに、大量の胃薬を用意しておこう。

 今抱えている転校生に関する面倒事よりも、まりんとの何気ない時間が心地よい。

 まあ、後で考えればそれでいいだろう。


 そしてこの日も昼休みがやってきた。

 僕はまたヴィラに呼び出されて屋上へと向かう。

「来たわね」

「ああ」

「ごめんなさいね。私との逢瀬が、春羅木はるらぎさんにやきもちを焼かせちゃってるみたいで」

「え? いや、そんなことはないと思うけど……」

 まあ、ここしばらく昼休みに教室で一緒に昼食を取ることができなくて、そのことに対する恨み事を今朝聞いたけれど。そういう言い方をしてしまうと、まるでまりんと僕がいい関係みたいじゃないか。

「ふうん。あなたがそう言うなら、それでもいいのだけれど。じゃあ私が貰ってしまってもいいのかしら」

「何を?」

「何でもないわ。……こっちの話よ」

「そ、そうか。悪かった」

 何故かヴィラのその言葉には若干の棘が含まれていたような気がしたので、反射的に謝る。けれど、僕は特に悪いことをしたわけではない。

 昼休みに行われる僕たちの会合は、いつもこんな風に雑談から始まる。

「それはさておき。……あと一人よ」

 ここでようやくヴィラが本題に入る。

「やっとって感じだな」

 この日、僕は一人も転校生を発見することができないでいたのだが、ヴィラはしっかりと任務をこなしていたらしい。その辺は流石にプロフェッショナルだ。

「で、そのあと一人なのだけれど……」

 僕は上着のポケットから携帯電話を取り出して、転校生のリストを呼び出す。

 既に対処を済ませた転校生にはチェックボックスに印が付けられている。このリストはヴィラのものと共有設定になっているので、僕の端末でも残りは一人となっている。

「こいつか。……僕も、こいつをどうしようかと思ってたんだけど」

 最後に残った名前。

 紫兵裏しへいりかえる

 あの日やってきた転校生たちの中で、一番最後に自己紹介をしたのが彼女だ。

 小柄で長髪の、日本人形みたいな印象の少女だった。

 同じクラスのはずなのに、僕たちは彼女を消滅させることができないままでいる。

 授業にはちゃんと出ているのに、休み時間になると忽然と姿を消す。しかし彼女の目撃談は各地で得られている。まるで僕たちがやっていることを知った上で、こちらを嘲笑っているかのようだった。

紫兵裏しへいりかえる……。彼女は、一体――」

 彼女がそう呟いた、その時。


「ボクを呼んだかい?」

 唐突に、背後から声がした。


 僕たちは慌てて振り返る。

 果たして、そこには件の人物、紫兵裏しへいりかえるが立っていた。

 先程までは誰もいなかったはずの、この屋上に――そもそもからして、一般生徒が立ち入ることができないはずのこの屋上に、彼女は何の前触れもなく現れた。

 僕たちは校舎からの出入り口が見える位置で、設置されたベンチに腰掛けて話をしていたのだ。出入り口はその一つしかないから、誰かが這入ってくれば、僕たちがそれに気付かないはずがない。

 それなのに彼女は、突如僕たちの背後に出現してみせた。そちら側には出入り口など存在せず、ただ晴れ渡る青空が君臨しているだけである。

紫兵裏しへいりかえる……」

 再度、ヴィラがその名を呟く。

「やだなあ、そんな他人行儀な。……同級生じゃない。ねえ、ヴィラちゃん」

 僕よりも二周り、ヴィラよりも一周りは小柄な、せいぜい中学生くらいといったその少女が、にこやかに僕たちを見据えている。

 にもかかわらず――。

 何だ、この緊張感は。

 不気味。

 彼女はどこか、普通じゃない。

 あの転校生たちも普通の存在とは言えないが、それ以上だ。彼らは出自こそ通常からは逸脱していたけれど、人となりは僕たちと何ら変わるところがなかった。

 だが、この紫兵裏しへいりかえるは――。

 そんなレベルとは全くかけ離れた、異常な存在なのだ。

 僕の直感が、そう告げている。

「そうね……。紫兵裏しへいりさん」

 その証左に――僕の隣で、ヴィラが今までに見せたことのない表情を浮かべている。怪異退治のプロッフェッショナルたる彼女が、明らかな動揺を見せていることからも、彼女が極めてイレギュラーな存在であることは想像に難くない。

「あららら? そこは『かえるちゃん』じゃ、ないんだね。ボクとしては、『かえるん』っていうニックネームがラブリィでお勧めなんだけど……。どうかな?」

「謹んで遠慮させていただくわ」

 そう切り捨てる彼女の語調には、いつものような余裕は全く感じられない。

「あららら、残念。じゃあ、キミはどうかな……王子くん」

「僕も遠慮させてもらうよ」

「つれないなあ。これは、あれかな。転校生に対する心の壁ってやつかな。だめだよー、転校生だって同級生なんだから、仲良くやらないとね」

 実にいい笑顔で言ってのける。

 その表情が、却って不気味さに拍車を掛けている。

「転校生と言えばさ」

 掌をぱん、と合わせて、舞台みたいな大袈裟な演技をしてみせる。勿論、笑顔を咲かせることは忘れない。

「キミたち――何だか面白そうなことをしているじゃない? 良かったら、ボクも混ぜてくれないかな。きゃっほう、嬉しいね。転校生との、初の共同作業ってやつさ」

 そんなことを言いながら、こちらへと歩み寄る。

 思わず僕は一歩、後ろへ退く。

 隣で、ヴィラも同じように後退した。

「残念だわ。もう転校生は、一人しか残っていないのよ。……ああ、この王子くんは別よ? 彼は私の協力者だからね。そして、紫兵裏しへいりさん……あなたが、最後よ」

 しかしそこは流石に、この地に連綿と受け継がれてきた、由緒正しき巫女の血統。

 瞳に炎を宿し、敵をまっすぐに捉えて対峙する。

「あららら、そうなんだ……。そりゃ、残念」

 紫兵裏しへいりがそこまで言ったその瞬間――。

 ヴィラは既に動き出していた。

 数メートルの距離を一瞬で詰め、彼女の気持ち悪いくらいに整ったその顔面に、右手で護符を貼り付ける。

「これで、終わりよ……」

 紫兵裏しへいりの身体が、漆黒の霧に覆われていく。

 そのまま、闇に還っていく。

「ん、あららら……? 何だこれ?」

 彼女は両手を広げて、自分の身体を見回している。

「ああ、そうか。ボクは負けたんだね。うふふ、そうか、そういうルールの遊びだったんだね……。いやー、これは一本取られたね。悔しいよ」

 霧が彼女をすっかりと覆い尽くす。

「ルール通り、僕は還るよ。『かえる』だけにね。うふふ――」

 その霧が晴れた後には、残ったものは何もなかった。せいぜい、空気くらいか。

 最後まで不気味なことを言い残して、彼女は消え去った。

「……これで、終わったんだな」

「……そうね。それにしても、彼女は一体、何者だったのかしら」

 梅雨はまだ空けきらない。しかし、どこまでも晴れ渡る青空を仰ぎながら、ヴィラが嘆息した。

 明日からはいつも通り、海たちとのんびり過ごすことができるのだろうか。

 気が付けば昼休みももうすぐ終わり。

 僕は昼食のサンドイッチを急いで胃袋に流し込むと、ヴィラと一緒に校舎へと戻っていった。

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