5
その日の昼休み。
いつものように購買で適当に昼食を確保すると、僕は
「来たわね」
そこには先客の姿があった。
「ああ、まあね」
「ここ、いい場所よね。普段はカギが掛かっているから、一般の生徒は這入ることができないのだけれど、私に掛かればそんなもの無いも同然よ」
「そうですか……」
その手法を具体的に問うのはやめておこう。
「さて、王子くん。……王子くん、でいいのかしら」
「まあ、別に何でもいいけど」
本物のお姫様にそう呼ばれるのはどうしても変な感じがするが、この学校では既に、僕はそのニックネームで通っている。時々先生に本名で呼ばれても、一瞬自分のことだと認識できない時があるほどだ。
「まあ、あなたの本名は呼びにくいし、私もそう呼ばせてもらうことにするわ」
「……お好きなように」
「そう。なら、王子くん」
「ああ」
「もっと、語尾にハートマークとか付けた方がお好みかしら?」
「……そのままでいいよ」
「あら、そう?」
雑談モード。
だが僕が今日、
「ええと……。プリンセス」
話を切り出そうと思ったが、どう呼べばいいのか分からない。
同級生とはいえ、相手は仮にも王族――あ、いや大公の娘だっけ――らしいのだから。
「ヴィラでいいわ。確かに私は、
「そうか、ならヴィラ――」
プリンセスを呼び捨てにすることに、それでもなお若干の躊躇がないでもなかったのだが、そんなことを気にしていては話が進まない。そのうちに慣れてくるだろう。
「そろそろ本題に入ろう」
本題。
僕は彼女に呼び出されて、この屋上へとやってきた。
まさか、立てた覚えのないフラグのために、甘酸っぱいイベントが発生したのではないだろうから、その用件はあのことしかない。
三時間目と四時間目の間の休み時間でのこと。
ヴィラが転校生の一人を消滅させたのを、僕は偶然にも目撃してしまった。それに関して、彼女は僕に協力を求めるみたいなことを言っていたっけ。
「そうね。それではまず、私のことから話しましょうか」
「君のこと?」
流石に公女様をお前呼ばわりするのはどうかと思い、使い慣れない二人称代名詞を用いる。
「
「巫女……」
その言葉には馴染みがある。
あの日、ドラゴンを浄化した。
また別の日、学校に現れたバジリスクも浄化した。
そしてダンタリオンの迷宮に迷い込んだ僕たちを救い出してくれた。
それが、巫女と呼ばれる存在だった。
「君が、巫女……」
「ええ、そうよ。姉さまたちもいるし、巫女の家系は他にもあるから、私の他にもいるけれど。この辺りを管轄してるのは、私。学校もここにあるからね」
「じゃあ、バジリスクの時とか、ダンタリオンの時とか……」
「それは私ね。……あの時は災難だったわね」
そういえば最初に目撃したドラゴンの浄化――あの時現れた巫女は、うちの学校の制服を着ていた。……あれも、彼女だったのだろうか。
「まあ、私が巫女だということ――ひいては
「そうなのか……。それはともかく、あの時は助かったよ。ありがとう」
「どういたしまして。といっても、それが私の仕事なのだけれど」
「公女っていうのも忙しいんだな」
「まあね。それで、王子くん。あなた、この県について、どう思ってる?」
「どう、と聞かれても……」
そりゃあ、おかしいと思う。
明らかに異常だ。およそ現実では起こりえない現象が、次から次へと発生する。
そして、更に異常なのは、それらに対する住民たちの態度だ。こんなことはどこでも起こる――だから、わざわざ騒ぎ立てるようなことではない。……そんな態度。
だがそんなことを口にすれば、決まって周りはおかしな顔をする。
だから僕は、最近ではあまり踏み込んだコメントをしないことにしていた。
「ああ、私の前では別に気取らなくていいのよ。……おおよそ、あなたの考えが正解」
「……え?」
「この一ヶ月、あなたを見ていたから、分かるの。そして、さっきの時間のあなたの反応を見て、確信したわ。あなたはこの県の環境について、異常だと考えているのでしょう? 県民たちは元より、外から来る人間もほぼ例外なく、この県のことは普通なのだと認識しているわ。ここの住民は――この土地は、そういう風にできているのよ。……だから、自分だけがおかしいのではないかと考えてしまうかもしれないけれど、これに関してはあなたが正しい」
「そ、そうなのか……」
自分の家が治めるこの県のことを、ヴィラは異常だと言う。
ともあれ、ここへ来てようやく味方が現れた。
「どうしてあなただけが正しい認識を持っているのか、それは分からないし、どうでもいいわ。今対処すべき問題はただ一つ――」
対処すべき問題。
彼女は、何かと戦っているのだろうか。
「『瘴気』が……濃いのよ」
「――しょうき?」
「悪しきものを生み出す空気のことよ」
……ああ、そういうことならば――『瘴気』か。
「ドラゴンやバジリスクは、その『瘴気』によって生み出された存在。この県全体には、そうした『瘴気』が至るところに蔓延しているの。その『瘴気』が、このところ濃いのよ。県庁からの出動要請も、ほとんど毎日のようにあるわ」
ほとんど毎日、か。
僕自身がそういった異常に出くわすことは、まあせいぜい週に一度――多くても二度といったところだ。しかし、彼女の管轄がこの学校だけ、ということはないだろうから、その頻度は何となく合点がいく。
「『瘴気』が引き起こす様々な怪異に対処することが私たち一族――いえ、私たち巫女の使命といったところかしら。これで大体の説明は終わりよ」
「なるほど。まあ、大まかなことは分かったよ。……それで、その『瘴気』と、僕がここに呼び出されたことには一体どんな関係があるんだ?」
「転校生よ」
「転校生……?」
それは僕のことではなく、あの時点で三一人いた、彼らのことを指すのだろう。
「あの大量の転校生……。王子くん、あなたもおかしいと思ったんじゃないかしら。そもそもこの土地に転校生がやってくること自体珍しいというのに、それがうちのクラスだけで三一人。学校全体では五五二人もやってくるなんて、これは『瘴気』によるものとしか考えられない。まあ、このことを異常だと感じているのは、この学校の中では私とあなたくらいなものだと思うけれどね」
「五五二人か」
全体ではそんなにやってきていたのか。
そりゃ、購買もパンクするわけだ。
まあ、一クラス当たりの転校生が三〇人として、一学年六クラスが三学年分だから、三〇掛ける六掛ける三で五四〇。単純計算ではあるが、妥当な線だと思う。
確か、さっきの休み時間には残り五一一人と言っていたから、既に四〇人あまり消滅させている、ということになる。
「あの転校生たちは……すると何か。ドラゴンやバジリスクと同じような存在っていうことか?」
「そうね。簡単に言えばそうなるわ。私の考えでは、恐らくそれよりもかなり厄介なものだと思うのだけれど。いずれにせよ、私の護符で闇に還すことができるから、今のところは問題ないわ」
「護符で闇に還す……。そうか、それであの時……」
転校初日、ヴィラとの初邂逅時の出来事を思い出す。
僕は、今目の前にいるこの少女、
「そう。さっきも言ったけれど、この土地に転校生がやってくるなんて基本的にはないことなのよ。……だから、あなたも『瘴気』が生み出した存在なのではないかと、あの時は疑ったわ。まあ、護符を貼っても消滅しなかったから、シロだったのだけれど」
「なるほどね。……それで、僕に協力してくれ、っていうのは?」
それが、今僕がここに呼び出された用件だろう。
「ええ。私は最初、彼らから何らかの情報を引き出そうとしたわ。家族構成だとか、どこからやってきたのか、ということをね。今この県で何が起こっているのかを知りたかったわけ。でも、彼らは何の情報も持っていない。そういう風に作られているのよ。だから私は諦めて、彼らを単純に闇に還すことだけに専念することにしたの。そこで――」
彼女はそこで一旦言葉を切った。
「そこで?」
「あなたにも、彼らを闇に還すのを手伝ってほしい。残り五一一人を私一人でやるには、少し骨が折れる」
「そうは言ったって、僕には何の能力もないぞ」
「大丈夫よ。私の護符があれば、あなたでも彼らを闇に還すくらいのことはできるわ。幸い、彼らは普通の人間と同じくらいの身体能力しか持たないから、最悪正面からの戦いになったとしても、何とかなるでしょう」
「正面からの戦い、か。穏やかじゃないな。……でもまあ、そのくらいなら」
「それと、あまり人目は気にしなくていいわ。ここの住民たちは怪異現象には慣れているから、目の前で誰かが消え失せても、そういう現象なのだと納得するでしょう」
「分かった」
つくづく呑気な連中だな……。
考えてみれば、初対面の時にもヴィラは公衆の面前で僕に護符を張り付けたわけだしな。
「そうね、あとは……。連絡先、交換しましょう」
「ん、ああ……」
言うと彼女は、スカートのポケットから携帯電話を取り出し、手慣れた手つきで操作していく。
こちらも負けじと携帯電話を操作。
二人の間を赤外線が往復すると、晴れて僕のアドレス帳に初の貴族の名前が登録される運びとなった。
「それじゃ、何かあったら連絡してくれるかしら」
「了解」
「また、教室でね。後でメールするわ」
ヴィラが背を向けて去っていく。
僕も教室に戻ろう。
まだ昼ごはん、食べてないし。
それにしても、おかしなことに巻き込まれたものだ。
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