異変 - Strangers -

1

 転校から早くも一ヶ月以上が経過した。

 この環境にも慣れ始め、僕の時間はそれまでよりもスムーズに流れていった。

 そして、やがてこの県にも、例外なく梅雨の時期がやってきた。

 この日、週初めの月曜日も、空は厚い雲に覆われ、こちらの気分まで沈み込んでしまいそうな天気だった。越してきたばかりの頃感じていた肌寒さみたいなものは既にどこかへ消え去り、今となっては気温と湿気で不快指数が上昇する一方である。

「何か、今日もまた降りそうだねえ」

 隣を歩くまりんが言う。

「そうだな」

 確かにこのところ、雨が続いている。

 そろそろ母なる太陽を拝みたいところだ。

「天気予報じゃ、今日は朝から降るらしいぞ。……降り出す前に、さっさと校舎に入ってしまおう」

「そうだね。洪水になってからじゃ遅いもんね」

「いや、流石にそこまでは降らないと思うけど……」

「もしこの辺一帯が水浸しになったら、学校行くのもボートだよ。日本にいながらにしてプチヴェネツィア気分だよ、王子くん」

「そんなことになったら、きっとそんな呑気なこと言ってられるような余裕はないんじゃないかな」

 しょうもない会話を繰り広げながら、気持ち早足で通学路を行く。

 ふと空を見上げると、嫌な感じの雲が集まりつつあった。


 そして学校へ。

 無事雨が降り出す前に校舎へと到達した僕たちは、三階の教室でホームルームが始まるまでの間、束の間の自由時間を満喫していた。

「おう、二人とも、おはよう」

 既に朱里亜しゅりあは教室にやってきていたようで、僕たちを見付けるとこちらへやってきて、声を掛けてきた。

「おはよー」

「おはよう」

 僕たちもそれに応じる。

 次いで、自分の席に辿り着くまでの間にすれ違った同級生たちとも、適当に挨拶を交わす。

 転校してきてからもう一ヶ月にもなる。転校生特需もあっという間に下火になり、僕もいい加減この教室に溶け込んでいる。

 それにしても――。

 教室が少しざわついているように感じるのは、僕の気のせいだろうか?

「なあ、聞いたか?」

 教室の入り口から僕たちを追いかけてきた朱里亜が言う。

 しかしそれだけでは、何の話をしているのか全く分からなかった。

「……何を?」

 席に鞄を置きながら尋ねる。

「いや、このクラスに転校生が来るっていう話」

「え、何それ? 随分と昔の話じゃないのか?」

 具体的には、僕がこっちに転校してくる時の話。

 どっかりと椅子に座り込み、机の上に置いた鞄に上体を預けながら世間話に応じる。

「いやいや、お前のことじゃなくてさ……」

 朱里亜しゅりあも自分の席――僕の前の席に着いて、こちらを振り向く姿勢で話を続ける。

「え、じゃあまたこのクラスに転校生が来るってこと?」

 左隣から、まりんの声。

「転校生ねえ」

 何だろう、流行っているのかな。

 年に二人もやってくることなんてあるのだろうか。

 いや、ないこともないのだろうけれど、随分と珍しい話だ。

 とにかく、耳を澄ませてみれば、先程から教室が騒がしいのはどうやら、その転校生についての噂が原因だったようだ。

「どこから来るんだ?」

「いや、そういうことは俺も知らないんだけどさ……。とある情報筋から流れてきた」

朱里亜しゅりあくん、お手柄だよ。ご褒美にアメあげるね」

「サンキュ」

 なるほど、そういうことか。

 その情報筋というのがどれほどの信憑性を持っているのか、僕には分からないけれど。

「そうか、転校生か……」

 とりあえず僕もその説に乗っかることにする。

 もしもそれが県外からやってくるのだとすれば……。ひょっとすれば僕のように、この異常な世界に、何か思うところがあるかもしれない。そういう意味で、こちらへ来て初めての味方になってくれはしないだろうか。

 とはいえ、県内外の人の出入りは非常に限られているし、外の人間にしたって妹や亜澄あすみのように僕とは認識がずれているようだから、その望みは薄い。

「どんな人かなー」

 まりんはまだ見ぬ転校生を、心から楽しみにしているようだ。

「可愛い娘だといいなあ」

 まりんから受け取ったアメを口の中でごろごろさせながら、朱里亜しゅりあが勝手なことを言う。

「まあ、まだ転校生が女子だと決まったわけじゃあ……」

 本当に転校生がやってくるのかどうかすら、まだ定かではない。

 ふと、周囲の声が耳に飛び込んできた。

「かっこいい男の子とか、来ないかなー」

「スポーツ万能の、新入部員が欲しい!」

「ノリのいいやつだといいなあ」

「いやいや、ここは是非ともメガネ男子を……」

「私と姉妹の契りを交わしてくれそうな、妹キャラ希望」

 しかし、そんな不確定要素などこの場に集った若人たちには取るに足らない些事のようで、各々が口々に転校生に対する希望を述べている。というか、最後に一人、何か怪しい意見が混ざっていた。

 僕の時も、こんな感じだったのだろうか。

 あの時は自分のことで精一杯だったから、そんなことにまで頭が回らなかったけれど。

 僕の登場に、クラスのみんなはどんな感想を持ったのだろう。

 そして、チャイムが鳴って。

 担任の先生が教室に這入ってきた。

「起立。礼!」

 本日の日直は、控えめの女子だった。

 それでも、彼女もまた、新たな転校生の噂に浮き足立っているのか――いつもより声に元気が感じられる。

「さて、もうみんな知ってるみたいだけど……。ホームルームの前に、転校生を紹介するわ。じゃあ、這入ってきていいよ」

 先生が廊下に声を掛ける。

 これで、晴れて転校生とのご対面というわけだ。

 結論から言えば。

 クラスのみんなが口々に述べた、転校生に対する数々の希望は――その多くが、叶えられる形となった。

 と、いうのも――。

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