2
それから数日後。
昼休みのことである。
いつものように
もうじき越してきて一週間にもなろうというこの頃になっても僕はこちらの食材に慣れることができず、昼休みには(僕にとって)普通の食材を用いたものを確保することに躍起になっていた。どういうわけか、そうした食糧は陳列数が少ないのだ。
その理由を考えると、それはそれはおぞましい現実が思い起こされる。
数日前に目撃したドラゴン。
こうも沢山ドラゴン肉を用いた食べ物が供給されていることを考えれば、県中至るところで、かなりの高頻度でドラゴンが出現しているということになる。いくらあの巨体でも、この間の一体だけでここまで市場に出回るほどの量になるとは思えない。
「王子、お前そんなんでいいのか?」
どうにか雑踏の中を潜り抜け、この日もどうにか普通の食料を手にすることができた。
あんパンとメロンパン、それにサンドイッチ。サンドイッチには申し訳程度に豚肉のハムが挟まれてはいるけれど、それでも食べざかりの高校生男子にとってはエネルギー不足感が否めない。加えて三分の二が糖分の塊のような食べ物で、甘みに辟易してしまいそうだが、ドラゴン肉なんかよりはましである。
「まあな。……どうも、こっちの食材は合わなくてさ」
こんな説明も、もう何度したことか。
家でも、母がよくドラゴンやら何やらを食材に用いる。僕以外はそれを好んで食しているようだったが、僕はどうしても慣れることができずにいた。昨日などはついに、僕にだけ鶏肉を用いた別メニューが用意された。その心遣いには、感謝の極みである。
「
「さあ……。途中で死にそうになってたのは見たけど……」
昼休みの、購買の混雑にはどうにか慣れた。どうにか普通の食べ物を確保するために、慣れざるを得なかったのだ。まあ、さほど人気がないみたいだから、人波が引いてからでも十分間に合いそうな気もするけれど。
「え、えへへ……」
ここで
「お疲れ。……どうだった?」
僕が尋ねると、彼女は瞳を輝かせた。
「ふっふっふ。今日のわたしはすごいよ。……見よ、『ドラゴンカツサンド』!」
うわ、出た……。どんだけ好きなんだ、ドラゴン肉。しかもそれをカツサンドにしてしまったのか。そんなもの、僕じゃ胃がいくつあっても足りない。
「ね、これ、すごくおいしいんだよ。王子くん、それだけじゃ足りないでしょ? 二つ入ってるから、一つあげるね」
「遠慮しとくよ」
「えー、そうなのー? おいしいのになあ」
「なー」
きっとそれが、こちらの人間にとっての普通なのだろう。
「まあ、とにかく、さっさと教室に戻ろう」
「そうだね」
そして三人で歩き出す。
こんな光景も、すっかりお馴染みとなっている。
階段を上がり、僕たちの教室がある三階へ向かう。
「ん?」
二階と三階の間の踊り場に辿り着いた辺りで、何やら廊下が騒がしいことに気が付いた。
「どうしたんだろ?」
妙な胸騒ぎがするのだが、例によって
「ま、さっさと行こうぜ」
「あ、ああ……」
残りの九段を上がり、三階の廊下をそろりと覗きこんだ僕は、またしても絶句した。やはり、こういう状況で僕にできることなど、それくらいしかなかった。
「な、な、な……。何だありゃ……っ!?」
そこにいたのは、廊下に倒れた生徒たちと、逃げまどう生徒たち。
加えて。
その中心を、体高が二メートルはあろうかという巨大なヘビが身をくねらせながら行進していた。体長は、恐らく二〇メートルは優に超えるだろう。
流石に目の前に魔物がいれば、彼らとしても逃げざるを得ない、というわけか。
その進行方向は僕たちとは反対側であるので、その表情を窺うことはできない。
漆黒の鱗は窓から這入る日光を受けて不気味に輝き、先端に鋭利な突起が付いた尻尾が右へ左へゆらゆら揺れている。
後ろ姿を見ているだけで嫌悪感が湧き出てくる。
そんな、異形の存在。
それが今度は学校の廊下という閉鎖空間で恐怖を撒き散らしている。
「あー、バジリスクだね。どこから這入ってきたんだろ」
バジリスク。
これもファンタジー作品で良く聞く名前だ。
概ね、どの作品でも厄介な魔物として描かれている。
にも関わらず海が取った反応は、昼休みに野良犬が学校に紛れ込んだ時みたいな、気の抜けたものだった。
「いやー、外じゃちょくちょく見かけるけど、学校の中まで這入ってくるのは珍しいな」
「そうだねー」
この状況下でもなお、呑気な二人。
この前のドラゴンと違い、向こうがその気になればこちらまであっという間にやってくるだろう。仮に襲われた場合、僕たちはあの巨体に対処することができるのだろうか。
「これ、どうするんだ……? また県庁の人が来てくれるのか?」
この間のドラゴン退治を思い浮かべながら言う。
「うん。でも、今すぐ通報しても、県庁の人が来るまでは二〇分くらい掛かっちゃうと思うよ」
「お役所仕事だからなー」
どうやらこちらのお役所も、怠慢なイメージがあるらしかった。
こんなところだけ外と一致しなくても……。
「あ、そうだ。王子くん。ね、見て……。みんな、倒れてるでしょ」
「あ、ああ」
いまいち緊張感の欠けた声色だが、言っていることは非常に深刻だ。
「あれね、バジリスクの目、見ちゃったんだよ。……あの目を見ると、身体が石みたいに固くなっちゃって、動けなくなるの。最悪の場合、死んじゃうこともあるから気を付けてね」
「そんな悠長な……」
この間もこんなことを言ったような気がするけれど……。
今はともかく、この状況を何とかせねばなるまい。
「どうすればいい?」
「えっと、とりあえず県庁に連絡しようか」
「倒れてるあいつらは?」
「ああ、大丈夫だ。こんな時のために、保健室には血清が用意されてるはずだからな。んじゃまあ、三人で行ってくるか。何、バジリスクの目を見たって、一二時間以内に血清打ち込めば死ぬことはないさ。昔はそりゃあ大変だったみたいだけどな」
「まあ、そういうことなら……」
「じゃ、行こっか。あ、わたし通報しておくね」
僕たちは今上がってきた階段を引き返していく。
「あ、もしもし、討伐課さんですか? えっとですね、バジリスクが学校に……。あ、はい。そうです、その学校です。はい、はーい。よろしくお願いしまーす」
僕より一歩下がった位置を歩きながら、
間もなく、一階にある保健室に辿り着いた。
「失礼しまーす」
「どうぞー」
養護教諭の方も、まだ事態を聞き及んでいないのか、ゆったりした声が扉の向こうから返ってきた。
「どうしたの? 怪我でもした? あ、ちょっと待ってね。今、お茶出すから」
本当、呑気だよなあ……。
「さ、どうぞ」
先生がその言葉通り、僕たち三人分のお茶を用意してくれる。
保健室って普通お茶とか出るんだっけ?
これもこっちでは普通なのかなあ。
勧められるがままに椅子に座り、お茶を頂く。
ちなみにこのお茶は何のお茶なんだろう……。怖いから聞かないでおこう。
「それで、どうしたの? 誰か風邪でも引いた?」
「あ、えっと、実は今三階にバジリスクが這入り込んできちゃってて。それで、何人か目を見て倒れちゃったから、血清が欲しいなあって」
「あー、なるほどねー。さっきからちょっと騒がしいのはそれか。ちょっと待ってね、今すぐ出すから。あ、お菓子あるけど、よかったら食べない?」
この養護教諭もまた、事情を知ってなお呑気なことを言い出す。
先生が薬棚の方へと向かう。棚の下部に取り付けられた戸を開き、中をごそごそと探っている。
やがて二つの箱がその中から現れた。
「こっちが血清の箱ね。いっぱいあるから、きっと足りると思うけど……。それでももし足りなかったら、体育館裏の倉庫にもっとあるわ。あ、みんなを治しに行く時は声掛けてね。一応、素人に任せるわけにはいかないからね」
上に載せた立方体に近い箱を指差しながら、先生が言う。
「助かります」
「ありがとー、先生」
「分かりました」
「それで、そっちの箱は……?」
先生が持ってきた二つの箱のうち、平らな方を差して尋ねる。
「あ、これ? この間教頭先生に頂いたお饅頭よ。たくさんあって、私一人じゃ食べきれないから、好きなだけ食べちゃって」
「はあ……」
呆れるを通り越して、どこか諦観の籠った僕の声。それは虚しく保健室の壁に吸い込まれていくだけだった。
「ありがとー、先生! 大好き!」
「それじゃあ、いただきます」
この二人は饅頭を食べることに決めたらしい。
というか
「いいんですか、こんなにのんびりしてて。早くみんなを助けにいかないと……」
こうしている間にも、被害者は増えているかもしれないのだ。
できるだけ早く三階に戻り、彼らの救護に当たるべきではないのか。
「うーん。そうしたいのはやまやまなんだけどね。ねえ、でも君……」
この状況でなぜか、悪戯っぽい笑みを浮かべて、先生は続けた。
「バジリスクが闊歩する廊下に、丸腰で帰る元気はある?」
「……ありませんね」
「でしょ? だったら――」
まあ、確かにその通りである。
仮に武器を持っていたとしても、あんな怪物と対峙するのは御免蒙りたい。
被害者たちの救護は、県庁の討伐課のみなさんが事を治めてくれるのを待つことにして、僕も饅頭を頂くことにした。これが何の饅頭なのかは、やっぱり怖いから聞かないでおこう。
そんな風にお茶と饅頭でのんびりしていると、保健室入口の扉がノックされた。
「はーい」
先生がとてとてと駆けていき、来客に応じる。
「校舎三階、バジリスク退治は完了しました。つきましては、被害を受けた生徒たちの救護を先生にお願いしたいのですが」
扉の奥から現れたスーツの男性が、はきはきした口調で告げる。
「あ、はい、分かりました。お勤め、ご苦労様です」
「では、失礼します」
扉が閉められる。彼が歩き去っていくのが、足音から理解できた。
「それじゃ、みんな。行きましょうか」
「はーい」
「よっしゃ、来た!」
「……おー」
そして三人プラス先生一人で、惨劇の現場へと歩き始めた。
「あら? あなたたち……」
三階へと向かう途中、一人の女子生徒と擦れ違った。
ええと、確か初日に会った……。忘れようにも忘れられない、衝撃的というか、個性的な出会いをしたこの少女の名前は、確か……。
「あ、
そうそう、
この県のプリンセスとかいう。
「こんにちは。
「ああ、僕は……」
「あ、こっちは王子くんだよ」
名乗ろうとしたところ、
「王子……? ああ、そういうニックネームなのね。ふふっ、そっちの方が呼びやすいわ。私もこれから、そう呼ばせてもらうことにするわね」
「まあ、何でもいいけど……」
本物のお姫さまに王子呼ばわりされるのも何だか変な気分だけれど、そっちの方が呼びやすいと本人がそう言うのだからそれでいいのだろう。
「それで、
「うん、任されちゃうよ」
「じゃあ、頼んだわね」
「うんっ!」
任せる……?
何か、
まあ、いいか。
「それじゃ、また教室でね」
「じゃあねえー」
「またなー」
「王子くんも。また、会いましょう」
「ん? ああ、そうだな」
優雅な所作で立ち去っていく華良緋を見送ると、僕たちは石化した生徒たちの治療を開始した。
といっても僕たち素人は直接手を出すわけにはいかなかったから、ただ先生の補助に回るしかなかったのだけれど。
僕たちが作業を進めているこの三階の廊下には、未だにバジリスクの死骸が横たわっていて、その凶悪な目がこちらを睨みつけているようでどうにも落ち着かない。
はて、巫女さんはいつの間に現れたのだろう。そういえば、この間見た巫女さんはこの学校の制服を着ていたから、わざわざ呼ぶまでもなく校内にいたのかもしれない。
「ところで、あのバジリスクはどうなるんだ?」
「業者の人が回収して、食卓に出回ると思うよ。……バジリスクのお肉はねえ、こりこりと歯応えがあっておいしいんだー」
珍味的なものなのかな――とか、そんなことを考えていると、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響いた。しまった、昼ごはんを食べ損ねた。饅頭しか食べてない……。
まあ、五時間目が終わってから食べるとしよう。
こうして、再び平穏な日常へと帰っていく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます