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 そして、購買にやってきた。

 購買と言っても、僕が東京で通っていた学校にあったそれとは大きく異なっていた。この学校の購買はむしろ、コンビニくらいの規模を誇っている。

 それでも昼休みともなれば、飢えた生徒たちでごった返し、どこに何があるのかも分からないほどの状態になっていた。

「すごいな、こりゃ……」

「東京の学校では混んだりしなかったの?」

「そりゃ昼休みにはある程度混んだりはしたけど、流石にここまで混んだところは見たことなかったな……。何か、すごいものでも売ってるのか?」

「そんなことないと思うけどなあ。どこにでも売ってる、ごく普通のものしかないよ。所詮は学校の購買だからね」

「ふうん、まあいいか。いい加減お腹も空いたし、さっさと何か買うとするか」

「そうだね」

 人混みを搔き分け、店内へと進む。

 ……つもりだったのだが、あっという間に飲み込まれ、もみくちゃにされる。

「むにゅう……」

 そんな可愛らしい声が聞こえたと思ったら、すぐそばにいたはずのまりんが僕よりも更にひどい状態となっていた。彼女はそのままどんどん遠ざかっていく。

「王子くーん……」

 僕を呼ぶまりんの声。その後も何かを言っているような気がしたが、この雑踏の中では遠ざかっていくその内容を聞き取ることはできない。

「せ、戦場だ……」

「あちゃー、春羅木はるらぎがやられたか。王子、お前は大丈夫か?」

「まあ、何とか……」

「ふふ、そんなことじゃこの先、ここで生き残っていけないぜ」

 なら、もう一年以上この学校に通っているはずのまりんはどうやって過ごしてきたのだろう。

 その朱里亜しゅりあはというと、慣れた足つきで生徒たちの大群を搔き分け、ずんずんと奥へ進んでいく。

 僕も負けていられないな。

 気を取り直し、適当な棚を目指して歩を進める。

 進む、というよりは流されている、といった方が現実に即しているような気もしたが……。とにかく、どうにか一つの陳列棚の近くまで辿り着いた。

「……サンドイッチか」

 適当にパンを買おうと思っていたから、丁度いい。

 この混雑ぶりでは、学生たちの垂涎の的たるカツサンドは望めないかもしれないけれど、どうやらまだサンドイッチはいくつか棚に残っているようだった。

 人波が右へ左へ大きく揺れ動き、その場に立ち止まるのは至難の業だ。これ以上接近してじっくりと昼食を選ぶことも難しい。

 仕方がない、ここは賭けだ。

 商品名もろくに確認しないまま手を伸ばし、包みの色から判断して適当に肉っぽいものと卵っぽいものを確保。

 そのまま人の流れに乗り、レジへと向かう。

「王子くーん……。あ、何か取れたんだね。えへへ……。よかったよかった」

 その途中でまりんの声が聞こえた。

 声はすれども姿は見えず。

「お、おう……。そっちは大丈夫か?」

「あんまり大丈夫じゃないかも……」

「そ、そうか……」

 果たして彼女がどこにいてどこから声を掛けてきたのかは分からないまま、僕はレジの列に追いつき、その最後列に並ぶ。

 見れば、朱里亜しゅりあは既にレジへと辿り着き、会計をしているところだった。

 僕もいつかあんな風になれるんだろうか……。


 そして数分後。

 どうにか会計を済ませて、購買から脱出することに成功した。

「お疲れさん」

「いや、ほんとに疲れた……」

 先に脱出していた朱里亜しゅりあは、涼しげな表情で廊下の壁に寄り掛かっていた。余裕そうな所作でこちらに手などを振っている。

「で、お前は何買ったんだ?」

「うーん、何だろう。ろくに確認もしないままに買ってきちゃったからなあ」

 ここでようやく、自分が手にしたサンドイッチの包みに目をやる。

「な、何だこれ……?」

 僕が先程手に取ったのは、肉系のものがひとつ、卵系のものがひとつ。それはどこにでもある、定番中の定番だと思ってあの混沌の中で選び取ったのだ。

 そのはずだったのに……。

「ドラゴンハムサンドに、コカトリスの卵サンド……?」

 包みには、やけにファンタジックなワードがポップな字体で踊っている。

「おお、初日からなかなかいいものゲットしたじゃないか。それ、結構人気ですぐ売り切れちまうんだよ」

「そうなのか……。というか、これ何だ?」

「何だも何も……。そこに書いてある通りだぞ」

「そこに書いてあるって……」

 ドラゴンに、コカトリス。

 マンガやゲームなんかでは馴染みのある言葉だ。巨大なトカゲに、厄介な鶏である。

「そう。ドラゴン肉のハムと、コカトリスの卵」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。何、そういう名前の動物がいるのか? 肉のブランド名とか、そういうことか?」

 アグー豚とか、名古屋コーチンとか、そういう奴。

 ドラゴンという名前が冠された豚肉。

 コカトリスという名前が冠された鶏の卵。

 そういうことならば、納得はできる。

「そういう名前の動物っていうか……。そのものずばりドラゴンとコカトリスだろ。何をそんなに……」

「いやだって、そんなのは空想上の生物じゃあ……」

「は?」

 ここでも齟齬。

 僕の世界観と、彼らの世界観のずれ。

 朱里亜しゅりあの言葉を総合するに、この県には――。

「え、いるの? ドラゴンとかコカトリスとか」

「ていうか……東京にはいないのか?」

「いない……けど」

 いてたまるか。

 東京にそんなのが現れたら一大事だ。

 そんな光景は怪獣映画で十分だろう。

「そうか、東京にはいないのか……。同じ国なのに、知らないことって多いもんだな」

「そう、だな……」

 本当に同じ国なのだろうか。

 どころか、同じ世界なのかどうかすら、怪しいところだ。

「ちなみに、俺のはこれな」

 見れば朱里亜しゅりあが持っているのはパンやサンドイッチなどではなく、それこそコンビニに売っているような弁当だった。品揃えの豊富な購買である。

「サンダーバードの唐揚げ弁当。これは俺のオススメな。ジューシーな肉汁と、ピリッとくる微量な電気の刺激が何とも言えない食感を生み出していて……」

 朱里亜しゅりあによる、何だかいまひとつ理解しかねるグルメリポート。サンダーバードというのは確か、アメリカ先住民の伝承に登場する怪鳥だったはずだ。そのサンダーバードもまた、この県には生息しているというのだろうか。

「何というかまあ、個性的なメニューだな……」

 本当においしいのかな、それ……。

 まあ、機会があったらいつか僕も試してみるとしよう。

「そういえば春羅木はるらぎは?」

「うーん、完全に人混みにやられてたけど……。無事に何か買えたんだろうか」

「はにゃ~……」

 丁度その時、死にそうな顔をしたまりんが購買の人混みから這い出てきた。

「よう、お疲れさん。どうだった?」

「な、何とか買えたよ……」

 彼女が手にしているのは、サラダのパックが一つとパンの包みが一つ。

「ちなみに、それは?」

「あ、これ? えへへ……。えっとね、マンドラゴラとアルラウネのフレッシュサラダでしょ、そしてこっちがねえ――メロンパン!」

 僕の問いに、どこか誇らしげに答えてくれる。

 まあ、前者は今更驚くまでもないとして。

「メロンパン……。ああ、そういう普通のもあったんだ……」

「ふえ?」

「普通って?」

 僕の呟きに、何を言っているのか分からない、というような呆けた表情を見せる二人が、非常に印象的だった。彼らにとってみれば、ファンタジーな食材を用いたものと、僕にも馴染みの深いものとが共存していることこそが普通なのだろう。

「何でもない。じゃ、さっさと教室に戻ろう」

「そうだね」

 そして三人揃って教室への道を歩いていく。


 ところで、僕がこの日手にしたドラゴンハムサンドとコカトリスの卵サンドについてだけれど――。

 味はよかった。

 ただ、癖が強すぎたせいか、僕はこの後しばらく、胃もたれに苦しめられることになった。明日からはできれば、普通のものを食べようと思った。

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