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 授業もつつがなく進行し、あっという間に昼休みがやってきた。

「昼休みだよ、王子くん」

「そうだな。知らない環境でちょっと大変だったけど、どうにかって感じかな」

 席に着いたまま、右隣のまりんと会話。

「王子くん?」

 すると反対側から朱里亜しゅりあが尋ねてきた。

「うん。王子くん。姫ちゃんのお兄ちゃんだから、王子くん」

「姫ちゃん? 何のこっちゃ?」

「ああ、僕の妹だ。僕のニックネームはそういうことになったらしい」

「ふうん、そっか。じゃ、俺もそう呼ぶことにするか」

「まあ、何でもいいけど……」

 転校初日にして、妙なニックネームが浸透しつつあった。

「それで、王子くん。王子くんはお昼、どうするの?」

「そうだな。弁当とか持ってきてないから、購買で適当にパンでも買おうかと思ってたんだけど……」

「なら王子。俺たちが案内してやるよ。……春羅木はるらぎもそれでいいか?」

「うんっ!」

「恩に着るよ。ありがとな」

「なあに」

「それじゃ行こっか。購買は一階だよ、王子くん」

 適当に机の上を片付けて立ち上がる。

 教室を出ようと扉の方を向いたその時、こちらへ一人の女子生徒が近づいてくるのに気が付いた。

 クラスメイトの女子だ。

 背が高く、起伏に富んだプロポーション。腰まで届きそうなほど長い髪が、歩く度にさらさらと棚引いている。それはもう、ただそこにいるだけで絵になってしまうような、そんな美少女がこちらへと険しい表情で接近してくる。

 何だろう。

 心なしか、僕に用があるみたいな顔をしている気がする。

「あ、あの……」

 鋭くも整った瞳に若干気圧されながら、どうにか口を開く。

 すると。

「えい」

 ぺた。

 彼女は僕の目の前までやってくると、鞄から紙切れのようなものを取り出して、あろうことか僕の額に貼り付けた。

「……」

「ええと……」

「……」

「何、これ?」

「……違うみたいね。失礼したわ」

 それだけ言うと彼女は踵を返し、そのまま教室を出て行った。

「何だったんだ、今のは……?」

 彼女が立ち去るのを呆然と見送ってから、しみじみと呟いた。

華良緋からひさん、どうしたのかな」

 一部始終を見ていた海がそんなことを言う。

「からひ?」

 文脈から察するに、それがあの女子の名前なのだろう。

 相変わらず、漢字表記が想像もつかない。聞き慣れない名字である。

「うん、プリンセス」

「プリンセス?」

 プリンセス、つまりお姫様。

 姫なら、うちにもいる。

 我が妹だ。

 しかしそれは単なる名前であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 今のまりんの言い方からするに、どうやらそういうことではないようなのだが……。

「おっ、早速俺の出番だな」

 朱里亜しゅりあがどんと胸を叩きながら僕の前に躍り出る。

「……うん?」

「言ったろ。女子のことなら俺に聞けってさ。あれは華良緋からひヴィラ――まあ、その通り、プリンセスだ」

 朱里亜しゅりあも彼女を差して、その言葉を用いた。

「で、プリンセスっていうのは?」

「え? プリンセスはプリンセスだろ? ええと……日本語で言えば、公女ってやつか」

「公女……」

 つまり、大公の娘。

 プリンセスというのはそのものずばり、お姫様。

 彼女は貴族だというのだろうか。

「そういうこと。この緋紗那ひしゃな県の長、大公様のご令嬢ってことだな」

「……待て待て、大公だって? 県のトップが、大公?」

 ここが一つの国であるというならまだしも、所詮は一地方自治体だ。県のトップは知事と相場が決まっている。頂点に大公が君臨しているとなれば、それは僕がこれまで抱いてきたこの国に関する世界観を揺るがしかねない情報である。

「……? そうだけど……。何かおかしいか?」

「いや……知事とかじゃ、ないのか?」

「んー、そういえば他の県じゃ、そうらしいな。でもこの県ではそうなんだよ。って、地理の授業で習わなかったか?」

「あ、そ、そういえば……そうだったような」

 口ではそう誤魔化してみたものの。

 ……そんなはずはない。

 僕は優等生とまではいかずとも、真ん中よりは遥かに上位の成績をキープしてきた。その程度の知識を身につけられないほどに、学業を疎かにしてはこなかった。

 やはり、僕と世界の間には、決定的な齟齬が横たわっているようだ。

 それはきっと、この県の秘密と関わっていることなのだ。

「この学校だってそうだぜ。……公立校だからな」

「え……」

 公立校。普通ならば、国や自治体によって運営される学校を指す。

「大公の名に於いて経営される学校――つまり、公立校ってわけだな」

「そう……なのか」

 他の国における、『王立』みたいな組織を考えれば一応理解はできる。『王』の部分を

 『大公』に置き換えてみると分かりやすい。

 ここは本当に日本なのか?

 この県には、僕の知らないことが多すぎる。

 情報が限られているとはいえ、車を走らせれば簡単に来ることができるはずの場所。どうやら電車だって通っているようだし、僅かながらも交流だってあるだろう。

 それなのに、こんな異常な事態に誰も気が付かないというのか。

 ……それとも、おかしいのは僕一人なのだろうか。

「そういえばこれ、何だろうね」

 そんなことを考えていると、まりんが僕の額に貼られたままになっていた紙切れをぺりっと剥がした。

「うーん、何だろう……? よく分かんないね」

 彼女が手にしているその紙切れには、何やら文字のようなものがびっしりと書き込まれている。中には何かの図形のようなものも見える。それはまるで――。

「お札……なんだろうか」

「そっか、お札かー。でも、何でお札? 何のお札?」

「さあねえ」

 違うみたいね、とか言っていたのも気になるが……。まあ、僕が今ここで一生懸命考えたところで答えが出るとも思えない。とりあえず今のところは忘れておこう。

「でもまあ、お姫様からの直々のプレゼントなんてなかなかレアだぜ。ありがたく受け取っておきなよ」

「すごいねー、王子くん」

「そりゃ、どうも……」

 何と言うか呑気な連中である。

 悪気はなさそうだから、そのアドバイスには従っておこう。

「ってそうだ、さっさと購買行かないと、めぼしいものもなくなっちまうぜ」

「そうだね、行こう行こう!」

 そんな二人に促され、僕はお札を大事に鞄にしまい込むと、昼食を確保するために歩き出した。

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