第26話 小さな手


 土曜日の朝。雨待ち風が通り過ぎていく。


 嵐が近づいている街は今はまだ静かで、これからの試練に備えて、じっと耐えているようだった。


 四ツ谷駅に向かって、Jは肩をすぼめながら階段を駆け降りていく。


 そこは地下鉄にはめずらしく開放感のある駅で、テニスをしている女子学生や🎾、グラウンドを囲む緑の森が見える。


 電車を待つ間、Jはベンチに座ることにした。


 端の椅子には先に男が座っていて、ひたすらキーボードを打ち込んでいる。

 まっすぐに前を向いていて、ブラインドタッチだった。


 彼は、楽しそうに笑いながら、指を動かしている。

 耳にはヘッドホンをあてていた。



 しばらくして、彼が白い杖を持っていることに、Jは気がついた。


 彼は全盲だ。

 何も見えていないようだ。


 —— いったい、なにが楽しいんだろうか?


 Jには、とても不思議だった。


 ——眼に映る全てのものが奪われた後の暗闇の中に、いったい、なにがあるというんだ ?


 それは、無の世界に違いなかった。


 だが全盲の男は、とても楽しそうに笑っていた。


 その姿は、Jには羨ましく思われた。


 電車の中に、つまらなさそうに詰め込まれている誰よりも、全盲の彼は人生を楽しんでいるように見える。


 —— ひょっとして、彼は電車に乗りそびれて、次に乗るタイミングを待っているのかも知れないな.....


 Jは、彼に声をかけるかどうか、考えはじめた。


 手を差し伸べて、彼が電車に乗るのを手伝ってあげようと思ったのだ。



 だが、その必要はすぐに無くなった。



 イイ匂いを漂わせながら、美しい女性がやって来て、彼らが居るベンチに座った。


「 待った ?」


 彼女が全盲の男に話しかけた。


 Jの頭の中は、混乱してきた。


 笑いながらラップトップに向かっていた全盲の男には、日常生活を助けてくれる、美しい彼女までいたのだ。


 Jは、彼を心配していた自分が、少しバカらしく感じられた。

 そしてベンチから立ちあがると、乗車の列にならんだ。


 ——まてよ⁉︎ 彼女は、ひょっとしたら......


 盲目の男性と待ち合わせていた女性は、たしかにJが以前つきあっていた彼女と似ていた。


 ——昔はもっと明るい色をした長い髪で、まさか違うとは思うけど......


 あの頃の彼女なら、まだ看護学校に通っていて、Jとはバイト先で出会ったのだった。


 2人とも若かったし、バタバタした生活で、なんとなく別れてしまった。



 乗車の列に並んでいるJの前には、見たことのない金髪のグラマラスな女性が立っている。


 やがて、電車が🚃ホームに滑り込んできた。


 ゾロゾロと車内に入ってから、Jは金髪の彼女がオカマだと気がついて、なんとか距離をとろうとするが、あいにく電車は混み合っていた。

 しばらく、仲良く一緒に電車に揺られることを覚悟しなければならなかった。


 Jの隣にいる別の男が振り向いた。


 天使の JJ だった。


 彼はイタズラ好きで、Jをいつもからかうのだ。


「さっきの全盲の彼が、気になるだろう?

 彼の彼女も可愛かったしなぁ。

 健常者があくせくしたって、あんなイイ娘はなかなか手に入らないさ。」


 —— その通りだ。


 Jは、心から全盲の男を羨ましく思っていた。



「 ふふっ.....

 お前は、彼のことをもっと知りたいと思っているんだろう?

 それなら、彼のことを教えてあげよう。」


 天使には👼、何だって可能だった。


 そしてJは、その全盲の男について、知ることになるのだった......


( 続く )












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