▽4

 吹き抜ける風をうすら寒く感じるのに、風が冷たい必要はないらしい。

 風はむしろほんのりと温かいが、辺りを囲む森の木々は幹は細いが高いところで葉をしげらせている。だからその影も薄く細く、見通しは悪くないのに、陰気な感じがどうしても離れない。

 そんな森が唐突に開けた一角に、妙な社が建てられていた。元は白木造りの、風雨にさらされたように全体灰色にくすんでいる高さ1メートルほどの小さな木造の社は、なぜか妙に、周りの景色から浮いて見える。


 降り積もった落ち葉を踏む音が、ようやくその広場にまでたどり着いた。

「ほんとだ、社がある…… じゃあ、これがシェインたちが探していた?」

「はい。昔この辺りに住み着いた、山を一呑みするという炎の大蛇。ときの鬼祓師が封印を施したという社に違いありません。使い手に炎の加護を与えるという『退魔杖』が奉納されているはずなのですが……」

 社まで駆け寄ると、右大臣はまわりをぐるぐる回りながら指さし尋ね、シェインは何やらもっともらしい顔で解説を続けている。

「あれが演技とか、どうしても思えないんだよな…… まあ、楽しそうで何よりってとこか」

 タオだって負けないくらい楽しそうに眺めているのを、レイナも同意するように笑みを深める。そんな二人組を交互に見ながら、エクスは尋ねた。

「結局、右大臣の目的ってはぐらかされたんだよね? そうすると、ここは何なの?」

「全部シェインが作ったやつだな。『退魔杖』とやらは耐火のオーブを組み込んだ『治癒の杖』だろ。あの社も、昨日妖精さんから買い取った素材をくみ上げた後、何かいろいろ塗りたくって仕上げたみたいだ。日頃の成果って、一体どこを目指してるんだか……」

 ため息をついたタオに気付いた右大臣が、少し照れたようにはにかんで、飛んで戻ってくる。

「お供えついでに、ここでお昼にしようと思うんだけど。焚き火の準備を手伝ってもらってもいいかな?」

「火の用意って…… 祀ってあるものを、わざわざ試すってことか?」

 右大臣は気軽に手を振って否定する。

「あはは、それはないよ。途中でたくさん栗を拾ったし、サツマイモならレイナが絶対持ってるはずだから焼き芋しようって、シェインがいうから」

「シェ~イ~ン~!」

 真っ赤になった顔を押さえたレイナが、地の底を這うような、おどろおどろしい声を絞り出して、走り出す。察したシェインと一緒に、2人はあっという間に広場から飛び出してしまった。


「ほんと、君たち仲が良いよねぇ」

 しみじみと呟く右大臣から顔をそむけるようにして、タオは音を立てずにのどの調子を整えた。

「しっかし、鬼祓師っつたか? 鬼退治の一族が退治したっていうなら、大蛇だって鬼が化けたものってことだよな」

「大蛇が鬼に化けたのかもしれないけれど、どっちにしても変化の術とか、物騒な話だよね」

 少しだけ、わざとらしく話題を振ったタオにエクスが答えると、振り向いた右大臣は考え込むように顎先をつまんでいた。

「……2人はさ。妖とか怪異って、手懐けられると思う?」

 返事がないことに気付くと、右大臣はようやく慌てて表情を緩めた。

「ああ、ええと。燃えてる大蛇なんて危ないものじゃなくてさ。おとなしくて力強い、利口な奴がいいんだけど……」

 顔を見合わせると、エクスが恐る恐る尋ねる。

「それは、馬の代わりに、という感じ?」

「そうそう。ついでに、舟の代わりにもなったりすると、うれしいかなって……」

 タオが顔をしかめながらも、一応辺りに気を配ってみせる。

「人を乗せて空飛べるような奴ってことか? そんな物騒な伝承がこの辺にあるのか?」

「え、物騒? そうかな…… そうなの?」

 思わず吹いた右大臣が、改めて不安そうにエクスに問えば、エクスもうなずくことしかできない。

「そういう風には考えたことなかったんだけど…… でもさ、ひねずみ探す方が簡単な気がするくらい、雲をつかむような話でしょ? だから昨晩は、さすがにちょっと言いづらくてさ……」

 ごめんね、と右大臣はあえて笑ってみせているのがあからさまだった。ずっと難しい顔をしていたタオは、大きく息をついてからうなり始めた。

「いろんな鬼は見たことあるけどな。……空飛ぶ奴はいなかったと思う」

 言葉少なに振られたエクスは、慌てながらも言葉を継ぐ。

「この前、人の言葉を話せる不死鳥に会ったんだけど。彼はプライド高そうだし、そもそも羽毛が燃えてたから……」

「まあ、乗るとか運ぶとか、絶対無理だな」

 道具はどうだ、それこそここにはないんじゃない、などというやり取りを、しばらく呆然と見ていた右大臣だったが。ふいに後ろを向いて、ちょっと目元を拭ったりしている。


 右大臣が偶然それを見つけたのと、広場を挟んで反対側からレイナと、たきぎを抱えさせられたシェインが広場に戻ってきたのは同時だった。

「ちょっとあなたたち。いい加減にこっちの手伝いを……」

「ねえ。……見たことないのに、なんかよく知ってるようなのがいるんだけど。……た、立った?!」

 かなり大きな犬くらいの大きさの、全身短く白い毛を生やした四つ足の獣が、いつの間にか広場と林の境目に現れていた。後ろ脚だけで起き上がると、頭から生える、やはり白い毛に覆われた何かが揺れる。それは角のように尖っていて、だが膨らんでいる部分はどちらかというとウサギの耳のように柔らかそうだ。

 だが、前足からぞるりと伸びた爪は灼熱に波打つ緋色、見開いた瞳は深紅に染まり、まくれ上がった口元には鈍色の肉斬りの刃が乱雑に並んでいる。

「あれ? ボクはひねずみかなって思ったんだけど……?」

 ちょっと甲高い咆哮に迫力はなかったが、頭を振り上げてから何かを吐き出すように口を開く動作に、皆が一斉に動き出した。

「右大臣、避けて!」

 エクスが右大臣に飛びついた時には、もう鎧をまとったハインリヒがその前に立ちはだかり、鉄帯を振りかぶっていた。

「シェイン、お嬢! お前たちも早くこっちに来い!」

 白獣の顔に巻き付いた鉄帯が、釣り上げたようにその身体ごと引き寄せる。その間に閉じた口から炎が噴き出し、あっというまに体全体を煙とかえながらしぼんでいく。戻ってきた鉄帯には、ただ球状のきらびやかな石しか残っていない。

「小さくても竜種、とんでもない威力だな」

「自滅してたら世話ないけれど」

 一直線に向かってきたレイナとシェインは、3人を追い越して走る抜ける。その後ろ、広場の奥からはぞくぞくと、白獣が湧き出して、さかんに威嚇の咆哮を上げ始めていた。

「タオ兄も新入りさんも、何遊んでいるんです! 場所が悪すぎます、まずは森の外まで戦略的撤退です!」

「竜種? ……じゃあこれって、もしかして本物の『りゅうのくびたま』?」

 3人が3人とも、身体を強張らせて足を止めたものの。すぐに地を蹴る足音に気が付くと、レイナたちの後を追いかけた。

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