▽5
枯山水に鹿威しの少し滑稽で軽薄な音が響く。
開け放たれた広間の先、遠くを囲う漆喰の壁の外はすでに宵闇に沈んでいた。幾重にも折れた回廊の角に吊るされた灯篭が、秋の涼風にわずかに揺れている。
「右大臣さんが受けたというかぐや姫の無理難題ですが。『ひねずみのかわごろも』というのはフェイクで、実は『りゅうのくびたま』が本命だったのでは?」
「さすがにそれはないと思うよ、ヴィランが落とした属性石には興味ないみたいだったし。でも空を飛ぶ乗り物には興味津々だったから…… あの辺りにそういう伝承があったってことなのかな」
宵闇に沈もうとしている屋敷の一角、1つだけ明かりの灯った広間には宴が供されていた。個人ごとに膳がいくつも設えられ、舟に盛られた鯛や平目の活け造り、小さな火鉢には焼き物の数々、部屋の隅に切られた囲炉裏には素朴な味噌が香る鍋まで用意されている。
「竜種のヴィランも、その物語に引き寄せられたってことか。……そういうものなのか、お嬢?」
すっかりを箸を止めて腕を組むタオの隣では、レイナは機嫌よく、何の遠慮もせずに舌鼓を打っていた。
「さすが都随一の料亭よね。どれも目移りするくらいきれいだし、見たことない食材ばかりだし、それなのに何食べてもおいしいし」
「姉御は本当にぶれませんね……」
熱くて取り落しそうになった茶碗蒸しを、小さな匙で掬って口に運ぶレイナは、ゆっくりと味わってからその匙でシェインを指す。
「調律のことまで話した右大臣に、待っていてくれと頼まれたんだもの。それを信じたのだから、滅多にないおもてなしは受けない理由がないじゃない?」
「それはそうだけど……」
途中で口ごもったエクスが襖を隔てた先に聞こえた衣擦れに身構えると、それから急に辺りを見回して愕然とする。
「もうしばらく前から人の気配は引いてしまったし、虫の音だって静まってしまっていたわよ? いえ、もしかしたら話が終わるのを待っていてくれたか、しびれを切らしたのかもしれないけれど……」
廊下から喉の奥で笑うような、人を小ばかにする雰囲気がにじみ出たのは一瞬のこと。取り澄ました声だけが襖の隙間からそっと入り込んでくる。
「相談はお済みでしょうかですか? 話を聞きたい方がいるとお聞きしまして、ご挨拶に伺いました」
「人違いじゃないか、俺たちは右大臣を待ってるだけだが…… あんた誰だ?」
「今はなよ竹のかぐや姫とよばれております」
相手の驚きを一切なおざりに、若草色を基調とした着物姿の女性が入り込んでくる。かさね色目は萌黄の匂い。深い藍色の髪は夜空の深淵。匂い立つ色香をにじませながら、その姿かたち、特に瞳には潤いというものが欠片も存在しない。
湯呑を置こうとしていたレイナが、音を立てて一口飲んでからはっきりとにらみつけた。
「かぐや姫は当年とって15歳の姫君と聞いていたのだけれど? サバを読むにも限界というものがあるのではないかしら?」
「ちょっとレイナ?」
喉の奥で明らかに笑いをこらえ、女性はそれでも優雅な仕草で扇を開いて口元を隠す。
「おやおや。初対面の女性に向かってそのような態度。妙齢の姫君のなさることではないのではなくて?」
「初対面には違いないわよね? 随分と女装が板についたようだけど、もしかして本気の趣味にでもしてしまったのかしら?」
2人の応酬には誰も口出しできずにいたが、ついに女性の口から笑い声がこぼれると、3人ともが空白の書を引き寄せていた。
「クフフフ。向こう見ずと勇ましさは別物ですが、右大臣には随分とまぶしく映ったようだ。正論を話しただけなのでしょう? あなたが本当に正しいとしても、それが正しく受け入れられるとは限らない」
持ち替えた扇が書物に変わると、そこには冷ややかに一行を流し見る黒衣の男が立っていた。顔を覆う仮面を押さえながら、甲高い笑い声で喉を震わせる。
「ロキ! てんめぇ、ここであったが100年目!」
タオが踏み出す素振りを見せる前に、その手首によく見覚えのある鉄帯のみを顕現させて、振り子のように揺らしてみせる。
「いけませんね。つい興が乗りそうになってしまいます……」
ロキはあえて冷ややかな笑みを作り直して、口調を改めた。
「この想区に空白の書の持ち主はいません。それが分かったので、私はそろそろお暇させていただくことにしました」
「野郎、逃げるのか?!」
「解釈はご自由に。私はここで想区の崩壊に巻き込まれるわけにはいきませんし、あなた方を見殺しにしたとなれば我が主が悲しむでしょう。ですからまあ、最後に挨拶くらいはしておこうと思った次第でして」
軽く眉をひそめながら、軽薄な笑みを唇に浮かべる。
「この想区はもうすぐヴィランで埋め尽くされます。あなた方もこの想区からさっさと離れることをお勧めいたしますが…… 調律なさりたいなら、どうぞご自由に。お強いあなた方だ、万が一にも負けることなどありはしないでしょうが…… せいぜい気を付けるといいのでは?」
幾度か鉄帯を鳴らすだけで、ロキは相手の踏み込みを牽制してのけた。その間に言いたいことを言い終えると、鉄帯を後ろに放り投げるようにして手を空ける。
「ロキ、右大臣に何を吹き込んだんだ?」
「私は、別に何も。あなた方の正論に絶望したのだと思いますよ? まあ私は同情するつもりもありませんが、その資格もないでしょうし。そして、それが正しいと思っています」
空けたのとは反対の手に握ったマントを振るうと、闇色の剣戟がはじけた。タオとシェインが仕掛けた2方向から鉄帯と火球が、刃の乱舞にかき消される。ずたずたに舞う襖や畳の切れ端の奥から、かすかに聞こえていた笑い声は闇にまぎれて溶けた。
「ロキの野郎、ファントムとかはまりすぎだろ」
タオは毒づくが、拳を打ち合わせて切り替えた。
「あの人も相当焦っていたみたいですね。時間はあんまりないと見たほうが良いようです」
言葉少なにうなずき合うと、4人は部屋を駆けだした。
料亭から飛び出ると、宵闇にはそこかしこに明かりが浮かんでいる。だが提灯や灯篭に揺れる炎以外何1つ、動くものも、音を立てるものすらなかった。屋台を覗けば皿や箸の類は並べてあるのに、そこに盛られる食べものは鍋の中まで空っぽだ。
「なあ、シェイン。昼間はここ、ちゃんとした都だったよな?」
レイナは顔を真っ青にして口を押えているが、誰も気遣う余裕がない。
「風も凪いでしまったようですが…… 水音もしないというのは変です」
「結構大きな川だったよね。……手分けするのは危険かな」
「どこを探せばいいかもわからねえんだ、まずは偵察を兼ねて情報収集、その先のことはあとで考えようぜ!」
「わかった」
碁盤の目のように整理された、まるで箱庭のように現実感のない通りを2つ抜けると、人ひとり分くらい下がったところに川べりが整えられていて、さらにその奥は右大臣が乗っていた小舟が10艘は並べそうな大きな川があった。そこに何かが満たされてはいるのだが、わずかに上下するだけで流れる気配はない。
「なあ、これ。……嘘だろ、どこからどこまで」
川があった場所から顔を上げたタオは、川上と川下に目を凝らして首を振った。
「ヴィランですね。それももう、融合だか癒着だか分かりませんが、1つの大きな化け物になろうとしているような……」
不気味な脈動が、川面だったところを震わせた。川下の方で何かを柔らかいものを地面から引きはがすような音が這い上がってきて、それを追って遠くの方で轟音が爆発した。
「とんでもねえ…… 今うっすら、空に影が映ったぞ?」
「遠すぎて音しか届かないとか、どんだけ規格外なんですか……」
「ってちょっと、エクス!」
「そんなに遠くまで行ってるわけがない、だから僕は川上に行ってみる! みんなは何かわかったら合図して!」
襟首を捕まえようとしてからぶった手を見つめて、タオは結局は怒鳴る前に小さく息を吐いてしまった。
「……何かって何だろうな、シェイン?」
「まだ合流してなかったヴィランがいた場所、とかでしょうか?」
少し川下に掛かった橋の上から、川面に次々と飛び降り始めるヴィランの一団が見えた。その奥には昼間の内に表を通った、かぐや姫の屋敷があったはずだ。
「とっても罠っぽい気がするんだけど?」
「それも少ない手がかり、ってな。罠ならさっさと食い破って、エクスに教えてやらないとな!」
3人は運命の書を構えて走り出した。
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