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宵闇に沈む松の林に、潮風が吹き寄せた。磯の香りは、すぐにかすかな苦みを感じさせる匂いが入り混じる。松の葉を揺らす風は涼やかで、穏やかな秋の気配を含んでいた。
不意に、わだかまる影が人の形を取り、砂交じりの地面を歩き始めた。
「お、どうやら次の想区に到着したみてえだな。ってまたこんな人里離れた、しかも砂浜かよ」
先頭を歩いていた大柄な青年が林を見渡し空を見上げると、腹に手を当ててつつ肩を落とした。
「あのね、タオ。別に狙ってないけど、いきなり現れたとこ人に見つかって大騒ぎされるよりいいじゃない。それに小さな林が視界をふさいでいるだけで、ひょっこり民家が建ってたりするものよ?」
小柄な少女が小走りに回り込んで食って掛かると、タオは鼻で笑ってから少女に向かって指を突き付けようとした。
「やめなよ、タオもレイナも。みんな疲れてるし、僕もお腹空いたけど。ほら、上を見てみなよ」
空にはかすかにかかる秋の薄雲も、満天の星も、何もかも照らし出すように青白く輝く月が中ほどまで昇って、こちらを見下ろしている。
「お団子でも食べながらさ、ちょっと砂浜歩こうよ。もしかしたら同じようにお月見している人に会うかもしれないし、こんな砂浜が続いているなら、海水浴客目当ての民宿くらいあるかもしれないしさ」
少年の正当な意見よりなにより、その笑顔に毒気を抜かれた2人を、けたけたという笑い声が追い打った。
「新入りさんもやりますね。その手際の良さに免じて、ここはシェイン印のきびだんごを進呈いたしましょう」
腰から下げた袋を両手に広げると、きちんと丸めた上に真ん中をほんの少しくぼみをつけた、本格的な月見団子が鎮座している。
荷物から団子を探し出せなかったエクスも含め、3人は照れながら団子を1つずつ取ってほおばる。両手が塞がるシェインにはタオが放りこんでやりながら、そのまま波打ち際に向かって歩いていった。
林の切れ目を下っていくと、白い砂浜が姿を現した。柔らかく細かい白砂に足を取られながら進むと、とっくに闇に沈んでいるはずの海の底が月の光を揺らめかせて迎えてくれる。眠る魚さえ見通せる海は、ずいぶんと沖まで遠浅に広く、凪いでいるように波も小さい。けれども外海や遠くにかすむ岬に打ち寄せているのだろう潮騒は、遠くから静かに、それでも力強いと分かる音を伝えている。
「宴会の騒ぎどころか、夕餉の煙なんかも皆目見当たらないが…… こういう静かな海も悪くないな」
タオは大きく伸びをして、潮の香を胸いっぱいに吸い込む。
「事情を知っていそうな人どころか、猫一匹見当たりませんし。まあそうですね、いまわかるのは、見えるところに鬼ヶ島はない、くらいですか」
何かを探すように空を見上げていたシェインが、鼻を引くつかせて、それから辺りを見回す。
「さて。姉御、そろそろ一休みしておくべきです。野宿は確定ですが、温泉を付けられるかもです。水場を探すなら少し戻って陸の方を探したほうがよさそうですが、風上から硫黄の、つまり温泉の気配が」
「じゃあ温泉ね。こっち?」
団子を頬張った口を押えながら、間髪入れずに歩き出す。
「ちょっと待って、レイナ」
「何よ。風上くらい分かるし、飲み水はたっぷりあるでしょう? 潮の香りは好きだけど、寝る前に流さないとべたべたするの、あなたも知って……」
エクスが口元に指を立てるのに気付いて、レイナも口をつぐんで辺りを見回す。
「なに? ヴィランでも見つけた?」
「いや、人の声が聞こえた気がしたんだけど……」
まだはっきりとは聞き取れないのだが、何やら間延びした、言い争うような、でも一方的な1人分の声が、確かに近づいてくるような気がする。けれどもやっぱり、辺りを見回しても近づく影、足音、そういった人の気配は砂浜にはない。
ふと沖をみやったシェインが動きを止め、目をこすりこすり、首を振る。
「えー、沖の方から小舟が突っ込んできます。ヴィランが取り付いてますけど…… 水面走りながら、小舟押してますね」
シェインが指さした先から、川渡しにでも使うような小さな舟が、白波を蹴立てて向かってくる。そこでさらに勢いを増した船の上では、櫂を振り上げていた小さな影が思いっきり体勢を崩して、櫂を波間に放り出してしまった。
「こここ、こんちくしょー!」
顔を真っ赤に癇癪を起す子供が浮かぶ、まさにかわいらしくもほほえましい、怒鳴り声が船から続く。
「ええい、お前らボクが右大臣と知っての狼藉か! 邪魔立てするな、放せ! 放さないと…… ええと、こういう時はなんて言えばいいんだっけ?!」
水干に緋袴のような服装はまるで巫女のように見えなくもないが、ずり落ちそうでも頭にかぶった烏帽子が、シルエットだけでもその子を偉そうに見せているから、なかなか不思議なことこの上ない。
「ええと。本当にあんなとこに放置されたら、どうするつもりでしょうね?」
「……遠浅だからな。泳げなくても…… いやまずい、あの勢いだと船底こするって程度じゃすまないぞ」
タオが走り出す前に、エクスはもう飛び出している。
「まったく、なんか似てると思って出遅れた! シェインとお嬢はけが人に備えててくれ!」
「奇遇ですね、シェインも反省してます」
同時にちらりとレイナを見ると、レイナの方は顔をさっと紅潮させる。
「ちょ?! いくらなんでもあんなのと一緒にしないでよ! エクスもなんとか、エクス?!」
船底が砂地を斬って、そのまま滑り始めると思われたのはほんの一瞬。
舳が砂浜と衝突すると、砂地をえぐり込む鈍い衝撃と、その衝撃に耐えきれずに舟はあちこち砕けていく。その断末魔に弾き出されるように、乗っていた右大臣は宙を舞った。
「うえっ?!」
「エクス、滑りこめ!」
右大臣は受け身も何もできず固まったまま、背中から波打ち際に落ちる寸前をエクスが掬い取った。膝まで水に浸かった足を踏ん張り止まると、もうその正面ではヴィランが爪を振りかぶっている。
「よくやった! まずその坊主をうしろに預けてきな。ま、すぐ蹴散らしてやるさ、戻ってくる必要はないぜ!」
タオが栞を挟み終えた本を振りかぶると、それは長大な鋼鉄の斧槍となる。回転させながら見得を切って両足をつく間にも、小柄なヴィランはその刃や石突だけでなく、持ち手を除いたの柄の部分を器用に操り、一度に数体もの相手を弾き飛ばしていく。
鋼鉄の鎧をまとい終えたタオは、もうその時点でヴィランを全て海に向かって弾き飛ばしていた。その幾体かは空で煙となって消えたが、残りも海に沈んで浮いてこない。
「ま、こんな雑魚に手間取る訳にはいかねえよな、ハインリヒ?」
鉄帯を使うまでもなく一掃したタオは、その不退転の意思を宿した鎧に手甲を打ち合わせ、礼を取るようにしてから武装を解いた。
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