その5
毎朝散歩していてラジオ体操の音が町の中でいつの間にかしなくなったなと思ったら、知らないうちに学校が始まっていた。そうだよな。九月に入ってもう何日も経っているしな。アルバイターにはどうでも良い話だが。
朝夕涼しくなってきたけど昼はまだまだ暑い。あんまり暑いからセミの鳴き声も心なしか元気がないように聞こえる、って死ぬ間際なのかもしれない。
セミはまだいい。いや、セミの声がするのはまだいい。問題は蚊柱だ。最近散歩をしていると、いくつもの蚊柱に遭遇する。あの中に突入してしまうと、なぜか彼奴等はこの僕に付きまといながら飛び続けるんだ。なんなんだあいつらは。僕にあいつらの好みの臭いでもついているとでもいうのだろうか。蚊柱とは言っても血を吸われるわけではないからその点は心配ないのだが…。あいつらの嫌いな臭いでも身に纏って散歩するしかないのかもしれない。
「何かすっきりした感じですね。」
「まだ無我の境地までは到達できませんが、ベリタスの世界を受け入れることでなんとなくですが、胸のもやもやが取れたような気はします。」
「そうですか。それは良かった。」
先生は優しい顔つきになった。まあ、それはそれとして。
「魂が存在しないとなると、幽霊はいないということになりますね。」
「そういうことになりますね。」
子供の頃こっくりさんやっていたことを思い出した。こっくりさんやると変な霊に付き纏われるなんてことを言われていた。ほんのチョッピリ、本当にほんのチョッピリだが信じていたんだが、幽霊なんていないという話なら助かる。
「魂というのは記憶とベリタスの通信ですから無いものは無いとしか言いようがありませんね。」
反発する人が一杯いそうだ。八百井さんとか仁良崎さんとか明山さんとか。逆に大附教授には是が非でも聞いてもらいたい。間違いなく喜びそうな気がする。まあその前にベリタスの存在を認めるかどうかだが。
「でも、幽霊を見たとかそういう話は聞きますよね。例えば東日本大震災の後に震災で亡くなった人の霊をタクシーに乗せたなんていう運転手の体験談もあります。」
東北のどっかの大学の学生が体験談の聞き取り調査した、なんていうのが新聞に載ってたことあったし。
「人間が見ている、聞いていると思っているのはいろいろな情報を脳で処理した結果です。要するに人間の記憶とベリタスの通信の結果、脳の中で幻が作られたということです。」
幻?魂が存在しないならそういう結論になるがそれにしても。
「以前お話しした通り、人が死ぬと記憶の一部はベリタスに蓄積されます。一部と言いましたが全部かもしれません。とにかく死んだあと、生きていた頃の記憶は人間本体とベリタス両方に存在するということです。日本では遺体は火葬されますから、記憶が残るのはベリタスにだけということになりますね。ベリタスの記憶と通信することで幻が作られると考えられます。」
そうなのか?そう言えば外国では火葬せずにそのまま埋葬するところもある。そういうところは死体に記憶が残っているんだろうか。ベリタス説だとそういうことなんだろうな。
「以前、ドレスの色を『白と金』なのか『青と黒』なのかで話題になったことがありましたが、覚えていらっしゃいますか。」
「あ~、ありました、ありました。」
何年前になるだろう。…そうそう。イギリスで母親がドレスの画像ファイルを娘に送って一騒動あったというあれ。娘は「白と金」だと思ったのだが、母親に確認したら「青と黒」だったという話は世界的に結構話題になり、テレビでも取り上げられていたっけ。
「あれは錯覚の一種でしたが、私達の脳は入ってきた情報によっては、実態とは違う処理をしてしまうことがあります。つまり、幽霊というのもベリタスとの通信による一種の錯覚であるとも言えるのではないでしょうか。」
そうか、そう言われればそういう気もしてきたな。
「あの、あれ、ポルターガイスト現象とか、ラップ音とかはどう説明できますか。」
僕も結構オカルト好きだ。思わず聞いてしまった。
「その現象が本当にあるという前提で、ですが。」
えっ?説明できるのか?
「物理学の説明になってしまいますから、今は省略しますが、ベリタスにより磁力が発生し引き起こされた現象ということは言えると思います。」
「ベリタスが磁力を生み出すということですか?」
「正確には違いますが、まあ、そう言っても構いません。」
驚いた。本当ならベリタス最強だな。
「あれはどうですか。あの、臨死体験とか。」
お花畑にいたとか、温かい感覚があったとか。
「死なない限りベリタスとの通信は続いています。ですから、ある意味で無我の境地に至っていたと考えたほうが良いでしょう。無我の境地に至ってもベリタスとの通信は続いています。そうすると自分自身の中の記憶ではなくベリタス内の記憶とつながっている可能性もあります。それが臨死体験となっているのではないかと考えます。」
「自分の姿を上から見下ろしていたとか、空を飛んでいたという話もありますが。」
「ベリタスは生命体だけではなく全ての物質と通信していますから、空気との通信を見ている可能性はありますね。」
「あの~、正夢とか、死んだおばあちゃんが夢枕に立ったとかいう話がありますが。」
「正夢…ですか。」
僕はそんな経験無い。ばあちゃん死んだ時でも全然夢枕立ってくれなかったし。
「人は一晩に数回夢を見ていると言われています。」
……?
「家族、親戚、友人などの知り合いが夢に出てくる確率は高いと思われます。大体十パーセントくらいにしておきましょうか。」
「そうですね。」
「佐藤さんが八十歳まで生きられたとして、その間に知り合いの方がなくなる確率は…まあ、仮に五十パーセントとしておきましょうか。」
五十パーセント…もっと高そうだが。
「その間に佐藤さんは、え~、今二十五歳くらいですか?」
「二十四です。」
そう言えば歳聞かれたことなかったな。
「五十六掛ける三百六十五で大体二万は超えますね。そして一晩に四回夢を見ているとして八万回。」
八万回!八万回も夢を見るって!
「知り合いの人が夢に出る確率は十パーセントでしたから八千回。佐藤さんの御知り合いの方が五十六年の間に半分くらいは亡くなっていますから、その間に見た夢で、その夢の中に出てきた人の訃報を一週間以内に聞く確率は結構高くなると思いませんか?」
…………。
「それを後で考えて、あれは正夢だったんだなと結論付けてしまっているんじゃないでしょうか。」
う~む。夢に振り回されるなんてバカみたいな話だな。
「佐藤さん。正夢は別にして、とんでもない夢を見ることはありませんか?」
えっ?藪から棒だな。
「えっと~、そうですね。急にモテモテになる夢とか、何かしらの動物と戦う夢とか、なんでこんな夢見るんだろうと思います。」
「私もよく見ます。」
「えっ?どんな夢ですか?」
「……企業秘密ですよ。」
ん~……。どう返していいのか。先生時々訳の分からん事を言う。
「変な夢を見る…。不思議じゃありませんか。深層心理が夢に現れるなどとまことしやかに言われていますが、果たしてそうでしょうか。佐藤さんは動物と戦いたいですか?」
「いやあ~、特に好きってわけじゃないですが、かと言って敵対心を持ったこともありませんから戦う理由もないです。」
はっきり言って、動物は好きでも嫌いでもない。つまり興味が無い。恋愛関係で言ったら最悪のパターンだ。
「それなのに動物と戦う夢を見るのはおかしいとは思いませんか。」
「そこまで考えたことはありませんでしたが、そう言えばそうですね。」
確かに、興味のない動物の事を夢に見るのはおかしい。しかも戦うなんて。動物と戦わないにしても、見たことのない女子高生に付き纏われたり、一段が一メートル以上あるんじゃないかと思われる階段を永遠と登ったり、ホント夢って意味分かんね。
「これは推測ですが、人は寝ている間にベリタスに入り込んでいる可能性がるんじゃないかと思っています。」
「入っている?」
「生命体とベリタスが通信しているということはお話ししましたが、生命体は寝ている間に、所謂『無我の境地』に達していて、ベリタスに蓄積されている記憶に触れている可能性があるのではないかと思っています。」
へぇ?
「つまり、他の生命体の記憶を夢として見ている可能性があるということです。先程の正夢の話にもつながりますが、枕元に死んだ人が立ったというのも、もしかするとベリタスとの通信の結果とも言えなくもないと思います。」
「じゃあ…。」
「はい、正夢も全く無い、とは言えないかもしれません。」
先生何でもかんでも「そんなものは無い!」っていうんじゃないんだな。
「ひとつ言いたいことがあります。」
おっ、顔が少し険しくなった。
「夢占いも含めてですが…。」
おぉ?
「自称霊能力者、或いは霊能力者と呼ばれる人がいます。この人たちは自分の霊能力と言われる力を使って人の悩みを解決する見返りにお金を受け取っています。これをエンターテインメントとして見るならば正当な報酬なのでしょうが、一部では『前世が悪い』とか『先祖の行いが悪かった』『動物の霊がついている』などと、全く本人の責任ではないところで相談者を脅しているわけです。そして、『毎日お祈りしなさい』、酷いのになると怪しげな商品を売りつけるという卑劣な行為をしている人もいます。」
相当に怒っているな。
「本当に霊能力があるのならば自分の利益ではなく人の為に使うべきなのです。」
まあ、でも、いくら霊能力者でもやっぱ儲けたいよな。
「例えば海外だと、警察に協力する霊能力者などもいますが、解決できないことが多いようです。これで本当に霊能力があると言えるのでしょうか。もしも霊能力者の力が本物ならばもっと多くの事件を解決できているはずです。日本でも霊能力者が事件を解決したなどという話は全く聞いたことがありません。人の相談に乗るくらいなら犬でもできます。」
オイオイ、犬は言い過ぎだろう。
「つまり、霊能力者などという人は、本人の勘違いか、悪く言えば詐欺師だということです。」
…詐欺師。先生厳しい。
「このままだと天国に行けない、地獄に落ちるなどと言っているようですが心配することはありません。天国、地獄、死後の世界、神、これは全てベリタスの事だからです。」
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