第14話 最低な相棒契約(下)

「さて、今回おの仕事で重要な約束事があったのは覚えているかしら?」

 インクとゼルの前に立ったテレサは、笑顔で鞄から何かを取り出す。

 ただ、その表情は全く目が笑っていない。

 インクとゼルは思わず唾を飲み込んだ。

「……何だったかな?」

 ぎこちなくそっぽを向く二人。

 テレサは取り出した紙を二人の眼前に突き付けた。

「遺跡を破壊した際には、賠償金を払って貰う! この契約書にきちんと書いてあるし、サインもしてるわよね?」

『……』

 逃げ道のない証拠を見せられた二人は口をつぐんでしまう。

「少々の事なら目を瞑ろうかと思っていたけど、全壊だなんて夢にも思っていなかったわ」

「……全壊なのは俺達のせいじゃないだろ」

 大袈裟なため息をするテレサにインクがボソリと呟く。

「何か言いました?」

「何でもないデス」

 インクの文句を笑顔の一睨みで黙らせる。

「そうだぜ。オレ様には責任はないぞ」

 ここに来て、ゼルは全責任をインクへ押し付けようとし始めた。

「――てめぇ、ふざけんなよ!」

 ゼルの魂胆を素早く察知したインクが目を見開く。

「大体そこのボンクラ猫が鍵の力で建物を囲えば良かったんだ。そうすりゃ、被害も最小限で済んだだろ?」

「今更そんなこと言うな、ボケネズミ! 先に言えよ!」

「頭を使えよ! プロだろ!」

「あの状況でそんなこと考えてる余裕があるか!」

「うるせぇ! 音響システムだけ器用に破壊しやがって! 時間があれば、マシな対策も立てられただろうにさ!」

「知らねぇよ! こっちはワケわからん光に穴だらけにされかかったんだよ!」

「あー言えばこー言うな、てめぇは!」

「どの口がほざいてんだよ!」

 醜い口喧嘩を始めたインクとゼルがお互いに歯を剥き出し合う。

「黙りなさい!」

 テレサの一喝が二人に炸裂する。

 低次元な舌戦は泥試合と化す前に、あっさりと終了させられた。

「結果として遺跡は全壊した。この事実だけは変わらないわよね。違うかしら?」

「いや……」

「でも……」

 何とか言い返そうとモゴモゴするインクとゼルへ、

「この仕事はお二人の名前で契約しているの! サインをしている以上、全責任は二人にあります!」

『……』

 テレサが言い放った言葉に、インクとゼルの口が完全に封じられる。

「一応念のために用意していたけど、まさか使うことになるとはね」

 不気味な黒い笑みを浮かべて、再びテレサが鞄に手を入れる。

「……何を」

 テレサの笑みに寒気を覚えて、インクがおそるおそる尋ねる。

「遺跡全壊の責任を取ってもらわないとね」

 テレサの手に持たれた新たな契約書。

 それを見たインクとゼルの全身から血の気がサーと引いた。

「……ちなみに、お幾らぐらいで?」

「二千万リルは下らないわよ」

「……」

 報酬額の十倍という、国家予算を遥かに上回る金額。

 それを数秒遅れて頭が認識した途端、インクは白目を剥いてしまう。

「……死んでも返済不能だろ、ソレ」

「こっちだってこんな金額背負えないもの。研究室どころか、大学まで潰れてしまうわ」

「ちょっと待て! その契約主誰だよ?」

「国に決まってるでしょ。鼻持ちならないお上に必死で頭を下げこんで、なんとか土地の使用許可を貰ったのよ。余計な責任なんて背負ってられないわ!」

「……国家が相手かよ」

 放心状態のインクの肩にテレサがそっと手を置く。

「――さぁ、そういう訳で、サインしてもらうわよ」

「――ヒッ、ヒイイイイイイッ!」

 テレサの暗黒の笑みを見て、インクは情けない悲鳴を上げてしまう。

 何とか逃げようとするが、未だ体力が回復しない身体では立つことすらままならならい。

 芋虫のようにもがくしか出来ず、テレサの腕力で簡単に引きずり戻されてしまった。

「お、俺はサインしないぞ!」

「フフフ、問題無いわ。手形でも十分だから」

 必死に抵抗するインクにテレサは赤いインキを手にする。

「いい加減、腹を決めなさい」

 ――べちゃ。

 恐怖で震え上がるインクの手に、何か冷たい物が付いた感触があった。

 恐る恐る目を落とすと、インキで真っ赤に染まった自らの手が視界に映る。

「……は……はぁあああああ!」

 思わず口から出てきた上擦った声と共に、カタカタと震えながら視線を戻す。

 その目と鼻の先にはゆっくりと迫り来る契約書があった。

「……や、止めろおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 インクの悲痛な断末魔が木霊した。


「さーて。オレ様は一足先にお暇させてもらうか」

 遠目からインクの様子を見ていたゼルは、無関係を装って姿を眩ませようとした。

 ――のだが。

 ガシッと、その襟首を何かが鷲掴みにした。

「……え?」

 建付けの悪い扉のように振り返ったゼルの目に、ニコニコと満面の笑みを浮かべたニアが映る。

「ゼ~ル~? どこに行くのかしら?」

 無機質な目のまま、口角だけを大きく釣り上げる。

「……いや~、その、なんだ……そう、今昼前だろ? 町で評判のランチが始まるのを思い出したんだ。早く行かないと品切れになってしまうぜ!」

「……なんで素通りしただけの町の情報を知ってるの?」

「……テレサに聞いたんだ」

 ゼルの言葉を耳にしたニアの頬がピクリと引きつる。

 笑顔から一転して不機嫌な表情に変わり、頬を膨らませる。

「……ふーん。テレサさんがね」

 目をスッと細める。

「会って間もない女性とはそんな楽しそうな話が出来るのに、私からはいつもいつも逃げようとするんだ。ふーん。へー」

 口を尖らせて、ブツブツと呟く。

 やべぇ、とゼルはさっきの発言が藪蛇になってしまったとおのおく。

 ニアの意識が若干逸れている今しか逃げれるチャンスがない。

 そう思ったゼルはニアの手を振り解いて逃亡を試みようとした。

 だが、ニアがそんな行動を見過ごすわけがなかった。

 ゼルが逃げようと動くよりも早く、カマキリのようにゼルを懐へと引き摺り込んだ。

「――逃がさないわよ」

「ヒィィイイッ! ニア、話を聞け! 今は遊んでる場合じゃねぇ!」

 ゼルは腹の底に響く低い声で囁くニアにビビりながらも、哀れな得物のようにバタバタともがく。

「そんな事言って、また隙を見て逃げ出すんでしょ? 今度こそ逃がさないんだからね!」

「今回は違ぇよ! いいから放してくれ! 頼む!」

 引きつった顔でニアに懇願しながら、テレサをチラ見する。

 その目に一際大きな悲鳴を上げたインクが、力なく仰向けに崩れ落ちる姿が映った。

 それと一緒に、血走った眼のテレサと目が合う。

「さぁ、ゼルナルドさんも覚悟はいいわよね?」

 禍々しい笑みを浮かべたテレサがゼルへゆっくりと近づいて来る。

 べっとりと赤い手形が付いた契約書と赤インキが入った容器を携えて。

「よせっ! オレ様に近寄るな!」

 じわじわと距離が詰まって来るテレサから少しでも離れようと、ニアの腕の中で必死に暴れる。

 だが、ニアにしっかりとホールドされて一歩もその場から動けなかった。


 そして――

 ゼルの無残な悲鳴とべちょりという生々しい音が辺りに響き渡る中、法外な賠償金の契約が滞りなく締結されたのだった。






 翌日、共に生気が抜けた顔付きのインクとゼルは、テレサの荷物を抱えて改札口前に立っていた。

 テレサは改札口で切符を見せると、

「ここまででいいわよ」

 それだけ言って二人から荷物を取り、さっさと改札を抜けて行く。

 後に続いてインク達も改札を抜けようとしたが、駅員がその前に立ち塞がる。

「お客さん、切符を見せてください」

「……へ?」

 マヌケな声を出してしまったインクはゼルへ首を向ける。

 目が合ったゼルは首を横に振る。

「お、おい! 俺達の切符は?」

 遠ざかっていくテレサの背中へ声をかける。

 足を止めたテレサが顔だけ振り向ける。

「ある訳ないでしょ」

「……って、ちょっと待て! じゃあ、俺達どうやって帰るんだよ?」

「歩いて帰ればいいんじゃない?」

 無慈悲に言い放ったテレサの言葉に、インクとゼルは呆然と立ち尽くす。

「じゃあ、もうすぐ出発の時間だから行くわよ。グラニに戻ったら、賠償金の話を詳しく詰めましょうね」

『ヒィイイイイイイッ!』

 テレサの薄ら笑いに、インクとゼルは身を竦めて震え上がった。

「で、切符買うの? 買わないの?」

 そんな二人を駅員が冷めた目で訊く。

「……いくらするんだよ?」

「一人、五千リルだ」

「買える訳ねぇだろ!」

 思わずインクは叫んでしまう。

 当然のことながら、インク達は駅員に叩き出されてしまった。


「野郎、オレ様を雑に扱いやがって!」

「……お前、元気だな」

 駅員の対応に憤慨するゼルを、インクはくたびれた顔で見る。

「それで、どうするんですか?」

 ニアがインクとゼルに首を傾げる。

「とりあえずグラニに戻るしかないだろ」

「だな。こんな所にいても仕方ねぇし」

「はぁ……歩きでグラニまでか。考えたくねぇな」

「仕方ねぇだろ。金無いし」

 大きな溜め息を吐くインクに、ゼルは顔をしかめる。

「とりあえず、線路に沿って歩いていけば、その内辿り着くだろ」

 ゼルは遥か遠くへと延びる線路の先を見る。

「じゃあ、ゼル。行こ」

 ニアに促されてゼルが歩き始める。

 並んで歩くゼルとニアの背を追い、インクも隣に並ぶ。

「……どれぐらいかかるだろうな?」

 空の向こう側にある目的地をぼんやりと眺めながらインクが呟く。

「知らねぇよ。とにかく行くしかねぇだろ」

「そうだな」

 インクは余計な考えを振り捨てると、ゼル達と歩き始めた。

 レールの続く先の彼方へ向かって。

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