第12話 最低な相棒契約(上)

「……はしゃぎすぎて、一睡も出来なかったわ」

 翌日、例の黒い建物の前に立ったテレサはどんよりとした目でインクとゼルを見る。

「……ああ、そう」

 同じくどんよりした目のインクが生返事をする。

 インクが疲労困憊な体を押して、テレサにヘカトンケイル討伐の成功を伝えたのが昨日の夕方頃。

 その後、イビルワープの邪魔が無くなった事に興奮が絶頂に達したのか、インクとゼルは一晩中テレサの一方的なお喋りに付き合わされた。

 テレサの研究内容やこれからの展望の話など、インクとゼルにとっては意味不明な単語の羅列でしかなく、眠ることを許さない拷問に等しい時間を過ごした一夜となった。

 深夜のテンションが収まった反動で、テレサも朝になってぐったりとしていた。

 もちろんテレサの自業自得なので、インクやゼルにとって知った事ではなかった。

 体力をすっからかんにして戦った挙句、徹夜のお喋りに付き合われたせいで超グロッキーになっていた二人にとっては、何もかもがどうでいい気分だった。

「でも、これで心置きなく調査出来るわ」

 グフフフと不気味な笑い声を漏らしながら、血走った眼で口角を釣り上げているテレサの顔は女性がしてもいい表情ではなかった。

 得物を狙う犯罪者かと勘違いしそうなほど、黒い建物を凶悪な顔付きで舐めるように見ているテレサに、

「……ああ、もう好きなだけやってくれ」

 と、インクが投げやりに呟く。

「何言ってるの? さぁ、どうぞ」

 キョトンとしたテレサがインクとゼルを建物の入り口へと促す。

「どうぞって何だよ?」

 怪訝な顔でインクが訊く。

「護衛なんでしょ? 危険がないか見て来て」

 テレサはさも当然のように言い放った。

「…………はぁ?」

 インクのその顔は、なに面倒臭い事言ってるんだこのクソアマは、と言わんばかりな表情丸出しになっていた。

 普段なら文句を隠して仕事だからと頷いていたが、今すぐぶっ倒れたいぐらいフラフラなのだ。

 本音を言えば、一人で勝手に行ってくれ、と吐き捨てたかった。

 だが、わずかに残っていたプロとしての矜持が、その台詞をぐっと抑え込む。

「おう、さっさと行けよ」

 そこへゼルまでがテレサに便乗し、顎でインクを促した。

 それを見た瞬間、プロの矜持など彼方に吹き飛び、インクの堪忍袋の緒がブチ切れた。

「――ざっけんな! 何で俺一人で行かなきゃならん!」

「ああ? オレ様にも行けって言いたいのか?」

「当たり前だ!」

「なんでだよ?」

「何でもクソもあるか! ヘカトンケイルを倒したのは俺だぞ! その俺にさらに仕事押しつけて、てめぇは高みの見物か?」

「ほぉ……随分な口の利き方だな。命の恩人に向かって」

「……はぁあ? 命の恩人だぁ?」

「じゃあ、よく思い出せよ。あの木偶の坊を倒して失神したてめぇが、何故今生きているのかを」

 ニヤニヤと邪悪な笑みを浮かべるゼル。

 インクもわざわざ思い返すまでもなく、ゼルの手助けがなければ墜落死になっていた事ぐらい分かっている。

 だからという理由で、仕事を押し付けようとしているゼルの言い分ははおかしい。

「な? じゃあ、さっさと行け」

「な? じゃねーよ! てめぇの取り分を一・九に変えるぞ!」

 インクの言葉を耳にしたゼルの顔から笑みが消える。

 ゆらり、とインクに近寄ると、

「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと行け! オレ様は働きたくないんだよ!」

「おまっ、最低な本音だぬぐほあああっ!」

 ゼルはやけくそに叫びながら、インクの口を遮るように思いっきりその尻に回し蹴りを叩きこんだ。

「うわぁああああああぁぁぁぁぁぁぁーーーー……!」

 ゼルに蹴り飛ばされたインクは悲鳴の尾を引かせながら、建物の中へと吸い込まれていった。


「――ごぽぉっ!」

 薄暗い建物の中で、インクは顔面から硬い壁に激突した。

「……痛ぇ。やっぱ後でぶっ殺すわ、あのクソガキ」

 チリチリと痛む鼻面と尻をさすりながら、フラつく足で真っすぐに立つ。

 目を細めながら薄暗い室内を見回していると、ぼんやりと視界が明るくなってきた。

「……なんだ?」

 思わず身構えたインクは徐々に明るくなっていく周囲を慎重に窺う。

 壁そのものが光を発しているようで、その光は淡い白色で目が痛くならない柔らかな色と強さだった。

 その光に照らされた室内は、壁以外に何もなかった。

 溝のような線が幾何学的に走っているだけで、目につく何かが何もない。

「……いい加減頭が痛くなってきたぞ」

 建物の意味不明さに頭を抱えながら、インクは壁を探っていく。

 だが、なぞっても軽く叩いてみても、気になる何かがまるでない。

「……おかしいだろ。ヘカトンケイルがあれだけ守ろうとした代物だぞ?」

 インクは首を幾度も傾げ、行き止まりの壁をペチペチと触れる。

 不意に、照明の光とは違う細く強い光が壁から発せられ、インクの頭から足の先までをなぞる様に落ちて行った。

「……なんだ?」

 眉をひそめ、思わず壁から手を離す。

 その瞬間、周囲の状況が急変した。

 室内の光が真っ赤に染まり、耳障りなブザーが鳴り響く。

『登録された情報と合致しません。不法侵入とみなし、侵入者の排斥を開始します』

「……はい?」

 抑揚のないアナウンスが流れ、インクの目が点になる。

 そのアナウンスが終えるや否や、周囲の壁から手の平程の半球状の黒い物体が壁の中から無数に出現した。

 それらが一斉に強く閃くと、四方八方からインクに向かって太い光の線が放たれる。

「――!」

 インクは物体が光ると同時に背中に走り抜けた寒気に従い、反射的に鍵の力を解放していた。

 咄嗟に周囲に展開した光のシールドに、無数の光の線が衝突する。

 金属同士で引っ搔いたような甲高い音が上がり、シールドに弾かれた光が乱反射して壁にぶつかる。

「……」

 インクの鼻にツンと突き刺さるような異臭が突く。

 白く細い煙をあげる壁に出来た穴の奥が、高熱で溶けて赤い光を灯っている。

 少しでも反応が遅れていたら、今頃間違いなくヘチマのたわしのように穴だらけになっていただろう。

『侵入者の排斥に失敗しました。警戒レベルを最大に引き上げます』

 再び無機質なアナウンスが流れ、今度は行き止まりの壁が上下に開く。

 その中から現れた物は、先ほどの黒いドーム状の物体。

「……うげっ!」

 それを見た瞬間、インクは思わず絶句した。

 インクの背丈と変わらない大きさのそれが光を灯し、不気味な重低音をビリビリと室内に響かせながら、光の輝きを増していく。

「ふざけんなよ!」

 インクは顔を引きつらせて、再びシールドを張る。

 その瞬間、シールドに巨大な光が炸裂し、その反動がインクの腕を軋ませた。

「……ぐっ!」

 インクは歯を食いしばって足腰に力を込めるが、僅かだがゆっくりと後方へと圧されていく。

 刹那の間だったが、インクの意識が薄れて体中から力が抜け落ちそうになる。

 徐々に威力を増していくビームに対抗すべくシールドの強さを強化していたが、同時にインクの体力を容赦なく鍵が吸い上げていく。

 手足の踏ん張りが利かなくなっていくのと反比例して、インクのフラストレーションが跳ね上がっていく。

 前日の疲労感が抜けてない上に、徹夜明けのグロッキーまで加わって、なおかつ一人だけ前線に放り込まれて、特大ビームを防ぐために底にしか残っていない僅かな体力ですら削り取られているのだ。

 ここまで頑張ってまで、今何をしているのだろうか?

 そんな疑問が限界を越えかけた体で踏ん張っているインクの頭によぎる。

 テレサとゼルの言動が脳裏を駆け巡り、インクの苛立ちは頂点を迎えた。

「……なーにが、遺跡を大切に扱えだ。知るか、んなもん!」

 やけくそに叫び、右手を引くと拳を握る。

「――フーヴ!」

 イビルワープ以外に使わないと決めていたはずの三十六式拳の突きを、半ば理性が吹き飛んだ頭でぶっ放す。

 シールドに叩き付けられた瞬間、それを貫通してビームを激しく揺さぶる。

 鍵の力で搔き乱されたビームが宙で四散し、その先にあるビームの発射口がガラスのように砕けた。

『侵入者の――』

「うるせぇえええええええ! いい加減、黙りやがれぇえええええ!」

 インクは半狂乱状態で、アナウンスを遮るように叫びながら、右ストレートを破損した発射口にぶち込む。

 轟音と共に壁がくの字に圧し折れながら吹き飛び、けたたましい音を立てながら奥に隠されていた部屋の中へと転がっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る