第11話 水紋の絶技

 インクとゼルナルドを見下ろすヘカトンケイルの腕が十数本振り上がっていく。

「最短距離で、一気に詰め寄るぞ」

 それを見上げるインクはゼルナルドをチラリと見る。

「どうやるつもりだ?」

「鍵の力と、お前のブラスターの力を合わせて、一気にトップスピードに乗る。後はスピードを殺さないようにしてくれればいい」

「――ふん。で、タイミングは?」

「あいつの攻撃が届く寸前だ。腕伝いに上っていけばいい」

「分かった。合図はてめぇに任せよう」

「頼んだぞ」

 ゼルナルドはインクに頷くと、インクの腰に手を回す。

 反対の手に持つクラウ・ソラスを背後の地面に向ける。

 インクも光の渦を展開し、ヘカトンケイルの動きを注視する。



 上空高くで衝撃波のリングが広がった。

 甲高い落下音を響かせながら巨大な塊が次々と降り注いで来る。

 インク達を中心に半径数百メートルを一瞬で圧し潰すように。

「――動くぞ、ゼル!」

 間近まで差し迫ったヘカトンケイルの拳を見て、インクが鋭く声を発する。

 光の渦を出来る限り早く回転させ、その場から即座に離れる。

 ヘカトンケイルは細かな力の調整が出来る。

 今の攻撃も、拳の芯でインク達をしっかりと捉えるように狙って来ている。

 着弾までの距離が開いた状態で動くと、必ず狙いを調整してくるはずだ。

 だからこそ、その修正が効かないであろう距離まで引きつけ、攻撃の芯を逸らすようにインクが動いた。

 攻撃の隙間を目指すために。

「……おい、てめぇ、どさくさに紛れて、オレ様の名前を短縮するんじゃねぇよ」

 ゼルは顔をしかめて、怒っているのか呆れているのか、よく分からない微妙な表情でインクを睨む。

「……この状況で余裕あるな。大体、てめぇの名前が言い辛いからだよ」

 インクも呆れながら顔をしかめた。

「んな事より、準備はいいいんだろうな?」

「…………ああ」

 ゼルは何か言いたげな不満そうな顔で、しぶしぶといった感じに頷く。

「――行くぞ、三、二、一――ゼロ!」

 インクのカウントダウンが切れた瞬間、ゼルはクラウ・ソラスのトリガーを引いた。



 ブラスターの反動と、それに合わせて鍵が生み出したエネルギーの渦の回転力を乗せた光が空に向かって凄まじい速度で翔ていく。

 ヘカトンケイルの拳が生み出す衝撃波の余波を蹴散らしながら、腕と腕の隙間を縫って行く。

 インクは間近にあった腕に着地すると、ゼルと共に大きくステップをしながらその腕を駆け上がっていく。

 少しでも速度を殺さないように、目的地を目指していく。

 二人の周囲はヘカトンケイルの別の腕々と衝撃波の余波で行く先の光景が見えないが、今のまま上を目指せば肩へと必ず辿り着ける。

 そして、ヘカトンケイルもそこまで悠長に待ってはくれないだろうとインクは踏んでいた。



 ヘカトンケイルは当然の如く空振った腕の動きを止め、敵の姿を定め直すためにその腕々を横に開いた。

 その先に見えたのは、口角を大きく釣り上げたインク達の姿。

 その表情を映したセンサーアイの奥にある思考回路は、ヒトでいう訝しいという感覚に似た揺らぎを生じさせた。

 先の攻撃では足場となる腕を次々と乗り換えていたにも関わらず、今度は払いのけられるがままに足場を放棄して宙に居る。

 何を狙っているのかが理解できず、その意図を探ろうとした。

 だが、すぐに思考を中断させる。

 例え何をしようと企んでいようが、星の使徒の力が脅威である以上は全力で叩き潰すだけだ。

 再び頭部を狙ってくると予想し、振り上げたまま控えていた腕々をインク達へと狙いを定めて振り落とす。



 開けた視界の先に映った目的地点を捉えたインク達は、わざわざ見やすくしてくれたヘカトンケイルに笑ってしまっていた。

 今現在居る位置は、ヘカトンケイルの腹部あたり。

 チラリと上を見上げると、上空からは二撃目の拳が猛スピードで落下してきていた。

 インクは斜め上に腕を上げて、目的地点を指す。

「――ゼル!」

 ゼルはインクの指す先と目的地点を見ながら、いつでも使えるように微調整を続けていたクラウ・ソラスの銃口の先を決めた。

「ああ、行くぜ!」

 インクの合図に、最後の一発を放つ。

 その反動に乗って、ヘカトンケイルの胸部へと一直線に空を突き抜けていく。

 二人の背後では宙を突き抜けた拳の数々が起こした衝撃音が響き渡っていた。



「後は任せたぜ」

 ゼルは十分にスピードに乗ったと判断したタイミングを狙って、インクから手を離した。

 役目を終えた今、自身がただの重りにしかすぎないと分かっているからだ。

 前を見据えたままのインクは、振り返ることなく小さく頷く。

 狙っていた場所はすぐ目の前に来ている。

 インクを追ってヘカトンケイルの三撃目の攻撃はすぐに来るだろう。

 そんなものはインクにとって、どうでもよかった。

 これから行う攻撃でミスを犯しても、インクが狙っている考えが外れても、失敗すれば後は死ぬしかない。

 今はこの一撃に全てを賭ける!

 インクは斜め上に突き上げた両腕を右を上にして交差させる。

 左手首を発射台にして右拳を弩のように打ち出す技、ヌ・フーヴ。

 左を台座にする事でより力を溜め、強力な突きが繰り出せる。

 だが、この技をただ繰り出すだけでは、ヘカトンケイルを倒せない。

 インクはヘカトンケイルの急所を見つけた訳ではなかった。

 その急所がインクに分かるかどうかなど関係なく、攻撃を与えられる可能性がある方法がある。

 それが、奥義である暗打。

 三十六式拳に限らず拳法には見せることが出来る打ち方――明打と、内弟子など限られたヒトにしか教えない秘密の打ち方――暗打の二つがある。

 明打と暗打は見た目には同じにしか見えないが、力の伝え方が全く異なる。

 二つの大きな違いはヒトに対するダメージの凶悪さだ。

 簡単に言えば、銃で撃たれた時に銃弾が貫通するより、体の中に残るほうがダメージが大きいのと同じだ。

 ダメージが体に残る打ち方とは、肉を叩くのではなくヒトの体の水を叩く。

 体の多くは水が占めているため、その水自体に衝撃を乗せれば体から逃げる事無く衝撃が広がっていく。

 ヒトの場合、その衝撃は内臓を破壊するため、相手がどんなに屈強であろうとショック死に出来てしまう。

 打ち方のコツを覚えれば誰にでも出来るが、あまりにも危険すぎるが故に、暗打は人目につかないように限られたヒトの間で記録を残すことなく細々と伝えられている。

 暗打がヒトからイビルワープに変わろうが同じだと、インクは考えた。

 急所が見えなくても、見つからないように隠されていようとも、自在に逃げ回れようとも関係がない。

 そこに体があるなら、その限られた領域に最大限の衝撃を響かせてやればいい。

 岩陰に潜む川魚を石に与えた衝撃で気絶させたのと同じ要領でだ。

 インクは両手の鍵に力を籠め、右手に集中させる。

「――食らえ!」

 インクは眼前のヘカトンケイルの胸部に、ヌ・フーヴを暗打で打ち出す。

 その拳が着弾した瞬間、数百台の大砲が間近で放たれたかと思うほどの轟音と振動がインクの全身を貫いた。

 鼓膜が裂けて身が引き千切れ飛んだかと思うほどの衝撃に、インクは歯を食いしばりながら最後の力を左手に籠める。

 ヘカトンケイルがどうなっているかなど見る余裕などない。

 出来る事は残された力を全て叩きこむだけだ。

「――ヌ・フーヴ・アンプ!」

 インクの最後の一撃がヘカトンケイルに打ち付けられた。

 先の衝撃を更に増幅させた一撃のタイミングは勘だった。

 衝撃の重ね合わせはずっと修行を積んできていたが、実戦で使うのは今回が初めてだった。

 上手くいくかどうか確信はなかった。

 だが、奥の手を全て出し切ってなお勝てないのなら、もうどうしようもない。

 最大出力の三倍の衝撃を与えられたヘカトンケイルのどうなったのか。

 すべての体力を絞り出したインクは遠のいていく意識の中、体が吸い込まれるように地上へと落下していく感覚だけしか感じられなかった。




 目が覚めると、インクの目には大空が広がっていた。

「……あれ?」

 体勢的に仰向けに寝転がっているらしい。

 首を傾けると黒く焦げた湾曲した地面が見える。

 起き上がろうと体に力を込めるが、背中はおろか腕すらろくに上がらない。

「……くっそ、全然力が入らねぇ」

 今更になって思い出したように、絞り出された体力の反動が襲ってきて、胸と頭の鈍痛と気分の悪さが体に圧しかかる。

「……やっと目ぇ覚めたか?」

 少し離れた場所からゼルの声が聞こえてきた。

「……一体どうなった?」

「ヘカトンケイルは死んだよ。最後のてめぇの攻撃で粉々に砕け散ったぜ」

「そうか……」

 ゼルの言葉にホッとしたが、ふとある疑問が思い浮かんだ。

「……なぁ」

「……んだよ?」

 インクの声にゼルが怠そうに応える。

「……あれからどうやて地上まで来たんだ?」

 インクが意識を失った高さを考えると、そのまま落下すれば間違いなく即死なはずだ。

 ゼルもクラウ・ソラスの最後の一撃を放ったから、ゼルが手を出したとは考えられない。

「……オレ様がブラスターで受け止めたんだよ。間一髪だったがな」

 ゼルはボソボソと呟いて、大きな溜め息を吐く。

「……おい、ブラスターは使い切ったんじゃないのか?」

「……木偶の坊相手に使える威力分を使い切っただけだ。落下の事ぐらい考えておけよ、バカヤロウ」

「……ああ、そういう事か」

「……おかげでオレ様も体力ゼロだ。……クソ、全然力が入らねぇ」

「……こんな姿、あの師匠ジジィが見たら絶対笑うだろうな」

 インクは嫌味たらしい笑みを浮かべた師匠の顔を思い出して苦笑する。

「……何の事か知らねぇが、一応ケリは着いたな」

「……そうだな」

「……後は依頼主様の気が済めば、めでたく終了か」

「……そうなりゃ、てめぇの憎たらしい顔をめでたく見なくて済む訳か」

「……そりゃ俺の台詞だ」

 二人は憎まれ口を叩きながらも、その口には小さな笑みが浮かんでいた。

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