第10話 五十の頭と百の腕を持つ番人(下)
未だ立ち上がれないヘカトンケイルの脚の上を、インクとゼルナルドが駆け上がっていく。
一気に膝まで登りつめた二人に、ヘカトンケイルの無数の拳が逃げ場を防ぐように降り注ぐ。
二人を覆い潰すように襲い来るその拳の嵐は、巨大な竜巻が突っ込んでくるかの様だった。
だが、拳一つ一つが大きな分、壁のように迫ってくる攻撃にも隙がある。
インクは光の渦で衝撃波を弾き飛ばし、ゼルナルドはブラスターの加速で風圧を強引に突き破りながら拳と拳の間を突き抜け、ヘカトンケイルの手に乗る。
その手を伝って二人は更に上を目指し、叩き付ける暴風の中を走る。
一緒に走っていたインクとゼルナルドは二手に分かれ、別々の腕を伝って頭を目指し始めた。
その行動を見たヘカトンケイルは攪乱させようとしていると判断する。
だが、現状のゼルナルドの攻撃力は恐れるに足りない。
ゼルナルドをほぼ無視し、即座にインクに照準を絞って攻撃を集中させる。
「……やっぱ、そう来るよな」
インクはチラリと上を見て苦笑した。
ゼルナルドの攻撃が致命傷を与えられないのは、既にヘカトンケイルに知られている。
脚を一本吹き飛ばしたインクを警戒するのは当然の流れだ。
勿論、それはゼルナルドも分かっている。
ヘカトンケイルの取る行動は二人の予想通りだった。
インクに降り注ぐ拳の豪雨に、閃光と衝撃音が爆ぜる。
ヘカトンケイルの攻撃の外側にあった腕が勢いよく中へと割り込んで来た。
自らの腕によって拳の集中豪雨がばらけ散る。
「ナイスアシスト」
遠くにいるゼルナルドへインクは称賛の笑みを浮かべた。
「――ケッ。偉そうに無視してんじゃねーよ、クソ木偶の坊が」
インクから離れたヘカトンケイルの腕の上を足場にし、クラウ・ソラスを構えていたゼルナルドが鼻で笑っていた。
ブラスターで致命傷は与えられなくても、その威力はヘカトンケイルの腕を逸らすには十分だった。
上手く狙えば攻撃の邪魔も出来る。
腕の数に物を言わせて攻撃を仕掛ける事が、逆にゼルナルドにとって有利な条件となっていた。
ゼルナルドにとってヘカトンケイルごとき格下に見下されるのは不愉快極まりない事であったが、自身の現状を理解しているからこそインクのサポート役を買って出ていた。
ヘカトンケイルは現状の不利を理解し、即座に行動を変更した。
インク達を振り払う為に、二人が乗った腕を大きく振るう。
インク達も振り払われるよりも早く飛び離れる。
そのタイミングを狙ってヘカトンケイルの拳が襲いかかる。
その攻防の繰り返しが続き、インク達とヘカトンケイルの戦況がほぼ拮抗してしまう。
インク達は中空を徐々に前へ進んでいたが、一進一退の繰り返しで思うようにヘカトンケイルの攻撃を抜ける事が出来ない。
「――チッ、マズイ流れだな」
インクは忌々し気に舌を打つ。
出来る限り高速で動いていたが、ヘカトンケイルは想像以上に巧みな動きで進路を妨害し、引き剥がしに来ていた。
このままの状況が続けば、インク達が不利になる。
攻撃に必要なエネルギーをヘカトンケイルの攻撃圏突破に回してしまっては、本末転倒になってしまう。
「――仕方ねぇ」
インクは覚悟を決めた。
現状打破のために、出し惜しみをしていては逆にエネルギーを消耗してしまう。
まだ余裕がある内に一気に攻め、ヘカトンケイルが次の一手を打たせる前に決着をつける。
インクは両手を右腰に溜め、両方の鍵に力を籠める。
足場を勢いよく飛び移り、別のヘカトンケイルの腕へ平行に詰め寄る。
最低出力のよりも少し力を込めて両腕を打ち出し、三十六式拳の一手をヘカトンケイルの腕に叩きこむ。
その威力は津波にも例えられ、ヒト相手に放てば血と内臓を激しく揺さぶり、指の先まで伝わった振動が全身から血を噴き出させる凶悪な技だ。
「――ハイシャオ!」
諸手打ちから放たれた閃光が爆ぜ、金属音に似た空間の歪む音と空気が膨張する轟音が周囲に轟く。
衝撃でヘカトンケイルの腕が大きく弾き飛ばされると同時に、インクの体が反動で吹き飛ぶ。
その勢いに光の渦で更に加速し、別の腕へと猛スピードで突っ込んでいく。
「ハイシャオ!」
宙で身を捻って体勢を変えながら、再び諸手打ちを叩き付ける。
インクの体がボールのように弾みながら勢いを増していく。
その速さと攪乱ぶりに加え、腕を次々と弾き飛ばされているせいで、ヘカトンケイルの攻撃がインクに追いつかない。
どんどん速度を増し、無茶苦茶な軌道を描きながらヘカトンケイルとの距離を詰めていくインク。
そのインクに向かって人影が飛び込んでくる。
「オレ様に掴まれ!」
ゼルナルドが片腕を開いてインクに声を張り上げる。
インクは宙で身を捻りながら光の渦を一瞬解き、ゼルナルドに激突しながらしがみつく。
ゼルナルドは受け止めた衝撃に顔をしかめながら、クラウ・ソラスを下に向けた。
そのインク達を狙い、ヘカトンケイルが拳で狙ってくる。
「当たるかよ!」
ブラスターを放った勢いで、インク達は一気に垂直に突き上がる。
ヘカトンケイルの拳はわずかに遅れて、インク達がいた空間を通り過ぎた。
「一気に詰めるぞ! 用意はいいな!」
高度を上げていくゼルナルドは脇に抱えたインクに大声で言う。
「……うぇー、気持ちわりぃ……。酔っちまった……」
インクは舌をダランと垂らし、今にも吐きそうな顔をしながら呻く。
「自爆してんじゃねーよ! このマヌケが!」
「……うっせぇ。大声で喚くんじゃねぇよ……頭痛い……」
「やかましいわ! 酔って失敗したとかほざいたらぶっ殺すからな!」
「言われなくても、失敗なんかしねーよ」
「言ったな。てめぇがヘマこいたら、真っ先にデカ物の盾にするからな」
「ガタガタ言ってないで、サポートに徹しろ。出だしを失敗したら、てめぇを生贄にして逃げるからな」
互いに減らず口を叩いて睨み合いながら、ヘカトンケイルの頭上高くまでたどり着く。
「じゃあ、とっととケリをつけてこい!」
「ああ」
ゼルナルドはインクを離すと、拳を握って大きく振りかぶる。
インクは真下にヘカトンケイルを睨みながら身を屈めた。
「――行けええええええ、インク!」
ゼルナルドは渾身の力でインクの靴底へ拳を振り下ろす。
インクはゼルナルドの拳が触れた瞬間、身構えていた身体を勢いよく伸ばす。
自由落下の力に加えて、ゼルナルドのパンチで加速したインクがヘカトンケイルの頭頂部へと突っ込んでいく。
インクは目標点を見据え、右手首に左手を乗せながら両手の鍵の出力を最大にする。
決め技は決まっている。
三十六式拳の一手で、本来は勢いをつけて踏み込みながら、左手で固定した右横拳を体当たりするように捻り出す技。
走り込みの勢いと拳の固定により、通常の突きよりも遥かに威力が増す。
情況は違えど、条件は落下の勢いがある今、十分に満たしている。
――この一撃で終わらせる!
インクは右拳に二つの最大出力の鍵の力を集中させる。
「――フーヴ・チーリー!」
インクの気合いと共に放たれた巨大なドリル状の破壊エネルギーの柱がヘカトンケイルに直撃する。
青白い光の柱はヘカトンケイルの頭頂を捻り潰しながら頭を貫通し、胸部まで一気に落ちていく。
その間に光の柱は大きく広がり、みぞおちあたりでエネルギーが爆ぜた。
ヘカトンケイルは後ずさりながら、大きく体が後ろへと傾いていく。
「――よし!」
インクは会心の一撃が決まったと確信し、思わず満面の笑みでガッツポーズを取る。
だが、その顔が一瞬の内に驚愕へと変わった。
ヘカトンケイルはよろけながらも、インクに向けて数発の拳を繰り出してきた。
頭部と胸部を破壊されてなお、執念で攻撃をしてきたのか?
「この――クソボケが!」
困惑のあまり無防備になっていたインクに怒声が降りかかる。
ブラスターで加速したゼルナルドがインクに勢いよく飛び込んで来た。
宙でインクを掴むと、ヘカトンケイルの空振りした拳を背に、地上に向かってきりもみ状態で墜落していく。
「――悪いっ!」
ハッとしたインクは光の渦をまとうと、地面を削り飛ばして滑りながら着地する。
「ぼさっとしてんじゃねーよ! 死にたいのか、ボケ!」
「……すまない、助かったぜ。しかし――」
インクはゼルナルドの叱責に苦々しく顔を歪めながら上を見上げた。
急所を破壊したはずのヘカトンケイルがゆっくりとインク達を正面に見据えようと体を動かしている。
破壊された部位は既にゆっくりと復元され始めていた。
「――チッ、しぶといヤロウだな、クソッタレ!」
ゼルナルドも忌々し気にヘカトンケイルに舌打ちをする。
「あれが効いてないのか……?」
大穴の開いた腹部もど真ん中を貫通したはずの頭部も、徐々に元の形へと戻っているのを見て、インクは初めて焦りを覚えた。
「どうする? 次はどう攻めるんだ?」
「……っ!」
ゼルナルドの問いかけにインクは歯ぎしりをするしかなかった。
「言っておくが、オレ様のブラスターは後二発しか撃てないぞ」
「……ああ」
インクは頷きながら、次の手を必死で考えていた。
復元にエネルギーを回しているのか、ヘカトンケイルの動きが止まっている。
現状の戦力はインクの鍵の力が最大出力で三発分、ゼルナルドのブラスターで二発分。
これだけの戦力をもって、ヘカトンケイルを攻めるしかない。
その上、攻めるべき急所が分からない状態で、確実に一手で決めなければならない。
もし失敗すれば、ゼルナルドと仲良くあの世行きだ。
「……冗談じゃねぇぞ、そんなの」
インクはカラカラに渇いた喉に唾を飲み込ませて、速くなっていく鼓動を抑えようと大きく深呼吸をする。
ヘカトンケイルが再び動き出すまでの猶予はあまりない。
その僅かな時間の中で、必勝の一手を見出さないといけない。
「……」
どうする? どうやったらアイツを倒せる?
インクは焦燥感に身を焦がされながらも、頭をフル回転させて攻め方を探り出そうとしていた。
ヘカトンケイルの急所は頭部と胸部以外にあるかもしれないし、状況に応じて移動するのかもしれない。
敵の状況がまるで分からない中で結論が出せず、呼吸ばかりが上がり、体中から血の気が引いて頭が真っ暗になっていく。
どんな相手にも必ず弱点や攻め方はある。
インクはかつて
修行の成果を見るために、巨大昆虫が跋扈する見知らぬ魔境に丸腰で放り込まれ、目的地まで自力で辿り着けという無茶苦茶なテストをさせられた。
まともな打撃技が効かない上に速さもパワーも遥かに上回る怪物達の攻撃で死にそうになりながらも、何とか生き延びてきた中で気付いた事だ。
化物同然の巨大昆虫達相手でも、素手で叩き殺す事が出来たのだ。
それがイビルワープであろうが、弱所を攻める方法はある。
――必ず!
ふと、インクの脳裏に波紋が広がる水面が思い浮かんだ。
「……そうか」
インクの頭に閃いたイメージから、ヘカトンケイルの攻め方が一気に組み上がった。
「……ゼルナルド。もう一度サポートを頼む」
「構わないが、どう攻める気だ?」
「ヘカトンケイルの胸部を狙う」
「……てめぇ、それは勝算があって言ってる事か?」
インクの返答にゼルナルドの目つきが一気に鋭くなった。
もし無いと言えば、ゼルナルドはインクを本気で殴り倒すつもりでいた。
「当然だ。勝機のない闇雲な手を打つわけがないだろ」
インクはゼルナルドを真っすぐな目で見る。
そのぶれる事のないしっかりとした目線を見て、ゼルナルドは頷いた。
「いいだろう。サポートしてやるよ」
「頼む。どう転んでも次で終わりだからな。行くぜ」
「――はん。どう転んでもって、オレ様はてめぇと一緒にくたばる事だけは死んでお断りだからな」
「奇遇だな。俺もだよ」
「――ケッ、上等だ」
ゼルナルドはインクの減らず口に再び不敵な笑みを浮かべた。
そして、復元を終えて動き始めたヘカトンケイルを見上げたインクとゼルナルドは、即座に動けるように腰を落として構えを取った。
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