第9話 五十の頭と百の腕を持つ番人(中)

 師匠ジジイは化物みたいに強かった。


 麦わら帽子の下にある髪が真っ白になるほど年を取った亜人で、常に眉間に皺を寄せた小難しい顔つきをしていて、四六時中煙草を吸っていた。

 当時血気盛んだったインクが老体だと舐めてかかったが、どう攻めても指一本触れる事すら出来なかった。

 本気になって攻めても、一撃で返り討ちにされてしまった。

 今よりは実力が劣るとはいえ、ギルド内でも上位ランクに入る実力があったのにも関わらずだ。

 ヒトビトから拳聖の二つ名で呼ばれていたぐらいの生ける伝説で、同じヒトとは思えないほど圧倒的な戦闘能力を持っていた。

 かつて世界に六体しかいないと云われている上級イビルワープ、『六大厄災バビロンシスターズ』の一体を倒した事があるという眉唾物な話まであったぐらいだ。

 それぐらい圧倒的に強かった師匠が負ける姿など、インクにとって想像すら出来なかった。

 その師匠をも超える化物と対峙したあの時の光景は、インクにとって忘れる事の出来ない出来事として脳裏の奥にこびりついている。

 頭には前に突き出した牛の角が生えていて、目を三つ持ち、口が長く伸びたサメのような身体に巨大な羽を生やした、空を自在に泳ぐ謎のイビルワープ。

 それに立ち向かった師匠はインクが思わず後ずさりしてしまったぐらい、見たことがないほどの凄まじい闘気を渦巻かせていた。

 その空気をまとった師匠の背中は、インクがずっと追いかけ続けていた遥かな高みだった。

 その背に追いつき、やがて越えて行くために、師匠を倒したイビルワープを必ず打ち倒す。

 それがインクの目標だった。

 そもそも鍵の力を使えば、技も何もなくても、下級ぐらいなら一撃で粉砕出来る。

 出力を最小限に絞った状態でもだ。

 それほどの力を持ちながら、技に磨きをかけ続け、下級イビルワープとの戦いで最小に絞った鍵の力を技の威力に寸分違わずに乗せて攻撃をし続けていたのか。

 それはいつか来る化物を超えた化物である、あのイビルワープとの戦いのためだ。

 中級以上と出会う機会が奇跡に近い中、目の前の超巨大巨人は実力を知りえる格好の相手だった。


「……アイツ、動き始めたぞ」

 ゆっくりと上がっていくヘカトンケイルの足を見て、ゼルナルドが呟く。

 拳の三倍近くある巨大な足の裏が地上へと落ちてくる。

「ニア! 武器の許可を出せ!」

 ゼルナルドが腕に抱えたニアへ声を張り上げる。

「ダメ。もう使用制限がかかっているわ」

「……っ! クソが!」

 ゼルナルドはニアの返答に忌々し気に舌打ちをする。

「ごちゃごちゃ言っていないで、逃げるぞ!」

 既に目の前まで迫って来ていたヘカトンケイルの足の影響で、インク達の回りは日が沈んているかのように暗くなっていた。

 ゼルナルドはクラウ・ソラスのブラスターモードで、インクは光の渦をまとってヘカトンケイルから大きく距離を取る。

 壁のように砂埃が空高く舞い上がり、地響きと着地の衝撃音が辺りに響き渡る。

 その様子を見ながら、次の動きを注視していたインクとゼルナルドはヘカトンケイルの動きに眉をひそめた。

 ヘカトンケイルは間違いなく二人の姿を捉えているはずなのに、別の方向に向かって進み始めていた。

「どこへ行こうとしてるんだ?」

 訝るインクにニアがポツリと呟く。

「あれ、遺跡の方向じゃない?」

 そう言われて、ハッとするインクとゼルナルド。

 遺跡の被害を最低限に抑えるというテレサとの約束が頭をよぎる。

 今までのインク達の行動を監視していたヘカトンケイルはその情報を把握しているのだろう。

 そうでないとわざわざインク達を無視してその方向に行く訳がない。

 遺跡の破壊に出れば、間違いなくインク達が止めに来る。

 今までの攻撃パターンから判断すれば戦力的にインク達を上回っているし、自ら突っ込んで来てくれる分ヘカトンケイル的にも戦いやすい状況を作り出せる。

「……舐めてんじゃねぇぞ、クソヤロウが」

 インクはヘカトンケイルの見下した思考に牙を剥き出した。

 二歩目を踏み出そうとしているヘカトンケイルへ、光の渦をまとって疾走する。

 ヘカトンケイルの目の前に滑りこむと、迫りくる巨人の足を睨みながら構えを取った。

 鍵の出力を最大に――

 インクは今まで自らに課していた枷を外した。

 右手の鍵がまばゆい光を放ち、薄暗くなっていたインクの回りの景色を一瞬にして真昼の陽光の下よりも明るくする。

 インクの視界には猛スピードで落ちてくる巨大なヘカトンケイルの足しか映っていない。

 その圧力感は本能が全力で危険だと叫んでいる。

 だが、あの時の師匠ジジイが戦っていたあのイビルワープの恐ろしさは、圧力は、こんなものじゃなかった。

 この程度のモノに怯んでいてはいつまでも前に進めない。

 インクは熱湯のように湧き上る体の昂りを感じながら、氷のように冴えていく頭で真っすぐにヘカトンケイルを見据える。

 師匠に叩き直されてからずっと続けてきた基本の突き。

 何十万、何百万と繰り返し続け、呼吸をするのと変わらないぐらい骨身に染みつかせた技。

 足の踏み込み、脚の内側へ絞め込む力、腰と身体を落として生まれる力、腰の捻りによって生まれる力、背中の筋肉が生み出す力、その全てを阻害することなく一つにまとめ上げるタイミングと呼吸、そして束ねられた力を一切殺すことなく加速させて腕から拳へと伝える筋肉と関節の無駄な力みの排除。

 その生み出された力は荒れ狂う激流に形容され、その拳の威力は遥か高みから叩き落ちる瀑布に例えられる。

 師匠ジジイ直伝の基本技の一つ――フーヴ。

 インクの撃ち出した拳が吸い込まれるようにヘカトンケイルに向かう。

 その足と激突した瞬間、世界が震えたかと思うほどの衝撃音が周囲にこだました。

 最大出力で放たれた鍵の破壊エネルギーはヘカトンケイルの足ごと周囲の空間そのものを激しく揺るがして波打たせる。

 破壊エネルギーを乗せたフーヴの力はヘカトンケイルの脚を激しく波打たせて内部から粉々に砕きながら股関節部で大きく爆ぜる。

 片脚をもぎ取られたヘカトンケイルは後ろに大きくよろめきながら尻餅をついた。

「……ふぅーーっ」

 インクは顔をしかめながら、大きく息を吐き出した。

 体力をごっそりと引き抜かれる悪酔いに似た気持ち悪さは、何度経験しても慣れない。

「すげぇな。てめぇ、思った以上にやるじゃねぇか」

 駆けつけたゼルナルドはインクに上から目線な言い方で称賛した。

「後は足一本と腕五十本さえ潰せば丸裸に出来るって訳か! さっさとやってくれ!」

「ざっけんな! そんなにポンポンと出来るか、このバカネズミ! 俺が死ぬわ!」

 さらっととんでもない要求をしてきたゼルナルドにインクは思わずツッコミを入れた。

「あ? じゃあ、さっきの何発打てんだよ?」

「どう頑張っても、あと五発が限界だ」

 インクは今までの経験から、体力が満タンの状態で七発が限度だと知っていた。

 先に放った一発と、下級イビルワープに使った体力を加味して、六発は無理だと判断した。

「……なんだ、使えねぇな」

「やかましいわ! てめぇこそ武器を持ってんならさっさと出せよ!」

 甲斐性なしと言いたげに舌打ちをしたゼルナルドに、インクはガンを飛ばす。

「出せねぇって言ってんだろ! こっちも面倒臭ぇ制限が色々とあるんだよ!」

「知らねぇよ! じゃあ、あれ使えばいいだろ。さっき下級の連中を全滅させたヤツ」

「無理。玉切れで使用不能だ。再装填に早くても一か月はかかる。それに仮に使えても、アイツには効かねぇよ」

「なんでだよ?」

「アイツの体は空間歪曲によって作られてんだ。サインは物理攻撃しか出来ないからアイツの体を貫通できねぇんだよ」

「……何言ってるのか分かんねぇんだが。ニアといい、てめぇといい、もう少し分かる言葉で話してくれないか?」

「うっせぇ! 要は使えても意味がねぇんだよ! こっちの武器はこいつしか使えねぇんだよ!」

 ゼルナルドはクラウ・ソラスを軽く振る。

「……で、それはどこまで使えるんだよ?」

「ブラスターモードで六発が限度だ」

「……ジリ貧すぎるだろ」

「やかましい! とにかく頼りはてめぇの鍵の力だけなんだから、さっさと動け! オレ様はサポートしか出来ないからな!」

 ゼルナルドの意外な言葉にインクは少し驚いた。

 唯我独尊の暴君がサポートをするという発言をしたのだ。

「十分だ。俺も一人だとアイツを攻めるのはキツイからな」

「それで? どう攻める気だ?」

「アイツの頭上まで駆け上がる。そこまでの道のりのサポートを任せる」

「分かった」

 ゼルナルドはインクの発言にあっさりと返事をした。

 イビルワープを倒すには脳か心臓にあたる部分を破壊すればいい。

 先ほどのフーヴの一撃を考えれば、頭上からの鍵の攻撃によって頭部から胸部まで一気に貫通させられるのは十分に可能だ。

 それに空中戦に持ち込めば、地上への被害が及ばない。

 ゼルナルドもインクの意図を瞬時に察してた。

 足を砕かれたヘカトンケイルは、既に足の復元を始めていた。

 破壊されてからそんなに時間が経っていないのにも関わらず、五、六割は復元を終えている。

「行くぜ。一気に畳みかけるぞ」

「――ふん。オレ様の足を引っ張るような真似はするんじゃねぇぞ」

 光の渦をまとったインクとブラスターモードで加速したゼルナルドはヘカトンケイルのもう一本の足へ飛び移り、頭上目がけて駆け出した。

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