第8話 五十の頭と百の腕を持つ番人(上)

「ほーら、出て来いよ。大切な物なんだろ?」

 ゼルナルドはクラウ・ソラスで黒い建物を突きながら、宙に向かってワザとらしい挑発をする。

 その態度に反応したのか、建物をチクチクと傷つけている行為に反応したのかは分からない。

 ゼルナルドへ応えるように、地響きのような音と共に空が波打つ。

 やがてその揺らぎは人型へと浮き上がって行く。

「……おい、なんの冗談だ、これは?」

 その光景を見上げていたインクは全身が総毛だった。

 無数の巨大な岩を内包した透明な身体の巨人がインク達を見下ろしている。

 ただ、その大きさが余りにも規格外だった事に、インクの思考回路が少しの間停止してしまった。

 その全長は周囲の山々が丘のような錯覚を覚えてしまうほど高く、その体格は太陽の光をも遮ってインク達のいる地上が薄暗くなるほどだった。

 遥か上空に見える頭部の回りに五十個の球状の機械が宙に浮いていて、地上に向かって垂れ下がった腕は左右合わせて百本もある。

「……ヘカトンケイル? 何でこんな所に中級のイビルワープが?」

 ニアも目の前に出現した巨人に口が半開きになっている。

 今まで下級の大群を目の当たりにしても、普段と変わらずにゼルナルドとギャグみたいな絡みをしていた事が嘘のような表情だ。

「……中級?」

 ニアの言葉にインクの表情が一気に険しくなる。

 イビルワープの中級以上が出てくる事は極めて稀で、星の使徒として普通のヒトよりも戦ってきているインクですら数度しか遭遇していない。

 戦闘能力は下級とは桁違いに強く、急に消えたり、瞬間移動したりと厄介極まりない動きをする。

 中級以上の敵に遭遇した場合、常識的な考え方を捨てろと伝えられているぐらいだ。

「ニア。あいつを知っているのか?」

「ええ、ちょっとした情報だけですけど。

 高さが約二千メートルの超巨大巨人。中級イビルワープの中でも中の上ぐらいの戦闘能力を持っています」

「中級クラスの中の上……」

「五十個の半自立型のセンサーアイとコントロールユニットを周囲に展開し、全てのサブコントロールユニットからの情報を統括するメインコントロールユニットを有しています。攻撃は物理攻撃のみですが、コントロールユニットをメインにもサブにも自在に切り替えて腕を操作が出来る仕組みになっています」

「……もっと分かりやすく言ってくれるか?」

「つまり、五十個の頭が死角なく周りを見て、五十個の頭がそれぞれ独自の判断によって腕を操り、攻撃をしてくるのです。しかも、それぞれの頭が考えている事は本当の頭がきっちりと把握しています」

「……それって、五十体のバカでかい巨人が一つのチームを作っているようなものか?」

「そんな感じです」

「……ふざけんなよ。なんてモノが出て来てるんだ」

 インクは苦々しい顔をする。

 質量の大きさはそれだけで強力な武器となる。

 巨体の敵を攻める定石は速さで攪乱し、死角に回り込みながら攻撃をすることだ。

 だが、今のニアの説明でその手では十分でないと分かった。

 無防備に見えるほどの巨体の死角を目と手の数で打ち消し、持ち味たる重さとパワーを十分に引き出せる仕様になっている敵とどう戦うべきか?

 顔を引きつらせるインクをよそに、ヘカトンケイルが動き始めた。

 一本の腕がゆっくりと振り上がっていく。

 その様子を凝視していたインク達に大気の爆ぜる轟きが叩き付けられる。

 音速を超える速さで落下してくるヘカトンケイルの腕は、大気の壁を物ともせずに加速していく。

 衝撃波をまとった巨人の手は、インク達をまとめて叩き飛ばすように横薙ぎに攻めてきた。

 目の前に迫りくるその様は、雪崩や土石流のごとき自然災害と遜色がないほどの圧倒的な殺傷能力の塊だった。

「――やべー!」

 今までヘカトンケイルへ囃し立てていたゼルナルドも顔を引きつらせ、慌ててインク達の元へと走ってくる。

「ブラスターモードへ移行! ――おい、全員オレ様に掴まれ!」

 ゼルナルドは左手に持つクラウ・ソラスを変形させながら、右腕でインクの胴を抱えこむ。

 そのインクの背にテレサが、ゼルナルドの背にニアが抱き付いた。

 ゼルナルドはガンモードに酷似したクラウ・ソラスを地面に向ける。

「てめぇら、絶対に手を離すなよ! ――ファイア!」

 その声に応えて、クラウ・ソラスの銃口に勢いよく光が収束し、爆音と共に光の柱が撃ち出される。

 その反動で、四人の体が砲弾のように空高く打ち上がる。

 地上を見下ろしたインク達の視界には、ヘカトンケイルの手が砂のように大地を容易く抉り取り、腕にまとっていた衝撃波が雑木を無差別に圧し折って吹き飛ばしていた。

 その衝撃波の余波は、宙を舞っていたインク達にまで届く。

「おい、クソ猫! 依頼主は任せた! 四人もオレ様で支えられるか!」

 ゼルナルドは言い終わるよりも早く、腕に抱えていたインクを払い飛ばした。

「――てめぇ、ふざけんな! ……あのクソヤロウ!」

 数百メートルの上空にいきなり放り出されたインクは、ゼルナルドに悪態を吐きながらも周囲を見渡した。

 幸いヘカトンケイルの攻撃がすぐに届く様子はなかった。

「……う、嘘でしょ? イヤアアアーーー!」

 突然放り出されて呆然としていたテレサが我に返り、インクの耳元で悲鳴を上げた。

「――やかましい! ちゃんと着地してやるから、しっかり掴まってろ!」

 インクは鼓膜の奥の痛みに顔をしかめながら、テレサの悲鳴に負けない勢いで叫ぶ。

 そして、鍵の力を発動させると、青い光を自身の周囲に展開させる。

 その光はインクを中心に渦を巻き始め、小さな光の竜巻が生まれた。

 そのインク達の体は徐々に落下するスピードが落ちていく。

 危なげなく着地したインクは、震えながらしがみついていたテレサの手にそっと自分の手を重ねた。

「いいか。ここからはあんたを守りながら戦っていられる余裕はない。俺から離れて、出来るだけ遠くへ逃げろ」

 静かに語りかけたインクに、テレサは背中越しに小さく頷く。

「なるべく急いで離れろよ。遺跡の被害も出来る限り最小限にとどめてやるから安心しろ」

「……分かったわ」

 テレサはゆっくりとインクから離れると、足早にヘカトンケイルから離れていく。

 インクは背中越しの足音が小さくなっていくのを聞きながら、ヘカトンケイルを睨む。

 さて、どう倒せばいいのか。

 初撃の威力を見る限り、直撃はもちろん生身では攻撃がかすっても、それだけで死亡確定だ。

「……そう言えば、あいつらはどうなった?」

 ふと、ゼルナルドとニアが気になって周囲を見渡す。

 少し離れた場所に二人の姿が見えた。

 だが――

「キャー! お姫様抱っこで着地なんて素敵! ゼルー、カッコイイー!」

「やかましい! いいから、さっさと離れろ!」

 ゼルナルドは黄色い声を上げながら首にしがみついたニアを振り解こうと、振り子のように左右に腕を振っていた。

 あまりにもアホらしい光景に、インクはズッコケそうになる。

「……能天気も振り切れれば、逆に尊敬しそうになってしまいそうだぜ」

 ハハハと乾いた笑い声を出してしまうインク。

「うるせー! ニアが勝手にやってるだけだ! オレ様までアホの子みたいに言うんじゃねーよ!」

 耳ざとく聞いていたのか、遠くからゼルナルドがインクにツッコミを飛ばしてくる。

「……どうでもいいけど、二撃目が来ているからな」

 インクはゼルナルドの上空を指差す。

「……は?」

 勢いよく影が落ちていく中、真上を見上げたゼルナルドの目にヘカトンケイルの巨大な拳が映った。

 二十メートル近くあるその拳は、城の城壁が落下してきているような圧力をもって迫って来ていた。

「図体しか能がないくせに、調子に乗るんじゃねぇよ!」

 ゼルナルドは怯むことなくクラウ・ソラスを衝撃波をまとった拳へ向ける。

「吹き飛びやがれーーーー!」

 銃口に収束した光が柱状になって撃ち出される。

 その光の柱はヘカトンケイルの拳にまとわれた衝撃波を吹き飛ばしながら、本体に激突する。

「――な!」

 ゼルナルドの目が見開く。

 光の柱はヘカトンケイルの拳を破壊し続けていた。

 だが、そのダメージを気にすることなく、更に勢いを増しながら腕を突っ込んで来た。

 やがてチャージされていたエネルギーが切れ、ぐちゃぐちゃに潰れたヘカトンケイルの拳が一気にゼルナルドへと迫る。

 だが、ブラスターモードの反動を殺すために足を踏ん張っていたゼルナルドは、その硬直によって即座に動くことが出来なかった。

「――あのバカ!」

 状況を察知したインクが素早く動く。

 再び光の渦を身にまとうと、その勢いを乗せて地面を蹴る。

 一瞬でゼルナルドへ迫るヘカトンケイルの腕との間合いを詰める。

 光の渦のエネルギーを両手に集中させ、諸手打ちを繰り出す。

 鍵の生み出す破壊エネルギーは下級イビルワープレベルなら、触れるだけで抵抗なく破壊させられるほど強力だ。

 その破壊エネルギーを螺旋状に加速させた力と、諸手打ちで発する衝撃力の形状と寸分違わぬ形に破壊エネルギーを成形させた力。

 二つの力を乗せたインクの必殺技がヘカトンケイルの腕に直撃する。

 木っ端微塵に砕け散る確信を持てるほど、インクの手に確かな手応えが伝わってきた。

「――ぐっ!」

 だが、そのインクの思惑を嘲笑うように、両腕が痺れるほどの強烈な反動が返ってきた。

 腕が弾き飛ばされるほどの衝撃による痛みで顔を歪めながらも、インクは目を凝らす。

 そこには無傷のヘカトンケイルの腕が映った。

 だが、インクの攻撃はその腕を弾き飛ばし、ゼルナルドから大きく逸れて地面に突き刺さった。

 インクは大きく仰け反りながらも、後ろへ下がりながらバランスを取る。

 その頭上で更なる衝撃音が轟く。

 ――三撃目!

 インクはとっさにゼルナルドとニアをまとめて掴むと、光の渦をまとって大きく飛び退く。

 わずかに遅れて上空から降り注いだ三撃目の拳が大地に直撃する。

 巨大な地響きと共に地面がビリビリと震え、砂埃が空高く舞い上がった。

 風に吹かれて消えていった砂埃の先には、直径百メートルを超えるクレーターが出来ていた。

「くそっ、なんて硬さだよ!」

 インクは砂埃を舞い上げながら着地する。

「ブラスターでも破壊出来ないとなると非常に厄介だな。ガンモードの千倍超の破壊力があるんだぞ」

 ゼルナルドも独り言を呟きながら苦い顔をする。

 その言葉を聞いたインクは目が点になった。

 下級とはいえ鋼鉄の装甲を持つオーガを十数体分まとめて抵抗なく破壊したガンモードの千倍以上の破壊力でも効かない?

「……おい、クソ猫。なんか手はないのか?」

 傲慢不遜なゼルナルドも流石に困ってしまったのか、インクに助け舟を求めてきた。

「一応あるが……正直どこまで効くかやってみないと分からないぞ」

 困っているのはインクも同じだった。

 ただ、ゼルナルドと違うのは……

「どうした? 何笑ってんだ? 頭がおかしくなったのか?」

 ゼルナルドは引きつった笑みを浮かべていたインクを見て、少し身を引いた。

「……うるせぇ。余計なお世話だ」

 かつての戦いで師匠ジジイを倒したイビルワープを自らの手で叩き潰すために、コツコツと積み上げてきた修行の成果を知る時が来たのか。

 インクは武者震いをしながら、ヘカトンケイルへ一歩踏み出した。

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