第7話 見えざる統率者(下)
――弱点を突いてきたか!
インクは苦々しく奥歯を噛みしめる。
サデュロスやオーガが連係プレイをしているのを見た時に、この可能性を考えられなかったのは大きな失態だ。
おそらくゼルナルドが言っていた見えざる相手が、こちらの様子を窺いながら統率を取っているのだろう。
これまでの情報をから推測すれば、この事態は見えていた事だ。
「――クソッ!」
自分の愚鈍さに舌打ちをし、テレサとニアをチラリと見る。
テレサはオーガを前に言葉を失っていた。
呆けた顔でオーガを見上げながら、逃げ出す素振りも見せない。
完全に相手に飲まれている。
テレサ側とインク側のオーガ達が同時に動き始める。
一刻の猶予もない。
インクは反射的に両手の鍵を発動させた。
青い宝玉が強く輝き、インクの両手を包み込む。
インクははやる気持ちを抑え、大きく息を吐き出す。
全身の筋肉と関節から余計な力みを抜いていく。
同時に全神経を研ぎ澄ませ、手足の指先まで意識を行き渡らせる。
軽く握った拳を鈎状に構えながら重心を落とし、後ろ寄りに重さの比重を置く。
今まで盗賊を叩き潰したり、ゼルナルドと喧嘩したりした時に使った戦い方とは違う、インク本来の力を鞘から解き放った本気の構えだった。
先代の星の使徒に叩き込まれた、無名の拳。
仮称、三十六式拳とも云われる実践重視の拳法だ。
無駄を極限まで省き、戦いのエッセンスを三十六の動作に絞り込んだ事からその名が付けられている。
無手はもちろん、槍や剣、飛び道具に至るまで、あらゆる武器に応用出来、使い手や状況によって戦闘のバリエーションを無限に展開させられる。
ヒトに対して使うと確実に息の根を止めることが出来るほど強力な威力を持つため、イビルワープ以外には意図的に使わないようにしていた。
僅かな時間で戦闘態勢を取り終えると、地面を蹴る。
全身のバネを利用して弾かれるように飛び出す。
最短距離いたオーガとの間合いを一気に詰め、振りかぶったオーガの爪が振るわれるよりも早く、重心の乗ったオーガの膝に光に覆われた掌を打ち出す。
至近距離で大砲が炸裂したかのような轟音が響き渡った。
インクの拳はオーガの脚を粉々に吹き飛ばしていた。
支えを失ったオーガの体が大きく傾く。
インクは氷上を滑るようなフットワークで脚を砕いたオーガの脇下へ回り込み、横腹に拳を繰り出す。
金属が軋む重低音が空気をビリビリと振るわせる。
衝撃音を響かせながらオーガの身体が軽く浮き上がり、全身に巨大な放射状の亀裂が青い光と共に走る。
その亀裂から閃光が迸り、オーガの身体が木っ端みじんに砕け散った。
自身が砕いたオーガの末路を見ることなく、インクは残り二体のオーガの間を走り抜ける。
優先すべきは依頼主のテレサと、ニアの救出。
二人の安全が確保さえ出来れば、オーガレベルの敵が何体いようと敵ではないからだ。
既に腕を振り上げたオーガの姿がインクの視界に映る。
――間に合え!
拳にエネルギーを蓄えながら、全力疾走する。
その目の前で、オーガの腕が振り下ろされた。
「インクさん、止まって!」
突然、ニアの声が響き渡った。
その声に反応して思わず足を止めたインクの耳に、耳鳴りのような甲高い音が突き刺さる。
少しの間を置いて、テレサ達の前に立ち塞がっていた四体のオーガの上半身が音もなく斜めに滑って地面に落ちる。
そして、着地の衝撃でさらに数分割に分かれる。
切り口は恐ろしいほど滑らかで、切断面からのぞく配線が最後のうめき声のように火花を散らしていた。
「……は?」
インクの目が点になった。
残されたオーガの下半身の向こう側に、ニアが巨大な剣を両手で持って立っていた。
本体が十数個の大きなパーツを組み上げて作られた、刀身が光で出来ている剣。
チェーンソーのような持ち手の奇妙な両手剣だった。
「……アーティファクト、か?」
困惑しながら呟くインクに、ニアは笑みを浮かべて頷く。
「残りも片づけますね。ガンモードへ移行」
ニアの言葉に反応したアーティファクトが光の刀身を消し、自動的に形を変えていく。
銃の形に変わったそれを持ち上げたニアは、銃口をインクの後ろへと向ける。
「ターゲット、ロックオン。シュート」
銃口の先に生まれた巨大な光の弾が撃ち出される。
その弾は生きているように尾を引きながらインクを迂回し、その背後に立っていた二体のオーガの胸部を食い破る。
勢いを殺すことなく、更にゼルナルドを囲っているオーガの軍団へ向かう。
十体近いオーガと混戦を繰り広げている中、光の弾はゼルナルドを綺麗にかわしながら次々とオーガを破壊する。
「ニアー! てめぇ、ヒトの武器を勝手に使うんじゃねーよ!」
ニアに助けられたゼルナルドの開口一番のセリフは怒鳴り声だった。
「ゼルに使用許可してないもん。私が使っても問題ないじゃない」
「ざっけんな! オレ様のエネルギーを使ってんだぞ! 問題大ありだ!」
喚き散らすゼルナルドの向こう側を見ていたテレサは目を見開いた。
「ちょっとインクさん。あれ……」
袖を引っ張られたインクはテレサが指を差した方向を見る。
木々の間から見える、追加のイビルワープの姿。
どこに潜んでいたのかは分からないが、オーガと同クラスかそれ以上のイビルワープがインク達へと向かって来ている。
今まで出てきたイビルワープでも数が多い部類に入るのに、その上をいく数で攻めてこられたのはインクも見たことがなかった。
「――チッ、気に食わねぇな」
何かに苛立つゼルナルドはニアに小走りで近寄る。
「寄こせ!」
強引にニアからアーティファクトを奪い取ると、黒いキューブ状の建物へと走っていく。
「ソードモードへ移行!」
ゼルナルドの声に応えて、アーティファクトが元の姿へと戻る。
建物のすぐそばまで近づくと、剣状のアーティファクトを振り下ろした。
「――ちょっと! 何してるの!」
ゼルナルドの突然の行為に、テレサが悲鳴に近い声を上げた。
甲高い音と共に、建物の扉らしき部分が切り裂かれて地面に転がる。
「こいつは遺跡なんかじゃねぇよ! おそらくイビルワープ側の装置だ!」
ゼルナルドの言葉に、少しの間声を詰まらせるテレサ。
「でも壊さないで! 折角の資料なんだから!」
だが、すぐに貴重な資料になると判断してゼルナルドへ言い返す。
今度はゼルナルドが苦い顔で口を噤んだ。
依頼主のリクエストに応える事は仕事だ。
僅かな間思考を巡らせた後、テレサをチラリと見て小さく頷く。
そして、宙を見上げて声を張り上げえる。
「おい、見てるんだろ! 聞いての通りこの装置は貰ってやるからな! それが嫌なら全兵力を出して来い!」
どこかにいる見えざる敵へ挑発の言葉を叩き付ける。
その言葉に反応したのだろうか、ざわりと空気が震えた。
差し向けてきたイビルワールの数倍のイビルワープが、更に奥から姿を見せる。
中には飛行タイプのワイバーンまでいる。
「なんだありゃ。戦争でも始める気か?」
百体は軽く超えているであろうイビルワープの大軍に、インクは乾いた笑みを浮かべた。
「――ふん。やっと本気を見せてきたか」
ゼルナルドはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「おーい! どうするつもりだ?」
声を投げかけたインクにゼルナルドは鼻で笑う。
「――ハッ、分かんないのか?」
「分かんないから、さっさと教えろ!」
「簡単な事だ。雑魚を一掃すれば、トップが嫌でも出てくるだろ」
「……それをどうやって潰すんだ。俺は嫌だぞ」
インクはげんなりとした顔をする。
インクの武器である鍵は、インク自身の体力や精神力を破壊エネルギーに転化させる。
だからこそ使用限度があり、大量の敵を潰し終える頃には疲れ果ててしまう。
「心配すんな。こいつら雑魚はオレ様がどうにかしてやる。だから、敵の大将はてめぇに任せた!」
「ああ、なるほど――って、ちょっと待て!」
最後にとんでもない事を押し付けてきたゼルナルドに、インクは思わずツッコミを入れてしまう。
「ニア! サインを出せ!」
ゼルナルドはインクを無視して、ニアへと指令を出す。
ニアは大きなため息をつくと、しぶしぶという顔で頷いた。
「兵器の使用を承認。運動エネルギー爆撃砲「サイン」起動」
インク達がいる地上から百万キロ上空。
その空間が水面のように揺れ、灰色の円柱状の物体が浮き上がる。
円柱の半分が花弁のように開き、その中に大量の細長い金属棒がロール状にぎっしりと詰まっているのが見える。
そのロールの中心が地上に向かって伸びていく。
「全敵影の空間座標の捕捉。――ロックオン完了。レールガンのシステムに異常なし。全敵影をワームホールでコネクト……完了」
地上ではニアがブツブツとよく分からない言葉を呟いている。
「ゼル。サインの発射準備が完了したわ。いつでも撃ち出せるわよ」
「よーし。ニア、サインの全弾を放て!」
「了解。敵影に全弾発射!」
ゼルナルドは手を空へと伸ばすと、大きく口角を吊り上げる。
「行けえええええええ!」
ゼルナルドが腕を振り下ろすと同時に、インク達の鼓膜が裂けるかと思うほどの衝撃音が大地を揺るがした。
凄まじい音圧に顔をしかめながら目を凝らすと、全てのイビルワープの急所を巨大な杭が貫いていた。
「……何が起きたんだ?」
隣を見ると耳を抑えてふらつくテレサが目に入り、素早くその体を支える。
「大丈夫か?」
「……ええ。一体どうなったの?」
「イビルワープが全滅した。どういう攻撃かは分からないが」
インクはゼルナルドへと目を向ける。
「さーて、これで雑魚は消えたぞ。いい加減、こそこそとしてないで出てきたらどうだ?」
宙に向かってゼルナルドは大きく笑みを浮かべた。
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