第3話 ゼルナルドとニア

 翌日、インクは指定場所のホテルを見上げて、呆けた顔をしていた。

 グラニの一等地に立つ超高級ホテル。

 足を踏み入れる事すら絶対にないと思っていた場所だ。

 思わず生唾を飲み込む。

 駆け出しの頃、死地に飛び込んだ時でも今ほど緊張したことはなかった。

 おっかなびっくりにロビーに足を踏み入れると、異世界に来たのかと錯覚してしまうほどきらびやかな世界が広がっていた。

「……ひぇ~、どれもこれも高価そうだな」

 煌びやかな細工が施された数々の調度品を見回し、思わず貧乏人丸出しの台詞をこぼしてしまう。

 挙動不審なままロビーラウンジへ向かうと、一人の若い女性が立ち上がる。

 眼鏡をかけた狐の獣人はインクを見ると、人当たりのいい笑みを浮かべた。

「インク・レンディルさんですね。お待ちしてました」

 柔らかな物腰で握手を求めてきた。

「……どうも」

 インクはガチガチの表情のまま手を握った。


「テレサ・ハーネスと言います。グラニ大学の教員をしてます」

 席についたインクに依頼主が自己紹介をする。

「……大学教授?」

「いえ、まだ助教です。でも、今回の依頼を受けていただいて、ホッとしていますよ」

「大げさだな。ただの護衛だろ?」

「……あの、もしかして依頼内容を見ていないのですか?」

 テレサの言葉に沈黙するインク。

 そういえば依頼書をしっかり読んでいなかったと、今更思い出す。

「いや、もちろん分かっているとも! 金さえ支払ってもらえば、どんな依頼も受けるのが俺の信条だからな!」

 妙な空気になりそうだったのを、嘘八百な台詞を並べ立てる。

「そ、そうですか……よかった」

「それで、詳しいスケジュールを聞かせてもらいたんだが」

「ええ、勿論です。もう一人来ますので、少し待ってもらえますか?」

「もう一人?」

「はい。インクさんともう一人の方だけが依頼を受けてくれましたので」

「誰だ、そいつは?」

「ゼルナルド・クリフォードというフリーランスの賞金稼ぎですよ」

 テレサの言った名前にインクは聞き覚えがあった。

 確か、最近フリーで腕のいい賞金稼ぎがいるとエミーが話していた。

「是非インクさんの代わりにギルドに入ってもらいたいわ」と、ふざけた事を抜かしていた事まで思い出して少しイラッとしてしまう。

「あ、来ましたよ」

 テレサの言葉に振り返ると、大量の料理を山積みにした皿を両手に持った獣人が大股で歩いて来ていた。

 しかも、その顔に見覚えがあった。

「……あん?」

「――て、てめぇ!」

 目があった二人が同時に声を上げた。

 もう一人の相手とは、昨日インクを殴り飛ばしたあのネズミの獣人だった。

「え? あの……お知り合いですか?」

 出会い頭にいきなり火花を散らし始めたインクとゼルナルドを見て、テレサが首を傾げる。

「こんなクソヤロウが知り合いであってたまるか!」

「赤の他人だよ、こんな雑魚!」

「ああ? 雑魚だと? 減らず口を潰してやろうか、ガキ!」

「雑魚を雑魚と呼んで何が悪い? 無様に這いつくばっておいて、よくオレ様に口がきけるな」

「あの時は一週間絶食だったんだよ。フルパワーの今の実力を味わってみるか?」

「面白ぇ。出来るものなら、やってみろよ」

 ゼルナルドは皿をテーブルの上に置く。

 牙を剥き出して睨み合う二人を見て、オドオドするテレサ。

「……あの、依頼の話を」

 テレサは話の軌道を元に戻そうと声を上げたが、

「悪いな。ちょっと席をはずさせてもらうぞ。表に出ろ。ぶっ潰してやる!」

「って事だ。一瞬で終わらせてくるから、ゆっくりしていてくれ」

 ギリギリと歯を軋ませながら同時にテレサに言うと、インクとゼルナルドはエントランスホールから出て行った。


 ホテルの前で互いに睨み合うインクとゼル。

 二人のただならぬ雰囲気を察して、周りに野次馬が集まってくる。

「へぇ、随分と観客が増えたな。いいのか? こんな大衆の前で恥をさらしても。表通りを歩けなくなるぜ?」

 鼻で笑うゼルナルドに、インクは不敵な笑みを浮かべる。

「けっ、御託だけは立派だな。てめぇこそ、二度とデカい面で歩けなくしてやるよ、泥棒野郎」

 インクは構えを取る。

 ゼルナルドは未だふんぞり返って無防備な状態だが、油断は禁物だ。

 この前の盗賊との戦いで実力を垣間見ている。

 その時の戦い方はインクの頭の中にあり、攻略の糸口も見つけている。

 口ではあれだけ言い合っていたが、中身は相当な実力者だと認めている。

 だが、それでも本気を出すまでではない。

「どうした? 怖気ついたか?」

「ふん。泣いて謝るなら今の内だぞ?」

「ほざけ。来いよ。虫のように潰してやる」

 ゼルナルドが指先を縦に振って、インクを挑発する。

「じゃ、遠慮なく」

 インクは呟くと同時に、ゼルナルドへ走る。

 間合いに入った瞬間、二人の視線が交錯する。

 顔面に繰り出された初手の一撃を、ゼルナルドは体を捻ってかわす。

 当たらないのは想定内。

 牽制用の一撃だったが、タイミングや角度、スピードや威力は十分な一撃だ。

 普通の相手なら、この一撃で沈んでいる。

 初撃が戻るよりも早く、二撃目の攻撃がゼルナルドへ繰り出される。

 ゼルナルドの立ち位置や気配を読み、インクの連撃があらゆる角度とタイミンクで襲いかかる。

 そのことごとくをゼルナルドは素早い動きで躱し、またインクの腕を跳ね上げて攻撃を防ぐ。

 それと同時に、インクの攻撃に出来たわずかな隙を見逃さず、躊躇う事無く拳をねじ込んで来る。

 だが、インクもその攻撃を受け止めない。

 まともに受ければ相応のダメージを抱える事になる。

 最初に攻撃が弾かれた時に、腕に来た衝撃は想像以上だった。

 力任せに防御しても、腕に溜まるダメージの蓄積で攻撃が鈍ってしまう。

 インクも巧みなフットワークでゼルナルドの攻撃を捌き、繰り出された拳を避けながら、その手首や前腕を横に押していなしていく。

 周りの野次馬達の目には二人が凄まじい速さで場所を入れ替えながら動き、互いの攻撃が入り乱れているように見えた。

 互いの強烈な気迫がぶつかり合っているにも関わらず、二人の距離は間合いに入ったまま離れない。

 ペアで激しいダンスをしているようだった。

 目まぐるしい攻防の中で、ゼルナルドの攻撃を受け流して体勢を崩させるインク。

 大きな攻撃のチャンスに身体をねじ込み、すくい上げるように上腕で体当たりを叩きこむ。

 だが、ゼルナルドは一瞬早く地面を蹴り、後方へ大きく飛び退く。

 あたかもインクに大きく吹き飛ばされたように見え、固唾を飲んで見守っていた野次馬達は一転して大きな歓声を上げた。

「――ほぉ。意外とやるな」

「ふん、まだまだ序の口だぞ。今なら土下座すれば許してやる」

「ちょっと食いついたぐらいで調子に乗るな。オレ様も少し本気をだすか」

 ゼルナルドは目を細めると、腕をグルグルと回す。

 これまでとは違う目つきで腰を落とすと、インクに対して初めて構えを取った。

 先ほどまでとは異質な空気を纏うゼルナルドに、インクも構えを改める。

 先に動いたのはゼルナルドだった。

 あたかもインクの視界から消えたかのような超高速で間合いへ踏み込む。

 インクは息を呑んだ。

 突如目の前に現れたゼルナルドの姿に虚を突かれる。

 刹那の間に、状況を把握しようと頭を高速で回転させて情報を収集する。

 今までとは桁違いの速さの踏み込みと拳を咄嗟に身を捻ってかわす。

 だが、インクが出来たのはここまでが限界だった。

 インクは体勢を大きく崩された状態。

 次の行動に移す間も与えられず、ゼルナルドは攻撃を繰り出す。

 インクは反射的に両腕をクロスさせて、襲い来る拳を真上から叩き付ける。

 周囲にゼルナルドの地面を踏み込んだ音が大きく響く。

 ゼルナルドの攻撃を殺しきれなかったインクの体は、砲弾のごとき勢いで吹き飛んだ。

「すみません! ちょっと通してください!」

 テレサは野次馬の人垣を掻き分けていた。

 ようやくそこから顔を出した時、ゼルナルド一人がふんぞり返っていた。

 インクの姿を探して、辺りを見回す。

 野次馬の視線がある方向を向いているのに気づき、それに倣って視線を向ける。

 その先には、ヒト型に穴が開いた民家の壁が埃を舞い上げていた。


 数日後、列車のターミナルにインクとゼルナルド、テレサの三人の姿があった。

 その中でインクが他のヒトの数倍の荷物を持ち、ゼルナルドに関しては紙袋いっぱいの屋台料理を持ち、ひたすら頬張っている。

「……なんで俺が荷物持ちなんだよ」

 頭にコブが出来たインクはゼルナルドを恨めしそうに見下ろす。

「てめぇが弱ぇからだ。黙って仕事しろ」

「……チッ」

 インクは全く仕事をしていないゼルナルドに思わず舌打ちをしてしまう。

 つい数十分前、荷物を持つ配分で大喧嘩して、ゼルナルドにのされていた。

 結果、全て荷物を持たされる羽目になってしまった。

 出だしからこんな事じゃ先が思いやられるな。

 インクは溜め息を吐きながら、依頼内容を思い返す。

 依頼内容は遺跡の護衛。

 その遺跡は、かつて時の神に滅ぼされた古代文明の遺跡だという。

 かなり大がかりな遺跡らしく、推定範囲の半分近くが既に発掘済みだという。

 しかも、かつての文明の産物が数多く出土していて、非常に価値が高い遺跡になっている。

 古代文明の遺産は非常に価値があるものとして取引される。

 現代より遥かに進んだ技術の宝庫であり、科学技術の進歩に多いに貢献する。

 蒸気機関車しかり、蓄音機や無線等の最先端の技術もそういった遺産を解析して得られた情報から出来ている。

 イビルワープの脅威がある以上、研究機関がいつ灰になるかも分からず、のんびりと腰を据えていられないのが現状だ。

 しかし軍事力の強化はどの国にとっても早急な課題である。

 それでも国が動かないのは、科学技術を巡って戦争が起きかねないからだ。

 エウロス連合では国軍による直接的な関与は禁止されているし、仮に護衛に関わっても煩わしい周りの目に晒され、且つ得られた技術は各国に平等に公開しなければならない。

 つまり、国が動いても全く旨味がない話にしかならない。

 金をすり減らしてまで関わりたいという国は少なく、依頼を申し込んでも渋い顔をされ、かつ結果が出るまでに長い時間がかかる。

 研究者も無駄に待たされるのは避けたいため、ギルドにも依頼が回ってくる。

 ただ、ギルドにも国軍レベルの装備を持つ会社は少なく、中々交渉成立に至らないという。

 何よりイビルワープとの戦闘になれば多大や被害が想定される以上、誰も好き好んで依頼を受けないのが実情だ。

 しかも、今回の依頼はイビルワープが出てくる事が分かっている仕事だった。

 だからこそ、大金を積んでも誰も依頼を受けなかった。

「どういう事だ? イビルワープが必ず出てくる場所なんて聞いたことないぞ」

 インクは率直な疑問を口にした。

「私にも分かりません。ですが、発掘で現状より先に進むと、イビルワープが出てきます。非常に興味深いので私もその先に何があるのか知りたいですが、私達ではイビルワープに対抗出来ません」

 テレサも首を横に振る。

「ただ、イビルワープ側にとって先へ進まれると困る物があるのなら、歴史が変わる程の大発見がある可能性は高いと思われるのです! なので、遺跡に傷を付ける事は厳禁でお願いします!」

「……もし、傷が付いたら?」

「賠償金を払ってもらいます」

 恐る恐る訊いたインクの質問にテレサはニッコリと微笑んだ。


 今思い返しても面倒極まりない依頼だな、とインクの顔が暗くなる。

 チラリと視線を落とし、上着の裾からわずかに覗く金色のブレスレットを見た。

 久々にこいつの出番か。

 そんな事を思っていると、

「見つけたああああーーーー!」

 ホーム内に女性の大きな声が響き渡った。

 その声にホーム内のヒトビトが一斉に振り向く。

 視線の先には、亜人らしき若い女性が眉を吊り上げて佇んでいた。

 ゼルナルドと同じく、白銀のセミロングの髪に、青い瞳をしていた。

 ただ亜人の特徴である細長い耳でもなく、またオッドアイでもない。

「げぇえええっ!」

 その女性を見て情けない悲鳴を上げたのはゼルナルドだった。

 手に持った紙袋を投げ捨てると、全力疾走で逃げ出した。

「待ちなさーーーーい! ゼールー!」

 そのゼルナルドを上回るスピードで女性が後を追う。

「もったいねぇ!」

 インクはとっさにゼルナルドが放り投げた紙袋をキャッチすると、適当に中身を掴み出してかぶりついた。

 モグモグと口を動かしながらゼルナルドが逃げて行った方向に目を向けると、既に女性に捕まっていた。

「何で逃げるのよ! 私は大好きなのに!」

「止めろ、それ以上力を入れるな……!」

 抱きつかれた女性の腕の中でもがきながら、必死な形相で訴えかけるゼルナルド。

「嫌よ! だって緩めたらまた逃げるでしょ?」

 と、ゼルナルドの制止を無視して腕に力を入れる。

「絶対に離さないんだから!」

 ホームの中に何かがへし折れる無気味な軋み音と、ゼルナルドの断末魔が木霊した。



「初めまして。私はニアと申します。こちらのゼルの相方です」

 ニアはそう言って、インクとテレサに笑顔で握手する。

 反対の手にぐったりとしたゼルナルドの襟首を掴んだままで。

「荷物持ちのお手伝いをしますよ。私はゼルの付き添いですから、食費も報酬も気にしないでくださいね」

 などと、テレサに愛想を振りまく。

「あ、列車が来ましたよ! 行きましょう!」

 ホームに到着した汽車を指すと、ゼルナルドをズルズル引きずりながら乗車してしまった。

 その異様な光景にインクもテレサも言葉が出せず、呆然と佇むだけだった。

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