最上級のお礼と姉
あの包み込むような声で「きみは、部屋の外に居て」と優しく言われればあたしに抗う術はあるだろうか。
本音はもちろんノエルと一緒にいてあげたかったけれど、天下の治療師(ミナ)さまが言うことは絶対だ。もちろん邪魔をするわけにはいかない。あたしは後ろ髪を引かれるように振り返り振り返り部屋を出た。なかなか出て行かないあたしを見送る彼は、困ったように小首をかしげて微笑んでいた。
決して彼を信じていないわけじゃ無い。
ただ、あたし自身がなにかしていないと心配で居てもたってもいられないだけだ。
言われたとおり部屋の外で、それでも近くにいたくて、こつんと立て付けの悪い木のドアに額をつける。
ノエル。かわいいあの子が、苦しまないように。はやく、良くなりますように…。
祈るような気持ちでそうしていると、暫くして中から二回、静かなノック音が聞こえた。
「…はい」
気のせいかとも思うぐらいのささやかな音だったけれど、あたしは遠慮がちに返事をする。忘れてはいけない。今の時間はお星様の笑顔きらめく夜中も夜中だ。そしてここは隙間風吹きすさぶ安宿。防音なんて皆無に等しい。「ドンドンドンドン!いーま!よーびーまーしーたかぁあ?!」なんて間違ってでも叫んでしまったらこの宿中の宿泊客を起こしてしまうだろう。そんな精神的にも懐事情的にもよろしくない事態絶対に起こせない。あたしにもそれくらいの良識はあるハズだ。うん。
ドアがすっと引かれて、その奥にラトゥミナ族の彼が立っていた。その顔は、うっすらと微笑んでいた。あれだけの重症を治療したにしては、どう考えても呼ばれるのが早すぎると、あたしは思わず胸の下で波打つ不安を両手で押さえる。
「入って。もう大丈夫だよ」
あたしはその言葉に、一目散に寝台に駆け寄った。
そこにいる眠り姫は、ああ、神様!あんなに具合が悪そうで土気色だったノエルの頬には血の気が差し、一見普通に眠っているとしか見えない。それが、それがどれだけ奇跡的なことか!青く腫れていた内出血のアトも、もうどこにも見当たらない。
「…なんとお礼を言ったら良いか!」
あたしは布団に顔を突っ伏したままくぐもった声で言った。感極まりすぎて何を言ったら良いかわからない。ノエルの手。暖かい…。よかった、本当に、良かった…!
ふと、横に人の気配がして、ぽん、とあたしの頭の上に大きな手がのせられた。それは、まるで頑張ったな、と言ってくれているようで…。
堪えきれない涙がぼろぼろと両目から溢れ出す。
「一人で辛かったろう」
「えっ、ひっ、本当に、死んじゃうかと、おも、おもって…!うわああああぁん!」
あたしは小さいこどもに戻ったかのように、ぶっさいくに泣きわめいた。
ラトゥミナ族の彼は、そんなあたしを、嫌な顔一つせずにそっと優しく抱き寄せた。あたしは抵抗もせず促されるまま、彼の広い胸にしがみつく。
「しかし…もう、あんな事をしようとしてはダメだ。いくら弟のためとは言え、キミのような女の子が、自分を犠牲になどしてはいけない。いいね」
あたしは言われている意味もわからずぐずぐずと鼻をすすりながら頷いた。いっぺんに泣きすぎて頭が痛い。
「名は。何と言う?」
「ノエルです。この子はノエルと言うんです。本当に、ありがとうございましたっ!」
「ああ、いや、違う。キミの名だ」
「え、あたし?…サラです。サラ…」
あたしは酸素が回っていない頭でぼんやりと言った。
「サラか。キミに似合った美しい名だ。わたしの名は、アベル。ラトゥミナ族のアベル。サラ、困ったときは、わたしを頼りなさい」
「待って!」
彼…アベルさん、いやアベルさまがあたしを優しく離して立ち上がった。別れの気配に、あたしは慌ててアベルさまの足にしがみついた。
「待って、待って下さい…!お礼は、お金は、どうしたらいいんですか…!」
「いらないよ。何もいらない」
彼は困ったように笑っている。ああ、いやだな、困らせたいわけじゃ無いのに…。
それにしてもこの人、途轍(とてつ)もなくいい人過ぎる!あたしにできることなんて限られているけれど、どうにかしてお返ししなければ!
「いけません!わたしのこの感謝の気持ちはどうしたら良いんですか!?」
「本当に、なにもいらないよ。私がやりたくてやったことだからね」
「それではわたしの気が済みません!…あ、これ、せめてこれを受け取って下さい!金貨四十枚には遠く及びませんが、これがあたしたちが持ってるお金全部です!」
あたしは懐を探って、お財布代わりのずた袋を出すと、立ち上がってそれをそのままアベルさまに押しつけた。が、それをあたしの手ごと包み込んで押し返すと、アベルさまは優しく笑いながら首を振った。
「とっておきなさい。何かあったときのために」
「…そんな…」
今度困るのはあたしの方だった。あたしだってわかってる。金貨四十枚を、ぽんと払おうと言ってくれるような人が、こんなはした金、欲しがるわけも無いって事は。
でも、じゃあどうしたらいい?これじゃあたしの気が全然済まない。
「わたしはそろそろ行かなければならない」
アベルさまはそう言うと、ぽんとあたしの頭に手を乗せた。
「…ラトゥミナ族の…」
「ん?」
「ラトゥミナ族のお礼の仕方を教えて下さい。…最上級の!」
あたしはいいことを思いついたように晴れ晴れした顔をあげた。
けれど、そう言ったら、アベルさまの表情が笑顔のままかきんと固まった。え、なんか変なこと言ったかな。
「…いや、それは…」
彼は歯切れ悪く言うと、口元を覆ってまた困った顔をする。
「ラトゥミナと、一般の常識にはかなり隔たりがあってね…」
「それはもう聞きました!お金も、お礼も受け取って下さらないのなら、せめて、あなたの世界の常識でお礼がしたいんです!あたしが本当の本当に感謝してるんだって、わかって頂きたいんです!なにもいらないとおっしゃるのなら、せめて、せめてそれぐらいさせてください…!」
「いや、もう気持ちは十分貰ったよ」
「足りません!」
「ええと…じゃあ、最上級じゃなくて、もう少し軽い感謝では…」
「ダメです!あたしの感謝は軽いものじゃないんです!いっちばんのお礼の仕方を教えて下さい!」
「どうしても?」
「どうしても!」
「後悔するよ」
「しません、絶対!」
ちょっとだけ、(彼がこんなに固辞するのはなんかあるんじゃ…)と頭を掠めたけれど、それよりももう少しで折れそうなアベルさまにもうこのまま押し切ってしまえとあたしは強く頷く。
アベルさまははぁとため息をついた。
「それを教えればキミは満足するんだね?」
「教えて貰うだけじゃダメですよ。あ、どんな面倒くさい手順でも、時間がかかってもいいですよ。実行して、あなたに受け入れて貰うまでがお礼です。それで今日のところは良しとします」
「気にしなくて良いと言っても、聞かないんだろうね…」
彼は再び、困ったような顔で笑った。
「…こっちを向いて」
「向いてます」
アベルさまは女子にしては背の高いあたしからしても更に見上げるほど高い。
「目を閉じて」
ん?目を閉じたらお礼のやり方見せてもらえないんだけど…まぁもしかしたら目を閉じてやるお礼かもしれないし、餅は餅屋、ラトゥミナのことはラトゥミナ族に任せておくのが一番だよね。そんなことを考えながらあたしは素直に目を閉じた。
「許しを請うとき」
目を閉じて視界を遮ったからか、彼の声が良く聞こえる。静かな声。ああ、やっぱり好きだな…。
「ラトゥミナでは、互いの誠と慈悲をあわせる。至上の感謝を伝えるとき…」
ラトゥミナの風習を語る彼の声が好き。凪いだ水のような清らかさで以て、あたしの身に染み入る声が。彼は、きっと、ラトゥミナ族に産まれたことに誇りを持っているんだろう。彼が大事にするものを、あたしも大事にしたい…。
「あわせるのは、互いの誠と誠」
「!!!!!!???????」
あれ、声が近くなったなァ、なんて呑気に思っていたあたしは予想外の事態に完ッ全に石化した。
「…そなたの『感謝』、確かに受け取った」
閉じてる瞼が熱い。えええええええええ今何が起こったの?え、なに、どゆこと?ピヨピヨ。
「先ほど言ったこと、嘘では無い。困ったときは、私を頼りなさい」
そうして彼が出て行っても、あたしの石化状態が溶けるわけも無く。
「んー…え、えっ、ね、姉さん?何して…姉さん!?」
空が白ばみ、太陽が顔を出し、小鳥がちゅんちゅんと朝を告げても、あたしは思考停止のまま動けなかった。元気になったノエルが石像となったあたしの背中を見てぎょっとする。
そんなノエルの声を聞いて、あたしはやっと現実に戻ってきた。気が抜けた、とも言うー…。
そうして文字通り、あたしは倒れたのである。ばったん。
「姉さん!」
ノエルの声を遠くに聞きながら、ぐるぐるとまわる頭で思う。
そう言えば、言ってた。アベルさま。何度も何度も、後悔する、とかなんとか。それを軽く流して聞かなかったアホは何処の誰だ。あたしか。
アベルさまに初めて会ったとき、許しを求められて、耳の後ろに口づけされたんだった。必死になってたから、うっかり忘れてたわ。うん、言ってた言ってた。赤の色を持つラトゥミナは、赤い色が尊いものとされるって。だから血にも神が宿るって。右耳の下に居るのが慈悲の神様で、唇が誠の神様?それでお互いをあわせて許しを乞う、ってそういやぁ言ってたわぁアハハー。
で、すっごく感謝した時は何だって?誠と誠をあわせるって?マコトってつまりどこかって言うと…そ・う☆クチビル!正解、くちびるよ。
ってことはぁ?どういうことかっていうとぉ?????
一般的にそれただのキスですからぁーーーーー!!!!!!バターン!
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