手を繋ぐ姉

 どこまでいくのだろう。




 男は担ぎ上げたあたしに気をつかう素振りもなく、屋台が犇(ひし)めく細い通りを走り抜ける。




 腰の赤い棒に店の商品や壺や篭を引っかけて落としてしまってもお構いなしだ。




 しかも悪いことに、怒声を引き離せた様子はない。しつこい追っ手はつかず離れず、がなりたてながらあたしたちを追っているのだ。




 あたしは我慢できず声をあげた。




「ねぇ!」




「黙ってろ」




「舌、なら、もう噛んだ!こ、のまま、逃げ、続ける、つもり?」




 男は器用にも走りながら舌打ちした。




「我が儘な女だな!これ以上俺にどうしろと?」




「逃げるだけじゃ、脳がないと、思わない?えっ、きゃあ!?」




 言い終わるか終わらないかのうちにあたしは男に放り出された。ぐうるりと景色がまわり、あたしは藁の山に頭から突っ込んだ!




 こっ、この、この男…一度ならず二度までも!




 あたしはぺペっと藁を吐き出しながら藁に塗(まみ)れた顔をあげた。




 そして、時が止まった。




「それも道理(どうり)」




 男は低い声で一言呟くと、足を大きくひらいて体勢を落とした。




 手が腰の棒にかかる。




 一瞬で男は腕を引き、追い付いた男たちの間を舞でも舞うように駆け抜けた。




 あんな長身で、どうしてこんなにはやく動けるのか。


 


 呻きながら倒れる追っ手。


 


 見事としか言いようがない動きだった。




 …きれい。




 どのくらいそのままの体制でいたのだろうか。




 瞳の中央がぴりりと痛み、あたしは瞬きも忘れて見惚れていたことに気づいた。




 漸(ようや)くあたしに怒りやらなんやらが戻ってきた時には、役目は終わったとばかりさっさと去ってしまった男の姿はどこにもなかった。




「桃はおいてけー!」




 あたしは顔の横でもっしゃもっしゃと藁を食んでいるロバに向かって八つ当たったが、邪魔とばかりにぶほぶほ鼻息を吹き掛けられ、怒りはいや増すばかりだった。




「ほんっと信じられない!」




 石飴を頭から被ってたのが災いして、身体中がべたべた、それに藁がくっつきがさがさで気分は最低!




 しかも手元に桃はなし。かわりに梨を買ったけど果たして甘い物好きのノエルが気に入るかどうか。




「はあ…」




 あたしは町を外れて近くの小川まで来ていた。当然、この地獄を彷徨(うろつ)く浮浪者みたいな格好からもとの可憐な乙女の姿に戻るためである。




「せーのっ!」




 あたしは気分を切り替えて、水を跳ねあげて小川に踏みいった。




 水滴はきらきらとオレンジの西日に透け、あたしのまわりに優しく落ちる。




 冷たい水はとても心地よく、時折あたしの足に小魚がコツンと当たっては慌てて逃げて行く。




 あーいい気持ち!やっぱり水は好き。水も土も太陽の光も。村で毎日毎日嫌って言うほど見てたけど、やっぱり水の涼やかなにおいをかいだり、ぴかぴかの太陽に照らされてると、生きてるって感じがする。




 あたしは大きく息を吸うと、つぷんと水に沈みこんだ。




 瞳を大きく開けば、純度の高い澄んだ水中をはっきり見ることができる。




 目の前を小魚の群れが素早く横切って行く。水面に橙の光が反射して、ゆらゆらと水中を照らす様は、とても幻想的で綺麗。じわりじわりと清廉な水に洗われて、べっとりとこびりついた石飴がゆるゆる流れてゆく。




 その時、川の流れとは違う水音が聞こえた気がして、あたしは動きを止めた。




 ん?…気の、せい?




 と思ったその時だった。あたしはいきなりすごい力で腕を掴まれ、ぐわりと水上に引っ張りあげられた!




 あたしは呆気にとられてあたしを引きずりあげた相手を見た。




 頭から顔まですっぽりと布を被ってる…背の高い男。デジャヴを感じるが、布から覗く瞳は、黒ではなく、濃い赤、だ…。




「…」




「…」




 あたしたちはお互いに無言で見つめあった。




 けぶる睫毛ひとつひとつが見えるほど至近距離でありながら、あたしは飛び退くこともなく、恥じらいすら忘れたかのようにじっと見つめた。




 目しか見えなかったが、男がふっと表情を緩めたのがわかった。




「失礼した。溺れているかと思ったのだ。私の勘違いだったようだ」




「あ、いえ、あの、はい…」




 あたしは男の目を見つめたまま、ぼんやりと呟いた。




 男はあたしの腕をそっと放すと上から下までみて、思い付いたようにあたしの頬に張り付いた髪を優しく払った。




 男の指の硬い皮膚が、あたしの柔い頬を辿って消える…。




 あたしはなにも言えず、ただ男の顔を見ていた。ひとつだけわかっていることは、あたしの顔絶対今ありえないくらい真っ赤になっているということ。




 男はそんなあたしの顔を見て、相顔を崩した。




「はは。私はまた失礼をしたようだ」




 あたしの否定の言葉は声にならず、男はそんなあたしの手を引いて岸にあがらせてくれた。




「寒いだろう。これを着なさい」




 そして、徐(おもむろ)に身体を覆う上着を脱ぐと、あたしに差し出してくれた、けどもあたしは上着なんて見てなかった。




 取り払われたフードの黒の下溢れ出た色は、なんと瞳と同じ赤だったのだ。背の中程まである赤いぱさぱさの髪の数束が、見たこともないほど複雑に編んであって、それに赤い宝石が編み込んである。




 うそ、ラトゥミナ族!?




 瞳が赤い人も、髪が赤い人間も珍しくないのだけど、髪も瞳も赤い色は、とても珍しい。…ってなんだか少し前に同じことで驚いてた気がしなくもないけど。




 黒い瞳、黒い瞳のカルミナ族、赤い瞳、赤い髪のラトゥミナ族…。




 こんなどうってこともない辺鄙な村で、レアキャラに連続して遭遇するなんて…ここ10年の運は使いきったと思う。




「か、借りれません…」




 ん?と男は首をかしげた。




 この上着は、完全にラトゥミナ族って言うのを隠すためのものだと思う。確かに赤い髪赤い目なんて目立って仕方がない。それをたかが濡れたぐらいであたしが借りるわけにいかないよね…やっぱり。




 あたしが躊躇する理由に思い当たったらしく、男はああと声をあげた。




「私のことは気にしなくていい。隠していたのは私だけの理由じゃないからな」




 よくわからないけれど、あたしが受けとるまで男は上着を差し出す手を下ろさないだろうなと思ったので、おそるおそる年季が入ったかさかさの上着を受け取った。




「ありがとう、ございます…」




「はは」




 何が面白かったのか、男は愉快そうに笑うと、あたしの頭に大きな手をのせるとくしゃりと撫でた。




 な、な、な…。




 あたしはまた真っ赤になってしまう。




「失礼。淑女にすることではないかな」




 そう言いながらも、楽しそうに笑いを堪える男の手はあたしの頭の上からどかない。




「そ、そう思うなら、やめて、くださ、い…」




 恥ずかしすぎてあたしが息も絶え絶えに言うと、男は更に笑った。




「からかうのはここまでにしておこうか。今にも卒倒してしまいそうだ」




 だ、っだれのせいだと…!




 あたしは田舎の男兄弟の中で育ったからか、こんな女の子扱いというか、一人のレディとして扱われたことが今までない。




 男の手はするりと滑り、頬の横の髪を撫でて離れた。




 その手はそのまま、あたしの目の前に差し出される。




「お手を」




 男は楽しそうに笑って言った。




 手、手!?あたしの手をどうするつもりよぉおおお!ここがお城であたしがお姫様なら格好もつくけど、ここは足下で蛙がゲコゲコ鳴いている田舎道、あたしはずぶ濡れで、この人は…まぁ王子様って言ってもいいかもしれないけど、でも村中で舞踏会みたいに手を引かれて歩いていたらそれこそ目立って仕方がない。




 躊躇しているあたしの手を、男は笑いながら優雅な動きですくい取ると、そのまま下ろして歩き始めた。




 えっ、えっ、ええ、え!?こ、これって、普通に手を繋いで、歩いて、え、歩いて、ええ!?




 もうあたしの頭はパンク寸前。




「か、からかうのは、やめてくださったんじゃ、ないんですか…」




「キミは淑女と言うより…」




 あたしがようようそれだけ言うと、男はちらとあたしを見て、楽しそうに含み笑いをした。




 あたしはそれで彼が何を言いたいかがわかって、一気にむくれた。




「どうせっ!あたしは淑女じゃありませんよ!ちいさい迷子とでも言いたいんでしょう。迷子とは手を繋いでおうちをさがしますもんね!」




 あたしがガサツなのは自分がよーくわかってる。都に住んでるお姫様となんて比べるべくもないことも。いつも思ってた。あたしがもっと、綺麗だったら。女の子らしかったら。レアンオン兄さまも、きっと…。




 あたしがいきなり押し黙ると、男は慌てて手を離してあたしの顔を覗き込んだ。




「すまない。キミを傷つけるつもりはなかったんだ。私には妹がいて、その、キミのようなかわいらしさを全く持っていない妹だから、ついキミのような妹がいたらと思ってやり過ぎてしまった。決してキミを侮辱する意図があったわけではない。許して欲しい…」




 その言葉と同時にあたしは顎をすくいあげられると、男は流れるような動きであたしの右耳の後ろに口づけた。男の髪と肌の熱が触れる。




 ひゃ、あああああああああああああ!?




 あたしはもう咄嗟に男を突き飛ばしていた。突き飛ばされた男は呆然として傷ついたようにも見えたが、はっと真剣な顔であたしに一歩踏み出した。




「違うんだ!これは仕来(しきた)りで…」




 あたしは男の声なんか聞いていなくて、その一歩が踏み出された瞬間に、怯えて毛を逆立てる獣のように一歩半飛び退り、そのまま振り返ると脱兎の如(ごと)く駆けだした。




 うわーんもうなになになになにー!




 今日は最悪な日だ!

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