遭遇する姉

 サラサラと優しい小川の音がする。




 くすんだ黄色のベット、歩くたんびに軋む床。でも野宿じゃないだけ良いわよね。


 


 あたしは窓の向こうの山を見上げた。遠い大都。でも折角だから、行ってみようとノエルを説得して向かうことにしたのが昨日。しかしか弱いうちのお姫様は、ちゃんとした町に着いた途端、どうやら疲れが出てしまったらしい。




「ごめん…姉さん」




 赤く火照った顔をベットに埋めてノエルが言う。




「いいのよ。あんたも色々びっくりしただろうしね」




 あと川で流れたし。




 あたしは冷たく湿らせた布をノエルの額に優しく置いてやった。




「そうだ。ノエル桃好きだったよね!姉さんが買ってきてあげる」




「えっ、いいよ…」




「遠慮するんじゃないの。大人しく待っててね」




 風邪の時には好きなものを食べるに限るわよね。




 あたしは宿にノエルを残して、町に向かった。わいわいがやがやと喧噪も心地良い町の中心街だ。小さな町なのに、大都への経路にあるからかそれなりに賑わっている。




 さて、桃はどこかしら。あの子ったら、食べるものまで女の子みたい。小さい頃もよく風邪を引いていたノエル。桃を貰ってきてあげた時の嬉しそうな顔が、今でも思い出せる。甘いものが好きで、我が家の戦争みたいな食卓ではじき出されそうになって、でも誰かが気づいて、ノエルの場所を確保してあげてた。




 ノエルはみんなに愛されていた。




「ねぇねぇおばさん、桃はどこに売ってるのかしら?」




「あらあんた女の子かい。桃を探しているのか。ももはあそこの…」




「どけ!」




「わ、え、あ!?」




 おばさんに桃の在処を聞いたはずが、わけもわからぬうちにあたしの体が吹っ飛び、近くの瓶売りの屋台に腰から突っ込んだ。




「いった…なにするの!?」




 棒のようなもので誰かに吹き飛ばされたと判断してあたしは割れた陶器をまき散らして吼えた。




 あたしが立っていたところに、一頭馬がぐるりと首を回して苦しそうに踏鞴(たたら)を踏んでいる。その上に、マントで体を覆った男がいた。頭まで布でつつんであって、手にはやたら立派な緋色の長い棒を持っている。




 ぎらぎらと輝く深い黒の瞳が、布の間から見えた、気がした。




 ん?




 一瞬だけ、目があったような。




 ほんの少し考えこんで、けれどすぐにはっとする。




 なんなの、あの男!




 普通ね、こんな人混みに、馬で来るなんて、ありえないでしょ!




 花の乙女を、こんな、欠片まみれにしてくれちゃって、どうしてくれ…欠片?




 あたしはふと、むっとするような花の香りととろりと顔から滴ってくるものに気づいた。怒りも忘れて、一気に青くなった。ここここ、ここ、壺売りじゃなくて、まさ、まさか…中身、入り?




「おにいちゃぁ~ん」




 厳つい声がして、ぽん、とあたしの肩に手が置かれた。びくりとあからさまに肩が震える。




「いやぁ、若いからさぁ、ついね、衝動的に、こう、売っている壺にアクロバティックに飛び込みたくなる気持ちもおじちゃんわからなくもないよ?でもねぇ、自分がしでかしたことの責任はとらなきゃぁねぇ。石飴って、聞いたことあるかなぁ?」




 い、し、あ、め…!




 あたしは危うく卒倒しそうになった。そんな高級品、こんな露天で出してるんじゃないわよー!




 石飴というものは、主に温暖で花が沢山咲くアラニア地方の特産品であり、甘く薬にもなる天然の花蜜だけれども、採取方法が特殊なため、とっても高価なものだ。蜜蜂という毒虫が巣に溜め込んだ蜜をとってくるという死人も出るぐらい大変な採取作業で、アラニアでは公認の「石飴とり」がいるぐらいだ。




 上流階級になると、食べずに肌にすり込んで若さを保つという話は聞いていて、都はすごいなぁあたしもそんなことができたらなぁとぽーっとしていた、のに!




 今全身夢の石飴塗れだけど、嬉しくない、ぜんっぜん、嬉しくない!肌がつるつるになっても、首が飛んだら意味ないのよー!




 もうどれくらいの壺を割ったのかなんて考えるだけで頭がくらくらするし、ましてや弁償なんて、できるわけないじゃないー!




「あ、あは」




 とりあえず笑ってみた。目の前の厳ついおじさんもにっこり。手には血管がびきびき。お、怒っていらっしゃる…?




「ち、違うんです!あの、あいつが、あいつが悪いんです全部!」




「どいつ?」




「あいつ…あれ!?」




 あたしの指さす先には馬に踏み荒らされた商品を片付ける向かいの商人だけ。馬も男も影も形もない。




 逃げやがった!最低野郎!




「い、いやおじさん見たでしょ!?なんかいきなり男の人が、馬が、棒が…」




「んーいやぁ見てないねぇいきなりきみがおしりからおじさんの店に飛んできたところしかねぇ」




 突如としておしりから店に飛びこんでいく人間なんているわけないでしょ!ハイテンション過ぎるわ!常識的に考えてよおじさーん!




「それに」




 おじさんはまたにっこりと笑った。




「きみ、女の子だったんだね」




 その声が異様に低くなるのを聞き取るやいなや、あたしは飛び出した。幸運にも、石飴をたっぷり浴びていたおかげで、おじさんの手がするりと滑りあたしを捕まえることが出来ない。




 ごっ、ごめんなさーい!




 後ろから聞こえる怒鳴り声を背に、あたしはするすると人混みを駆け抜けた。ヒエラルキー最下層の人間が逆さになってもあれだけの石飴の弁償代なんて、出てくるわけがない。




 大分離れてから、あたしはやっと息をついた。




 酷い目にあった…おばさんに桃を売っているところを聞いただけなのに…いきなり薙ぎ払われて、べとべとになって、石飴の、べん、弁償…。




 むむむむ、無理!あんな高いの、無理!あたしは庶民中の庶民です!




 とっとと桃買って、とっととノエルのところに戻ろう…。




 あたしは声をかけやすそうなおばさんを見つけて、片手を挙げた。




「おば…」




 いや待つのよサラ。よく確認するのよ。右よし、左よし、上よし、下よし。馬も棒持った男もいないわね。




「なにしてんのあんた」




「いえ、今後のおしりの安全ために」




 きょろきょろしているとおばさんのほうから呆れたように声をかけてくれた。




「あんた、女の子かね。だったらおしりは大事だがね、そんなにそこここでおしりを狙われているのかね」




「いえあたしのおしりにそこまでの価値はないんだけど…それより、そんなにあたし女の子に見えるかなぁ」




 擦り切れた土色の服をつまむ。男兄弟のものだから、そんなに女だってばれないと思っていたんだけどな。ちょっと前まで全然バレなかったんだけれど。




「格好は…男の子に見えないこともないけれど、声がねぇ」




「声…かぁ。うーん低い声で話さなきゃかなぁ。…あれ、おばさんもう店じまいなの?まだ閉まるには早い時間だけれども」




 おばさんはほくほくとした顔で、歯の抜けた笑顔を見せてくれた。




「それがねぇ、今日は元々結構売れた日なんだけど、極めつけはたった今さっきうちの商品を買い占めてくれたダンナがいたからさ。生ものだから、売れ残ると困ってしまうしね」




「そうなの、よかったわねぇ。何を売っていたの?」




「桃だよ」




「桃!?」




 あたしはぐぐいとおばさんに詰め寄った。




「なんだね、近いよ」




「おばさん、あたしも桃を探しているんです!ここらへんでほかに桃を売っている店は!?」




「あぁそうだったのかい。だけど悪いねぇ、ここらへんではうちの店以外に桃を扱っているところはないんだよ。また来月おいで」




「そんな!」




 あたしは絶望でふらふらと座り込んだ。桃は買えない、体は石飴まみれ、こんなんじゃノエルに合わす顔がない…。




 あたしはおばさんにとりすがった。




「うちには風邪で桃を待っている子がいるんです!どうにかなりませんか!?」




「え。あ、ああ、それじゃあさっき買っていったダンナに譲って貰ったらどうだい?6個も買っていったから、一人で食べるには多すぎるし、事情を伝えたらもしかしたら譲って貰えるかもしれないよ」




「その容疑者(ホシ)はどこへ!?」




「向こうだよ…ああ、まだ見えるね。あの灰色のマントを着たダンナだ」




「おばさんありがとう!」




 あたしはおばさんが指さした先、小さく見える背中を追って駆けだした。




「まっ、まって…」




 人をすり抜け、ぜいぜい言いながらあたしはダンナに追いついた。




 そうだ声。低く、低く…。




「ねぇあなた待って!ちょっとお願いがあるんです!」




 自分のことだと気がつかないのか、ダンナは歩みを止めない。




「あの、あそこの角で桃、おばさんから桃を買いましたよね?その桃、ひとつでいいので譲ってもらえませんか!?」




 あたしはダンナに回り込んで、正面から両手を組み合わせて見上げた。




 そのときはっと息を呑んだ。この人、黒髪だ。夜を閉じ込めたようなとても綺麗な漆黒…。鷹の目のような瞳が、あたしを映して驚いたように開かれる。その色も、深い深い射干玉(ぬばたま)!髪が黒いのは、珍しいことじゃない。瞳が黒いのも、珍しいことじゃない。でも、髪も瞳も同じ色なのは、珍しい。瞳も髪も黒いのは、カルミナ族だ…、なんて、ぼんやりしてる場合じゃない!こいつ!




 あたしは憎しみも新たにそいつの腰に下がるワインレッドの棒を睨み付けた。




 こいつっ!




 あたしは桃もノエルも頭からすっ飛んで、目の前のロクデナシの脛を怒りにまかせて蹴り上げた。




「おい」




「いっ!」




 ぐっと大きい手のひらが伸びてきて、一瞬であたしの視界は覆われた。ぎりぎりと太い指に力を入れられる。




 あ、まずいこの人、それなりに強い。




 あたしも我ながら結構強いけど、この人もなかなか…。




「なんのつもりだ…?」




「自業自得、だ、よ!その棒でイキナリあたしを吹き飛ばしておいて!」




 あたしは急所を押さえられながらもばたばたと暴れた。




「棒…?」




 怒ったように落とされる低い声。




 でも、それを吹き飛ばすように後ろから大きい濁声(だみごえ)が響き渡った。




「おぅい!やっと見つけたぞごるぁ!てめぇ、逃げられると思うなよォ!」




 あたしは一転してひっと肩を竦めた。




 ひゃー見えないけど、まさか、あの石飴屋のおじさん!?こんなところまで、あたしを追ってきたのー!?しかも言葉遣い格段に悪くなってるし!しつこい男は嫌われるわよー!




「あんたのせいよ!どうにかして!」




 男は舌打ちすると、あたしを放りだしてなんと薄情にもそのまま背を向けて行こうとする。




 あたしは即座に男のマントに飛びついた。




「どこいくの!」




「おい何やってるんだ。離せ。死にたいのか」




「そもそもあんたのせいなんだから、どうにかしてよ!」




「わかってる。だから、離せと言ってる!」




「わかってない!離したらあんたひとりで逃げるでしょー!逃げるなら、あいつら倒すか、あたしも連れて行きなさい!」




「この…っ」




 男の腕が伸びてきたから、てっきり殴られるのかと思ったら、襟首をつかまれてあたしは俵(たわら)担ぎにされた。




 お?




「舌を噛むなよ」




 聞き返そうと思ったら、男がすごい速さで走り出した。間に合わず、ガキン!と上の歯と下の歯がぶつかった。間に舌というクッションを挟んで。




 血、出た、血!




 あんたね、そういうことは、もっとはやくいいなさーい!




 文句を喋ることも出来ず、あたしは涙目で口を押さえながら、せめてもの反抗に男の背をばしばし叩いてやった。

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