夢を見る姉

「ねぇさ…おかえ、わぁ!?」




 あたしは帰るなりノエルが寝てる寝台の布団をバッと撥ねのけると中に押し入った。




「もーなによぉなんなのよぉ…」




「ど、どうしたの、ねぇさん…」




 あたしは喚(わめ)きながらぐいぐいとノエルを押しやって自分のスペースを確保すると、はぁと溜息をついた。




「ノエルぅ~!」




 細っこい首にがっしり腕をまわして、あたしはノエルの首もとに頭を押しつける。




 なんなの、あの、ラトゥミナ族!




 初対面よ、初対面なのにいきなり、普通、あんな、こと、する!?




「ねぇさん、離れて!」




 ノエルが真っ赤な顔で抵抗するけれど、もともとの腕力か風邪のせいか、あたしは蚊に刺されたようなもんで、ものともせずに自分の思考に沈む。




 本当に今日は散々だった。ラトゥミナ族も、カルミナ族も、今まで全然知らなかったけれど、ろくな一族じゃないわね、もう!




 あの暴力男、黒尽くめのカルミナ族は思い出すだけで腹が立つ…!




 赤尽くめのラトゥミナ、族は…。




 あたしは思わず顔を赤らめた。




 川の中で、至近距離で瞳を見たあのとき、本当に、彼の瞳は綺麗だったのだ。




 赤いのに、水のように、静かで…。




「あぁーっ!」




 恥ずかしくなってあたしは悶えた。な、な、なにを思い出しちゃってるかな。




「王子様…」




 ぽろりと言葉が零れてしまって更にあたしは一人で慌てた。本当にあたしはなにを言っているの!このクチが勝手に…。




 あたしが自分の口をつねったり引っ張ったりしていると、横から白くて可憐な手が伸びてきてそっと押さえた。




「姉さん…どうしたの」




 そこであたしはノエルとものすごい至近距離にいることに気がつく。川の中で、ラトゥミナ族の男とあたし触れあうぐらいの近さだったけど、今も同じぐらいの距離。




 でも…。




 ラトゥミナ族の男のひとに感じたのは、自分のじゃないくらいの心臓の高鳴りだった。だけど、ノエルにはただただ優しい安心感だけを感じる。




 あたしは、じっとノエルを見た。熱があるからか上気している頬、あかい唇…色っぽいなぁ、なんてじろじろ見てると、ぼぼぼぼと目の前の顔が発火しそうに熱くなり、急にそっぽを向かれた。




「なに?ノエル」




「姉さん…姉さんは、恥じらいというものを持った方が良いと思う」




「はじらい…」




 なんてかわいいこと言うんだろうこの子は。ハジライだなんて。




「家族に持っても仕方がないでしょ」




「親しき仲にも礼儀ありという諺があってね…」




 ちらとノエルは一瞬あたしを見て、またぱっと目を逸らす。




「なぁにこの期(ご)に及(およ)んで。あんたたちの世話はね、みっんなこのサラ姉さんがしてたのよ。今更ハジライもキツツキもあるもんですか」




 あたしはそう言うと、ノエルの首を無理矢理こっちへ向けさせた。ごきりと音が鳴って、ノエルが声なき悲鳴を上げる。




「あ、あら?」




「姉さん!」




「ごめんね」




 あたしはちらりと舌を出した。吼えるだけの体力が残っていれば首に問題はなさそうね。うん。




「よーしノエル今日は姉さんが風邪吸い取ってあげるからねーもー寝ましょ」




「それは良いけど…外套(がいとう)は脱いだ方が良いとおもうよ」




 ノエルは諦めたように言った。




 何気なく言われたその言葉にどきりとする。




 …外套。




「…姉さんそんなもの着てたっけ?大きくない?」




 どきどきっ。




「…着てたわよ?」




 咄嗟にそう言ってしまったあたしのバカ!嘘つく必要がどこにあったのよ。でも時すでに遅し。




 …だ、だってどう説明して良いかわからないじゃない?うん。そう。そういう理由。他の理由なんて、あるわけない。




 嘘だと謝るタイミングを逃したまま、あたしは居心地悪くもぞもぞとする。




 ごめんねノエル…嘘、ついちゃった。




「そっか」




 純粋なノエルは疑うことも知らないまま頷いた。ああ、良心が痛い…。




 あたしは一旦起きてラトゥミナ族から借りた外套を脱ぐと、丁寧に畳んだ。




 これ…勢いで借りたままきちゃったけど…よかったのかな。




 いいや、そういうことはみんな起きてから考えよう。今日はいろんな事が起こりすぎた。もーさっさと寝よう。




「よし!ノエルちゃんと布団は肩までかけるのよ。足も入ってる?お腹は出しちゃだめよ。上着の裾はズボンに入れること!」




「わかってるよ姉さん」




「おやすみなさい。あなたが夢の中も幸せでありますように」




「…姉さんも」




 ノエルははにかみながら言った。




 明日はかわいいこの子の風邪が良くなっていますように。




 この子が良くなったら、この町を出て、大都へ行って…。




 眠りに落ちる前に瞼をよぎったのは、赤い髪だった。




















 変な夢を見た。




 あたしは村にいた。騒がしい兄弟達の間で、息つく暇なくいつもの日常を繰り返している。




「聞いた?レアンオン兄ちゃん帰ってくるんだって!」




「えっレアンオン兄さまが!?」




 あたしは胸の前で両手を組んで目を輝かせて喜んだ。




「ついに姉ちゃんも結婚かー」




「待ってた甲斐があったな!」




 兄弟達が口々に祝ってくれる。




「ありがとう!あれ、でもレアンオン兄さま、都で、奥さん見つけてきたんじゃ…」




 あたしがそう言うと、みんなに笑い飛ばされる。




「なに言ってんだよ。それ姉ちゃんの妄想?悪い方に妄想するなんてすげーな」




「結婚前は気分が落ち込みやすいって言うしな。サラ、レアンオンを信じれば良いんだよ」




 あ…そうよね。うん。あたしの好きな、レアンオン兄さまだものね。信じなきゃ…。




 夢の中のあたしは辻褄のあわなさになんの疑問も持たない。




 そして場面は変わる。結婚式だ。あたしは溢れんばかりの花のブーケを胸に抱えている。




「おめでとう」




「おめでとう」




「サラちゃん綺麗になったねぇ」




「レアンオンも男前になったさ」




「おめでとう」




 花がくるくると舞い落ちる。




「では、誓いのキスを」




 あたしは幸せいっぱいで、隣の兄さまを見上げた。




 兄さまは、長い赤い髪を後ろで一つにまとめて、あたしの好きな赤い瞳を柔らかく揺らして、優しく微笑む。




 あたしも、恥じらいながら微笑み返す。




 …。




 あ、か?




「えっ!」




 あたしは「兄さま」を突き飛ばした。和やかだった空気が変わる。




「サラ?」




 傷ついた顔をするこの人は、違う。




 レアンオン兄さまは、髪も、目も、赤くなんてない!




 あたしは後ずさると、戸惑う人を突き飛ばして走った。




「サラ!」




 風を切る、頬が熱い。




 髪も瞳も赤いその人は、川で会ったあのラトゥミナ族の男だった。




 逃げなきゃ…そうだ、ノエルはどこ?




 ノエルはどこにいるの?傍にいてあげなきゃ…熱があるんだから。




 混乱する思考のまま、あたしは走って家まで戻った。すると、家の畑に、ノエルが倒れているのがみえた。




「ノエル!」




 あたしは慌ててノエルを抱き起こした。ノエルの黒い髪をかき分けて、頬についた泥をこする。ゆっくり重たげに、瞼が開き、黒い瞳が覗く。




「ノエル!無理しちゃだめじゃない。体弱いんだから!」




「今日は、姉さんの結婚式だから…」




 ノエルは低い声で弱々しく言う。ノエルの長身を抱えきれなくて、あたしは左半身を支えるので精一杯だ。




「ノエル。健康が第一っていつも言ってるでしょ?姉さんの言うこと聞いて」




 夢の中のあたしは、その抱えている男があたかもノエルであるかのように大事に叱る。ノエルとは、似ても似つかない、カルミナ族の男を…。




「姉さん。どうして、僕を探しに来てくれなかったの?」




 不意に「ノエル」の声音が変わった。涙の混じったものになる。




「僕はずっと待っていたのに」




「ごめんね」




 あたしは胸を打たれてそう言った。




「ごめんね。ひとりで寂しかったよね。ごめんね」




「姉さん」




 黒い瞳があたしを見つめる。




「僕をひとりにしないで」




「ひとりにしない。ずっと姉さんが一緒にいるからね。もう大丈夫」




 「ノエル」は泣いていた。あたしも悲しくなって、涙をぽろぽろこぼしながら言う。




「見つけたぞー!」




 そこで感動の場面ぶちこわしの濁声がして、ぞろぞろっと禿げたオッサンが5人出てくる。揃いも揃って同じ顔。石飴屋のおじさんの顔になっていた。




「おじょうちゃ~ん、石飴って、知ってるかなぁ?」




 ぎゃー!おじさーんあたし弁償できるほどの稼ぎないですぅ!




「ちょっと!どうにかしてよ!」




 あたしは「ノエル」に言う。




「ふん」




 「ノエル」は不遜に鼻を鳴らすとどこから出したのか赤い棒を構えた。上に。




「おい、餅だ」




「え?」




「いいから、餅だ!」




 も、餅!?




 いきなり餅と言われて慌てたあたしは近場にあった玉葱を掴むと「ノエル」に向かって投げた。コントロールが悪かったのか、芽が出たままの玉葱はふわりと「ノエル」の黒髪の上に乗っかった。




「悪くない!次!」




「は、はい!」




 玉葱を頭に乗っけたまま怒鳴られて、あたしは今度は大根を投げた。




「フン!」




 最早ノエルのカケラすらない「ノエル」はものすごいスピードで赤い棒を振り落とすと、大根を見事に千切りにした。




「次ィ!」




「はいっ!」




 そしてあたしは延々畑の野菜を投げ続け、投げるものがなくなって「ノエル」に石ころをぶつけているところで目が覚めたのだった…。
















「…」




 わ、わけがわからない…。




 寝起き早々あたしは頭を抱えた。




 ラトゥミナ族の男がレアンオン兄さまになってて、カルミナ族の男がノエルになってるって、どんな悪夢なの…。




 バクの置物って、どこに売ってたか宿のおじちゃんに聞いておこう…。

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