第180話 別れの杯



 ホランドよりカリウス帰還。

 この事実は単に王が外交交渉から戻ってきただけではない。長年に渡る軍事大国ホランドの外圧が完全に取り払われ、その立場にドナウが最も近いという事実が全てのドナウ国民を熱狂させていた。全てはホランドの軍事的脅威の裏返しの感情だ。

 さらに以前からホランド王族を降伏の証として確保している事もよりドナウの勝利を印象付けており、隣国リトニアとプラニアも自国の傘下に入った事実も手伝って、ドナウの歴史上最高の君主とカリウスを持ち上げる催しが連日開かれていた。

 お祭り騒ぎは貧民街にも及んでいる。彼らもまたドナウ国民、それに何年も前からホランドの迫害を恐れて身を寄せていた他国人も、自分達を苦しめた諸悪の根源が滅んだ事を知って祖国を想い涙した。今だけは普段、騙す者騙される者、食うか食われるか、敵対する間柄に関わらず、肩を並べて祝い合った。



 そんな喧噪の中、かつてこの貧民街を手中に収めた男が町の安酒場へと顔を出すと、開店前の料理の仕込みをしていた店主が目を見開いて男を歓迎する。

 男は簡単に挨拶して席を用意してくれと注文すると、おっかなびっくり立て付けの悪い席を指さす。席に着くと何も言わずに店主は酒瓶と杯を差し出すが、男は杯は二つにしてくれと頼むと、言われた通り男の座る席とは反対の場所に杯を置いた。

 男はしばらく一人で杯を傾けてちびちび酒を飲んでいたが、一杯目が空になる頃には待ち人が訪れた。


「やあ、呼び立てて申し訳ないレオーネ殿」


「いえ、構いませんよリドヴォルフ陛下。ですが貴方は既に王なのですから、安全に気を配ってください。それに昼間から酒場に出入りしているなどど、まるでユゴスの王太子のようですよ」


 伴も付けずに一人で出歩くリトにアラタが苦言を呈する。幾らここはかつてリトの庭だったと言っても、貧民街は人の出入りが激しい。彼の顔を知らない者もかなり居るのだ。リト自身が戦闘技術に秀でていても万が一もある。

 アラタの顔を見た店主は雲の上の大物二人が何でうちのような場末の酒場に来るんだ他を当たれよ、と内心毒づくが面と向かって言えるはずもなく、機嫌を損ねたくなかったので、何かつまみを用意しようと厨房に引っ込んだ。


「今日で最後なんですから見逃してもらいたい。明日からは本格的にリトニア再建に奔走するんですから、最後の自由という奴ですよ」


 笑って流そうとするリトにアラタは溜息で答える。彼の存在が唯一リトニアを制御出来るというのに、何かあっては困るのはドナウだ。

 そんなアラタを無視してリトは二つの杯に酒を注いで一つを手渡す。

 アラタとリトは性格的に結構付き合いやすいからか、コロコロ立場が変わってもそれほど関係に変化が無い。故郷を追われ、近しい者を失っても腐らず足掻き続ける反骨心をリトは持ち合わせている。それをアラタは好ましく思い、リトもまたアラタの有能さ、冷徹さと優しさを両立させられる愉快な性格を身近で観察して楽しんでいる節がある。

 互いに友人とは呼べないが信頼出来る間柄と言ってよかった。


「わかったよリト。そういえばガートは居ないのか?」


「彼女は和平会談の後、私の元を去りました。元々そういう契約でしたので」


 そう言ってリトはガートとの出会いと護衛になった経緯を話し始める。

 王都の貧民街でリトと出会った時、ガートは病気だったらしい。強敵を求めて旅をしていて病になり、どうにかフィルモアまで辿り着いたが、行き倒れてしまった。その時通りがかったリトに拾われて看病してもらったのが二人の出会いだ。


「その後、回復したガートは何と言ったと思います?命を救われた借りは命で返す、ですよ。可愛げも愛嬌も何も無い。おまけに無口で不愛想、いったいどうやって今まで生きてきたのか不思議です」


「本人が居ないからといって随分な物言いだな。それに今まで護って貰っておいて酷い男だ。居なくなって清々したのか?」


「違いますよ、気の置けない友人だからです。それに私がまた会えるかと聞いたら、そのうち私の子供の顔を見に行くと言っていましたから、今生の別れにはならないでしょう」


 口では不愛想と言っておきながら大事に思っているらしい。本人の言う通り気心の知れた友人、というより悪友に近い扱いなのだろう。

 ただ、リトの子供の顔を見に来るというと、数年は修行の旅をするつもりか、まだ見ぬ強敵を求めて遠方を流離うのか。求道者の生き方というのはよく分からない。

 途中、店主が酒のおかわりと料理を持って来たので一時話を中断する。料理は茹でた腸詰肉と、焼いたイモに溶けたチーズを乗せたドナウによくある家庭料理だ。塩味が強いので酒によく合う。


「そういえば近々結婚すると聞きたが。相手はカリウス陛下の実の娘、マリアとは母親が違うとかで地方領主に預けられたとか」


「ええ、まだ顔も見ていませんが、今年で16歳だそうです。参りましたよ、政略結婚なのは知っていますが、自分の半分も生きていない娘を貰うなんて」


 おかわりの安酒をあおり世の無常を嘆く。ドナウとリトニアの力関係を考えれば突っぱねる訳にはいかないし、リトニア王族の血を次代に繋げるのは王の義務だ。

 しかし、女々しいと笑われるだろうが、かつての妻への想いもまだ完全には忘れられない。そして34歳の自身に16歳の娘は少々釣り合わない気がする。かと言って二十を過ぎた未婚の王族の女など一人も居らず、いくらカリウスが政治を優先させても結婚している親族をいきなり別れさせる程鬼畜ではない。


「そうなると俺と貴方は義理の兄弟になるわけか。かつての上司と部下の力関係が逆転して、さらに今度は義兄弟になるとはな。これだから予測不可能な人生は面白い」


「全くです。人生を全て見通せたらそれは生きやすいでしょうが、それでは楽しくない」


 二人は笑い合って酒を飲み干す。お互いしがらみや立場もあり、年もかなり離れていて友人ほど気安くもないが、仕事上の付き合いだけと割り切れる間柄でもない。きっとこれからも二人の関係はこんな距離感を保って途切れる事無く続いていくだろう。

 そんな未来をお互いに想像し合い、リトニア王は友人ではない男と木製の安い杯を打ち鳴らして最後の自由を楽しんでいた。



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 そこそこ楽しい時間を過ごしているアラタとリトと違い、城の謁見の間では二人の中年が対面している。

 一人は玉座に座るカリウス。もう一人は先日ザルツブルグ領の引き渡しに向かい、帰還した直轄軍司令オリバー。今ここに彼がいるという事は、無事に任務を果たしての帰還なのだろうが、それにしては表情が硬い。


「ご苦労だったオリバー。我々の予想を超えた状況の中、最善を尽くしてくれた事、大儀であった」


「いえ、私は陛下のお言葉に値する働きなどしておりません。あのようなものは単なる事後処理です」


 力無く肩を落とすオリバーに、カリウスは無理もないと共感した。

 当初ドナウ王政府はマンフレート=ザルツブルグが素直に領地を引き渡すわけがないと確信し、直轄軍二千を差し向けた。諜報部の調査からマンフレートが徹底抗戦を叫びつつも、家臣や与力貴族との間に温度差があることを知り、保身の為に結託して謀反人を差し出すか、半分以上が戦う前に軍に降伏すると思っていた。決して一枚岩にならず、もし戦になっても戦力差から楽に鎮圧出来ると誰もが思っていた。

 だがフタを開けてみれば事態は思い通りにはいかなかった。


「ザルツブルグの一族と周辺の与力貴族が一同に集まる決起集会で内乱。与力貴族と家臣の中で恭順派と抵抗派に別れてその場で殺し合ってほぼ全滅。主だったザルツブルグの一族も死亡し、屋敷も全焼とは。救いが無いにもほどがある。

 正直、これからどう収拾を着けてよいか頭を抱えるぞ。領地経営だけでなく周辺貴族の仲裁もせねば、これからも要らぬ犠牲が増える」


 マンフレートの残した負債の返済に特大の溜息で答える。原因の半分はカリウス自身が追い詰めた結果だが、もう半分の原因は責任を取らせる人間が死んでいる。これでは責任の取らせようがない。

 さらに集会に参加した与力貴族の遺族達はかなり多い。それらが互いに争わないように仲裁しつつ、王家にこれ以上反抗しないように監視と統制を図らねば、内憂として長く残るだろう。正直面倒な仕事としか言いようがない。


「いったい誰に統治を任せるべきか。ただでさえ領土が数倍に広がって人手不足だというのに。オリバー、そなたが統治するか?」


「い、いえ!私のような凡庸な人間にそのような大役が務まるはずがございません!ではエーリッヒ殿下は如何でしょう?あの方なら格も能力も十分足ります」


「息子をか。確かにエーリッヒならうまく捌けるだろうが…。まあいい、今すぐ答えを出す必要はない。とりあえず今回の件はご苦労だった。下がってよい」


 塩の一大生産地を運営出来ればかなり裕福になれるだろうが、問題山積みの土地でもある。気苦労が多い分、差し引きは割に合わないと瞬時に計算したオリバーは申し出を辞退した。それに自分はホランド戦の功績から大領を賜る。そちらを地道に開発する方が心労を溜めずに済む。

 カリウスも八割がた断られるだろうと思っていたのでそれ以上は何も言わず、オリバーを下がらせた。



 玉座に座りながらカリウスは物思いにふける。悩みの種はもちろんザルツブルグ領だ。

 オリバーの手前急がないと言ったが、可能な限り早く手を打たねば余計な手間が増える。それに塩の生産を滞らせるのも不味い。

 こちらの予想ではザルツブルグの一族をある程度排除して、王家に服従の意思を見せる者をある程度重用、家臣も引き続きこき使う腹積もりだったが、目論見は内乱による共倒れで完全に頓挫した。

 領地の運営能力のある家が丸ごと無くなったのだ。代官の派遣程度ではこの穴は簡単には埋まらない。オリバーの言う通り要になる人間、それも王族が一人必要になる。

 当初はエーリッヒを派遣して数年間統治の練習を積ませる事を考えていたが、ここまで事態が拗れては呑気に練習などと言っていられない。


「まったくマンフレートめ、死んでもなお問題を残しおって。これを収集するのに一体何年かかると思っている」


 大敵ホランドにはほぼ目論見通りに事が運び完勝したのに、こんなろくでなしの愚物に足を引っ張られるとは思わなかった。

 しかしカリウスは王である。いつまでも愚痴を言っていても事態は好転しないと分かっていた。だからすぐに適当な人物がいることに気付いた。


「そうか、空いている人間が一人居た。ならば何とかなる」


 仕事を割り振れる人間が見つかったカリウスは少し安堵するが、手放しで喜べなかった。

 この哀れな生贄が発覚するのは数日後の領地替えの発表を待たねばならなかった。



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