最終話 戦いに生きた男の望み
ザルツブルグ家壊滅。この報はドナウ中に激震を走らせた。現当主マンフレートが王の勘気を被り、辺境開拓を命じられたのはすでに周知の事実だが、それを理由に家臣や周辺貴族が仲違いを起こして武力衝突に発展したのは誰もが予想していなかった。結果、空白地帯となった塩の生産地を誰が管理するのかが貴族達の最も大きな関心となっている。
王城で開かれているホランド戦勝利の祝賀会に参加している半数の貴族の会話は、このザルツブルグ領の今後の処遇についての憶測。もう半分は本日発表される領地替えと代官任命についてだった。
祝賀会に参加したアラタにも数多くの貴族がすり寄る有様だ。アラタがドナウにやって来てから丸四年、彼の功績は極めて大きく、既に論功行賞によって大領を賜る事は確定している。もしかしたらアラタがザルツブルグを預かるのではと貴族達は考え、取り入ろうと必死に媚を売っている。仮に外れたところで、新たに獲得した領土の広大さと彼の家臣の少なさを鑑み、売り込みをしておいて損は無かった。
アラタ以外にも可能性のありそうなのは王太子エーリッヒ、宰相ルーカス=アスマン、軍司令オリバー=ツヴァイク、この四名だ。他にも近衛騎士団長ゲルト=ベルツも功績では引けを取らないが、彼はその前から第二王子カールの家臣としてサピンに赴く事が決定している。そのため候補から除外されていた。
貴族達が少しでも旨い思いをしようと躍起になっていたが、カリウスの一声で彼等は静まり返る。いよいよ待ちわびた発表の時だ。
「皆、楽しんでいるようだな。余も長年の悩みが無くなり、この上なく良い気分だ。
知っての通り先日、ホランド王都で西方の王達との会談があった。そこで我が国の国境線を正式に決まった。さらに、解放戦に助力したプラニア、リトニアの王から此度の助力に報いるために領土を割譲すると提案があった。
余はそれを快く承諾し、プラニアの東側を、リトニアの南側をドナウの領土に組み込んだ。地図を―――」
カリウスは近衛騎士に命じて、玉座の後ろに立てかけてある大きな円柱状の棒を広げさせる。中身は巨大な西方の地図だった。太い線で分けられているのは国境線。
そしてドナウは西方の中で最も大きい。ドナウ本土以外にも、プラニアの東側、リトニアの南側、アルニアの南側、南の一部を除いたサピンの九割。これら全てがドナウの国土だった。
「この地図が新しいドナウの形だ。よく覚えておくように」
どよめく一同の顔にカリウスは誇らしげだ。全盛期のホランドに比べれば幾分小さいが、それでも四年前に比べれば数倍に広がっている。これにはそれほど野心も領土欲も持ち合わせていないカリウスも心が躍る。尤も、これからの統治の苦労を除けばの話だが。
貴族達の喧噪をよそにカリウスは次の発表に移る。貴族に下賜される領地についてだ。
まず初めに名が挙がったのはドナウ宰相ルーカス、直轄軍司令オリバー。ルーカスには併合した南アルニアの北東部を、オリバーには南部が与えられた。二人の下には多くの独立小領主が与力として仕える形となる。
南アルニアはユゴス、レゴスと国境を接する最前線。生半可な者には務まらない。さらには私情で他国に靡いては困るので、カリウスが特に信頼している二人が選ばれた。そして二人は現在の役職を解かれ、今後広大な領地の建て直しに専念する事となる。
次に名が挙がったのがアラタだ。彼には南リトニア全てを与えられた。これには貴族達も驚愕する。確かにアラタは王の娘婿でありドナウに多大な利を生み出した。彼が居なければとてもではないがホランドにも勝てなかっただろう。だが、それでも一国の領土の半分は大きすぎる。
貴族の中には声に出さずとも、この褒美を不服とする者がちらほら見える。しかし、カリウスの次の言葉でそれも霧散した。
「アラタの領地は広大である。しかし、それを治める家臣や人員が不足していると本人から言われた。故に領地は一時王家が預かり、正式に領地を賜るのは成人した我が孫オイゲンとする」
これには他国の平民にこれ以上大きな顔をされずに済むと、不満を持っていた貴族達も溜飲を下げる。アラタに頭を下げたくないが、その息子オイゲンは別だ。王女マリアを母に持つ彼なら、頭を下げるのに否はない。
さらに発表は続き、建務長官ヨアヒムと農務長官ラルフはプラニアの一部を賜った。二人は地理的にドナウに近いため、長官職はそのまま留任となった。
表向き息子が不祥事を起こして解任された学務長官ルドルフと財務長官テオドールを除いた二人の長官、法務長官ジークムントと外務長官ハンスは領地替えで空白になったドナウ本土の領地を幾らか貰い、現在の長官職を退く事となる。
ジークムントは年齢的に体力の衰えを感じて自ら長官職から降りたが、ミハエルの死後、空位となった相談役をカリウスから求められ、ハンスは今までの外交の功績からルーカスの辞した宰相を任せられた。
この後は小規模領主の任命が続き、退任した長官や軍司令の後任人事が伝えられた。代官に関しては一人一人に命令書が与えられただけだ。
大方の発表が終わったが、貴族達は一番関心のあるザルツブルグ領の処遇がまだだと気付く。しかし、主だった貴族は既に別の領地を与えられている。残っている者は居ない。
いや、一人だけ名前を呼ばれていない、というか呼ばれる必要の無い者がいる。王の隣にいる王太子エーリッヒだ。
「さて、これでおおよその論功は終わったな。しかし、一つ困った事に、先のザルツブルグ領の乱であそこは相当に揺れている。これを治めるには生半可な人物では務まらぬ」
カリウスの言う通り、周辺貴族まで巻き込んで謀反と内乱を仕出かしたのだ。事態の収拾を図るには余程の人物でなければ務まらない。それが出来るのは内政、外交、軍事、そして生まれ持った王の血筋、その全てを持ち合わせたエーリッヒに他ならない。
それを言われずとも理解している貴族達の視線がエーリッヒに突き刺さる。
「よって余自らがザルツブルグ領に赴き、事態の収拾に図りつつ直接統治しよう。そして余の代行には息子のエーリッヒを据える」
これには貴族達も信じられないと声を荒げるが、否定的な意見は聞こえてこなかった。乱れに乱れたザルツブルグ領を治めるには王かそれに準ずる格と威が求められる。それをドナウで有しているのは王族だけ。そして今ここで自由に動けるのはカリウスとエーリッヒしかいない。そう考えると何かあったら困るのは未来の王のエーリッヒの方だ。
しかし、王が城を空け続けるのはどうしても拒否感が出てくる。その感情を的確に読んでいたカリウスは、さらに三年以内に息子に王位を譲ると宣言した。
「本来はもう少し後にするつもりだったが、そうも言ってられぬ。だが、息子なら余以上の王になれると確信している。後の事は頼んだぞエーリッヒよ。そして王の証である王冠をそなたに預けよう」
「いずれは父上より王位を譲られると思っていましたので、覚悟は出来ています。未熟なれど多くの家臣達の力を借り、王の務め、粛々と果たすつもりです」
父より栄光の王冠を受け取った息子は手に取った王冠の重さに負けそうになった。しかし、自分一人ではとてもではないが支えきれない重さだが、周囲には自身を支えてくれる友や家臣がいる。彼らの為にもみっともない真似はしたくないと、己の魂に叱咤して重圧を跳ね除けた。
その姿にアラタは力いっぱいの拍手を送り、それに続けとばかりに広間は割れんばかりの拍手の音で埋め尽くされた。
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祝賀会から帰ってきたアラタをラケルとクロエが出迎える。二人の養女に癒されつつ二人の妻、三人の子供の待つ居間へ行くと、妻達はちょうど赤子二人に乳を吸わせていた。
「ただいま。ところで何でマリアはイリスに、アンナはアドリアスに乳を飲ませているんだ?」
アラタの言う通り、自分の産んだ子供ではない方の赤子に母乳を飲ませている。何か意味があるのだろうか。
「何となくどちらが美味しそうにお乳を飲むのか気になったんです。アラタも後で飲む?」
「でしたら私も片方空いてますから、どうぞ遠慮しないで飲んでください」
マリアの言葉にアンナも悪乗りして夫に乳を飲ませようとする。冗談だと分かっていても、ラケルやクロエの前で言うセリフではない。
呆れるアラタの足元ではオイゲンが小さな手で、父の膝を懸命に叩いていた。抱っこしてほしいと催促するジェスチャーだ。
「とーと、とーと」
「ああ、済まないなオイゲン。ほら、高い高いするぞ」
両手で高く持ち上げると、最近額まで生え揃った父譲りの黒髪を揺らして喜ぶ。顔立ちはマリアによく似ているが、髪の色が二人が親子だと教えてくれた。
「きっと将来、いろんな女の子を泣かせるんだろうな」
「えー、オイゲンちゃんはそんなひどいことしないよ。ラケルがちゃんといいこになるようにみてるの!」
大きくなったら美形になりそうな息子への呟きにラケルが抗議する。そういう意味ではないのだが、ラケルには悪い子になるという意味に汲んだのだろう。
それが可笑しかったアラタは大いに笑い、ラケルは父がなぜ笑うのか分からず、きょとんとしていた。
授乳を終えた二人は帰ってきた夫に、何かいい話があったのかと尋ねる。
「リトニアの南側を全部領地に貰った。まあ、俺には面倒見切れないから国に預けたよ。多少要望を出すけど、基本は王家に任せて、オイゲンが15~16歳になったら改めて所領にする」
「けど、あなたの働きが認められたという事でしょう?おめでたい事ですから、今夜は御馳走にしましょう。何か要望はあります?」
何でもいいと言いたいところだが、それを言うと怒られるので、魚にしてくれとマリアに頼んだ。
「ただなあ、俺にとっては領地なんてどうでもいいんだが。むしろ家族と一緒に過ごす時間の方が何倍も価値があるよ」
「もう、アラタ様はいつもそんな我儘を言いますね。他の貴族の方の耳に入ったら怒られますよ」
プリプリと怒るアンナ。しかしその仕草が可愛いので全然怖くない。アンナも出世より自分達と一緒に居たいと言われたのが嬉しいので怒るのは形だけだが。
「マリア、アンナ、オイゲン、アドリアス、イリス、クロエ、ラケル。みんな何よりも大事な俺の宝だよ。お前たちと一緒に過ごす時間こそ、家族の居ない俺がずっと欲しかったモノなんだ。ありがとうな」
「そんな改まってお礼を言われる理由はありませんよ。私達は家族でしょう?遠慮なんかしないで」
「そうですよ、これからもずっと一緒に過ごす相手に、そのような言葉は要りません。私こそアラタ様に会えて幸福です」
「先生、これからも色々な事を私に教えてください。そしていつか先生みたいな物知りになってみせますから、見ていてください」
「ラケルもとうさまのことだいすきだよ。かあさまたちもねえさまもオイゲンちゃんもアドリアスちゃんもイリスちゃんも、みーんなとうさまがだいすきだからね」
家族の言葉に涙腺が緩んで涙が溢れた。家族さえいれば他に何も要らないと心の中で思う。そして最近めっきり涙脆くなった事を無二の信を置くドーラから突っ込まれる。
(貴方は本当に家族の事になると感情的になりますね。それにこの惑星の不確かな存在、神は放っておいていいのですか?)
(そちらは引き続き調査をする。全ての土地、深海の底、宇宙空間、地殻内部、全てを調査し終わってからどうするか決める。それにあの神の祭壇も各地にある事が判明しているんだ。あれを破壊して影響があるかどうかも調べてからでないと、判断は下せない)
(では引き続き観測機器を派遣して情報を集めます。その間、大尉は家族のありがたみを噛みしめていてください)
少し棘のある物言いの管制人格に引っかかる物を感じながらも仕事は任せた。
実のところアラタは自分の代で神をどうにかする気は無い。本心ではどうにかしたいと思っていたが、自分一人でどうにかなる相手とも思えないし、神の力はこの星の住民にも根付いている。それらを余所者の自分がどうにかしてよいのかという葛藤が多少ある。
そう考えると、自分一人の考えで動くのは筋が違うような気がする。あるいはこの星の民が真に神を不要と思えば喜んで力を貸すが、そうでなければ余計なお世話でしかない。
それに、今の文明の発展では到底上位存在である神とやらに勝てるとも思えない。なら、自分のやる事は分かっている。
この星の文明レベルを可能な限り引き上げる事。そして自分の思想に共感する者、想いを託すべき後継者を育てる事だ。
きっと千年は掛かる大仕事だろうが、だからこそ遣り甲斐がある。
家族愛を求めて止まない穏やかな心と闘争に酔い痴れる殺伐とした心。どちらも偽りが無い。この両極端な精神こそアラタの本質だ。
(敵は強ければ強いほど壊し甲斐がある。神対人類、最高にやる気の滾る仕事じゃないか)
そうと決まればやる事は幾らでもある。この星の民全てに教育を施し、科学技術を地球と同等にまで引き上げ、いずれ宇宙へと進出させる。そして必ずおぞましい上位存在を見つけ出し、人類の底力を見せつけてやらねばなるまい。
その時にはとっくに自分は忘れ去れているだろうが、そんな事は構わない。どうせ人は千年も生きられない。しかし、道標だけは残しておく必要がある。
その役目に相応しい者も運よく自分の身近にいる。そいつに任せればきっと上手くいく。
「ならやれるさ」
急に独り言を呟く夫、そして義父を変な人だと愛しい家族達が笑うと、アラタ自身も苦笑する。
壮大な、そして狂気を孕んだ目標を立てつつもそれを脇に置き、今だけは自らが勝ち取った家族との愛を一身に受けていたかった。アラタ=レオーネは、どこまでも家族を愛して止まない男だった。
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後年、ドナウ王国は帝国を名乗り大陸を統一、さらにその後、連邦制立憲君主国となって宇宙開発に乗り出した。
アラタ=レオーネの残した数多くの知識、技術、思想、そして情報管制型電子戦機V-3E。これらを遺憾無く利用し尽した人類は千年後、宇宙探索の末、地球人類との邂逅を果たす。
この時、異なる歴史を辿った二つの人類がどのような交わりを果たすのかは、今は記すべきではない。
しかし、異郷の地に流れ着いた一人の異邦人の想いはきっと無駄ではなかった。
なぜなら――――
「レオーネ大尉、貴方の決意と想いは無駄ではなかった。どうか私に貴方を誇らせてください。私は貴方の道具として幸福でした。
そして神はもう居ません。人類は神を打倒しました。だから安らかに――――」
――――完――――
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