第179話 知は何の為にある



 ドナウに煉瓦や陶磁器文化は無い。厳密には干乾し煉瓦などはあるが窯で焼く陶器は殆ど無い。焼物に適した原料の粘土が出土しないのだ。あるいはドナウ中を探せば見つかる可能性もあるが、現状窯業が全く普及していないところを見るに、おそらく無きに等しい。

 そのため建材に使う煉瓦が欲しければ他国、ユゴスやレゴスから輸入するしかない。十数年前はアルニアやリトニアから輸入も出来たが、ホランドが征服してからは思うように入ってこない。

 それにドナウには石材が豊富にあるので、わざわざ他国から取り寄せて建材に使う必要があまり無かった。金持ちの商人や貴族の一部が物珍しさで使用して屋敷を建てることもあるが、その程度しかドナウには流通していない。

 ただ、それでは今後のドナウ発展には困るので、アラタはドナウでは数少ない煉瓦の窯を所有している男のもとに何度か足を運んでいた。



 今日も王都から竜車で丸一日揺られて、地方領内にある窯工房へとやってきた。今日は護衛以外にも見学したいとクロエも付いて来た。

 アラタが来ると、奉公人の少年が大人達に知らせに行く。しばらくすると、背中が幾らか曲がった70過ぎの老人が杖を突きながらやって来る。ここの工房主だ。


「ようこそお越しくださいましたレオーネ様。そちらのお嬢さんもこんなむさくるしい所までよく来てくれたね」


 老人は背中は曲がって髪の毛もすっかり抜け落ちているが、健康そのものという矍鑠とした笑みを見せていた。西方で70歳を過ぎてこれほど元気な老人は珍しい。


「お元気そうで何よりですアイゲル殿。注文した品が出来上がったと聞いて伺いました。こっちの娘は見学したいと言うので連れてきました。後で色々と見せてあげてください」


 老人は頭を下げたクロエに好々爺然とした笑みを見せてアラタの頼みを快く聞いた。老人はアイゲルの名で分かるように、農務長官ラルフ=アイゲルの血縁者。ヘルム=アイゲルは実の叔父にあたる老人だ。本来ならこのような工房主などやっていい身分ではないが、本人が年寄りの道楽と言い、周りの制止を振り切って今でも泥と煤で顔を汚しながら、陶器造りに情熱を注いでいた。


「ほほほ、ではモルテン、こちらのクロエ嬢さんを工房に案内してあげなさい。レオーネ様はこちらで注文の品をお改めください」


 クロエは先ほどの奉公人の少年に付いて行き一旦アラタと別れた。

 残ったアラタはヘルムに案内されて、出来上がった陶器が保管されている倉庫に入る。

 食器、花瓶、水差し、人物像。多種多様な焼き物が所狭しと並べられており、倉庫はひどく狭苦しい。見ただけでザラっとした感触だろうと分かる素焼きの壺、艶やかな光沢のある水差しは釉薬が塗られているのだろう。

 窯用の煉瓦も一緒に積まれているが、その煉瓦は二種類に分けられ積まれている。

 その片方をアラタは手に取って丹念に調べる。手触りや軽く叩いて音を確認する素振りを見せるが、実際にはふりだけで解析は管制人格のドーラにやらせている。

 すぐに解析結果が送られてくる。結果は満足のいく性能であり、炉の使用にも十分耐えられる耐火煉瓦だった。


「良い出来です。これならより品質の高い煉瓦を造れるようになります。ありがとうございます。

 では今後もこれと同じ煉瓦の製作をお願いします」


「なんのなんの礼を言うのはこちらの方です。私どもも得難い経験をさせてもらい感謝しています。貴方がドナウではなかなか手に入らないリトニア、アルニア産の粘土も山のように提供してくださり、私も年甲斐も無く張り切ってしまいました。そして今までの方法とは異なる焼き物の手法を教えて頂き、ここの工房の代表として感謝いたします」


 ヘルムは深々と頭を頭を下げて礼を言う。しかしアラタは自分はさほど働いていないと謙遜で返す。


「この耐火煉瓦は今後のドナウ躍進に必ず必要になる資材です。この工房一人一人が今後のドナウを築くと言っても過言ではありません。これからもよろしくお願いします」


 すると今度はヘルムがアラタに、自分のような酔狂者に大それた事など出来はしないと謙遜する。互いに譲らず謙遜し合うと、ひどく滑稽な気分になって一旦この話は置いておき、倉庫から出る。



 倉庫から出たアラタは一度クロエの様子を見に作業場に顔を出すと、クロエは職人に教わりながら粘土をこねていた。まだ何を作っているのか分からないが、平たくしているのを見るに何となく食器の類を作っているようにも思える。

 いつもは好奇心旺盛で、色々な人に質問している子供の顔を引っ込めて、今は真剣な顔つきで粘土を自分の思うような形へ整えている。アラタはそれを邪魔しては悪いと思って何も言わずに客室で待っていることにした。



 しばらく待っていると、あちこち服に粘土を着けたクロエが入ってきた。手や顔は水で洗ったが、服までは土が落ちなかったのだろう。


「クロエは何を作ったんだ?」


「うーん、秘密です。焼き上がったらお屋敷に届けてくれるって言ってましたから、その時までお楽しみです」


 笑いながら教えないとクロエは言う。まあ、本人が楽しみにしていてくれと言うのだから、無理に聞き出すのは大人げないと思い、ただ楽しみにしているとだけ告げた。


「ところで先生は何を造ってもらったんですか?」


「そこに置いてある煉瓦だよ。これから炉を造るからその資材としてここでかなり前から試作して貰ったんだ。今回はその試作品がようやく出来上がったから見に来たんだよ」


 そう言ってテーブルに置かれていた煉瓦をクロエに渡す。それを両手で受け取ってしげしげと観察しているが、他の煉瓦とどう違うのかよく分からないという顔をする。

 それを後から入ってきたヘルムが笑う。


「私のような毎日土をこねている者でも分かる者はそうそう居ないのですから、知識の無いお嬢さんには分かりますまい」


「確かに、アイゲル殿の言う通りか。クロエ、それは粘土に熱に強い物を混ぜて焼いている。そうすると高熱に晒されても壊れない耐火煉瓦になる。

 この煉瓦を使えば今よりずっと高い熱を使った炉が造れる。そうすれば鉄もガラスもここにある陶器も、もっと良い物が造れるようになるんだ」


 クロエはその言葉を聞いて感心したように煉瓦を叩いたり、じっくりと観察する。

 煉瓦には鉄鉱石を精製する時に出るスラグというゴミ、鉱滓を砕いた粉末を粘土に混ぜて焼いた。これによって単に粘土を焼いた時に比べて熱に強くなり、今までのように原始的な石造りの炉から、より性能の良い反射炉を造る事が出来るようになる。

 まずはここで耐火煉瓦を造り、その煉瓦で煉瓦を焼く窯を造る。その窯で耐火煉瓦を量産して、鋼を精製するための燃料になる石炭を蒸し焼きにして精製するコークス炉を造り、鉄鉱石を精製した銑鉄を造る反射炉を造る。

 それら一連の流れを大まかにクロエに説明すると、彼女はその大変さに驚く。


「ふえー、そんなに手間が掛かるんですね。それに炉って結構大きいから、この煉瓦がもっと沢山無いと造れないですよね?」


「そうだな、鉄の炉に最低一万個ぐらいは要るだろうし、燃料のコークスを造る炉も欲しい。煉瓦を焼くための窯に使う煉瓦も含めて、まずは十万個は用意しておきたいところだ。どんなに頑張っても全ての炉を建造するまでには最低でも、あと三年は掛かるだろうよ」


 十万個の煉瓦に三年と聞いたクロエは、アラタがどうしてそんなに長く待っていられるのか不思議がっていた。このぐらいの年頃の子供には一年は相当長く感じられる。だから大人の尺度と異なる感想を抱くのだろう。

 それをヘルムは微笑ましく思い、客間の棚に飾られた一枚の小さな皿を手に取って、クロエに渡す。

 手のひらぐらいの皿を目にして変だなあと思いつつ、さらに直に触れた感触でクロエは驚く。


「あ、あの、アイゲル様。このお皿、なんでこんなに白いんですか!?それに肌触りもさっき触った器よりずっとスベスベしてる!」


「ははは、それはもう六十年も前に遥か東から流れてきた皿だよ。若い頃に偶然手に入れてね、以来私はずっとこの白を追い求めていた。

 ただ、私は貴族だから職人にはなれない。だから五十歳までは大人しく貴族の職務を全うし、息子に代を譲ってから、ここで気のすむまで焼き物を作っているのさ。と言っても満足に陶器を作れるようになるまでに十年掛かった。それを思えばレオーネ様の三年など早いぐらいだよ」


 それでも一族からは良い顔をされないとヘルムは零しているが、本人は実に楽しそうに第二の人生を語る。

 彼が手に入れた白い皿は西暦六世紀地球の中華文明で誕生した白磁器に近い。成分の分析を担当したドーラは、白い粘土に植物灰や石英を砕いて混ぜて焼いたのではと結論を出している。

 ただ、そうなるとどうあっても西方ではこの白磁器は作れない。この西方では白い粘土は産出しないからだ。おそらくヘルムもそれを経験的に分かっているだろう。だが、それでもかつての夢を諦められないのだ。


「私はこの白い皿を再現しようと、職人もわざわざユゴスから来てもらい二十年以上掛けてきたが、近づくことすら叶わなかった」


「でも、先生ならこのお皿の作り方を知ってるんじゃないですか。どうして教えてあげないんです?」


「材料ぐらいなら教えたが、その材料が手に入らないと造りようがない。それに材料の配合、窯の火の強さ、焼き時間、それらは何百回も試作を行わないと適切な工程は導き出せないぞ。これは知識だけではどうしようもない。むしろ必要なのは職人の根気と執念だ」


 一応白磁器の代用品として生まれたボーンチャイナと呼ばれる骨灰磁器の作り方は煉瓦造りの対価として教えたが、ほんの一年やそこらでは形になるわけがない。これから数十年掛けて試行錯誤を繰り返さなければ到達しないだろう。そしてそこに高齢のヘルムは居ない。

 クロエはそこまでは知らないが、あらゆる知識を持つ優れた養父にも出来ない事があると知ってがっかりしていた。



 用事を終えたアラタとクロエは再び王都に戻るためにヘルムや職人達の見送りの中、竜車に乗り込む。

 揺られる車の中でクロエは今日の出来事を反芻する。陶器作りは楽しかったが、あの白い皿に何十年も掛けるのはどうにも無駄な気がしてならない。確かに綺麗で艶やかな肌触りは凄いと思うが、あくまでも皿は皿だ。代わりになる食器は幾らでもある。それなのにどうして貴族が泥まみれになって何十年も掛けなければらないのか。しかも作れないと分かった上でだ。

 それを養父に聞くと、彼は少し考えながら多分と前置きしてから語る。


「人が執着するモノに理屈も理由も無いんだよ。あの御老人は心からあの皿を美しいと感じた。少しでもそれに近づきたい、同じ物が欲しい、自分以外とその想いを共有したい。その想いがあるから命を賭けられるんだろう。

 それにクロエは無駄と言うが、そうでもない。少なくともアイゲル殿には彼の想いを引き継いでくれる人が傍にいる。彼の仕事を引き継いだ職人がいつか、あの白い皿をドナウで作る。決して世の中に無駄な事など無い」


 それに、今回はヘルムが居たからアラタも容易に煉瓦が手に入った。陶器文化の育っていないドナウで一から陶器を作ろうとしたら、もっと時間が掛かっていただろう。それを考えれば、彼らの努力と存在は無駄と切り捨てて良い物ではない。

 怒っているわけではないが、真面目な顔をしてたしなめるアラタにクロエは謝る。


「人は誰しも何かを後世に残したいと思って生きている。技術、知識、思想、血脈、財産。俺が持ってる知識だって何千年も前の名も無い先人達の築いた礎の上に成り立っている。それらをお前や多くの人に伝え続けないといけない。でないと本当に無駄な道具になり果ててしまう。

 覚えておくといいクロエ、どんなに優れた知恵も知識も、誰か人の為に使わなければ意味はないんだ。まあ、半分ぐらいは自分の為でもあるんだけどね」


 最後は笑ってクロエの頭を優しく撫でる。頭の良いこの子なら、言っている事の半分ぐらいは理解してくれるだろう。


「でしたら今日のお礼にアイゲル様達に何か贈り物をしたいんですけど、何が良いと思います?先生の知恵を貸してください」


「ふふ、さっそく使わせるのか。そうだな、男所帯だから酒でも良いし、肴になりそうな食べ物でもいい。帰ったら一緒に見てあげよう」


 ちゃっかりアラタに手伝わせるクロエに苦笑しつつ、二人は帰路に就いた。



 後世、ドナウの陶器文化はホランド滅亡を境に隆盛し始めたと伝えられる。陶器産業の盛んなアイゲル地方の中で最も古い窯工房は、創始者の名をとってヘルム工房と呼ばれ、遠方から流れてきた白い皿に魅せられた一人の酔狂者の名は長らく人々の記憶に残ることとなる。



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