第178話 保身の生贄



 王不在の城でも貴族や役人の仕事はさほど変わらない。いや、最近は別の大きな仕事が入って来たので、各省の官僚はそちらに掛かりきりになっている。

 新しい領地に赴任させる代官の選出、罷免された財務長官と学務長官に代わる新しい長官の組織再編。リトニア、プラニアに貸し出す官僚の選別も含まれている。

 ホランドに征服された土地は軒並み貴族や知識階級が殺されており、ごく少数が辺境に逃れて隠れ住んでいるか、他国に逃れて居る程度の数しかいない。その為ドナウがリトニア、プラニアに国政を担える人間を貸し出さねば碌に統治もままならない。それは二国に貸した金が戻って来ないという事である。

 誰も善意でホランドから解放し、軍事力、食糧、建築資材などを渡したわけではない。いずれ返してもらうように契約書を王同士が取り交わしていた。毎年無理の無い額でおよそ二百年の分割払いによって返済し終える計算だが、さらに領土を割譲する事で三分の一の期間に短縮する事にも双方合意している。

 リトニアは南半分の国土をプラニアは東半分を国土をドナウに割譲する事で支払額を減らした。どの道、無い無い尽くしの二国はドナウの支援が無ければまともな国家運営は出来そうもない。むしろドナウに国半分の面倒を見てもらいながら、金も人員も借りる有様。名目上独立国として再出発しても、実質ドナウの属国どころか併合地に等しかった。ただ、一応一国の王として尊重してくれる姿勢を見せてくれるので、それだけでもホランドに比べて遥かにマシな扱いと言える。

 ちなみにこの領土割譲は先の六か国会談では一言も触れていない。話題に出せば確実に他国から横槍だと口が出るだろうから、あくまでもドナウとリトニア、プラニア間による取り決めと言う形だ。それに国際間協定にも領土の譲渡は双方の国の合意さえあれば、他国に通達する義務は無いと明記してある。最初からこの取引を見越して法整備をしておいたのだ。これが武力をちらつかせた外交なら他国も苦言を呈するかもしれないが、借金返済の為となればそうそう強くは言えないだろう。

 ――――話が逸れた。つまりリトニアとプラニアはドナウに頭が上がらず、人員も融通してもらわねばなり立たない程に依存している。そしてドナウは自前の領土の統治に人員を増やしつつ、テコ入れ用の人員も用意しなければならない。はっきり言って人材不足だ。

 他国と比べて官僚機構の整ったドナウでもこの負担は大きく、獲得した領土の半分を貴族や騎士、軍人に褒美として下賜しても、まだ人材の捻出を考えなければならなった。他にも戦で命令違反をした貴族の改易先として活用したり、その貴族に領地の大きさに比して人質として人員を差し出させて、彼等を他国に派遣したり自国の代官に任命して扱き使うなど、どうにか統治の体裁を保てそうだと官僚達は胸を撫で下ろした。

 もし人が足りなければ官僚自身が異動する羽目になっていたので必死である。地球の企業で言えば、本社勤務から地方の営業所や子会社に異動されるようなものだ。アラタの居る諜報部に出向するならそれなりに出世の道もあるが、王の目の届きにくい遠方ではその目すら無いに等しい。中央にいる者からすれば誰だってそんな不名誉な扱いは御免被る。

 そんな訳で多数の生贄を選抜し終えた城の官僚達は、連日の徹夜で憔悴しているにもかかわらず、酒場を貸し切って省の垣根を超えて自分達の身が守られたのを祝い合った。



 そんな官僚達とは一歩距離を置きつつも、毎日忙しく働く諜報部の長であるアラタは、一枚の報告書を熟読している。隣の席に座る副長のクリス=アスマンは何か重要な事が書かれているのかと横から覗き見る。


「ザルツブルグ領についての調査ですか。既に謀反の可能性大とエーリッヒ殿下やツヴァイク司令には伝えてありますが追加情報でも?」


「そうなるな。マンフレート個人はどうでもいいが、その身辺を色々とな」


 直轄領マウザーへの出立を命じられ、その期限は二十日を切った。しかし、一向にマウザーに人を寄越すどころか、領民達を徴兵して抗戦の構えを見せつつあるザルツブルグに対して王政府は討伐の準備に入っている。

 王は不在だったものの、前もってカリウスは息子に全権を預けており、王に代わって軍を動かす事に異論を挟む者は居ない。反対に一刻も早い事態の収拾に動かねば、周辺国から物笑いの種になると、軍の士気は高い。

 直轄軍の大半は治安維持と街道整備の為にドナウ本土から出払っているが、まだ三千程度はドナウに居る。その中から砲兵を含む二千も差し向ければ大きな損害も出さずに鎮圧出来るだろう。


「所でクリス、あの豚は本当に王政府と争って勝てると思っているだろうか?ただ領地に籠って備えをしてるだけで、勝てるはずないのにな。何か策がなければ一日で終わるぞ」


「確かに妙な話です。まともに考えたら勝てる見込みは無いでしょう。なら何か搦め手を仕掛けてくるのが定石ですが、論功行賞から一度もそんな情報は入ってきませんね」


「俺が奴の立場なら、表向き唯々諾々と命令を聞いてマウザーに人を送って、開拓の準備を進めているように見せかけて油断させる。その後、赴任先に向かうついでに城に挨拶に来て、王族、エーリッヒ殿下かトリハロン殿下を人質にとって城を占拠する。その後、締め出された陛下に命令を撤回するよう交渉を持ち掛けるぞ」


 クリスは上司の容赦の無さとあくどい性格に頭痛を覚える。まあ、彼ならマンフレートのように追いつめられる事など有り得ないだろうから、例え話で終わるだろう。

 アラタと同様の策を考えつくとは思わないが、向こうも何かしら策を弄しても良い気がするが、全く動きが無いのは却って不気味だ。あるいは本当に何も考えていないだけかもしれないが。


「それで部長が握っている報告書にその辺りの事が記載されていましたか?」


「直接じゃないが、判断材料になりそうな情報は集まってきた。マンフレートの家臣や与力の動きを調べさせたが、連中何もしていないらしい。献策するわけでもなく、諌言する気も無い。そして負ける事が分かっていても、あの男に黙々と従っている」


「大した忠義と言いたい所ですが、なにか変ですね。そもそも忠義に厚いならこんな状況になるまで放ってはいないはずです。

 ――――敢えてマンフレートを放置している?いや、しかし一緒に反乱に参加したら自分達も処罰される。ここまでやったらどんな申し開きも意味が無い」


 二人の会話を聞いていた他の部員達もザルツブルグの動きに首を捻る。勝算も無い、起死回生の策も無い、降伏する気も無い。本当に意地と反発だけで謀反したのは同じ貴族として理解し難い。

 せめて保身からこちらに恭順する貴族が出ても良い筈だが、それすら話を聞かないというのはおかしい。余程マンフレートに義理立てしているのか、彼が怖いのか。

 しかしそこにアラタが新しい情報を追加する。報告書にはマンフレートを除いて、家臣の一部や従属領主の与力が何度か夜中に集まって、何か話をしていると書かれている。残念ながら詳細は分からなかったが、そこからアラタはザルツブルグ領で何が起こっているのか仮説を立てる。


「連中勝てるはずがないと知って敢えて何もしないんだろう。もし何かすれば本当に王家に弓引く証明になるが、ギリギリまで何もせず、軍勢を差し向けられたらすぐに降伏する。それが一番が被害が少ないと考えた。仮に一人でも兵士に損害が出れば、軍も面子で後に引けなくなる」


「え、いやですがどの道反乱に加担した段階でお家取り潰しでしょう?」


「そこで自分達で首謀者の首を差し出して、身の潔白を証明するんだろう。自分達は王家に反旗を翻した愚か者を討ち取りました。この首こそ陛下への忠義の証です、とでも申し開きをしてな。いよいよとなったらそれぐらいは保身の為にするだろう。

 まあ、そんな事も考えずに本当に右往左往してるだけかも知れないがな。それならそれで土壇場になってから仲違いして、互いに責任を押し付け合って瓦解するだけ。どちらにしてもこちらの不利にはならんよ」


 アラタの憶測にクリスを含めた部員にあり得ないと言い切れる者は居ない。貴族は誰しも家を残すのに心血を注ぐ。その為なら親兄弟であろうと競争相手として排除する覚悟が備わっている。自らを護る為なら与親も王家も排除する気概は持ち合わせていた。

 そう考えれば現状最も被害を少なくするには生贄を差し出すしかない。それがマンフレートでも恐らく他の貴族は躊躇わないだろう。却ってこの苦境に付き合わされた怨みも込めて嬉々として原因になった者の首を差し出すに違いない。


「では、諜報部で懐柔策でも仕掛けますか?」


「そんな物は不要だ。こちらから取引を持ち掛けたら向こうに対価を用意しなければならんだろう。元から平攻めでも楽に勝てるんだから、向こうから泣き付いて来ないと条件交渉で一歩譲る破目になる。

 うちはこの情報をエーリッヒ殿下やツヴァイク閣下に伝えるだけで良いさ。後は上と現場の判断だ」


 それだけ言うとアラタは資料を持ってオリバーに会いに行く。点数稼ぎに走らない上司に部員達は少し不満気だが、直接アラタには言わない。その程度で上司は怒りはしないだろうが、何を考えているのか分からない相手に迂闊な発言は命取り。誰もが口を噤んだ。



 ザルツブルグ領の最新情報を聞いたオリバーは、どちらにせよ軍は連れて行くが、多少楽が出来そうだとアラタに礼を言った。彼も謀反の鎮圧とはいえ、同じドナウ人に槍を向けるのは気が重かった。そこにまともな戦いにすらならない可能性があると教えられれば、少しは気が楽になる。

 続いて王代行で四苦八苦しているエーリッヒに報告する為に彼の執務室に向かう。代行になって専用の部屋を与えられていたが、本人は全然嬉しくないそうだ。

 案の定、現状ドナウで最も地位の高い青年は山と積まれた書類に埋もれていた。再編されたドナウ本土直轄領の資料や今度編入される新しい領地への食糧援助や治安維持の命令書、領地替えと新しく独立領主になった貴族への任命証、戦死した貴族や騎士の遺族へ送るお悔やみの手紙、リトニアとプラニアへの官僚派遣命令書などなど、あらゆる書類の最後の確認と王の印が必要になる。

 そこにアラタがまた一枚書類を持ってやって来たのが見えてげんなりする。


「そんな嫌な顔しないでください。優先順位の低い書類ですから、後回しにしてもかまいませんよ」


「けど、最後は見る必要のある書類だろう?なら仕事が増えただけだよ。それを喜べるほど私は人間辞めていない」


 大分ストレスが溜まっているのか、悲観的な意見を口にする。そんなエーリッヒを無視してアラタは書類を山の一つに乗せる。さらに積み上がった書類に歯ぎしりするが、それで書類が減る訳が無い。

 見かねたアラタは気分転換に雑談を交えて、書類の内容のザルツブルグ領について報告する。


「――なるほど、確かに優先順位は低い内容だね。それでも報告義務はあるけど。ツヴァイク司令は喜んでいそうだね、彼は兵が無駄に死ぬのを誰よりも嫌がる人だから」


「ええ、先程報告に行ったら、ドナウ人同士で殺し合う可能性が低くなってほっとしてましたよ。マンフレートの周囲が保身に長けていれば十分有り得る結末になるでしょう。元から生かして捕らえる必要もありませんし」


 謀反人となった以上討伐は必須。仮に生きたまま捕縛されても待っているのは死罪。結局は戦って死ぬか捕らえられて処刑されるかの違いでしかない。ならば可能な限り犠牲は少ない方が良い。そして保身に走って王家に媚びへつらう者を選別する良い材料になる。



 十日後、軍司令オリバーは直轄軍二千を伴いザルツブルグ領に出立した。

 兵士達は楽な仕事だと楽観視している。仮に武力鎮圧になっても、ホランドに比べればカスみたいなものだと息巻いていた。オリバーもそれには同意している。そして、さっさと済ませて軍の派遣先の振り分け作業に戻りたいとボヤく。

 だが、ザルツブルグ領が彼等の思惑を超えた事態に発展しているとは、この時誰も予想だにしなかった。それはアラタも例外では無かった。



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