第177話 六か国和平条約



 領土問題の解決した六人の王と一人の王子は、いったん休憩を挟む。給仕に酒や茶を用意させると、会談で喉の乾いていた王達は美味そうに口にする。

 この期に及んでホランドが王達を毒殺するとは思っていない。他の王達も今更不和の種を撒き散らして戦乱を続けては戦費や人員の無駄と捉えて、誰も毒味を用いなかった。

 酒を飲んでいるのは七人の内四名、他はお茶にしている。他にはドナウが用意したアイスクリームが添えられている。それを各国の王達は物珍し気に口にして、その甘さと冷たさに目を丸くしながらスプーンを止める事は無い。


「カリウス王、素晴らしい贈り物に感謝致します。砂糖を用いた菓子は時折口にしますが、このような美味な菓子は初めてです。暑い夏もこれがあれば涼しく過ごせますな」


 レゴス王アレクサンドルはあっという間に食べ終えてしまい名残惜しそうだ。そして至福の時間を提供してくれたカリウスに最大限の感謝を述べた。


「気に入って頂けて余も嬉しい限りです。わざわざ氷の神術使いを同行させた甲斐がありました。お代わりも沢山用意していますが、あまり食べ過ぎると身体を壊すので程々になさるのがよろしい」


 カリウスも自国の物を褒められて悪い気はしない。それに王達が会する場で金になる砂糖をアピール出来たのは大きい。

 外交の場では料理一つがその国を推し量る基準となり得る。生産国とはいえ黄金の百倍価値のある砂糖を使った菓子を幾らでも輸出出来ると、この場で宣言したに等しい。


「確かに食べ過ぎは良くありませんな。私の孫達も砂糖を使った菓子は大好物ですが、普段の食事より菓子を食べたいと駄々をこねるのが最近の悩みですよ。どうにか辞めさせたいと思っていますが、どうにも孫が可愛くて…」


「ははは、サハール王も孫には弱いですな。余の所も孫達がすくすくと大きくなるのを見ていると、可愛くて可愛くて、ずっと構いたくなりますので、あまり笑えません。

 そうそうアレクサンドル王、オレーシャも貴方に息子のトリハロンを見せたいとよく口にしております。いずれ孫が大きくなったら一度里帰りさせたいと思っていますので、その時はよろしく頼みます」


「それは楽しみですな。あのはねっ返りが一端の母親になれるのか随分と心配しましたが、上手くやっていけているようで、とても安心しました。カリウス王とエーリッヒ殿のお陰です」


 そう言ってアレクサンドルはカリウスに頭を下げる。衆目の中で王が王に頭を下げるのは色々と拙いが、今のは王ではなく、一人の父として嫁ぎ先の当主への礼なので、他の王達は見ないふりをしている。

 こうした何気ない子や孫の話題も国同士の繋がりを示す重要な情報である。西方の文明の度合いでは血の繋がり、家の繋がりは想像以上に強い。それが王族ともなれば一層強固な繋がりとなる。

 そう考えると、ドナウとレゴスの繋がりはそう簡単に断ち切れると、他の王達は思っていない。そしてこれから国同士で繋がりを作る場合、同じ手は有効だと証明していた。

 そこでサハールが目を付けたのが、北アルニアを手に入れて隣国となったリトニア王のリトだった。ドナウの紐付きなのは知っているが、名目上は独立国なので嫁を紹介してもドナウは口出しし辛い。


「ところでリドヴォルフ王は独り身とお聞きしましたが、もしよければ余が一族から貴殿に相応しい娘を見繕いますよ」


「これはありがたい申し出です。是非にと頷きたい所ですが、ドナウ王からも同じ言葉を頂いておりますので、今ここでは頷けません。お気持ちだけ頂いておきます」


「ふむ、それは残念だ。シャルル王には年頃の息子が一人居ると聞いていますが、そちらもドナウ王が?」


「ええ、今年で10歳になる娘が居るので、その子を息子の嫁にと申し出を受けました。愚息には勿体ない良縁ですよ」


 シャルルはサハールに申し訳ないと断りを入れた。サハールは特に気にする事無く、隣国同士仲が良いと笑っていた。元々ドナウとの繋がりの強さから、ドナウ人と婚姻するのは分かり切っていたので断られたところで怒りなど無い。ちょっとした揺さぶりだ。

 ただ、正妻は断られてしまったが、今度側室として遠縁の娘辺りを送り込むぐらいならカリウスも文句を言わないだろうから、今から誰を送り込むか検討はしていた。隣国となった以上は安全保障の意味もある婚姻はかなり重要であり、あわよくばそこから影響力を強めたいという思惑もあった。

 ちなみにセシルの妻になる少女はカリウスの実の姪だ。地方の大領主に嫁いだ異母妹の産んだ娘の一人で、一度カリウスの養子となり、五年後にセシルに嫁ぐ予定だ。



 短い休息は終わり、七人は次の議題へと移る。

 次の議題は西方の安全に関する問題である。最初に切り出したのはドナウ王カリウス。


「こたびの大戦は全てホランドへの併合圧力に対する自衛戦争だというのは各々承知しておられると思いです。最低でも今後十年、出来れば未来永劫我々は争いたくはないと思っておられるでしょう。何せ戦は金が掛かる。

 我々ドナウも二度の大戦で随分と金を使った。そこからさらに各地の再建と慰撫を考えると、これ以上軍事に金と人を割いてはいられない。それは国の再建を志す王も、新しく領土を獲得した王も同じ気持ちでしょう。

 ならば今この場において、西方六か国は互いの国に攻め込まぬ不戦協定を結んでは如何か?」


 この提案に王達はこぞって同調する。戦争と言うのはとにかく金のかかる行事であり、戦争期間中は一時的に武具や食糧は売れるが、全体的に見ると流通が滞ってしまい、徴兵によって生産力も落ちる。勝てば相手国から賠償金なり領土を毟り取れるが、負けたら目も当てられないし、勝ってもマイナス収支となる事も珍しくない。面子が掛かっているなら例え利益が無くとも戦わねばならないが、そうでなければ戦わないに越した事はない。

 提案者のドナウに与するリトニア、プラニアは率先して同意する。ユゴス、レゴスもこの不戦協定があれば、自分達も些細な事で戦わずに済み、その分の金を国内投資や新しく獲得した領土の開発費用に転用出来ると乗り気である。国内貴族や国民が騒いだところで、この六か国協定を盾にすれば、軽々しく戦えとは言えまい。下手をすれば残りの全ての国が攻め込む危険を孕んでいる。

 レゴスの紐付きであるサピンも一応の賛成を表明した。こちらは仮想敵はドナウだが、現在の国力比を考えると、どうあっても勝てそうにないので、攻め込まれない保障として最大限活用しつつ、国の再編に取り掛かるつもりらしい。

 唯一この不戦協定に反対したかったのがホランドの代表バルトロメイである。彼はホランドの民をどうすれば価値ある物として各国に宣伝するかを考えていた。その結論が傭兵や兵士としてユゴス、レゴスに雇われるという事。軍勢は完全に消し飛んだが、それでもあと五年もすれば各地の部族から若い戦士が育ち、精強な兵士が次々と供給されれば、ホランドは一定の価値のある土地だと各国は認める。そうすればどん底にまで落ちたホランドの価値を少しは引き上げられると考えていたが、不戦協定など出来てしまったら戦いそのものが西方から無くなってしまう。それでは困るのだ。

 しかし、敗戦国の王子にまともな発言権があるはずも無く、表向きは消極的に賛成しつつ内心は当てが外れたと悔しがった。こうなるとホランドにある産業など、羊の毛織物や敷物に脚竜、あとはユゴス=レゴス以東に傭兵として出稼ぎさせるぐらいしかなく、価値の低い土地だと思われて民も低く扱われる。

 どうにかしたかったが、手札が少なすぎて話にならない。

 結局この不戦協定は六か国全てが賛成し、開催地の名を取ってカドリア条約と呼ばれる平和条約として長らく西方の平和に貢献する事となった。



 平和条約に署名した王達はこれで暫く戦から離れられると明るい顔をしている。ちなみにバルトロメイは署名していない。彼は王ではないし、そもそも今日付でホランドは完全に解体されるので、署名しても無駄でしかない。自身の思惑も外れ、ホランドの民が活躍する戦場が与えられない現状に溜息しか出ない。

 そこでふとバルトロメイはドナウ王の狙いに気付く。彼はホランドの再興を恐れて、戦いを取り上げるつもりではないのか。戦士に戦場を与えてしまえば、嬉々として戦い名声を手に入れる。それを使って派閥や勢力を構築する事も不可能とは言わない。そこにかつての王族が居れば、担ぎ上げる者が居ないとは言い切れない。そう、自分達カドルチーク王家である。

 それに気付いたカリウスが二度とホランドを浮かび上がらせないように戦いそのものを取り上げてしまった。

 考え過ぎかともバルトロメイは思ったが、こんな悪辣な手を思い付く人物には一人だけ心当たりがある。


「所でカリウス陛下、この平和条約を考えた人物は娘婿のアラタ=レオーネ殿でしょうか?」


「良く分かったな。これからは戦より内政に金と人員を回すべきだと熱弁していた。余もそれには大いに同意していたから、義息に草案を作らせた。中々よく出来た条約だろう?」


 やはりかと全て納得した。あの男なら戦を政治の一手段と割り切って、突出した軍事力を寝かしつける事も厭わないだろう。ホランドへの最後の止めに加えて、先日カーレルを放出して面倒を見させた事への報復処置も含まれているに違いない。それに暗殺は戦時より平時の方が効果は大きい。

 バルトロメイは最初から最後まであの男に引っ掻き回されたと負けを認めた。


「ええ、全くです。出来過ぎて文句のつけようがありませんよ。尤も、軍人出身のレオーネ殿が率先して平和を望むとは意外ですが」


「ふむ、そう言えば余の従兄弟のアンドレイも、カリウス王の娘婿は強い相手との戦いを望む武人だと称していましたな。それが平和とは確かに驚きだ」


「お二人の言は尤もですが、アレは戦に固執する男ではないですよ。確かに戦いに喜びを見出す男ですが、いざとなれば戦わなくとも生きていける男です。『戦いだけが他者と競う手段ではない』いつかそのような言葉を口にしていましたな。私見ですが平和な時代なら、アレは商人にでもなっていたでしょう」


 アラタの功績や武勇を人伝や噂で知る王達は意外な人間性を知って驚きを隠せない。特にレゴス王アレクサンドルは従兄弟が似たような気質なので、同様に三度の飯より戦が好きだと思っていたが、身内からの視点では随分と違う人物らしい。

 たった三百で平地の二千の騎兵に仕掛けて、あまつさえ僅か二人で真正面から突撃して百人以上殺害した豪傑が、誰よりもホランドに死を振りまいた男が、戦わなくても生きていけるなどと口にするなど、出来の悪い冗談としか思えない。でなければ神話の怪物か何かだ。

 ただ、カリウスを除き、唯一アラタを深く知っていたリトは、だからあの男は怖いのだと思う。

 リトが思うに、アラタは戦を用いずに西方をドナウの勢力下に置く気なのだろう。戦となればどうしても自国に被害が及び、経済も滞る。それより内政に力を入れて、軍事力だけでなく、国力そのものを強大化させて経済と文化面で他国を押し潰す気なのだ。それにはリトニアの穀倉地帯とサピンの豊富な鉱山資源、それにドナウの財源が必須となり、準備と再建に十数年を要するだろうが、彼はそれを気にしないだろう。

 若い人間は早く成果を上げようと短絡的な手段に訴えやすいものだが、彼にはそれが無い。優れた知識や技術も強みだが、長期的思考と広い視野こそ彼の最も厄介な武器と言える。


(味方と言うか、宗主国の重鎮で敵対する必要が無くて良かった。敵対さえしなければ支援してくれる気質もありがたい)


 ただ最低限情報を抜かれないように、リトニアにも諜報部を作っておく必要はあった。幸いその手法は間近で見ているので、他国に比べれば負担と時間は掛からない。

 リトは自分以外の王を見渡す。その誰もが平和と安定を望んでいる事を知り、どの国も損をせず喜ばれ、自国の利益を最大限生み出す策謀に、アラタこそがドナウの頭脳と認めた。彼が生きている間はドナウに逆らわず、ひたすら力を蓄えて次世代にリトニアを託す。それが最善だと深く心に刻み込んだ。



 そしてバルトロメイはカドルチーク王家の廃絶を自ら認め、正式にホランドの滅亡を宣言。公称337年、実質100年の王国の歴史に幕を閉じた。

 しかし血だけは存続を許され、レゴス王アレクサンドルはバルトロメイの息子ヴィクトルにレゴス貴族から嫁を出し、子を残す事を許した。それにはドナウ王カリウスも何もしないわけにはいかず、そのうちタチアナにも婿を宛がうと約束しなければならなかった。意地の張り合いというか、片方を認めたのなら、もう一方も認めなければ狭量な王だと思われる。それをカリウスは嫌っただけだ。

 バルトロメイはそれに感謝を述べたが、自身の事は言及しない。今なら共にユゴスへと下った正妻と新しい子を望む事も出来たが、祖国再起の芽が完全に摘まれたのを悟り、諦観の念がやる気を奪っていた。



 和平会談は和やかな雰囲気のまま大きな問題も無く閉会した。これからは戦ではなく復興と繁栄の時代、平和と安寧に包まれた慈愛の時代に王達は輝かしい未来を夢見てそれぞれの国へと戻って行った。



 ドナウ歴496年7月1日―――黄金の時代の幕が上がる。



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