第172話 飴と鞭の使い分け



 エーリッヒ率いるドナウ直轄軍、王都に帰還。その報はすぐさまドナウ全土を駆け巡り、暴虐なるホランド王およびホランド軍を壊滅させた勇者達を喝采を以って出迎えた。

 ホランド軍五万、そして二十数年西方を騒がし続けた元凶ドミニクを討ち取り、リトニア、アルニアを解放した武勲は過去並ぶ者の居ない伝説として、吟遊詩人がこぞって歌い、演劇の主人公に取り上げられた。

 ただ、実は半月前に帰還したカールの方が詩人の人気は高い。戦では兄に比較にならなくとも、こと話題性は弟の方が上である。それにはやはり伴侶となったロベルタの存在が大きく関わっている。

 亡国の姫を見初め、彼女の為に命懸けで悪のホランドより国を取り戻す。出来過ぎと言えるほどに物語性のある二人の関係はエーリッヒ以上に歌にしやすく、特に女性に好まれるラブソングや恋愛劇としての地位を確保していた。英雄譚はエーリッヒ、恋愛劇はカール、そして立志伝はアラタと、この時代の吟遊や劇はこの三名を除いては語れない程に定番となった。

 吟遊の殆どは参加した兵士が酒場で語った酔っ払いの大言が元になっていたので、事実など二割も含んでいたらマシな方であり、中にか掠りもしないような荒唐無稽な歌も多かったが、そんな歌でも国民はこぞって聞きたがり、酷い物になるとエーリッヒ自身が剣を執ってホランド騎兵をばったばったと薙ぎ払っては、ドミニク本人を討ち取るような無双の英雄として語るような詩人も決して少なくなかった。何時の時代も人は派手な話を好むものである。

 そして終戦によって良い事もある。帰還した兵達は連日街のお祭りを楽しみ、開戦から冷え込んでいた景気を一気に過熱させたのだ。年越しの祭りも盛り上がらず、年始の竜レースも無期限の中止、さらに一万五千の男が居なくなったドナウ全土は消費も落ち込み、商人は顎が上がっていた。その反動から商人はこぞって祭りを盛り上げて今までの損失分を取り返そうと躍起になり、それが兵士達の消費を誘っていた。

 既に地方軍の兵士一人一人には王家から僅かだが礼金が支払われ、直轄軍には纏めて数ヶ月分の給金が手渡された。これだけでもかなりの出費になって国家予算と言えども苦しい筈だが、どうにか支払い切れるのはここ数年の砂糖貿易のお陰である。一時は金の百倍にまで高騰した砂糖の代金によって国庫はかなり潤い、命懸けで戦ってくれた兵士に気前よく賃金を払えた。

 その金を使い今度は今までの鬱憤や獣欲を晴らすが如く、多くの兵士は連日歓楽街へ繰り出しどんちゃん騒ぎに明け暮れた。一部、家庭を持つ兵士は何も言わずに妻へ給金を渡し、長く家を空けて不機嫌な妻へのご機嫌取りに余念がない。



 そして帰還より十日後の5月1日。略式ではあるが論功行賞が王城で執り行われる。

 今回の戦に従軍した地方貴族や近衛騎士、さらに直轄軍士官が一堂に会し、多くの貴族は今か今かと下賜される恩賞を待っている。しかし反対に怯えを見せる者も居る。解放した土地で強盗働きを働いたゲハルト=ザント、独断専行を働いて部隊を壊滅させてなお生き残った貴族達。彼等は謹慎を解かれて今この場に居るが、その姿はまるで親に叱られる前の子供のような弱々しさを見せていた。

 その中に独断専行を扇動したルードビッヒ=デーニッツとトビアス=ハインリヒも殊更痛まし気な顔をして端に控えていた。面の皮の厚さはまさしく貴族の中の貴族と言えた。



 そして、むせるほどの熱気の中、宰相のルーカスがざわめく貴族達を黙らせ、カリウスの言葉でいよいよ始まる。


「皆の者、こたびのホランドとの大戦、まことに大義であった。未だホランドは瀕死ながら生きているが、それもあと僅か。後は盟友であるユゴスとレゴスに任せておくとしよう。

 この戦で不幸にも命を落とした者は余が今この場で冥福を祈ろう。皆も散って行った者達を想い、しばし喪に服してもらいたい」


 そう言うとカリウスは目を閉じ、死者への祈りを捧げる。それに倣い、この場に居た者全てが同様に目を閉じ、静かに黙祷を捧げた。

 暫しの後、カリウスは目を開けて、貴族達に眼を開けろよと命じた。


「さて、死者への祈りも済んだ。後はそなた達が求めて止まない褒美を取らせるとしよう。尤も未だ正式にユゴス、レゴス間での国境も制定されていない以上は、大まかな土地の大きさしか教えられぬ。だが、出来る限り早く三国で取り決め、詳細を詰める事は余が約束しよう。

 それでは論功行賞を始める」


 貴族、近衛騎士、軍人、全ての者が自分の名が呼ばれるのを固唾を飲んで待つ。

 功績と言っても突出した戦果を挙げた者が居るわけではない。元々集団戦法に長けたドナウの軍制では抜きん出た手柄を立て辛く、如何に犠牲を抑えて総司令官の命令を忠実にこなせたかが判断材料となる。ただ、例外的にホランド主力軍別動隊と死闘を繰り広げた近衛騎士団の損失は、初めから壊滅前提の運用だったので減点対象とはならない。

 カリウス自らが一人一人名前を挙げ、名を呼ばれた者は例外なく喜びを隠さなかった。王自らが個人の功績を称える。こうした気配りも人心掌握術の一つなのだろう。

 主に領地の無い、または家から独立したい軍人や騎士は、これを期に独立領主の道が開けた事を喜び、元から領地のある貴族も土地が増える事を何よりも喜んだ。兵と一族から代理を出した城の中央官僚もこれに含まれている。

 そんな中、他の貴族とは比較にならない加増を言い渡された者が何名かいる。

 直轄軍司令オリバー=ツヴァイクを始めとした参謀や副司令などは、前回のホランド戦で見送られた褒賞と合わせて、今回大幅に加増されている。近衛騎士団長のゲルトや息子のウォラフも同様に功績から大幅な加増を約束された。

 アラタも大きな功績のあった一人として、極めて広大な領地を賜る。この四年間、軍事、経済、学問、あらゆる分野で功績があっても異邦人が大領主になるのに嫉妬する者も少なくないが、多くは仕方のない事だと割り切っている。それに、いい加減王女の伴侶が土地無しは恰好が付かないし、正当に評価してもらえない前例を残されると、いずれ自分達が困るのだと冷静に考えられる貴族は多い。

 とは言え本人は統治する為の手足となる家臣が全然居ないので現実的に統治が不可能と判断していた。だから早々に王家に預けて、息子のオイゲンが成人した時に改めて貰えるように、あらかじめカリウスと話を擦り合わせておいた。カリウスも自分の領地経営にアラタが掛かりきりになると、ドナウ全体の発展が滞ると危惧し、両者の考えは一致していた。

 そして南進軍総司令官のカールは王子である事、サピンの遺児ロベルタの婚約者でもある事から、彼だけは具体的な領地が言い渡された。


「旧サピン領の三分の二を領地とする。さらに独自裁量で家臣となる家に自らの領地を下賜する権限も与えよう」


 これは王に匹敵する権限が与えられたに等しい。これだけの大領ならば王家に反旗を翻して独立国としてやっていく事も出来た。まあ、カール自身の気質ではそれは難しいだろう。それに最近は王族としての自覚が育ち、自身の持つ王族の権威や力の恐ろしさと利便性が身に染みたのか、間違っても甘言に乗せられるような事は無い。

 しかしながら若年の王子と言う事で、上手く取り入ってしまえば好き放題できると良からぬ事を考える貴族が、これから彼に接触を試みるだろう。それを上手く捌くか、反対に良い様に扱き使うかはカール次第である。



 カールの功績発表が終わると、上機嫌だったカリウスは打って変わって不機嫌さを露わにする。その豹変を見た貴族達は『ああやっぱり怒ってるか』と自分に関係の無い者は暢気に構えていられたが、関わりのある貴族は恐怖に震える。


「さて、ホランドに完勝した事は喜ばしい事だが、それに水を差す様な真似をした愚か者には罰を与えねばならん。余は出来る限り臣下には公正にありたいと日頃から思っておる。故に信賞必罰は必須である。

 まずはサピン解放という大義の中、己の功績を優先させて規律を乱し、総司令官カールを蔑ろにした者。多くの兵を扇動し、徒に犠牲を増やした痴れ者。ルードビッヒ=デーニッツ、トビアス=ハインリヒ、そしてその父、学務省長官ルドルフ、財務長官テオドール、まずは四名に処分を言い渡す」


 四人に下される罰則は重い。二人の長官は引責辞任して隠居、ルードビッヒは領地没収、トビアスは近衛騎士団を除名。さらにドナウ本土からの無期限の退去命令。お家取り潰し手前の厳しい罰であった。


「ただし、これまでの働きに報いる為に、今回獲得した領地より幾らか土地は用意する。そこを治めて良き領主となれ。これは余の恩情である」


「はは、寛大な処置、そして陛下の慈悲に感謝致します」


 四人を代表してルドルフは深々と頭を下げてカリウスに感謝を述べた。全ては己がマンフレートを焚きつけてアラタの足を引っ張った事が発端となり、王の勘気を買い、疎まれた。上手くあの豚を煽てて自分は素知らぬ顔をしていたが、それも見抜かれていたと後になって知らされ、後始末を命じられた。

 それがマンフレートを始めとした王家に従わない貴族や騎士の排除だった。息子を巻き込んだのは申し訳ないと思ったが、代わりにプラニアに今の領地の数倍を与えると褒賞を約束されれば否とは言えなかった。断ればその場で家は取り潰し、まだ領地を用意しくれるだけ、本人の言う通り恩情である。ハインリヒも同様に、サピンに幾らか領地を用意され、今後はカール王子の片腕として内政に関わると聞いている。反抗心を抑える旨味を同時に示されては叛意も鈍る。

 この処分は他の独断専行に加わった貴族や騎士にも適応され、領地は削られるか召し上げられたが、新しく獲得した領地から幾らか与えられて、そこを統治する事となる。騎士も近衛騎士団の除名処分を受けたが、最低限代官の仕事を用意するとだけ通達された。身一つで放り出されるよりはかなりマシである。

 ちなみにルードビッヒのような焚きつけ役は表向き譴責を受けたが、ほとほりが冷めてから埋め合わせと密命を遂行した褒美に加増が約束されていた。


(もう自分のような年寄りの時代ではない。自分ではどうあがいても勝てそうにない相手が居たと分かれば、その男に道を譲るのも老人の仕事。後は若い者に任せるか)


 息子に面倒な仕事を押し付けてしまったが、ルドルフは自分でも意外なぐらいスッキリしていた。

 口惜しさはあってもアラタを完全に認めていた。だからこそ、彼にこれからのドナウを託しても不安に思わない。思い残す事はさほど無かった。

 それにと、ルドルフは震えるマンフレートを盗み見る。あれの末路に比べれば、我が家やハインリヒは首の皮一枚繋がっているだけマシである。


「最後になったが、マンフレート=ザルツブルグ、その甥ゲハルト=ザントよ。両名に処分を言い渡す。

 領地を一時王家に返上し、直轄領マウザーの地を開拓せよ。何も無い土地だが、何でもよい。領地経営を軌道に乗せ、その土地で出来た物を余に献上せよ。その結果如何によっては領地に戻る事を赦そう」


 カリウスの言葉に二人は絶句する。周囲も王家を本気で怒らせたザルツブルグ家に対する重い処分にどよめきが起こる。

 直轄領マウザーはカリウスの言う通り、まったくの手つかずの土地である。ドナウの北東部に位置し、幾つかの山に湖というか沼地があるだけ。主要の街道にも繋がっておらず、海にも面していないので港なども無い。誰も住んでおらず、王家が面倒を見ているだけで、代官も置かれていない。

 そのような土地を開拓するなど何十年掛かるか分からない。しかも元居た領地を召し上げられてしまっては、他に行く当てもない。事実上の流刑処分である。


「な、なんと無体な。陛下は血の繋がった親族を野垂れ死にさせても構わないと仰るのか!」


 遂に我慢出来なくなったマンフレートは怒りに任せて絶叫する。その言葉が却ってカリウスの逆鱗に触れてしまい、懐に差していた短剣を投げつけられた。放たれた短剣は鞘に入っていたので身体に刺さる事はなく、無駄に付いた贅肉によって弾かれて、乾いた音を立てて床に転がる。


「その親族を虚仮にした輩が偉そうな事をほざくな!!余の勅命を破った愚か者を庇い立てしただけでなく、軍総司令のカールに釈放しろと迫り、あまつさえそれが叶わぬとなったら、勝手に戦を抜けると敵前逃亡まで仄めかして脅したそうだな!

 好き勝手に振る舞い、王子を虚仮にした痴れ者がっ!首が繋がっているだけでも、その血に感謝する事すら無いのか貴様は!」


 普段怒りを見せないカリウスの怒りは凄まじく、その場にいた全員は言葉を失う。睨み付けられたマンフレートは恐怖に震え、情けない声を漏らすが、誰もそれを気にしない。

 マンフレートにとって生まれて初めての強い叱責。それもドナウ中の貴族が見ている中での罵倒は甚くプライドを傷つけられて、カリウスへの強い殺意に転じる。自身の行動を省みれば当然の叱責でしかないのだが、生まれて三十余年、一度も他者に叱られた事の無い男には、自分を省みる発想すら存在しない。


「今から三ヶ月時間をくれてやる。その間に準備を整えてマウザーに向かえ。出来なければ叛意ありと見なし、討伐も考える。よいな!」


「―――ぐぐ、承知致しました」


 殺意を抑えるのに自制心を総動員しているマンフレートにはそれだけしか口に出来なかった。

 この処分を最後に論功行賞は閉会した。真面目に責務を果たした者は領地加増に明るい未来を夢見るが、そうでない者は陰鬱な顔を隠しもしない。ただ、完全に進退窮まった者は一人もいない。最低でも新しい土地で再起を図れる余地は残されており、野垂れ死にする心配だけは無い。

 と言うより今のドナウには人員を無駄遣いする余裕は無い。数倍に広がった領土を統治するには教育を受けた者がどれだけ居ても足りないのだ。

 最低限振るいに掛けて考えの浅い者や王家に叛意のある者は排除した。生き残った者もそれらの末路を見て、二度と王家を軽く見る事も無い。

 全ては百年先のドナウの事を思い、後の憂いを排除するカリウス流の政治方針と言えた。


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