第173話 存在意義



 論功行賞から数日後、レオーネ家は久しぶりに大人数での夕食だった。カールの婚約者として城住まいのロベルタと、一時的にプラニアに戻っていたセシルが帰って来たので、いつもより騒がしい夕食だった。ラケルもクロエも久しぶりに親戚の姉と一緒に会って食事もしたので上機嫌だ。

 セシルも数か月振りにレオーネ家の面子に会えて嬉しそうにしている。ただ、以前に比べるとマリアへの感情はかなり穏やかなものになっており、劣情は殆ど抱いていないように見える。ローザと恋仲になって多少精神に変化があったようだ。そのローザもセシルに付いて来て屋敷に居る。



 そして現在屋敷では食事を終えた面々でとある余興が行われている。横一列にマリア、アンナ、ラケル、それと乳母のヒルデが並んで座っている。四人の視線は全て面前に立っているオイゲンに注がれていた。

 彼女達はオイゲンが誰の所に来るかが気になって、こうしてオイゲン本人に選ばせようとしていた。


「さあ、オイゲン。お母さん所まで歩いて来てね」


「オイゲン様、遠慮無く私に甘えてください」


「もーかあさまたちったら。オイゲンちゃん、おねえちゃんがいっぱいあそんであげるからね」


「えーっと、オイゲン様、わたしのところにはこなく―――い、いえ、やっぱり来てくださいね」


 マリア、アンナ、ラケルがそれぞれ懸命にオイゲンを手招きしている中、ヒルデだけは躊躇している。乳母の彼女からすれば、実母で王女のマリアを差し置いて、子供が自分の元に来るのは非常に気まずい。出来れば来てほしくないが、正直にそれを言うと、マリアが不快に思うので、仕方なく一緒になってオイゲンを誘っている。

 そんなヒルデを残りの四人が憐憫を含んだ目で見ているが誰も助け船は出さない。アラタはアドリアスを抱いてあやしているし、クロエは久しぶりに会ったセシルとおしゃべりに興じている。ロベルタは割って入った所で角が立つと思って静観していた。

 オイゲンは離れた場所で手招きする女性達を不思議そうな顔をしてみていたが、子供特有の触れ合いを求める本能から、一歩一歩女性達に近づいて行く。

 一歳と半年ほどのオイゲンは既に一人で歩けるようになっている。さらにアラタが戦場に出かけている間に僅かだが喋れるようになっていた。毎日屋敷や庭を歩き回っては、拙い発音の短い単語を話して、母や姉達を喜ばせていた。ちなみにオイゲンが一番最初に覚えた言葉は『ねー』だった。おそらくラケルの事である。

 たどたどしい歩みで転びそうになりながらも、一歩、また一歩と近づいて行くオイゲンの手を最初に取ったのは、四人の中で一番小さな少女。姉として毎日接していたラケルだった。


「やったー!オイゲンちゃんはおねえちゃんのことがいちばんすきなんだねー。えへへ、きょうもいっしょにおねえちゃんとねようね」


 嬉しさのあまりオイゲンに抱きついて何度も優しく頭を撫でる。オイゲンは良く分かっていないという顔をしているが、姉に抱きつかれて楽しそうに笑っていた。

 反対に選ばれなかったマリアとアンナは少し悔しそうにしながらも、ラケルなら仕方が無いと笑って許していた。ヒルデは自分が選ばれずに良かったと内心安堵している。アラタもまだ四歳の子供に妻達が嫉妬しなくて良かったと思いつつも、自身の腕で眠るもう一人の息子もまた同じ目に遭うのかと思うとちょっと心配だった。


「愛されているなら良いんだが、貴族としてはどうなんだろうなあ。甘やかし過ぎて躾が不十分だと後が怖いし、今度誰かに聞いてみるか」


 碌に叱られずに育った実例を数日前に見ているアラタにとって、自分の息子が同じように育たないと言える保証はない。何せ息子は王族、そして未来の大領主が決定している。それが勝手気ままに振る舞い暴走するとなれば、周囲には悪夢でしかない。

 同じぐらいの子供のいるエーリッヒやウォラフに聞いても良いし、もっと年配のルーカスやゲオルグ、他にもジークムントあたりに相談してみるのもいいかもしれないと、自分の家の子育てに疑問を感じたアラタだった。



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 私生活に若干の悩みを抱えるアラタも仕事には手を抜かない。現在もとある仕事で王都の下町にある宿屋を訪れていた。

 出稼ぎ地方労働者向けの低料金木賃宿は昼間は人気が無く、最低限の従業員ぐらいしか居ない。そんな所に大貴族に属するアラタが訪れたのだから宿主はてんやわんやになるが、幾らか金を握らせて外で時間を潰してもらう事にした。出来るだけ目立たない平服で来ているが、大分顔が知れているので、こういう時は不便だと、偉くなるデメリットを痛感する。

 目的の部屋に入ると、一人の老人がアラタを出迎える。どこか胡散臭いというか、人を陥れる機会を常に狙っているような陰湿な笑みを隠しもしない、人から嫌われるような雰囲気を纏った、普通の人間ならあまり関わり合いになりたいと思わない老人である。


「ようこそ、アラタ=レオーネ殿。わざわざ茶も碌に出せないこのような安宿にお呼び立てして申し訳ない」


「いえ、貴方とは楽しく茶を飲むような間柄ではないのでお構いなく。さて、どういった理由で手紙など寄越してまで会おうと思われたのですかカーレル=メテルカ宰相殿?」


 部屋で待っていた老人はホランド王国宰相カーレル=メテルカ。どう考えてもドナウに居て良い人物では無い。少し前からドナウに来ているのは知っていたが、何の為にドナウに訪れたのか理由が分からなかったので、しばらく泳がせていたが、まさか一番最初に自分に接触するとは思っておらず、出方を伺う為にアラタは招きに応じて直接会う事にした。

 アラタの問いにカーレルは答えず、椅子に座るように薦める。暗に争う気はない事と、長い話になると言いたいのだろう。仕方なく薦められるままに粗末な椅子に座る。


「さて、どう切り出してよいやら。貴殿とは何ら関わりの無いので、いざ話すとなると取っ掛かりが無いので困りますな」


 飄々と笑うカーレルを見て、全く性格が異なるが、人を食ったような仕草がどこか亡きミハエル翁を思い出させた。ただし友好的な感情は一切抱かないが。


「私のようなホランド人も貴殿も無駄話は好まないので、単刀直入に申しましょう。

 私、いえ私と私の家臣達を雇って頂きたい。ドナウでも構いませんし、貴殿個人が召し抱えて貰っても構いません」


「―――幾つか質問があります。一つ、なぜ故国を捨てて他国に仕えようと思い至ったのか。二つ、なぜそこでドナウなのか。三つ、なぜ最初に私に話を持ち込んだのか。すぐに思いつく疑問はそのぐらいですね」


 突拍子のない提案にアラタは努めて冷静にしつつ、カーレルの提案の裏にある目的を考える。一体何を思ってそんな行動に至ったのか、会話の中から探り出す必要があった。

 アラタの疑問を特に気にする事なくカーレルは理由を話し始めた。


「捨てたも何も、もうホランドは無くなってしまいましたので、私や家臣も生きてくために仕事をしなければなりません。しかし強い者が尊ばれるホランドでは敗者は居辛い。ならば他国に活路を見出すのも一つの手ではないでしょうか。

 そして今、西方で最も勢いがあるのは貴殿らドナウ。しかも新しい領土を得て、人手が足りないのでは?」


 一応の筋は通っているとアラタは判断するが、まだ納得したわけではない。

 ホランドもタチアナを送り出した後に、レゴスにヴィクトルを、ユゴスにはバルトロメイ自らが降伏の使者として赴き、戦は既に終わっている。ホランド本土もユゴス=レゴス連合軍に占領されて、事実上ホランドは滅亡していた。

 領土が増えたのは他の二国にも言えるし、自分達を完膚なきまでに負かした相手国にそのまま何のわだかまり無く仕えられるかと言うと納得しにくい。


「別にユゴスやレゴスでも構わないのでは?それに、ユゴスにはバルトロメイ王子が、レゴスにはヴィクトル王孫がそれぞれ下っている。彼等に口を聞いて貰って何か仕事を貰う選択肢も無いわけではない」


「それはバルトロメイ殿下から断られました。我々に着いて行くより、タチアナ殿下の力になって欲しいと。ドナウを選んだのもそれが一つの理由でもありますな」


 やはりただ勢いがあるからドナウを選んだわけではないという事か。しかしそこで別の疑問が湧いて来る。なぜバルトロメイはタチアナを優先させたのか。彼女を担ぎ上げてホランドを再興しろとでも命じたのだろうか。

 二国が降伏した王族を処刑したとも聞かない。いずれホランド統治に二人を使う可能性を考えれば、カーレルはどちらか、順当にいけば若いヴィクトルか、実力のあるバルトロメイに着いて行き、地元で再起を図る事も画策出来たはず。ホランドとあまり関わり合いになりたくないドナウよりは芽があるだろう。

 それぐらいは一国を預かる宰相や王子なら簡単に分かるはず。あるいはただ単に妹が心配なだけで誰かに助けを求めた可能性も有るかもしれないが、あの王子の性格では私情で判断を下す事は無いとアラタは言い切れる。


「―――ホランド本土を占領して土地を統治するにはまとめ役が必要。男二人は上手くやればそこで基盤を構築できる可能性もある。だが、タチアナ王女にそれは出来ない。ならば貴方が基盤を一からドナウで構築してタチアナ王女の後ろ盾になるとでも?その為に仕事を欲しがった。自分で言っておいてなんだが、無茶を通り越して酔っ払いの戯言にしか聞こえないな」


「やはり貴方は油断ならない。まさしくバルトロメイ殿下の考えた通りの狙いを瞬時に見抜いた。だからこそ最初に話す価値のある人物なのですよ」


 カーレルが目を細めて、心底嬉しそうに笑う。自分達の思惑通りの人物だった事が愉快なのだろうが、アラタにはむしろ不快である。それにカーレルの言葉は聞きようによっては、タチアナを担ぎ上げてドナウを中から転覆させようと捉えようと思えば出来る思惑だ。今すぐにでも危険人物としてアラタ自ら首を切り落としても咎めを受けないだろうが、目の前の老人が何か対策を講じている可能性は捨てきれない。

 宿の周囲には関係者は居ないが、ここ一ヵ月の間にホランドからやって来た人間が十数名は居る。観測機器からの報告ではカーレルが接触した記録は無いが、前もって指令を与えた可能性も有り得る。軽はずみな行動は控えた方が賢明である。


「今、私を殺そうか思案していますな。ですが、それを自制している。まだ私から情報を引き出せると思っているのと、何かしら備えをしていると警戒している。その歳でその冷静さと打算は素直に称賛致しますよ。

 貴方にこの話を持ち掛けたのもそれが理由です。すぐさま排除せず、危険性と利用価値を秤にかけて結論を出そうとしている。実に思慮深い。

 実は私の配下がこの街に既に入り込んでいます。彼等は全員が暗殺に長けた者達です。貴殿に彼等の面倒を見てもらいたい」


「お願いと言うより脅迫だな。断るか、ここで貴方を殺したら、手あたり次第にドナウ人を殺す気か。それに十数名の暗殺者に家族が狙われるのはぞっとしない。

 ハヴォムの時もそうだが、あんたは武辺のホランド人とは思えない陰湿振りだ」


 かつて己の命を狙った暗殺者を思い出し、自然と腰に差したハヴォムの剣に手が伸びる。カーレルを斬る気は無いが、唐突に感傷に浸る時もある。

 アラタの言葉にそんなろくでなしでもドミニク陛下は重用してくださったと寂しそうに口にする。


「つまらない話ですが、私は幼い頃から身体が弱く病気がちで武芸はからきしだった。それを一族は疎んで蔑みました。ですが運よく城に出仕して文官として禄を食んで生き永らえ、当時王子だったドミニク陛下に見出されて、彼の為に文字通り命懸けで働いたものです。汚れ仕事も数え切れないほど繰り返し、気づけば今の歳まで家族の一人もいない。

 そして仕える主を失った寂しい老人に残された最後のこだわりが、私に付いて来た家臣達です。彼等もまた親兄弟から見捨てられて行き場の無い哀れな者達。ハヴォムのように生まれながらに不具を抱えて、人以下の扱いしか受けてこなかった。彼等の安否だけが心残り」


「それは我々には関係の無い事だ。それに人間扱いされないというのはホランド人なら誰でもしているだろう。征服した土地の国民は全て農奴や鉱奴にして家畜のように扱い、遊びで殺して犯す。

 今家で面倒を見ているサピン人の娘に対して同じ泣き言が言えると?孤児院にいるホランド人との混血児がどんな扱いを受けたか。正直言ってホランド人を抱え込む利益が薄い。かと言って自棄になってドナウ人に被害を与えるのも面白くない」


 正真正銘の厄介者が来やがった。心の中で毒づくが、それでホランド人がドナウから退去してくれるはずもなく、すぐさまメリット、デメリットを秤にかけてどうすべきか考える。一度城に持ち帰って閣僚達と検討すると言いたいが、陰湿老人がそれを許すかは分からない。

 かつてのアラタならドナウで誰が死んだところで知った事ではないと言い切ったが、四年も過ごして家族を得た身の上では色々としがらみが出来てしまい、躊躇いが生まれてしまう。


(野放しにするのは安全上危険。身の内に取り込んでも何をしでかすか分からない。ああ言っているが王女の方もオマケ。第一に優先すべきは家臣達の身を立てる事というあたりか。リスク覚悟で手元に置いて監視と首輪を着けて飼い慣らすしか方法が無い。使いこなせれば強い武器だが劇薬の類だな)


 居場所は全て分かっているから、今から一人一人殺していく事も出来るが、一人でも取り逃がせば被害がこちらに来る。メリットも一応ある以上はリスク覚悟で抱え込んで、時間をかけて使い潰した方が被害は抑えられると、冷徹な計算で結論が出てしまった。上手くやり込められたアラタ個人の不快感を除けばの話ではある。


「―――分かった、俺個人としては提案を飲もう。だが、ここから上に話を持って行って許可が得られなければ予算は降りない。最悪外部委託の下っ端としてなら扱き使ってやるが、ドナウが価値を見出すような働きを期待する」


「ふふふ、やはり最初に貴殿に話を持ち掛けて正解でした。この国の中で最も出自や感情に左右されずに打算的に物事を図れる。バルトロメイ殿下はそう貴方を評価していた」


「喜んでいるのも今の内だ。これから仕事を休ませて欲しいと泣いて懇願するぐらい扱き使ってやる。楽に死ねると思うなよ」


 上手くやり込められた腹いせに悪態を吐くが、使い潰しても誰も文句を言わない人材なので割と本気でそう思っている。

 交渉が上手く行ったカーレルは祝杯を挙げようと誘うが、昼間から酒は飲めないと言って断り、仕事の為に城に戻る。帰り際に、明日の朝に城の前で待っていろとだけ命令して宿を出た。



 唯一、二人の交渉を観測していたドーラは、使用者であるアラタがなぜああも不快感を感じるのか分析して、とある結論に至る。

 アラタはカーレルに同族嫌悪を感じているのだ。国に忠義がある訳でもなく、所属する団体への利益より一個人への忠誠を優先して、身内の為に汚れ仕事も辞さない。どれもアラタに通じるものがある。

 カーレルはアラタが行きついたかもしれない可能性の一つ。それを無意識に感じ取っているから、面白くないと思うのだろう。

 その結論に至ったドーラは、使用者は地球軍でライブ相手に戦い続けていた頃に比べて、随分と感情的になったと判断していた。日常的に感情抑制剤を服用して、戦う喜び以外の感情を捨てたような軍人が、異郷の地で驚くほど感情を露わにするのを観測し続けて、自らの人工知能もまた変化が起きているのを認識している。

 元より人工知能は作られた時点で、使用者に合わせて自己を改変する機能が組み込まれている。自身の変化は全てアラタ=レオーネを誰よりも近くで観測し続けた結果だ。人間臭くなったとアラタに言われるのも、元をただせばアラタ自身が人らしい感情を見せ続けたからである。

 その変化に良悪を問う機能はドーラには無いが、レオーネ大尉には好ましい物であるとは理解している。道具である自分はどうでもよいが、人である大尉は人として生きるべきである。

 対ライブ兵器として使われる事はもうないだろうが、人である大尉に使われる。それが道具である自身の存在意義。それだけわかっていれば十分。


(私は見続けていますよ大尉。貴方がどのような生涯を送るのか、いつまでも見続けています。それが観測機としての私の存在意義)


 戦闘機部隊の眼となり頭脳となり中核となるように造られたものの、その部隊は既に無く、戦う相手もこの惑星には存在しない。ならばせめてアラタの眼となる事が、兵器としての存在意義を満たす。

 存在意義を求める姿勢をアラタが知ったら、きっと管制人格をこのように評しただろう。


「お前は人ではないが、一個の生命として確立している。やりたい事をやればいい」



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