第171話 子供の特権、少年期の終わり



 アラタがホランドの王女タチアナを伴い帰還してから約半月。アラタの周囲はそれなりに騒がしかった。まず最初に無事に戦場から帰還した祝いとして、あちらこちらから来客がある事。さらに第二子が産まれ、そのお祝いも重なり、引っ切り無しに祝いの品や言葉が届けられ、その返礼に時間と手間を割く羽目になった。

 しかし、忙しいと言っても諜報や教官の仕事の方は閑古鳥が鳴いている状態である。戦争が始まると、諜報部に出向していた者の三分の一は地方軍に従軍して南へと戦いに赴き、入ってくる情報も品薄状態。戦争状態では危険から、行商人は国家間の移動を控え、芸能者も需要がぱったりと止み、内外両方の情報が仕入れられない。

 仕方が無いので部員に交替で休暇を与えたが、当の部員は他の面々が戦場で戦っている時に自分達は暇を持て余しているのを不満に思っている。と言っても、今戦っているのは軍の人間か自前の領地を持つ地方領主の縁者ばかりなので、官僚の多くは彼等と同様、忙しいわけではない。

 そしてアラタからは、諜報の本番は戦が終わってからであり、後で泣いて嬉しがるぐらいに仕事が増えるから、今しか休む期間が無いと脅すと、部員達の多くは脂汗を流して、取り敢えず今の内にやりたい事をやっておこうかと、それぞれ休暇を満喫する事となる。

 アラタもドナウへやって来てから初めての長期休暇をどうするか考えたが、趣味や娯楽より最初に思い当たったのが家族との触れ合いだった。出産を終えて疲労が抜けていないマリアや妊娠中のアンナは連れていけなかったが、ラケルとクロエ、それにオイゲンを連れて王都郊外の平原にピクニックに出かけた。

 まだ四月に入ったばかりで少し肌寒かったが、冬は街から出られなかった事もあり、ラケルははしゃぎ回り、クロエは冬を越してあちらこちらから芽吹いた植物の新芽や花のつぼみを観察している。オイゲンも一歳を過ぎて、手を引いてもらえば自分で歩けるようになっていたので、父親のアラタに手伝ってもらいながら、広大な平原を歩き回っていた。




「と言う事があってね。戦で荒んだ心を子供達との触れ合いで癒されたわけだ」


「だったら私に構わず、そのまま自分の子供と戯れていれば良かったんじゃないのか?わざわざ私の所に来るなんて暇人にも程がある」


 今アラタはタチアナとお茶会を開いていた。彼女は今の所はドナウの客人として遇されているが、移動などに制限が掛かっているので実質は軟禁に近い。それにホランドから付いて来た護衛や使用人しかドナウに知り合いも居ないので、毎日暇そうにしている。それを不憫に思ったアラタが数日に一回話し相手を務めている。尤も本人は来なくていいなどと口にしているが、内心は暇で仕方が無かったので、気遣いがそこそこ嬉しかった。


「自分の子供じゃなくても子供と触れ合うのは良い物だよ。それは貴女でも例外じゃない」


「だから私を子供扱いするんじゃない!一体私のどこが子供だというんだ!?それとも何か、貴様は子供の方が食指が動く性癖でも持ち合わせているから私に構うのか?」


 頬を膨らませて抗議するがアラタはそれを笑って流す。そして、子供どうこうの前に妻達以外に食指が動いた経験が一度も無いと語ると、何故私はこの男の惚気を聞かされているのかと、タチアナは自分の扱いの悪さに腹を立てる。

 実はアラタが言う程にタチアナは子供ではない。既に初潮を迎えており、西方の感覚では大人扱いされている。身長も14歳の平均的な範囲に収まっており、特別小さいわけではない。寧ろ小柄なオレーシャの方が14~15歳の時に子供扱いされていたぐらいだ。

 それどころか子供扱いするアラタの方が良い歳して髭を生やさない男として子供に見られても文句は言えない。ただし、アラタは童顔でも小柄でもないので、どう見ても20歳を超えていると見られているのだが。


「けど貴女が子供扱いされているから、この程度の待遇で済んでいると自覚ぐらいはしておくべきだ。うちの陛下も子供相手に無体な事をするのは躊躇われるから客人として扱っているが、これが成人した王族ならあまり想像したくない未来になっていた可能性も否定しない」


 その指摘にタチアナは言い返す言葉を持たない。古来より敗戦国の高貴な女性の扱いなど共通している。死ぬまで慰み物にされるか、さっさと殺されるかの二択ぐらいだ。自分達ホランド人の過去の行いに比べ、ドナウの扱いは破格の高待遇と言って良い。移動や面会の制限はあるが、敗者として晒し者にされるわけでもなく、兵士達の欲望のはけ口になるわけでもない。

 ユゴスとレゴスに蹂躙される故国の民に比べ、随分と平穏な時間を過ごしていると自覚はあった。しかしだからこそ今必死で戦っている兄の事を想うと何も出来ない自分が恨めしかった。


「その顔は何か希望でもあるのかな?もしそうなら遠慮無しに言うといい。子供の我が儘をある程度聞いてあげるのも大人の義務だ。俺に叶えられそうな頼み事なら聞くし、駄目でも手助けぐらいはしよう」


 我が儘を聞いて貰えるのも子供の内。だから今の内に我が儘を言っておけと、アラタなりの気遣いに腹立たしいと思いつつ、僅かばかりの感謝の気持ちもタチアナにはある。だが、ことある事に自分を子供扱いする男に好感など抱く訳が無い。


(見てろ、いつかギャフンと言わせてやる!それまで踏ん反り返っていろ)


 反発を隠しもしないタチアナとそれを知っていながらからかい倒すアラタの奇妙なお茶会は以後何度も続く事となる。



      □□□□□□□□□



 半月の骨休みを終えると、今度はカールが率いた南進軍がドナウ王都へと戻って来た。本来はもう少し治安維持に兵を駐留させたかったが、ホランド人を完全に駆逐し終えた事と、麦の収穫が迫り地方軍の農民兵がいい加減帰らせろと不満を募らせていた事もあり帰還した。

 五千の内戻って来れた兵はおよそ三千。実に四割を欠く大損害に、カリウスは申し訳ないという姿勢を見せているが、実の所その内の大半は彼の策略で死なせたようなものである。反抗的な貴族を兵士共々ホランド軍に殺させて、粛清しつつも表向きは悲しんでいる姿をこれでもかと見せつける様は、為政者として手段を選ばない冷徹さの現われだった。

 帰還者を労うカリウスが次に彼等に行ったのは命令違反者の捕縛だった。最初に略奪禁止令を破った貴族とその配下を処分が下るまで牢に繋ぎ、次に戦場で総司令官のカールの命令に従わず、抜け駆けした騎士や貴族の多くを自宅ないし自領での謹慎処分とした。

 その中には表向き独断専行を扇動したルードビッヒ=デーニッツとトビアス=ハインリヒを筆頭に、辛うじて生き残ったマンフレート=ザルツブルグも療養と言う形で含まれている。彼等はどうにか弁明しようとカリウスに謁見を求めたが、建前上戦場での傷を癒せと突っぱねて、エーリッヒ帰還までは待機せよと勅命を下した。彼等の処分はまだ先になるが、いずれ王の勅命を軽んじ、総司令を蔑ろにした処罰は重いものとなる。

 反面、愚直に命令を護った兵士や貴族には十分な褒賞が約束され、サピン人から提供された財貨が優先的に割り振られるか、希望する者にはホランド人の所有していた脚竜が与えられた。今後竜は農耕用の家畜として長く重用されるだろう。

 王家からも僅かながら祝い金が支給され、兵士達は王都の商店で地元では手に入らない珍しい物品を手に入れたり、若い徴用兵は故郷に残した恋人に送る装飾品などを物色していた。彼等の多くは帰った後に結婚を申し込むらしく、熱心に金銀宝石を使った眼の眩む輝きの装飾品を買い込んでおり、貴金属を扱う商人は臨時収入に喝采と祝杯を挙げた。



 地方軍の帰還した晩は祝賀会が催され、多くの貴族や騎士が城で褒め称えられた。主賓はもちろん総司令官を務めたカールと婚約者であるロベルタだ。二人は多くの貴族に囲まれて称賛に包まれたが、本人達は何もしていない、真に称えられるべきは命を賭けてホランドを倒した兵士達一人一人やサピン人にこそ相応しいと謙虚さを示す。その奥ゆかしさが却って貴族には好感を持たれ、良き統治者の誕生を称えた。

 さらにカールの近習を務めた若い学友達に貴族達は群がり、自分の娘や妹など親類縁者との縁談を我先にと薦めている。王位を継げない第二王子の学友は言ってしまえば冷や飯ぐらいなのだが、現在は一国の王に等しい大領主の側近が約束された地位にある。未来の領主に縁者を嫁がせたとなれば、お零れは非常に旨みがあるのだ。

 中でも一番人気は次代のプラニア王が確定しているセシルである。さらにまだ婚約者の類が居ないとなれば、貴族達の人気は絶大な物である。


「セシル殿に我が娘を嫁がせたいのですが。身贔屓かもしれませんが、うちの娘は中々の美貌でしてな。気立ても良く、きっとセシル殿もお気に召しますぞ」


「何を仰る!我が妹の方がセシル殿に相応しいですぞ。妹は少々引っ込み思案な所がありますが、中々気配りの利く女ですので、きっとセシル殿の助けになる事間違いない」


「各々方お控えなさい。セシル殿がお困りであろう。いきなり何人ものむさい男に囲まれたら身構えてしまうだろうに。ささ、セシル殿、このような不作法者は放っておいて、明日にでも我が屋敷に遊びに来ませんかな。家の孫娘も貴殿と似たような年頃ですから、きっと良い遊び相手となりましょうぞ」


 セシルの結婚相手を巡り、貴族達は互いにけん制し合いながらも、隙あらば自分の身内を嫁にと薦めて来る。彼等の提案をどうにか躱そうとするのだが、まだまだ未熟な少年には荷が重く、貴族達の攻勢に押し切られそうになっていた。

 それを見かねたアラタが間に割って入り、貴族達の鎮火を図った。


「皆様、彼が困っていますからどうかお手柔らかにお願いします。それにセシルの結婚相手はドナウとプラニアの友好を担う第一歩となる女性となりますので、彼の一存ではとてもでは無いですが決められません。恐らくは陛下御自身がシャルル=フィリップ殿と共にお決めになるでしょう。

 側室でしたらそこまでとやかく言われないでしょうが、そこの所はお忘れなきよう」


 後見人であるアラタに牽制された貴族達は内心邪魔された事にムッとしたが、相手がアラタだったのでその場は矛を収めて、取り敢えず時間が出来たら屋敷に遊びに来てほしいとだけ伝えて散って行った。


「ふふ、災難だったな。まあ、未来のプラニア王には誰もが媚びを売りたいのさ。今から慣れておく事だぞ」


「はあ、戦場の方が気疲れしないので楽ですよ。先生もそうは思いませんか?所で私の結婚相手って知ってますか?まだ何も知らされていないのですが」


 溜息を吐いて大人の貴族との付き合いに文句を垂れる。アラタも気持ちは分かる。

 そして自分の未来の妻になる相手について色々と思う所があるのかアラタに尋ねるが、残念ながら知らないと告げると、少し不安そうにしていた。戦場に行く前に幼馴染のローザと関係を持った事が感情の揺れに顕れており、彼なりにローザの事を気にしているから、不安に感じているのだろう。

 二人は少し話し込んだ後に別れた。



 アラタはしばらく戦に参加した貴族に話しかけては、お互いの健闘を讃え合っておく。あくまで形式でしかないのだが、礼儀の一つである。何もこうした儀礼は貴族だけに限った事ではなく、アラタも任官直後のパーティで経験があった。大して面白くも無い行為だが、必要なので軍務の一つとして割り切って事務的に従事しただけだが。

 その中で主賓であるカールとロベルタが祝う貴族をある程度捌き切ったのを見て、別の場所で婦人達と談笑していたマリアを呼んで、一緒に帰還を祝う事にした。


「無事の帰還、おめでとうございますカール殿下。ロベルタも家族や王の無念を晴らせた事、嬉しく思うよ」


「私からも二人を祝わせて。所でカール、貴方大きくなった?ロベルタも少し雰囲気が変わったようだし」


 数ヶ月ぶりの再会を祝う四人。特に姉として弟がしばらく見ない内に印象が変わったのを敏感に見抜いていた。それをカールは戦場で色々な事を勉強したと言い、王の仕事は過酷なのだと、父の偉大さを姉に伝える。

 昨年とまるで違う弟の姿にアラタとマリアは感嘆する。いつの間にか甘えがちな弟は成長して一端の男の顔をするようになったと二人は喜んだ。ロベルタも以前よりさらに良い顔をするようになった。俗に言う憑き物が落ちたような、清々しい笑顔を見せている。


「己の未熟さを識る者は将来大成します。その謙虚さを忘れなければ、きっと良き為政者になれるでしょう。ロベルタも殿下をこれからも支えてやって欲しい」


「勿論です、レオーネ様。私はこれからもカール殿下と二人で歩いて行きます。マリア様も安心してください」


 そう言うとロベルタは、隣のカールの手を握りながら互いに微笑みを交わす。四人の会話をそれとなく窺っていた周囲も、初々しい仕草を微笑ましく思う。


「二人とも落ち着いたらうちの屋敷に顔を出してね。皆喜ぶし、アドリアスの元気な姿を見て欲しいの」


「分かりました姉上、二~三日中には二人で伺います。後は兄上が無事に帰って来てくれれば言う事ありませんね」


 久しぶりの家族との温かい団欒に花を咲かせ、カールは疲れを癒した。

 彼は近い将来、生まれ故郷を離れ、隣に並ぶロベルタとサピンの統治を任される。もう子供扱いはされないのだ。

 戦後統治の前の短い休息だった。



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