第161話 先制攻撃



 全速力で戻って来たアラタ達をドナウ軍が出迎える。全員欠けていない事を確認したオリバーは安堵の息を吐き、カリウスもアラタとウォラフの肩を叩いて無事に帰って来た事を喜んだ。それからホランド軍の情勢を訪ね、問題無く一時間後にはこちらにやって来ると伝えた。脚竜の移動速度自体は同じだろうが、少数の騎兵と五万の兵の移動だ。どうしても向こうの方が時間が掛かる。


「ドミニク王もうちの陛下と同じぐらい人を焚き付けるのが巧かったようです。これなら最後の一兵になっても立ち向かってくれるでしょう。図らずも最後の懸念が無くなりました」


「そのようだな。例え今回の戦で勝っても、敗残兵が散り散りになって各地に逃れたとなれば、虱潰しに探して討伐せねばならん。その手間が省けたと思えばいい。

 所でそろそろこの兜脱いでいいかい?ホランド軍が釣れたのなら、もう姿を偽る必要ないだろう?」


 そう言うとカリウスは頭部をすっぽりと覆う兜を脱いで、素顔を露わにする。カリウスは髪の色が茶髪に碧眼、だがこの男の瞳の色は青眼。そしてカリウスは40半ばだが、彼はどう見ても20代の青年だった。


「あー、やっと窮屈な思いをしなくて済む。幾らホランドを釣るエサに大物が必要だからって、何も一国の王を使うかい?しかも王子の私を偽物に仕立て上げるなんて。ウォラフもそう思うだろう?」


「確かに無茶な策だと思いましたが、下手な偽物では周囲に悟られますので、陛下をよく知る人物が演じなければいけないのも一理あります。それに殿下と陛下のお陰で、ホランドも士気が上がって途中で戦を止める選択を捨てています。エーリッヒ殿下もこの戦に勝てば後の憂いが無くなるのですから、良しと致しましょう」


 ウォラフに宥められて、カリウス改めエーリッヒは釈然としないながらも、これ以上不満を述べる事は無い。

 今回の戦での最大の懸念はホランドが総戦力を動かすか否か。そしてドナウ軍を素通りする事なく、決戦に付き合ってくれるか否かが不安要素だった。それを解消するためにアラタは王自らが率いる侵攻軍を喧伝した。王という最大の手柄首が自分から城の外に出てきたのだ。そうなればホランドは迎撃の為に総力を率いて出ざるを得ない。

 目論見は見事的中。ホランド側はドミニク王自らが率い、表向きはドナウ=ホランド二国の王同士が激突する、歴史に残る戦いとなった。ここでドナウがホランド軍を壊滅させ、ドミニク王を討てばホランドに再起の芽は無くなる。反対にドナウが負ければ、今後ホランドは失点を取り返し、西方統一は大きく前進する。王をエサにする価値は十分にあった。

 そして運命の戦の勝利者という栄光をエーリッヒが受ければ、今後の治世は極めて容易なものとなる。何せ軍事的実績は説明するまでも無く、元々内政家として一定の評価もあり、先のホランド騎兵襲撃でもホランド側に多額の賠償を認めさせた外交実績を挙げた。この実績を武器に王位に就けば、表立って逆らおうとする者など一人も居なくなる。新たな時代を切り開いた次代の王を演出する功績としても十分だろう。


「確かに今後を考えれば、実績は有るに越した事は無いけど、そうなると今度は息子が苦労するからあまりやり過ぎると困るんだけど。まあ、今はホランドに勝つ事だけを考えよう」


「殿下、いえまだ陛下でしたか、の言う通りです。まずは勝って生き残ってから今後を考えましょう。

 突貫ですが築城も済んでいますし、リトニア人が手伝ってくれたおかげで幾らか余裕も有り、兵達も交替で仮眠を摂って疲れはさほどありません。寧ろホランドの方が連日の強行軍で疲労の色が強いでしょうな。

 それに幸い天気も晴れており、火薬が湿気る事もありませんので、軍は万全の力を発揮できます。後は時間まで陛下が兵に声を掛けてやってください。それで士気はさらに上がります」


 同然軍司令のオリバーもカリウスの正体がエーリッヒだと最初から知っていた一人だ。そして軍人として政治より、今まさに迫りくる敵軍の方が重要だと若者たちを窘める。しかし、それだけでなく、軍は万全だと進言してエーリッヒの戦への恐怖を和らげようと気を遣った。実はエーリッヒは今回初めて戦場に立つのだ。内心では結構怖いと感じていたが、総大将が兵士に情けない姿を見せたくないので強がっていた。

 そしてオリバーの進言通り、王が直接声を掛ける事で兵士は奮起する。エーリッヒもそれを分かっていたので再び兜を被り、父親の真似をして時間の許す限り一人一人の兵士に気さくに声を掛けて、士気の向上に尽力した。



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 一時間後、シズナ川を背にしたドナウ陣営の対面、1000メートル程度離れた位置にホランド騎兵五万が布陣した。中央に陣取ったドミニクは遠目に見えるドナウの陣を見て、奇妙な布陣の仕方だと感じた。傍に居た将軍達も王と同様に意図の読めない陣の構築に首を捻る。

 どうしたものかと考えたドミニクは、ドナウ戦の経験者であった将軍の一人、前回ドナウとの戦いに参加したコンラート=クジェルに助言を求める。


「前回と似た布陣ではあるようですが、前ほど鉄壁と呼べるほどの防御力は無いですな。前回は二方向が増水した川に面した小高い丘に陣取っていましたが、今回は背を川にした程度。それだけでも随分と攻めやすい。正面の布陣がやや長大で左右が短くしてあるのも、側面の防御を厚くして正面戦闘力を重視した結果でしょう。

 陣の両翼は何重もの堀を掘り、丸太の防壁と土壁、外側には杭を無数に打ち込んで騎兵突撃を防いでいます。攻城兵器を持たない我々相手ならそれで足止めすれば十分だと判断したのでしょう。足を止めれば、あとは弓の的にしかなりません」


「そこまでは我々でも分かる。問題は正面の防御の事だ。兵を側面に比べ多く配置したのも打撃力を集中させる方針だろうが、それでも防御をおろそかにする理由にはならん。堀は何本か見えるが、土壁も杭も木の防壁すらない理由を言え!」


 将軍の一人が苛立ちながらコンラートを責める。彼等も両翼が攻め辛い事は見れば分かるが、正面が堀を掘っただけで碌に壁が無い理由が分からなかった。一応正面には多数の大盾を持った歩兵が整然と並んでいるが、あれでも自分達の突撃を防ぐのは役不足である。

 ただ、遠目に何本か規則的に杭が縦数列、横並びに伸びて打ち込まれ、両翼の壁と繋がっているのが気になると言えば気になる。しかしそれでは騎兵を素通りさせてしまうだけで何の価値も無いのだが、だからこそ疑ってかかるべきだった。


「単に時間が無かったので、壁や防壁を築くのが間に合わなかったという事でしょう。そう我々を思わせて、正面から攻め込んで欲しいのかもしれません」


「む、あれは誘う為の罠だと言うのか?例えば正面に落とし穴を無数に掘って、竜の足を殺してから、トレブのような投石器でナパームをありったけ投射すれば纏めて焼き殺せるか。いや、だが、奴等の陣にそれらしい投石器は一つも無いぞ。それにこの辺りは平原だから、どこかに隠せるような森も無い。伏兵を忍ばせる余地は無いぞ」


 かなりあからさまではあるが、正面の防備が薄いと思わせて罠を張っておくのは悪い手では無い。しかし、その場合確実に相手を仕留められる攻撃力が必須になるのだが、ドナウ陣営にはトレブシェットのような攻城兵器は一つも見当たらない。元々避難民の話でも、一基も見ていないと聞いており、却って警戒心を抱いてしてしまう。

 左右は見るからに攻め辛く、正面はあからさまに怪しい。では川を背にした後ろはと言うと、それも難しい。今は真冬であり、川の水は凍えるほど冷たい。何の備えも無く渡ったら戦う前に凍え死ぬ。一応ドナウの陣から南に数百メートルの場所に橋が架かっているのだが、どうにも様子がおかしい。


「あの橋の先に人の山があるが、あれはドナウではなくリトニアの農奴か?」


「装備がまちまちな所を見るとそうだろうな。五~六千はいるようだが、ご丁寧に橋の至る所に岩やら丸太を置いて障害にして陣取ってるから抜くのに時間が掛かる。もしかしたらある程度こちらが橋を通ったら、火を着けて橋ごと落とされかねんぞ」


 目の良い将軍がシズナ川に掛かる橋の状況と、その先に五千のリトニア人が待ち構えていると、同僚に説明する。さらにあの橋は橋桁は石だが、橋本体は木製なのでナパームでもあれば燃やすのは容易だと補足すると、あれもまた罠ではないかと将軍達は疑心暗鬼に陥る。

 シズナ川の川幅は約50メートル。対岸さえ獲ってしまえば、五千の弓兵に矢を射掛けさせるのも容易なのだが、そうそう簡単にさせて貰えない。この辺りではあの橋が一本だけなので、迂回して別の場所から川を渡る事も難しい。いや、騎兵の足なら一時間もあれば別の橋を渡って戻ってこれるだろうが、その間援護射撃が無くなるのは非常に痛い。なら少数だけでも別同隊にして対岸を獲らせる事も出来るが、そうなると嫌がらせ程度は出来るだろうが効果的な戦力とは言えない。

 どこも攻めやすそうな穴に見えて、よく見るとどこも罠にも見えてくる。前回の穴の無い鉄壁の砦とは正反対、攻め手を惑わす築城にホランドの将軍達の意見は纏まらないが、将軍の一人が『この陣を考えた奴は余程性格が悪いとみえる』と忌々しそうに毒づくと、それには誰もが同意した。

 出口の見えない議論に、最後はドミニクに決めて貰おうという意見が出始めると、あまり口を開かなかったドミニクが豪胆に言い放つ。


「全て罠に見えるのなら、正面から数と力で押してしまえ!相手の考えを読んでも答えが出ないなら、難しく考えず勢いに乗ればよいのだ!どの道我々の今の装備では、平攻めしか手段が無いのは分かっているだろう。

 ならば橋は無視して、左右に一万ずつ、残る三万は正面に突き進んで、一千でもドナウの陣の中に食い込んでしまえ!そうすれば数の差で押しつぶしてやるわ!!」


 その言葉に将軍達は、ハッとなり何故悩んでいたのか馬鹿馬鹿しくなった。速さを求めて攻城兵器も一切合切置いてきた以上、今の自分達が執れる策は士気を高めて数で押す、それだけだ。『大軍に策無し』小細工するのは少数と弱兵と相場は決まっている。なら、やる事は最初から一つしか無かったのだ。

 それだけ決まれば、各指揮官に伝令を走らせる。それぞれの部隊に王の号令の元、一斉に攻めかかれ、それだけ言えば事足りた。



 伝令を走らせた直後、将軍の一人がふとドナウの陣を見ると、正確には陣のさらに西。川を超えて空から近づく物体が目に入る。初めは鳥の集団か何かかと思ったが、それにしては形がおかしい。もう少し目を凝らすと、それは翼竜の一団だと気付いた。

 だが、それにしては方角が妙だ。翼竜ならばドナウが使っているのは知っていても、それならばドナウの陣から飛び立つはず。あの様子ではかなり離れた場所から飛んできたと、素人でも分かる。しかも三分の二の翼竜は胴体部を布で覆っており、一目で何がしたいのか全く分からない。

 そうこうしている間に五十もの翼竜はホランド軍のはるか上空へと到達する。一部の弓兵は翼竜を墜とそうと矢を射掛けるが、数百メートル上空を飛ぶ翼竜にはカスリもせず、重力に引かれて無情にも矢は自分達の頭上に落ちて、運悪く兵士の一人に突き刺さった。

 矢を受けた兵士は怒って弓兵を罵倒するが、その罵倒も轟音によって掻き消えた。

 翼竜から切り離された袋が兵士に叩き付けられ、その衝撃で何人もの兵士は押しつぶされ、袋の中身が四散する。中身は刺激臭のする液体。それはホランドの兵士なら二人に一人は嗅ぎ慣れた、そして二度と嗅ぎたくないと思った悪臭。


「やばいっ!!これはナパームだ!!にげーーーー」


 最初に気付いた兵士が声を上げて脅威を知らせるが、次の瞬間至る所に松明が降り注ぎ、ホランド陣は煉獄となる。

 出鼻を挫かれた形のホランドだったが、戦はまだ始まったばかりである。



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