第162話 騎兵衰退の始まり



 ホランドがナパームによって被った被害は都合四度目となる。最初の一度はドナウから、二度目の損害はサピン王甥エウリコ率いる侵攻軍と王都エルドラ攻防戦で使われ、三度目はユゴスによって第二王子であり王太子のユリウスが帰らぬ人となった。そして今回の四度目も多くのホランド人の命を糧に炎は燃え続ける。

 硫黄を含んだ黒煙がホランド陣営から次々と燃え上がり、人を脚竜を悉く呑み込んでいく。のた打ち回る兵士を周りの者が必死で外套を被せて火を消そうとするが、その程度の消火作業など焼け石に水滴を垂らす程度の努力でしかない。中には窒息と熱でのた打ち回る仲間から炎を移され、二次被害を受ける兵士も居て、事態はさらに混乱する事となる。

 ―――――空からの爆撃。既に一度ユゴスへ派兵した翼竜部隊が行った攻撃だったが、その時は夜間であり、さらに間髪入れない甲竜の蹂躙によってホランドは大損害を被っても真相に辿り着く事は無かった。その失態が今再び自分達の命で支払われる事になる。

 五十騎の翼竜―――正確には火付け役を除き、ナパーム樽を搭載した翼竜はその三分の二だが―――による爆撃は五万の兵の内、一千名程度を焼き払った。初撃による損害としてはかなり多い。

 ドナウ軍の先制攻撃により大混乱に陥ったホランドは、その多くは右往左往し統制を失っている。統率する部隊長達が必死で声を張り上げて兵士達を落ち着かせようとするが、一向に上手く行かない。すぐ隣で燃え盛る炎によって脚竜が恐慌状態に陥り、振り落とした主人を踏みつぶしてどこへともなく離脱してゆく。

 実はホランド軍は脚竜に火を恐れされない訓練はさせていた。来るべきドナウとの戦いに備えて普段から火を傍に置いて、ナパームの火に慣れさせる習慣を付けさせていた。だが、平気なのは平時の余裕のある時だけだ。しかも間の悪い事に今回は強行軍で毎日限界まで行使されて、休む間もなく戦場に連れて行かれた。人ならば疲弊も幾らか誤魔化せるのだろうが、獣はそうはいかない。度重なる酷使による疲労と、戦場特有の緊張によって脚竜の神経は極めて昂ぶっており、ナパームの火による外部からの強烈な刺激によって限界を迎えてしまった。

 その結果、制御不能に陥り、主人であり友である兵士を振り落としての敗走である。勿論全ての脚竜がそうなったわけではない。至近弾を喰らったのは全体から見れば少数でしかないが、五万もの騎兵の密集した陣では暴れ回る脚竜はそれなりに脅威である。しかも玉突き事故のように次々と隣接する脚竜に恐怖が伝播して、あちらこちらで兵士が振り落とされて統制を保つのに苦労している。


「陛下っ!これでは的にしかなりません!今すぐに突撃の号令をおかけください!統制が執れなくとも敵は目の前に居座っているのです!今はとにかく動いて一方的な攻撃から逃れねば無駄な犠牲を払います!!」


「―――已むを得んか。全軍突撃の銅鑼を鳴らせ!!命令は既に下した通り、正面に一番人を割け!一刻も早くドナウの陣に斬り込み、混乱させよ!一番槍には儂が褒美に望みの物をやると伝えろ!この際、娘のタチアナでも構わんぞ!!」


 既に完全な統制は不可能だと悟ったドミニクは仕方がないと、努めて冷静に振る舞いつつ、全軍に突撃の命令を下す。加えて一番最初にドナウの防御陣地に斬り込んだ兵には、望みの褒美をやると約束し、軍の士気を上げるのも忘れない。それも日頃から目に入れても痛くないと公言する愛娘を嫁にやると言ったのだ。

 それを聞いた兵士は闘志を滾らせ、我が一番だと言わんばかりにドナウ陣地に突撃して行った。

 ドナウの先制攻撃は少なくない兵士を焼き殺し混乱をもたらしたが、それだけでホランドは止まらない。戦はまだ始まったばかりである。



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 翼竜の爆撃によってホランドの出鼻を挫いたドナウ軍だが、それほど喜んでいる様子は無い。まだ五万の内の一割も削っておらず、多少足並みを乱した程度。その程度で喜ぶほどドナウ軍兵士は楽観的ではない。この後すぐにホランド軍が陣地に殺到するのを見越し、指揮官達は配下の兵士に命令を飛ばす。


「火砲隊は弾込めを急げ!歩兵は楯の用意だ!万が一火薬に敵の火矢が引火したら我々は終わりと思って死守せよ!自分や周囲の兜の色もきっちり確認、砲撃の順番は絶対に守れ!!訓練通りやれば必ず上手く行く!お前達は選りすぐりの砲兵だ!毎日の厳しい訓練を思い出せ!」


 陣の正面にずらりと並べられた火砲の数は実に四十門。一門には十名の砲兵が就いている。

 隊長の言葉に砲兵達は緊張を適度にほぐし、機敏かつ正確な手順で火砲の前部から火薬と袋を詰めて行く。兵士達の兜は白と黒の二種類で塗り分けられており、白組黒組と呼ばれていた。彼等は指揮官の号令によって交互に撃つ事で、その間に弾込めを行い砲撃の切れ目を作らない。予備の砲門も三十ほど用意しており、砲撃によって破損した砲の交換も抜かりない。

 彼等を興味深そうに眺めているのはドナウ人では無いリト、本来の名をリドヴォルフ=ラインラント。諜報部の下請けとして火砲の存在は知っていたが、実物が稼働するのを見るのは今日が初めてだった。

 彼はアラタや軍司令オリバーと共に陣の中央部に居座っている。本来はカリウス改めエーリッヒと共に陣の最奥に居なければならないが、本人がどうしても前で戦況を把握したいと言ったのでこの場に居る。出来れば遠慮してもらいたかったが、本人の心境を鑑みれば断るのも憚られたので、中央部で我慢してもらった。


「先程のナパームの凄かったが、あの火砲も凄いと聞いています。ですがナパームに比べると問題も多いと聞きますが」


「元々火薬兵器の基礎だからな。問題と言うよりは発展性と言ってほしい。そして俺の知る歴史の上で騎兵の時代を終わらせた元凶の一つだと言われている。まあ、安心して見ていてもらおう」


 正確には火薬兵器の殺傷力と内燃機関車両の機動力が揃って騎兵の時代の終焉だが、泰然と構えていても内心は不安のあるリトの心情を気遣い、騎兵主体のホランドなど敵では無いとアラタは自信をもって口にする。それを頭から信じたわけではないだろうが、リトはそれ以上追及しなかった。疑ってアラタが気を悪くするのではなく、最前線に動きがあったからだ。

 ホランド軍は騎兵をドナウの陣に一斉に攻めかかろうと距離を詰める。流石に全ての兵に騎兵を与えただけの事はあり、1000メートルの距離などあっという間に詰められる。途中、翼竜部隊の二度目の爆撃もあったが、塊とはいえ高速で動く物体に直撃させるのは難しく、初撃ほど戦果は得られない。だが、両翼に殺到する騎兵の進路を妨害して幾らかはバラけさせて、一度にかかる圧力を分散させる効果はあった。あとは両翼に配置した長弓兵に可能な限り遠距離から削ってもらい、足が鈍った所で翼竜の爆撃で一掃すればいい。

 そして正面には二万以上の騎兵や振り落とされても構わず自分の足で駆けるホランド兵が殺到し始めている。最初の騎兵部隊は我こそがホランド一の騎兵だと言わんばかりに突撃し、複数の堀を器用に飛び越える。武装の全重量は30kgを優に超え、騎兵本人も含めれば100kgに届くというのに連続で堀を飛び越え足の骨が折れない強靭さ、バランスを崩さない巧みな脚竜捌きにアラタは軽い驚嘆を漏らす。

 やはり平地で彼等ホランド騎兵とやりあうのは例え同数でも危険だと、決して野戦を選択しなかった自身の判断力が間違っていなかった事を認識した。だが、彼等騎兵の快進撃もここまでである。

 異変が起きたのは一番最初の騎兵が堀を全て跳び超え、まだ防壁の作りかけと思われる杭の間を通過しようとした時だった。騎兵の身体がその場に一瞬宙づりになったように見え、続いて脚竜もつんのめって前方に倒れ込んだ。さらに時間が経てば経つほど、後続の騎兵も次々に最初の騎兵同様、見えない壁にぶつかったかのようにひっくり返り、異変に気付いた騎兵が速度を落とそうとしたが、後ろからは次から次へと後続がやって来ており、今更止められるものでもなく、前に進むしか無かった。そして一人また一人とひっくり返り、戦友たちの上に圧し掛かる羽目になった。

 その光景に最前列のドナウ砲兵の指揮官はざまあみろと笑いたかったが、それでは片手落ち。仕上げは自分達ドナウ軍人の出番である。


「ホランド騎兵の動きが止まった!白番隊、砲に点火せよ!!」


 指揮官の号令に砲兵の半分が火砲に点火。次の瞬間、戦場に今まで聞いた事も無い、雷鳴に匹敵する轟音が響き渡ると同時に火砲の周囲には白煙が立ち込める。火薬に蓄えられていたエネルギーが解放され、熱や光を伴った衝撃波が発生するが、ほぼ密閉された砲身では一か所しか逃げ道が残っていない。すなわち前方の大きな砲口、そこには前もって麻袋が詰まっており、穴を塞いでいる。その袋が火薬の燃焼圧力によって高速で撃ち出されると袋は途中で破裂し、中身を飛散させた。

 音速には全く届かない速度だったが、矢の数倍の速度で飛来する小石程の無数の鉄片が身動きの取れない数百の騎兵を蹂躙し尽す。

 火薬の燃焼によって発生した白煙が風に乗って四散すると、そこに現れた光景に砲兵は絶句して硬直する。

 それは人と脚竜だったモノの成れの果て。金属の鎧に手足や頭部と思われる肉や骨の一部が辛うじて繋がっただけの、醜悪な肉の塊でしか無かった。中にはまだ息がある者もいるようだが、例外無く手足をもがれ、声にならない呻き声をあげるだけの肉塊と見分けがつかない。むしろ頭部を破壊されて苦痛に呻く事なく即死した騎兵の方が幸運だったに違いない。ナパームと違い、人間の中身が無秩序に露出飛散する惨状に砲兵は顔を背けたかった。

 轟音の後に戦場は一瞬だけ静寂に包まれるが、しかし次の瞬間には新たな騎兵が殺到し、先程同様の光景が生まれて見えない壁が騎兵の侵入を阻む。


「いつまで呆けている!白番は火砲の位置を修正して弾込めを急げ!!黒番隊、砲に点火あああ!!ぶちかませーーー!!!」


 冷静に戦況を観察していた指揮官が、硬直した砲兵に檄を飛ばして次弾装填を急がせ、黒番隊に二射目を命じた。先程と同様の轟音が戦場に鳴り響き、二十門の砲から麻袋が高速で射出、空中で破裂し中身の鉄片が飛散して騎兵を悉く殺傷する。黒番隊の火砲は発射の衝撃で後方に下がるが、後ろの土を盛った傾斜を登り、重力に従い降りて来る。ある程度同じ位置に戻ると、すぐさま黒番は弾込め作業に取り掛かる。

 その光景にリトは目を見開き、隣に居たアラタにどういう事かと問い詰める。


「火薬が燃焼すると圧力が急速に発生する。その圧力を推進力として詰め込んだ袋が高速で撃ち出される。それが空中で破裂し、中に入っていた鉄片を撒き散らして対象を殺傷する。俺の国では対人掃討専用のキャニスター弾と呼んでいた。

 火砲の基本は遠距離攻撃にあるが、今回は騎兵を大量殺戮するために、この弾を選んだ。近距離殺傷力ならナパームを超えるぞ」


 アラタの言葉通り、二度の斉射でホランド騎兵五百は呻く以外に何も出来ない肉達磨となって転がっている。人間松明を量産するナパームとはまた違った恐怖を煽る惨状に、リトはホランド兵に対する憎しみが薄れ、締められる家畜を見るかのように、ただただ哀れみしか湧いてこなかった。

 だが、リトの感傷など関係ないとばかりに事態は進む。二度の轟音とその後の殺戮により騎兵の一部は恐怖で動きを止めたが、後続はまだその事を知らず陣へと殺到する。その結果、前に居た騎兵は押し潰されて犠牲になり、新しい騎兵も判で押したように先程の二回の惨状と同様、虐殺された。

 結局六度の斉射が行われ、千を楽に超える死傷者を出して正面の戦功争いは鈍化した。


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