第160話 後世に託す夢



 翌日、ホランドは夜明けを待って行軍を開始する。ここからは時間との戦い、如何に早くドナウ軍を見つけて準備が整う前に仕掛けるかが勝敗を決するとドミニクは兵士達に檄を飛ばした。それを受けてすぐさま偵察隊を編成、軍の進路上のあらゆる場所に赴き、ドナウ軍の所在を探った。

 数時間後、偵察隊の一つが数km先にあるものを発見し、仲間たちとどうすべきかを相談した。ドナウ王家の印である鷹の翼の刺繍の施された旗を掲げた十騎程度の小集団がこちらへと向かっていた。


「全員、攻撃を控えつつ警戒を怠るな。あの数ならこちらと同様偵察かもしれんが、それにしては旗など掲げて目立ちすぎる。何かしらの使者である可能性もある」


「ですが、ドナウですよ!いっそこちらから仕掛けて皆殺しにしてしまえば良いでしょうが!」


「そうです、奴等のせいで我々は散々な目に遭っているんですよ!首を刎ねてそこらに捨ててしまえばいい!」


 血気盛んな部下達がすぐに殺してしまえと隊長に食って掛かるが、相手の出方が分からない以上は今はまだ手を出すべきでは無いと部下を一喝して黙らせる。

 向こうも自分達に気付いた上で近づいて来たのだ。戦闘以外で何かしら用事があると見て良い。それにあの旗の印はドナウ王家の印、流石にドナウ王本人ではないだろうが、その意思を伝えに来た使者の可能性が高い。それを見極めてからでも戦うのは遅くない。それに同数の騎兵同士の戦いでは共倒れになるか、それに近い損害を受ける以上、まだ衝突は避けたかった。



 しばらくホランド騎兵は動かず、ドナウ騎兵がこちらまで来るのを待っていた。幸い部下達は殺気立ってはいたが大人しくしており、隊長はほっとした。

 互いに話が出来るまで近づくと、先頭の若い黒髪の男が代表者として名乗り出る。不思議な事に彼は鎧兜を着けていない。目につくのは腰に佩いた杖のような鞘の剣一振りだけだ。


「ドナウ王カリウスの名代アラタ=レオーネだ。使者として貴殿らの主、ドミニク王に会談を申し入れる。出来れば案内を頼みたい」


「これは丁寧な挨拶痛み入る。だが、一体何の会談だ?降伏の申し入れなら大歓迎だが、その様子では違うのだろう?」


「ご期待に沿えず残念だ。会談の内容は交戦規定の確認と、ドナウ軍がどこにいるかを教えに来た」


 アラタの言葉にホランド騎兵達はざわつく。まさしく彼等の任務はドナウ軍の位置を探る事。それが向こうからわざわざ教えにやって来るなど想像していなかった。


「それはそれはご苦労な事だが、なぜわざわざ自分達の位置を教える?この期に及んでドナウは我々と正々堂々戦いたいとでも?農奴共を味方に付けて増長したか」


 騎兵隊長はわざと馬鹿にしたような口調で嘲る。本心はそれほどドナウを馬鹿にしてはいないが、使者の腹の内を今の内に少しでも知っておきたかったので、わざと怒らせるような言い方をした。その言葉に同調し、周りの部下も嘲笑を飛ばす。

 しかしアラタは大して気にする事も無く、淡々とその通りだと答える。


「この期にも何も三年前の戦いでは堂々と挑戦状を叩き付けて戦ったはずだが。それに今回もきちんと宣戦布告してからリトニアに侵攻したぞ。我々は卑怯者では無い、貴殿らと同様、後ろから殴りかかるのは好かんのだ。我々の位置を知らずに素通りしたら、それこそ後ろから殴りつけねばならない。それはお互い面白くないだろう?戦は真正面からぶつかるのが西方の作法だと聞いたぞ」


 今度はアラタの方が皮肉交じりに、ドナウの今までの戦いが何ら恥ずべき事など無いと、堂々と語ると、ホランド騎兵は面白くなさそうにしていたが、アラタの言葉を否定しなかった。

 嘲りを受けても感情に揺らぎすら浮かべないアラタを見て、自分では荷が重いと判断した隊長は、このまま戦うのも拙いと感じ、判断を王に委ねる選択をした。元々自分達の仕事はドナウ軍の所在を掴む事。この男の言う通りなら、その情報が向こうからやって来たに等しい。この男を本隊に連れて行けば、一応自分達の仕事を果たした事になる。後は上の仕事だ。


「いいだろう、その言葉を信じて王に会わせよう。だが、嘘ならそれまでの命だろうし、例え本当でもお前達ドナウが負けるだけだ。どの道短い命だぞ」


「その言葉をそっくり返そう。死にたくなかったら、今の内に故郷へ帰る事を薦める」


 売り言葉に買い言葉となって互いの騎兵達は険悪な雰囲気となったが、今更戦うのも機を逸してしまったので、総勢二十の騎兵はお互いを罵倒しながらも仲良くホランド本隊まで並走して行った。大戦直前の奇妙な出会いと並走だった。



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 三十分ほど竜を走らせると、ホランド本隊と合流した。ドナウの旗を見たホランド兵は例外なく殺気立ったが、偵察隊から王の使者だと説明を受けると、内心は兎も角直接的な攻撃は控えた。しかし、護衛のウォラフ達近衛騎士は五万の兵に囲まれて、かなり緊張していた。最悪、交渉が終わった瞬間に嬲り殺しに合う事も考慮して、せめてアラタと一緒に付いて来たリトは命に代えても逃がすつもりだった。

 軍勢の中央に居たドミニクに話が伝わると、彼は全軍停止してしばらく待機と命令した。そして、アラタを見て笑みを浮かべた。


「お忙しい中、申し訳ありませんドミニク陛下。今回もドナウ王の名代として赴きました。出来ればゆっくりと話をしたいのですが」


「久しいなアラタ=レオーネ。だが、忙しくしているのはお主らドナウの所為なのだと知るべきだ。それにあまり時間を掛ける気は無いぞ。お主達ドナウに時間を与えると良からぬ事を企むだろうからな」


「ははは、随分と警戒なされていますね。まあ、悪だくみをしているのは事実ですので否定は致しませんよ」


 嫌われたものだとアラタは苦笑したが、今までの所業を考えればドミニクのそっけない対応も当然だった。しかし脚竜の上で会談など作法に反すると言い、ドミニクは竜から降り、アラタ達にも降りろと催促した。さらに配下に敷き物と酒を用意させ、簡単な会談場を設えさせる。

 それぞれ護衛は下がらせたが、リトだけはその場に残ってアラタの隣に座った。リトの顔を怪訝そうに見つめていたドミニクに、リトは自分の本来の身分を明かす。


「かつて貴方自身に滅ぼされたリトニア最後の王の子、リドヴォルフ=ラインラントでございます。未だ戴冠は済んでおりませんが、今この場では新たなリトニアの王として席を共にさせて頂きます」


「ほう、まだ生き残りが居たとは驚きだ。最後の戦いで、全てのリトニア王族は死んだと思っていたがな。お主の歳は30過ぎ、あの時には成人していただろうに、どこかに逃げ出したのか?」


「ええ、恥も何も無くおめおめと逃げ出し、生き永らえました。ですが、あの時自害しなかったおかげで今こうしてホランド王の前に座っていられます」


 自国を滅ぼした張本人と、生き残った王子という不名誉な烙印を押されたリトの邂逅は傍から見れば和やかに見えたかもしれないが、内面は推し量れない。ドミニクは単に珍しい者が見れたという程度の驚きでしかないが、少なくともリトはそうではなかった。だが、そこに激情は含まれていない。


「それで、国を滅ぼされ親兄弟を殺された怨み言でも言いに来たのか?生憎だが、敗者の戯言に構っていられるほど儂は暇ではない。隣の男の言う通り、悪企みされる時間を与えるつもりは無いのでな」


「いえ、そんな女々しい事はどうでも良いです。既に私は仇であるホランド王の顔を拝見するという目的を果たしました。何せ今ここで貴方の顔を見ておかねば、次の機会はもう訪れることは無い。

 だが、それもあまり意味のない事だったよ。ここに居るのは既に王ではなかった。居たのはただ、死を待つばかりの老いて疲れた男だ。憎しみより哀れに思うよ」


 リトの不遜な物言いに周囲のホランド兵は殺気立ち武器を手に構えるが、それを当人が辞めさせる。ドミニク自身もリトの無礼な言葉に怒りはあるものの、それ以上に気になった事があり、詳しく聞いてみたくなった。


「私の目の前にいるのは息子に先立たれて、悲しみから酒に溺れた老いた父しかいない。今は激情で押さえつけてはいても、その酒精は既に体を蝕んでいる。貴方はそれほど長く生きられず、今日この日が命日となる。そう思えば全てを奪った憎しみよりも、哀れみの方が強くなった」


「若造が好き放題言ってくれる。しかし貴様の言う通り儂はもう長くない。だがな、そんな死にぞこないでもまだ数年は時間が残されている。その間にドナウを下し、ユゴス、レゴスも幾らか痛めつけておけば、後は息子のバルトロメイがどうにかする。あれは儂とは違うが、それでも王の器を持っている。その息子、儂の孫のヴィクトルも居るのだ。儂の夢見た西方統一の夢を子や孫に引き継がせる。それもまた一興よ」


 己の死期を悟りつつも、それに脅えず、リトの暴言を豪快に笑い飛ばし、自らの死期と夢を語る。その姿に周囲のホランド兵達は悲しみとも感動ともつかぬ涙を流す。いきなり屈強な男達がメソメソと泣き始めたのだからアラタ達は困惑する。


「聞け、ホランドの誇り高き戦士達よ!儂はもう長く生きられぬ。あと一、二度しか戦場には立てないだろう!だからこそ、儂は負けて終わりたくなどない!おぬし達に頼みごとがある。どうか儂を敗者にしないでもらいたい。このまま、生涯無敗、常勝の偉大な王であり、戦士だったと後世まで語り継いでほしい!!そして、どうか息子のバルトロメイと、孫のヴィクトルを生涯支えてやってくれ!

 これは儂からの戦友達に託す遺言だ!!」


「「「おおおおおおっ!!!!ドミニク万歳!!!ホランドに栄光を!!!ドナウに敗北を!!!」」」


 先ほどとは打って変わり、ドミニクの演説によって兵士達は怒声を張り上げ、その狂乱は一人残らず兵士達へと伝播した。五万もの兵達の絶叫はアラタを除くドナウ人とリトを震え上がらせ、自分達が心のどこかでホランドを死に掛けの竜だと侮っていた事を思い知らされた。衰えを感じさせるとはいえドミニクは一代でホランドを軍事大国にまで引き上げた不世出の王。侮って良い道理などあるはずが無い。

 対してアラタはそんなドミニクの姿を見て、人生最高の高揚感と愉悦に震えていた。ドミニクもまた義父と同じ、多くの民を狂乱に駆り立てる生まれついての先導者であった。決して自分が届かない領域に住む王をこれから大地に引きずり下ろし、泥水を啜らせ、嗚咽で喉を枯らし、悲嘆の涙を流させる未来を思うと、全身の血潮が沸騰しそうな熱を生み出す。


(ああ、素晴らしい。自分達が負けるはずなど決して無いと思い上がった五万の兵とこの王を一刻も早く絶望の奈落に突き落としてやりたい。自らが心酔する王を目の前で殺し、泣き崩れる兵士を、怒り狂う兵士を、殉死するかのように刺し違えようとする兵士を、ありとあらゆる者に嘆きを与えたい)


「ふん、それが貴様の本性かアラタ=レオーネ。とんだ性悪がドナウに居たものだ。

 その性根のねじ曲がり具合は、うちのカーレルより始末に負えん。なるほど、こんな化物すらドナウは身内に取り込んだのなら、貴様の言う通りドナウ王は儂より器がでかい。それだけは認めてやろう」


 五万もの兵士の狂乱の真っただ中にあって、涼しい顔どころか口を限界まで釣り上げて愉悦を隠しもしない姿にドミニクは吐き気を伴う生理的嫌悪と恐怖をアラタに抱いた。そして、この人外化生をドナウ王共々殺しておかねば、バルトロメイが今後苦労する羽目になると直感的に確信する。


「お褒めに預かり恐悦至極にございます。ですが、ドミニク陛下も先導者としてうちの陛下と並びますよ。五万の兵を瞬く間に死兵に仕立て上げた人心掌握術、いやはや恐ろしい物ですな。

 これでは例え陛下の首を獲った所で、兵士達は納まりませんね。降伏など論外、一人の兵士も逃げ出さず、文字通り最後の一兵までドナウに向かってくる。これでは交戦規定など有って無いようなものだ。それとドナウ軍の位置は地図に載せておきましたので、ちゃんと来てくださいね」


「ならば降伏するか最後の一人まで生き残った方の勝ちという事で良いな?さあ、もう会談は終わりだ。後は言葉では無く力で語るとしよう」


 杯の酒を飲み干し、会談の終わりを告げたドミニクは近習に片づけを命じた。ドナウ側は出来ればもう少し時間を浪費させたかったが、向こうがそれを望んでいないとなれば引き止めようがない。

 それからついでとばかりにドミニクは使者のゲオルグ達が同行している事、この戦いの見届け人としての役を担わせていると教えた。それを聞いたウォラフは彼等の返還を望んだが、戦が終われば必ず開放すると、ドミニク自らが約束したこともあって、例え敵でも王の言葉を疑うのは非礼だと、不安に思いつつも願いを取り下げた。

 アラタも義父の安否は気になったが、今更どうにもならないと判断し、あとは彼等自身の運に期待してホランド軍と別れ、全速でドナウ軍の陣へと退却した。



 決戦まであと数時間。


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