第155話 宣戦布告同時侵攻



 一年の始まりは祝いの日である。それはどの国でも共通の思想となって根付いている。暦を重視せず、農耕を行わないホランドもその例に洩れず、元旦は国を挙げての祝いとしている。

 その元日にドナウから使者がやって来たとなれば、内情はどうあれ祝い持て成すのが流儀だろう。王の親書を携えたゲオルグ=ベッカーは大して待たされる事なく王に謁見を許された。

 謁見の間に通されたゲオルグは、旅の間、王都にやって来た時、そして城ですれ違うホランド人をつぶさに観察し、かつての強国が衰えていると強く感じていた。ほんの一年前、サピン王都エルドラにホランドの軍勢が近づいていた時は震えるほどに彼等が恐ろしく思えたが、今はその恐ろしさはさほど感じない。一度ならず二度も他国に後れを取り、王子一人を死なせ、十万を誇った軍勢は半減した。王はそれを嘆き悲しみ酒浸り、さらには小競り合いとは言え、ドナウに多額の賠償を支払った事で王家の信頼は地に落ちている。さらには元旦となれば盛大に祝いや祭りを催すのが西方の風習にも拘らず、街には一つも祭りを感じさせる催しが開かれていない。ユリウス王子の喪に伏す形なのだろうが、実情は民に祝う気力が無いのだ。


(驕れる者は久しからず、盛者必衰の理、とはこのような事を指すのだろうか)


 以前、義理の息子がホランドをそのように評していたが、自分達もこうならないとは誰も保証してくれない。強さに驕る者の末路はかくも無残な物かとゲオルグは身震いする。


「おや、使者殿にはこの部屋は寒かったか。儂は酒が入っているから暑いぐらいだが、もう少し火を焚くか?」


「い、いえ、陛下の過分なお気遣い痛み入ります。我が陛下よりお預かりした親書を御渡しするだけですので、それが終われば私も退散いたしますので」


 どうせ故国に生きて帰れるか分からない状況では寒いも糞も無いので、ドミニクの勧めを丁重にお断りする。外務省にとってもゲオルグにとっても今回のホランド来訪は死地に赴くに等しい任務だと自覚していた。懐にしまってある親書は劇物、それを見せたが最後、自分は八つ裂きにされて豚か犬の餌になる可能性がかなり高い。一応国の使者である事を理由に無体な真似を留まる可能性もあるが、あまり期待しない方が良いだろう。それに下手に希望を抱かない方が死を受け入れやすい。

 今回の使者は外務省の中でも人選は荒れに荒れた。何せ選ばれた人間は死んで来いと言われたに等しい。そんな役目を誰が好き好んでやりたがるのか。誰も手を挙げず、フランツ長官も相当悩んでいた。そんな中、自身が手を挙げた時は、周囲は狂人を見るかのような視線を向けて来た。長官も再三、危険な役目だと念を押したが、意志は固く途中で逃げ出す気が無いと分かり正式に使者を拝命した。

 それには国への忠誠もあるが、誰もやりたがらない大役を全うする事で外交官としての実績を挙げたかったという欲もある。外交官として偉大だった亡き父に少しでも近づきたかったのと、出来過ぎる義理の息子への嫉妬も否定しない。自分とて一人の男、一人のドナウ貴族、ベッカー家の当主として少しでも次の世代に繋がる栄誉が心から欲しかった。その為ならば、危険だと分かっている役目だろうと構わない。このままずっと城の中で書類作成に明け暮れるなど外交官としての矜持が許せなかった。

 それを妻に打ち明けた時、妻は男の詰まらない意地だと嘆いたが、その意地に拘るからこその男だ。それが分からないから妻は女でいられる。打算もあるが、意地を張れない男など腑抜けと笑われても文句は言えないと、自身の選択に後悔はしていない。

 正面の玉座に座るドミニクは酒に酔い、口元はだらしなく緩み、かつての武人として威圧感に溢れていた姿とは似ても似つかない。さらにわざわざ女の化粧までしている。男、それも武で鳴らした王が神事でもないのに化粧をするなど有り得ない行為だろうが、その理由には心当たりがある。以前、義理の息子からドミニクが次男の死を忘れるように浴びるほど飲んだ酒が酷く身体に悪い毒酒だと聞かされていた。恐らく酒精によって体、内臓器官を悪くしているのを悟らせないように取り繕っていた。

 さっさと目的を果たしたかったゲオルグは親書をドミニクに渡し、彼が書を読み終わるをじっと待っていた。その間、ドミニクの顔は百面相と言えるほどに変化に富んでいた。最初はだらしなく開いていた口が大きく開いたと思ったら一文字になり歯ぎしりへと変わる。目も大きく開いたと思えば細く鋭くなり、さらに怒気を宿した瞳をこちらへと容赦なく向けて来た。この様子では完全に酔いが醒めたのだろう。それを無理もないとゲオルグは他人事のように感じていた。

 様子がおかしいと感じ、傍に控えていたバルトロメイ王子が小声で話しかけると、無言で親書を突き出し読めと催促する。そこに書かれていた文章はおよそ親書とは思えない罵詈雑言の数々。武力によって四か国を滅ぼし、友好国であるユゴスに恥知らずな降伏勧告を行う浅はかさ、その上で逆襲に遭い、王子一人を死なせた愚かさをこれでもかと言うほどに扱き下ろしていた。さらには併合した領土の統治が如何に稚拙で杜撰かをあげつらって、碌に統治できないならさっさと手放してしまえと、先程の罵倒とは正反対にまるで幼子をあやす様に優しく助言する文が書かれており、止めとばかりに最後にカリウス自らが軍勢を率い、蛮族の立て籠もる城に鷹の翼の旗を立ててやると完全に宣戦布告の文が綴られて、ご丁寧に玉璽の印まで押されている。

 親書とは名ばかりの完全にホランドを馬鹿にした文章にバルトロメイは顔面蒼白となり、反対にドミニクは怒りのあまり青筋を立てて顔を赤らめる。篝火によって温められている筈の謁見の間の空気は、まるで極寒の雪原と錯覚するほどに冷え切り、ゲオルグはこの後自分は殺されるだろうと確信した。


「―――使者よ、本当にドナウの宣戦布告と受け取って良いのか?今ならただの冗談だと言えば流してやっても良いのだぞ」


「陛下のお気遣いは身に染みておりますが、親書に書かれている言葉は全て我が王の言葉でございます。そして帰国への宣戦布告は我が国全ての民の総意と思って頂いて結構。今この時をもってカリウス陛下は自ら軍を率い、貴国に虐げられる無辜の民に救いをもたらすでしょう」


 完全に酔いの醒めたドミニクはかつての様を取り戻し恫喝するが、覚悟を決めたゲオルグにとっては微風に等しい。しかし、予想に反して衛兵に命令を下すわけでもなく、自ら剣を取って首を刎ねる様子も無い。


「ならば儂のやる事はただ一つだ。バルトロメイよ、三日以内に全軍を動かせるように手はずを整えよ。今回は攻城兵器は要らん、速さこそが命。全ての兵に脚竜を与え、疾風となって西に行く。城の守りはお前に任せる、兵は連れていけぬ女子供に弓でも持たせておけ」


「は、ははっ!ご命令通り致します!」


 全ての兵を集めれば五万に届く。その大軍を最速で運び、ドナウ軍を撃破、王の首を獲る。その後はすぐに引き返してユゴスに備える。多分にリスクの高い戦略だろうが、このまま座して守勢に回るよりは、自身の兵の持ち味を生かせると割り切り、さらに速攻で接敵する事でドナウが平地に城を築く前に野戦を仕掛けられれば、数に勝る自軍に抗する術は無い。


「お主はこのまま我が国の客人として儂に付いて来て貰うとしよう。身の程知らずの故国の兵が死ぬ様と、首だけとなった王の見届け人として生かしておいてやる。そして、如何に自分達が愚かな行為をしたのか末永く語り継いでもらう」


「―――承知いたしました。暫く御厄介になります」


 慌ただしく動き出したホランド人達を尻目に、取り敢えず命の危機は去った事に安堵しつつ、五万の兵に送り届けて貰えると思えば悪くない待遇だとゲオルグは思い始める。死の恐怖が一週回ってやけくそになったか却って図太くなったのかもしれない。



      □□□□□□□□□



 ホランド王宮で宣戦布告が成されてから三日後、カリウスに率いられたドナウ直轄軍はリトニア中央部のかつての王都ヴィリーを目指して進軍していた。進路上の集落を慰撫しつつ治安維持というより、築いた生活基盤を捨てられなかったごく少数のホランド駐留兵を捕虜にし、一部は伝言役に仕立て上げて放逐、行軍は予定通りだった。このまま行けば、明日には残ったホランド兵の拠点であるリトニア王都へとたどり着けるだろう。

 敵の抵抗は極めて弱い。元々軍再建の為に併合地から兵の大半を引き抜いて残っているのは全て合わせても千に満たない兵士達とその家族だけだ。各地に残っている兵も多くて三十程度。全く話にならなかった。

 そんな中で一万以上のドナウ兵と、貧相な装備だが武装したリトニア人数万の塊を見れば、戦う前から反抗心が萎えるのは仕方が無い。何も抵抗せず降伏した兵士は捕虜として丁重に扱ったが、そうでない者はその家族を含めて犠牲になった。今まで散々に他国人を虐げ、辱めていた報いを受ける形であり、誰も彼等には同情も助ける手を差し伸べたりはしない。一応、リトニア人に処遇を任せたが、一人の例外も無く死ぬまで老若男女関係なしに暴行を受けて、死体は串刺しにされて村の入口に晒された。如何にホランド人の仕打ちが酷かったかをドナウ人は実感し、自分達はこうはならない様に行儀良くしていた。

 十数年ぶりに帰郷したリトは、自らの故郷の惨状に目を覆い、人目を憚らず涙を流した。仮に自分がリトニアに残っていた所で何かできたとは思えないが、それでも見捨てた事には変わりがない。そんな自分をリトニアの民は受け入れてくれるかと不安だったが、思いの外リトは歓迎されていた。あまりにホランドの統治が酷かったので、この際自分達を虐げない統治者ならば誰でも良かったというのがリトニア人の本音だった。それに表向きはリトが援軍として連れて来たドナウ軍も非常に行儀良くしており、自分達の貴重な食糧などを接収するような真似もせず、反対に足りない食糧を補充してくれるのを目の当たりにし、以前から諜報部の息の掛かった行商人の語った通りだった事もあり、リトとドナウ人を新たな統治者として受け入れていた。



 肌を露出しないタイプの兜を被ったままリトとリトニアの惨状に心を痛めるカリウス。二人は今まで見て来たリトニアの集落の荒廃振りに怒りと無力感を隠せなかった。


「妻を家を国を、全てを捨てた恥知らずがこうまで歓迎されるなど想像すらしていませんでした。余程ホランドは私の民から恨まれていたのでしょう」


「そうなるね。あー余もリトニアの民への仕打ちには憤りを感じずにはいられない。人は強者となった時これほど傲慢に振る舞えるのかと、己自身が恐ろしくなる」


 リトニアは西方一の穀倉地帯と聞こえて久しいが、ここ最近は収穫量も落ちていると聞く。ホランド人が統治し始めてから灌漑設備の整備に手が回らなくなり、一部の水路が破損して畑を放棄せざるを得なくなったと聞いている。農耕経験の無いホランド人では農業に用いる水の重要性を理解出来ないのだ。


「ホランド人からリトニアを取り戻しても、元に戻すには最低十年は掛かるでしょうな。壊すのは容易でも、築き上げるのはその十倍は労力を用いる。軍という暴力は誠に扱いが難しく、罪深い存在と思わずにはいられません」


 二人の後ろに控えていたオリバー=ツヴァイクが軍人として武力に驕った者の仕出かした事を見て溜息を吐く。ここ数年は訓練以外は土木作業員として活動してドナウ国民から慕われていた反動もあり、自分達が暴力装置である事を再認識して気分が沈んだ。


「それを否定はしないが、道具も人も使い方次第だろう。我々人は知識と知恵がある。その知を用いて最も効果的な使い方を選択し続ければ良いだけだ。それはわ、余のような王がすべき事、そなたが気に病む必要は無い」


「ははっ、で、いえ、陛下への差出がましい行為をお許しください。陛下でしたら末永く我々を使いこなして頂けると、安心して職務に励めます」


 決してゴマ摺りでは無いオリバーの本心に、為政者であるカリウスやリトは自らに課せられた宿命を重く受け止め、そこから逃げる訳にはいかないと決意を改めホランドとの戦いへと身を投じた。


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