第156話 リトニア王都解放



 ドナウがホランドに宣戦布告して四日目。同時にドナウ直轄軍がホランド旧リトニア領に侵攻してから四日目の朝になる。突然のドナウ軍侵攻により、リトニア駐留のホランド兵はパニックに陥ったが、どうにかそれを立て直し、現在はリトニア領最大の都市である旧王都ヴィリーで臨戦態勢を整えていた。とは言えその数は五百程度しかおらず、とてもではないが一万を超える軍勢に太刀打ちなど出来ると思えなかった。さらに五万を超えるリトニア人の男達が粗末な武具を持って肩を並べていると分かると、如何に犠牲を出さずにホランド本土へと退却するかを考えねばならなかった。進軍するドナウ軍以外にヴィリーの住民からも家族を守りつつ離脱する、到底達成出来そうに無い困難に直面し、ホランド兵は進退窮まった。

 戦えない女子供だけを先に逃がしても怒り狂った現地住民に嬲り者にされる。かと言って護衛に何割か同行させると、今度はドナウ軍の進軍を少しでも遅らせる駒が減ってしまう。いっそ街に立て籠もる案が出たが、そんな事をすれば真っ先にリトニア人に袋叩きに遭って殺される。全員で一目散に逃げた所で足の遅い女子供を連れたままでは確実にドナウかリトニア人に追いつかれる。しかし何もせずに降伏など誇りあるホランド人として断固として拒否すると一定数が主張し、折衷案として若い兵士が家族の護衛に就いて、本国を目指し、残った者が少しでもドナウ軍を足止めする為に死兵となって戦い果てる事を選んだ。



 昼前になるとホランド兵達は全員完全武装して竜に乗り、街の外に待機していた。その数総勢四百足らず。これでは百倍以上の敵軍に一蹴されて終わる。それはホランド兵達も分かっている。しかし、無様に逃げまどう事は誇りあるホランド戦士として許容出来なかった。


「まったく、農奴共がうじゃうじゃと。群れなきゃ俺達に立ち向かえない臆病者の癖に。ドナウ人が良いように焚き付けやがったな」


「ここ最近農奴の反抗が頻繁にあったのも、ドナウ人が前々から動いてたんだろうな。あいつら良い酒を売りに来るから見逃してたが、こんな汚い手を使うとは戦士を名乗れねえぞ」


 彼等の様な戦士にとって、自分の手を汚さず他人、それも農奴をけしかけて殺しをさせようなどとは、およそ戦士の考えつく事では無いとドナウへの侮蔑を隠しもしなかった。


「なら、俺達がいっちょ本物の戦士のあり方ってやつを見せつけてやるとしよう。

 お前等、ドナウ人でも農奴でもいいから一人三十人は殺してから死ねよ!!死んだら全員あの世で先祖たちと酒盛りだが、無様を晒したら罰として酒は無しだ!」


 年配の兵が全員に聞こえるように冗談を飛ばすと、気合の籠った返答があちこちから帰って来て、さらに熱気が全体へと波及する。全員が今日この場で死ぬ事になると知っていても恐れを抱く者は一人も居ない。彼等にとって先日まで農奴と侮り下等な民と見下していたリトニア人に馬鹿にされて追い立てられる事のほうが、死よりも何倍も耐え難い屈辱だと感じており、一人でも多くの者にいかに自分達が恐ろしく強大な存在であったかを魂に刻みつけてから死ぬ事を望んでいた。


「今日は死ぬには良い日だ」


 ある兵士の呟きが誰にも聞かれる事なく消えて行く。しかし、その顔には恐怖など一かけらも浮かんでおらず、今の天気と同様、雲一つ無い晴れやかな笑顔だった。



 しばらくすると街に森が近づいて来た。訂正しよう、森と錯覚するほどの人と言う名の木の群れだった。その数およそ六万、大半は粗末な武装で誤魔化したリトニア人の男達の無秩序な行軍だったが、それでも圧巻の光景だ。大半は木の棒に尖った石を括りつけた粗末な槍や狩猟用の弓、家の戸板を盾代わりに持っているだけの農民でしかないが、数が違い過ぎて装備の差など大した問題ではない。

 そしてその農民兵の先頭に立つように秩序立って進軍しているのがドナウ軍一万二千。彼等はリトニア人と違い、全員が鎧を身に纏い、手には長槍や長弓を抱えていた。一部見慣れない筒を運んでいるのが気になったが、ホランド人から見てもその行軍は整然とした見事なものであり、雑多なリトニア人とは一線を画す集団だと、かつて弱兵扱いした事は間違いだったと改めた。

 それを見た部隊長格のホランド兵は暫し考え込んだ後、方針を決定する。話が兵士達に伝わると、全員が了承し、反対意見は無い。どの道全員ここで死ぬのだから、少しでも華々しい戦いがしたかったので文句は出なかった。



 一方、ドナウ=リトニア連合軍はというと、目前に迫った王都解放戦に士気は否応にも高まり、リトを含めたドナウの指揮官達はリトニア人を抑えるのに四苦八苦していた。リトニア人からすれば十数年に及ぶ圧政を敷いたならず者を打ち倒す最大の機会を前に激情を抑えきれない。今すぐにでも街の外に展開するホランド人に突撃したくて仕方がないが、暫定的に指揮しているドナウ人士官が辛うじて止めているので勝手な行動を抑えているに過ぎない。最低限後ろや側面から攻撃を受けても良いように陣形を整えてはいるが、いつまで維持できるか分からないので、出来れば早くホランド側から仕掛けてもらった方がボロを出さずに済むと、早く仕掛けてもらいたがった。

 願いが通じたわけではないだろうが、ホランド側に動きがあった。彼等は二手に兵を分けてこちらの左右に部隊を展開しながら移動している。移動しながら隊列を整え、まるで騎兵部隊が一本の槍や矢のように形を成している。

 しかし各ドナウ士官は慌てずに、まだ距離のある内から前列のリトニア人に槍を突きだすように命令を下す。穂先は大雑把に尖らせた石、本体は只の木の棒でしかないが、長さだけは誇れる槍だ。ドナウで新採用された長槍より2メートルは長いので取り回しは最悪だったが、騎兵の突撃槍よりずっと長く、こちらはただ向かってくる騎兵相手に突き出していればそれで事足りた。そして長い槍は兵の恐怖心を和らげ、戦場での逃亡を抑止した。

 徐々に旋回しながら迫ってくる騎兵に最前列のリトニア人達は恐ろしさを感じてはいたものの、それ以上に戦場の空気に当てられて精神が高揚し、さらには長年蓄積された怨みから、死んでも殺してやると咆哮を挙げ怒気を放出した。

 段々と近づいて来る騎兵の塊に、リトニア人は後方から一斉に矢を放ち、前列で槍を構える男達の隙間から這い出て来た別のリトニア人達はスリングを使った投石を敢行。結果、一部の騎兵は辿り着く前に、攻撃に晒され痛みに狂った脚竜から振り落とされて脱落した。脱落した兵は後続の騎兵に踏みつぶされて絶命する者もいたが、踏みつぶした兵は誰も同僚殺しを気にしなかった。そして大半の騎兵はそのまま勢いを殺す事なくリトニア人達の目と鼻の先まで迫っていた。

 二つに別れた騎兵隊は共に左右前方斜めから突撃、最前列の4~5名はそのまま石の槍に串刺しにされて脚竜共々即死したが、後続の二百の騎兵はそのまま構わずリトニア人の中へと突き進み、突進力を如何無く発揮したランスチャージを繰り出し、数人纏めて刺し貫く。しかしそこで速度が落ちるとなると躊躇せずに脚竜から飛び降り、剣で手近なリトニア人を斬りつける。碌に防具を持っていない者は悉く切り捨てられるが、狂乱に突き動かされるリトニア人は仲間の死に構わずホランド兵に飛び掛かり、鎧や兜から僅かに露出した肌や眼球に石の短剣や包丁を突き刺して、一人ずつ殺していく。中には圧し掛かって身動きを取れなくした所に複数人がさらに圧し掛かって仲間共々圧殺する事もあったが、敵を殺す事しか考えていない素人集団では止めようがない。

 ようやくホランド騎兵の突撃が止まったのは陣の三分の一程度まで斬り込まれた所だが、後は脚竜から引きずり降ろして囲んで仕留めれば済む。しかし、ホランド側も一人また一人と仲間が減ろうが、構わず敵だらけの死地で剣を振り続け、自らもまた数の暴力に飲み込まれてもなお、最後まで剣や槍を握り締め放そうとせず、一人の例外も無く笑いながら絶命する様は、全てのリトニア人の心に恐怖を刻み付けるには、十分過ぎるほどの戦いぶりだった。

 だが、犠牲者は多かったもののリトニア王都ヴィリーは解放され、十数年に及ぶホランド支配は終わりを告げた。


「恥辱に耐え全てを捨てて逃げた十数年は無駄では無かった。父よ、養父よ、妻よ、これで不甲斐ない私を許してくれるね」


 歓喜、悲嘆、憤怒、安寧、罪業。リトの内面は複雑な感情が渦巻いていたが、ただ一言で今の心を表すならば、解放されたと言うべきか。他者の手を借りたとはいえ、自らの宿業に区切りを付けた。その事実が何よりも魂を震わせる。



 それは大国ホランドの武力によって止められていた時が新たな王と新たな民によって再び刻み始めた瞬間でもあった。


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