第154話 演説



 12月25日の朝は寒かった。雪は降っていないが、冬の風は毛皮製の防寒具を着こまなければ全身を痛めつける。そんな寒さの中でも人は営みを途絶えさせるような事はしない。王都の貴族邸宅の使用人も慌ただしく動き回り、朝食の用意に追われている。特に今日の朝食はどの貴族邸でも念入りに作り込まれている。

 今日、ドナウはほぼ全ての軍事力をホランドに投入する。六日後の元旦にホランド王に宣戦布告が届くと同時にホランド領土へと進行する手はずを整えており、ドナウ王カリウスの号令によって、終結した直轄軍および半数の地方軍が出立する。その為、近衛騎士や地方軍の貴族の家では例外無く見送りの為の朝食は手間暇を掛けたご馳走が並んでいる。男達の中には二度と自分の家の食事を口に出来ない者も居るとなれば、送り出す方も手間を厭う事は有り得なかった。



 レオーネ家の朝食もそれは例外では無かった。しかもこの家では当主のアラタ以外にも今回の戦の旗印となるセシルとロベルタ、それに護衛騎士として屋敷に詰めていたユリアンが戦へと赴くのだ。残される女達は少しでも力を付けてもらおうと、可能な限り豪勢な食事をと、朝から砂糖を使ったケーキやアラタの好物の海産物の料理をテーブルに乗せられない程に作りつつ、これが最後の食事にならない事、彼等が無事に帰って来る事を祈らずにはいられなかった。

 最初に食事を終えたアラタが息子のオイゲンを抱いて、家族達が食事を終えるのを待っていた。相変わらずラケルは食事時でも落ち着きなく騒いでいる。クロエはアラタ達が戦いに赴くのを知って、不安からかあまり食事が喉を通らないようで、スプーンを動かしても口まで手が届かない。ロベルタは今屋敷にいない。数日前から城の方で寝泊まりしている。正式にカールの婚約者として認められた事から、一緒に過ごす為に城に滞在しつつ、戦に同行する支度を整えていた。

 同じホランドへの大義名分であるセシルもローザに甲斐甲斐しく世話を受けながら出来るだけ食べている。多少緊張しているようだが、セシル自身が戦う訳では無いのでそこまで気にしている様子は無い。それより気になるのが、ローザとの距離感だ。二人は元々幼馴染であり、兄妹や家族のような間柄だったが、ここ最近二人の態度が余所余所しい。かと言って喧嘩をしているようには見えず、ふと見るといつも以上にべったりくっついている時もある。そう思えば、目が合えばお互いに顔を背けたりと、分かる人間が見れば思春期の男女の恥じらいから来る一貫性の無い態度だと納得しただろう。どういう経緯で関係を結んだかは下世話になるので多くは語らないが、身分差を考えなければ収まる所に収まったと言えるだろう。

 そして二人の妻と言えば、マリアは落ち着いている。不安に思う所はあるだろうが、既に事態は動き出しており、自分の手の届く範囲をとうに超えていると知っているので、ただ夫や家族が無事に帰って来てくれるのを信じて送り出すだけだと、王家の女として肝が据わっていた。

 対してアンナはと言うと、表向きは気丈に振る舞っているものの、どこか心あらずといった空虚な雰囲気を纏わせ、事務的に食事を口にしているだけのように見える。本来は食事をするのも億劫なのだろうが、何も食べないのはお腹の子に悪影響なので、母としての本能で食べているようだ。



 全員の食事が終わるとアラタ達は支度を整える。既に王都の外では万を超える兵士達が王の号令を今か今かと待っていた。実際にカリウスが出陣するのは最後になるが、万の軍勢を動かすとなると、最初の部隊の出立は出来るだけ早めに行うほうが良い。そう、今回の戦は王自らが軍勢を率いてホランド本土へ侵攻する。これは三年前のホランドとの戦い以上に、今回の戦いを重視している証拠と言えた。

 玄関まで見送りに来た四人とエリィやローザを含めた使用人達にアラタは声を掛ける。セシルもローザと暫しの別れを惜しみ、お付のジャックが見守る中、抱擁を交わして再会を誓い合った。


「じゃあ、行ってくる。帰って来るのは数か月かかるだろうが、必ず帰って来るから心配せずに待っていてくれ。マリアはお腹の子の事を第一にな。どうにか生まれてくる前に帰って来るが、もし駄目だったらアルベルトに名前を書いた紙を渡してあるから、それを見て名を付けて欲しい」


「出来ればお産にも立ち会って欲しかったですが、仕方がありませんね。ですが、無事の御帰還を毎日祈らせてください。大丈夫ですよ、祈るのは神にではなく貴方自身ですから」


「そうか、それなら安心だ。ラケルはオイゲンの事ちゃんと見ててくれ、最近歩けるようになったからどこかぶつけないか見てて危なっかしいんだ。

 クロエは帰って来たらもっと勉強教えてあげるから、泣かずに待っていてくれ」


「うん!とおさまもおしごとがんばってね!オイゲンちゃんはラケルがちゃんとみてるからしんぱいいらないよ」


「アラタ先生、絶対に帰って来てください。約束破ったら許さないですよ」


 家族たちにそれぞれに言葉を掛け、後ろに控えている使用人達にも同様に留守を任せると言葉を掛ける。特に屋敷を預かる家宰のアルベルトと護衛に残るラルゴの男衆には念入りに留守を頼むと、命懸けで護ると固く誓ってくれたのでアラタも安心した。


「それからアンナ、笑ってとは言わないがそんな悲しい顔はしないでくれ。二年前の時も俺はちゃんと帰って来たんだ。また怪我一つ無く帰って来るから、お腹の子と一緒にみんなで待っていてくれ」


 聞き分けの無い幼子をあやすように今にも泣き出しそうなアンナに優しく声を掛けるが反応は芳しくない。周囲の目がある手前、涙は見せなかったが、自分でもどうしようもないぐらいに心が搔き乱されて感情が制御出来ない。妊婦によく見られる情緒不安定だった。それを察したアラタは、言葉だけでは足りないと不安に震えるアンナを抱きしめつつ、キスをする。かなり長い間していたので周囲が、ここは玄関なのにと、少し迷惑そうにしていたが二人は構わなかった。

 ようやくアラタがアンナから唇を離すと、彼女の震えは止まり、正妻のマリアを差し置いてアラタに気を遣われた事を恥じ、マリアを盗み見ると、本人は『仕方が無いわね』と少し腹立たしそうにしながらも笑っていた。


「申し訳ありませんアラタ様、おかげで落ち着きました。私もお腹の子ももう大丈夫です」


「それは良かった。不安に思うだろうけど、マリアと一緒に留守をよろしく頼む。じゃあ、皆行ってくる」


 それだけ言うと、アラタ達は竜車に乗り込み、兵士達が集結する王都の外へと向かう。その後姿を屋敷の者達はいつまでも見送っていた。



 王都郊外の平原では一万二千の直轄軍と、王都近隣と北部の地方領主軍二千が集結していた。冬の朝は凍えるほどに寒かったが、一万以上の兵士等が集まると、その熱気により汗が出るほどだ。

 その一万四千の男達の前に戦装束を身に纏ったカリウスが壇上に立つと、兵士達の視線が全て王へと集まる。軍勢のざわめきは次第に小さくなり、完全に軍勢が沈黙したのを見計らい演説が始まる。


「ドナウの精鋭達に告げる。これから諸君等は悪逆非道なホランド兵と戦う事になるが、余は諸君ら精鋭が負けるとは微塵も思っていない。彼等ホランド人は己の強さに驕り、自らを鍛える事を忘れた弱者を虐げるだけの愚者に成り下がった。そのような犬畜生にも劣るロクデナシ共に諸君らが負けるなど有り得ない。

 我々はこれより畜生の奴隷に堕ちたプラニア、リトニア、アルニア、サピンの人々を救い出す。それは西方において我々にしか出来ない、偉業である事を君達は胸に留めておいて欲しい。決して畜生外道のホランド人と同じ事をしてはならない。王たる余が誇れる『悪を挫き弱きを助ける真の男』であることを諸君等に期待する」


 ここでカリウスは一旦、言葉を切って兵士達の顔をよく観察する。その多くは自らが悪のホランド人を打ち倒す己の未来を想像し、破顔する。給金や免税目当ての末端兵士にとって国の大義などどうでもいいだろうが、それでも一端の男として悪を成敗する英雄譚には憧れる。人は誰しも無条件に己を正義と見なし、他者を悪と断じて裁く行為に言いようのない喜びを感じる本能が備わっている。それを満たせるのなら、彼等は喜んでホランドと戦うだろう。しかもかつての精強さを失い、弱体化した相手となれば恐れなど感じなかった。

 兵士達の士気が高い事を確認したカリウスは後ろに控えていた三人の男女を手招きして自身の隣に並ばせる。


「この三名はいずれもホランドによって祖国を滅ぼされ、命からがらドナウへとたどり着いた王族、または王家の血を引く者だ。余は彼等の命を賭した願いを聞き入れ、祖国を解放する事を諸君等を証人として今この場で誓おう。どうか兵士達よ、余を嘘吐きにしないでくれ。そして、彼等の民を良き友人として扱う事をこの場で誓ってもらいたい」


 壇上に立たされた戦装束のリト、セシル、ロベルタの三名は一万を超える男達に一斉に視線を向けられた。多くはロベルタの美貌に酔いしれ、この美女の頼みを聞いてやるかと俄然やる気を見せる。男はいつだって女に良い恰好をしたいと思うのだろう。

 ロベルタの容姿により兵の士気がさらに高まったのを見計らい、待ちに待った号令が下される。


「ドナウの興廃此の戦いに在り、全軍一層奮励努力せよ!!邪悪なるホランドを打ち滅ぼし、ドナウ男児の本懐を見せよ!!」


「「「おおおおおおおおおっ!!!」」」


 今や全ての兵士達の心は一つとなり、軍は巨大な一匹の怪物となってホランドへと襲い掛かる。



 後世、第二次ホランド戦争と呼ばれる戦いは、当時の王カリウスの演説によって始まったと歴史書では記された。



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